「・・・特別支援学校」や「・・・中等教育学校」と、学校の種別を表示する理由は何か。何故他の学校と同じように ○✕市立第八中学校 などと書かないのか。地域名と番号で十分ではないか。例えば市立二中が所謂「普通」で、市立五中が所謂「障害児学校」であって何の差支えがあるのか。いずれの学校も憲法に基づく国民の権利としての教育を任務として、平等でなければならない。本来同じであるべきものを違うと言う、これが差別である。
「偏差値」で上位にある学校は、何かにつけて都合のよくない生徒を排除して「賢く健康な」生徒を囲い続けてきた。「偏差値」で上位にある学校の対極には、都合のよくない生徒たちが集積されそれ以外の行き場はない。
差別がないのならまだしも様々な偏見に取り巻かれて、障害のあるなしを学校の壁に大書するのは、生徒の服や鞄に「・・・特別支援学校」と書くのと変わらない。
ナチスが「ダビデの星」を服にも店にも強制したことを思い出させる。もし学校の偏差値を色別のバッチにしたら、どうだ君は付けるか。
特別支援学校生が、自宅近くの小中学校にも籍を置き、地域の一員として学び合う制度がある。
普通の小中学校生にとっても、障害や多様性への理解が深まると教委は自画自賛している。嘗てのように公選制教育委員会を置き、どのような学校形態が名称が相応しいか地域全体で議論すべきである。その為には自治体を欧州並みに小さくする必要がある。日本のように合併を繰り返した数十万の自治体では地域性は消え、効率だけが追及される。管理統制する側からは、学校種別名称は細かいほど便利に違いない。
老人ホームの名称も、一目瞭然いかにもそれと分かる名称が付けられている。例えば // 介護老人保健施設 ほほえみの里 // 特別養護老人ホーム ふれあい荘 // すこやかホームゆうゆう // 有料老人ホームシルバー // ケアハウスかがやきの郷//・・・それだけではない、外見も巨大な墓石のようで画一的。
ある「高い」有料老人ホームの名称が、「・・・倶楽部」と地域名だけになっているのを見かけたことがある。気持ちが和んだ。何故地域名だけではいけないのか。地域の歴史や文化を生かした独自の建物を建てないのか。緑地公園や河川を周りに配したものがないのか。国の責任で運営する国々の施設の方が余程個性的で環境豊か。
国も自治体も責任を放棄、民間の有料施設に依存している日本が画一的なのは皮肉なことだ。民営とは「自由」や「多様性」を意味しない。立地も建設費も極限にまで切り詰めれば却って画一化する。『姥捨て山』の方が立派に思える。
旅行中「芸術家の家」とだけ小さく書かれた施設を見たことがある。興味を惹かれて中に入ると、老人たちの演奏が玄関や廊下に響いて年寄りが楽しく談笑していた。絵を書く人もあった。退職者のホームだった。豊かな国ではないのに重厚な外観、立派な中庭は威厳に満ちていた。
英国人労働者は退職後の貯蓄に関心を示さないと言われる。45歳以上で預金額が9000ポンド(約140万円)未満の割合は2014年度末で全体の40%。日本では65歳で定年して「平均貯蓄額2080万円」それでも不安。
英国では誰であろうと国民が老人ホームに入居する場合、住宅、貯蓄、年金などの資産併せて500万円以下なら全てその費用を国が負担する制度になっている。ビバリッジ報告の精神「揺り籠から墓場まで」は、今尚守られている。長いナチスドイツとの闘いを経た戦後の苦しい生活の中で英国人が獲得した制度だ。ちっとやそっとでは揺るぐはずもない。労働者や福祉嫌いのサッチャーが腕まくりして戦争で国民を騙しても、これは残っている。
だから英国の労働者は、140万円以下の貯蓄でも悠々と生活できる。出世競争で過労死することはない。中学生や高校生は、日本のように将来に備えた受験競争で鬱になることも、推薦入学を狙って部活での体罰や虐めに耐える必要も無い。
英国の少年は、政治や環境もに関心を持ち自由に行動できる。演劇や音楽にも夢中になれる。祖父や祖母たちの生活が保証され安定していることが、少年たちを若者らしい正義に導く。だからhate言説にも引っ掛からない。
日本では、大名や豪商の屋敷が庭ごと老人ホームになることは想像すら出来ない。ウサギ小屋程度でも順番待ちで、待っている間にあえなく死んでしまう。それが嫌なら億近い入居一時金と月数十万円を私費負担せねばならぬ。
参照 https://zheibon.blogspot.com/2019/09/blog-post_26.html
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