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元いじめられっ子と元番長たち

  「「突っ張るのを止めた」生徒たち」でもう一つ思い出した。

 あれは遅刻の量も質もずば抜けて多いクラスで、会議のたびに担任の僕は槍玉に挙げられた。だが、面白さも抜群だった。

 下町の工業高校にやって来た元番長の猛者たちが学習意欲を高めたのは、小中学校でいじめ尽くされすっかり自信を失っていたO君と仲間になってからである。

 学級担任することになって、僕のクラスにだけ元番長が三人も揃ったことが判ったとき、多くの教師がある古手グループの「陰謀」を疑った、7学級のうち特定の学級にだけ中学校の番長を務めた三人が揃う確率はあり得ない。あったら分散させる。

 僕はそれらしい「陰謀」の主たちを思い浮かべてムカッとしたが、知らんぷりすることに決めた。

 最初のHRで、僕は開口一番「人間は誰だって知られたくない過去がある、中学校からの内申書は見ない」と言っておいた。

 すぐに、どこかそれらしさが残る生徒が準備室にやってきて

 「先生、ほんとは知ってんだろ、俺のこと」

 「名前以外は知らない、内申書のことだろう、見るか」と言ってロッカーの引き出しを開けてみせた。一クラス分の内申書が一通ずつ封印したまま紐で括られて入っている。

 「ホントに見てないんだ。・・・先生、俺番長だったんだよ。でも安心しなよ。俺もうしない、そう決めてんだよ」

 「そうか、君は有名人だったのか。でもやめるんだろ。だったら今聞いたことも忘れるよ。これから君がこの学校でやることだけが、君の価値を決めるんだ」

 次の日三人の元番長が揃ってやってきて、それぞれが別々の学校で総番長をしていて互いに知り合いだったと自己紹介をした。その一人はある区の番長組織のサブリーダーだった。三人とも口を揃えて

 「高校生になってから突っ張るのは、ガキ。高校デビューっていうんだ。だからもうやんないよ、安心しなよ」という。

 「じゃー勉強するために、学校に来たのかい」

 「そのつもり、一応将来のことも考えようと思ってんだ、よろしく、先生」よく見れば三人とも人懐っこい顔している。


 さっそく始めた個人面接では、先ず皆に「君たちの名前以外何も知らないから、自己紹介してくれ」と言った。

 だがO君は下を向いたまま何も言わない

 「いじめられたかい」と聞くと、大粒の涙が落ちて音を立てた。小学校でも中学校でも、男子からも女子からもいじめ尽くされた経験を語った。

 「このクラスになったからには、絶対にいじめはさせない。約束するよ」そういうと

 「・・・先生、僕勉強できるようになりたいんです。どうしたらいいんですか」

 「二つある。一つは友達に教える。二つ目は自分が興味を持ったことを、自分で調べてノートを作ることだ。なるべく長く一つのことを」

 彼が興味を持ったテーマは『教師の犯罪』。夏休みや冬休みのたびに、大学ノート一杯に新聞記事を貼り付け、本からの引用を使った感想を添えて、見て下さいと持ってきた。選んだテーマに彼が小中学校で受けたいじめの実態が見えて、胸が痛んだ。

 授業が始まって暫く経つと、O君が級友に親切に教えていることが教員の間でも知られるようになった。友達から聞かれてわからないことは、自分で調べたり教員に聞いたりしていた。元番長たちは、ことあるたびにO君の厄介になることになった。お陰で、彼の成績は三年間すべて「5」、造った実習作品も素晴らしい出来で、卒業後は展示された。


 だが、彼の家庭には不幸や不運が続き、アパートの電気やガスが止められたりした。昼飯を抜いて教室でぐったりすることも続いた。元番長たちはオロオロして僕に助けを求める。

 「先生この頃O君何も食べないんだよ。昼休みも机に突っ伏したまま。俺たちがパンを持って行っても食べてくれないんだ。何とかしてよ」百戦錬磨の番長たちが、友達のことではオロオロするのがおかしかったが、O君を呼んで話を聞いた。父親も姉も家を出て、家賃も払えない部屋に彼一人が残されたのだった。放課後飲み屋でアルバイトしていたが、そこで晩飯が出る、それだけで耐えていたのだ。しかし彼の成績が下ることはなかった。


 夏休みに元番長三人は神津島に行く計画をたて、O君を招待した。「そんなつもりで一緒に勉強したんじゃない」と固辞するO君を、説得してくれと又泣きついてきた。O君も戸惑っている

  「あいつらは、君と親友になれたんじゃないかと喜んでる。きみはどうだい」

  「僕も嬉しいです、こんな友達が出来たのは初めてだからどうしていいかわからなくて」

 「こうしょう。今は金がなくて苦しいから、好意に甘える。就職して楽になったら、かえす。または君があいつらを招待する」

  「わかりました。そうします」と笑顔を見せた。

 対等な関係が育む友情は、三人にとってもO君にとっても文字通り目くるめく体験だったのだと思う。

 元番長たちはそれぞれなかなかな企業に就職。三人をまとめて僕のクラスに画策した古手教員はわざわざ当該企業に電話を入れた。その一つ、日本を代表する名門企業の人事部は「元番長だと言うことも知った上で採用しました。大きな組織では彼のような繊細なリーダーシップが欠かせません」と僕にも連絡をくれた。O君は立派な大学の推薦入学も大企業もあっさり断って、現場密着の小さな会社に就職した。

 個人も組織も国家でさえ、突っ張るのを止めたいと願っている。その環境を整えることが出来るのが成熟した「社会である。

 SSHなど目立つ学校の生徒が強いられる致命的不幸は、O君や元番長たちに決して巡り会えないことだ。彼らが政治的指導者や指導的経営者に成った時、彼らはO君や元番長たちを国や職場の主権者として認識出来るだろうか。

生徒や学生は、職員会議や教授会に「質問主意書」の類いぐらいは出す権利がある

   日本学生支援機構の運営評議会委員であり、文部科学省の有識者会議「学生への経済的支援の在り方に関する検討会」の委員でもある前原金一前経済同友会専務理事が、平成二十六年五月二十六日の上記検討会で、奨学金の返済を滞納している者について、「現業を持っている警察庁とか、消防庁とか、防衛省などに頼んで、一年とか二年のインターンシップをやってもらえば、就職というのはかなりよくなる。防衛省は、考えてもいいと言っています。」との発言をしています。

 この発言に対して、軍に入隊すれば国防総省が奨学金の返済を肩代わりする制度のある米国のように、我が国も奨学金の返済が出来なくなった貧困層の若者が兵士にならざるを得なくなる「経済的徴兵制」につながるのではないかという批判が起こっています。

 そこで、以下質問します。

一 上記の通り、前原氏は「防衛省は考えてもいいと言っています。」と発言していますが、この発言通り、防衛省において、奨学金滞納者をインターンで受け入れることを検討している事実はあるのか伺います。

二 また、文部科学省並びに日本学生支援機構において奨学金の滞納者で無職の者を現業のある警察庁、消防庁、防衛省でインターンさせることを検討しているのか伺います。

三 米国のように自衛隊に入隊すれば奨学金の返済を肩代わりする制度を導入する可能性はあるのか、それとも、このような制度の導入については検討自体行わないのか、政府の見解を伺います。

 右質問する。


 これは2015年ある代議士が内閣に送った質問文書。国会法は第74条で、国会議員が内閣に対し質問する権利を定めている。 内閣はこれに対し7日間以内に内閣総理大臣名で答弁しなければならない。

  内閣の答弁書を読みたくとも、衆議院のホームページから検索出来ない。参議院は古くとも検索可能。

 もしこれが通常国会中の政府と議員の討議であれば、NHKTV中継で広く若者や学生と親たちの関心を集めたに違いない。

 政府に対する質問と答弁は議員の特権ではない。国民の権利を代行しているに過ぎない。従って少数党派への時間制限や中継打ち切りは以ての外。プロ野球中継などは頼みもしないのに延長する。playに過ぎないスポーツの麻薬的興奮が政治を見えなくしている事に怒る事も出来ない日本のmediaは「I」=主我ある主体とは言えない。

  

 学校の生徒や学生は、職員会議や教授会に「質問主意書」の類いを出す権利があると僕は思う。その為には、何より「I」=主我 が必要だ。主権者意識は「I」=主我あって初めて自覚される。日本の中高生は他者に規定された「me」=客我になりやすい。自分自身ではない所属学校や部活のランキングに魂を抜かれてしまう。偏差値も部活も営利企業のつくる楼閣、巨大な空洞だ、天皇制に似て中身は何もない。

 まともな国では、学校や教育行政に父母・生徒・学生・住民が直接関与するシステムがある。

 たとえば、フランスやイタリアの高等学校では、学校評議会が学校内の最高決定機関であることが、法律で定められている。その構成員は、行政・事務代表・教員代表・親の代表・高校生の代表・地域の代表からなっており、教員会議も教員代表を選ぶ下部組織である点では高校生と同じ。

 カリキュラム編成・高校生の処分の他、学校予算・決算も学校評議会の権限である。(フランスの制度は1989年のジョスパン法によってさらに前進、後述するがこの前進は、フランスの高校生が自ら闘いとったものである。)


 「「I」=主我」の無さにおいて、日本の教師は群を抜いている。職員会議では多数決すら禁じられ、「上意下達」の一方通行。生徒の前で教育行政の「上意」を伝えるだけなら、そこに教育は成立しない。あるのは調教、という点では封建時代へ逆行している。大河ドラマの類いは国民を 「me」=客我の世界に引き摺り込んでいる。


 「質問主意書」の類いの権利を、少なくとも自分のクラスで実践してみるのはどうだ。職員会議の議題を公開してみるだけでもいい。無論風当たりは弱い筈はない。そうする事でしか我々は「I」=主我を確立できないように思う。互いに

仏の街頭行動では高校生と教師の共闘は日常的
「me」=客我同士では、操り人形同士が向き合っているが如き。言葉までも分断されたまま。憎み合いが仕組まれて互いに消耗して潰える。生徒・教員ともに主体的「人間」であってこそ理解が可能。共闘は相互理解があって初めて成り立つ。


   冒頭の質問主意書を提出したある代議士は初鹿明博  彼の経歴は面白い。大学卒業後は自民党代議士秘書、1997年都議選に旧民主党公認で出馬するが、次点で落選その後鳩山由紀夫秘書。2001年都議選には民主党公認で当選し、2009年まで都議。2009年衆院選に民主党公認で当選。

 これからが面白い、2011年には衆議院の「オリンピック及びパラリンピック招致に関する決議案」採決において党の方針に反し反対。消費増税法案の採決でも、党の賛成方針に反対票を投じ、党員資格停止2カ月の処分。民主党に離党届を提出、みどりの風へ入党。次期総選挙で落選。

 2014年維新の党に関わり当選するが、共産党や社民党との共闘による「リベラル勢力の結集」を目指し大阪維新と対立。2017年立憲民主党設立当選後、女性問題が発覚し辞職している。(スキャンダルに塗れた議員が党派離脱でお茶を濁す中、潔がいい。)

 これを定見のない輩と見る向きもあろうが、政界自身が離合集散を繰り返す中逆に筋を通した「I」=主我の人物なのかも知れない。彼のtwtterは一見の価値はある。


わが国では、学校は植民地同然なのか 牢獄か

  

「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」                              フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』みすず書房1960年

 

 これはフランスの高校生のデモ     今月7日、マクロン政権への国民的な怒りは、約350万人(CGT調べ)の街頭抗議デモー鉄道、地下鉄、バスなどの交通機関、道路、輸送、医療、消防、港湾、燃料、電気・ガス、清掃、公務員、学校、商業、サービス業ーあらゆる産業分野の労働者、老若男女が街頭に結集、政府の年金改革に異議を突きつけた。 抗議デモは国内300の地域に広がり、「生存権を守れ」「われわれは労働の囚人ではない」「ウクライナではなく国民を支援しろ」と声を上げた。ストを呼びかけた労組や組織は「年金改革法案の撤回」まで無期限ストを宣言している。

フランスの人口は日本の半数弱。
 ここ仏で高校生は教師とともにともに闘う仲間として街頭に出ている。日本の高校生は政権に指示された模擬投票ごっこの幼児以下か、なす術なく狼狽える。教師と高校生は、長い時間を共通の目的=学問をともにしながら、共感しあうことが出来ない。ここは牢獄か。何故連帯から逃避し傷つけ合うのか。

 高校生は既に政治的主張と行動の主体。教室の壁に閉じ込められた囚人や主権を奪われた植民地民衆では無い。進化をとどめるな、理性を研ぎ澄ませろ、怒りをもて白身の課題に立ち向かえ。高校生・若者、君たちは主権者なのだ。先ず要求を掲げて、当局に政府に突きつけねばならない。君たちが侍japanに興奮している間に政権は戦争にまっしぐら。

記 異議申し立てする主権者たちに、フランス警察は警棒はもとより、催涙ガス、高圧放水銃、閃光弾、までも使っている。重装備の警官が非武装のデモ参加者に襲いかかる様子はSNSに溢れている。消防士の一部隊は寝返り、デモ隊に合流した。あるmediaは「パリは戦争状態だ」と報じている。

 イタリアの異議申し立てデモでは、軍人が市民=主権者側に寝返っている。

 

  

答案を時間内に仕上げられない 何が問題か Ⅰ

  巧みな指先・卓越した記憶力・賢さ・美しさ・を「個性」と呼び賞賛する。その逆の不器用さ・鈍い記憶力・愚鈍さ・醜さを人は何故「個性」と言えず、恥ずかしがり隠すのか。それは前者は金になる=「儲かる」からだ。それだけを価値とする社会。しかし後者も紛れなく「個性」である。その人・その子らしさを表している。

「たわし」とあだ名されていた頃の四谷二中を思い出す。

Z君が自分の通信簿を広げ

 「たわし、お前の通信簿見せてくれよ」

 「・・・お前の成績と俺の成績は丁度反対だね」明るく言う。洟を垂らしながら。

 「たわしの成績と俺の成績を足して二で割ると真ん中の三になる。・・・なぁ、おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、たわしお前はないんだ。だから俺たち親友なんだ」と顔を覗き込むようにして言う。周りの連中も爆笑しながらのぞき込んだ。彼とはクラスを挙げての「カンニング」を組織して以来の長い親友だった。 

 A君(彼は高倉健と菅原文太を合わせた顔貌風体で喧嘩も滅法強かった。その彼に「なあたわし、数学って面白いかい、俺にも教えてくれよ」とせがまれ何時の間にか「面白いな、宿題つくってくれよ」と言うようになった。しかし彼も愚連隊の一員としてのケジメはあり、決して教師から教わろうとはしなかった)に数学を教えている時、Z君も寄ってきて「俺にも教えてくれよ」と仲間に加わり、「分かったよ、たわし有難う」と、青洟を垂らし笑うのだった。だがテストになると、零点。僕に向かって零点のついた答案を見せて、ニコニコする。忘れやすい奴だと思っていた。しかし今になって気が付くのたが、彼は点数を取ることに興味がなかったのではないか。分かる過程は楽しむが、点数を競って我を張ること(頑張る)はしない、そういう世界観を持っていたと思う。他人を蹴落とす事に強い嫌悪感を持っていたのではないか。

 卒業間際には、べそをかきそうな顔して

 「俺たちと二中のこと、忘れないでくれよな。・・・でもきっとお前、俺たちのこと忘れるだろうな・・・」と僕の同意を促した。この時彼は、偏差値と相対評価の理不尽を正確に見抜き、それを僕に伝えていたのだと思う。

 「偏差値に囚われるな」と教師は誰も教えなかった。その仕組みを繰りかえし強調しただけだ。

 軒下の高い窓を拭くのも、暖房のコークスを運ぶのも喜んでやった。骨惜しみを知らない根っからの善人だった。忘れがたい思い出の数々に彼がいる。住んでいたのは、新宿天竜寺の裏、旭町の木賃宿。着ている制服も粗末だったが、それらが彼の快活さを妨げることはなかった。そのZ君と「寒山・拾得」や内村鑑三の賞賛した「智き愚人」=ダルガスが重なる。 

 「たわし、俺たちのこと忘れないでくれよなぁ。・・・あぁ・・・お前やっぱり俺たちのこと忘れちゃうだろうな」とべそをかきそうになったのは、効率や偏差値が社会全体を覆い尽す事態に反撃出来ない悔しさであり、親友が偏差値の魔界に引き込まれる事への警告でもあった。

 A君の懸念通り偏差値に溺れたのは、僕だった。僕が四谷二中にいた頃は、偏差値はまだ偽偏差値と言うべき段階でしかなかった。危うい制度が始まろうとする時、鋭い警告を投げかけるのは「優等生」ではない。

 公教育が荒廃の気配に包まれた頃、「(民主的)管理主義」や「毅然たる指導」の言説に惑わされずにすんだのは、彼らの思い出のおかげである。二中を取り巻く歓楽街の荒廃や大学紛争時の青年の閉塞極まる状況に比べれば、バラック作りの荒れた教室も僕には「花園」だ。      

  

  「おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、たわしお前はないんだ。だから俺たち親友なんだ」 

 

   今日本ではあらゆるmediaが、明けても暮れても勝負事絶賛一色だ。sports・公営ギャンブル・囲碁将棋カードゲーム麻雀・ゴルフ・・・商業化とプロ化が華々しく煽り立てられ、子どもまでが巻き込まれる。だが賞賛されるのは、獲得賞金額・世界大会メダル数(日本の)・・ばかり。fair「play」の楽しさやgentlemanshipの公正さを投げ棄てた独占欲。


 勝ち組の賞金が膨らめば、敗者のsaftynetは消滅する。勝者の賞金は
敗者の賜物なんだ。栄光が輝かしい程、挫折の陰は暗く寒い事を知らねばならない。スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極に荒れる「底辺校」が必ず出現する。
 これはA君の懸念した「おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、お前はないんだ。」ではないか、それが半世紀を超えて続いている。負ける者のおかげで勝てる者がある。負け続ける国があるから、常勝の国もある。
 勝ちだけに拘れば、そこには「だから俺たち親友なんだ」が欠ける。


   それ故、「定期試験の答案を時間内に仕上げられない生徒たち」の人権保障は少なくとも社会科を講じる僕の義務だ。どうやったのかは次回に、疲れたから休む。

多数への隷属を打破する民主主義 絶えざる政治的平衡 

 

 革新派のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバが、保守派の様々な妨害を押さえてブラジル大統領に復帰した。 

 保守派が多数の議会を相手に、ルラ大統領はどの程度の統治意思決定力を発揮出来るか。

 ここで思考を巡らせるべきは、嘗てブラジル議会が革新的議会があったことはないという歴史的事実である。最高の憲法を作った1988年でさえも。左派の議員は16人で、残りはすべて保守政党の議員だった。しかし、それでもブラジルは進歩的な憲法を制定出来た。(上院81、下院513)

 議会は社会的諸勢力の相関関係を反映する。ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバが資産家勢力や古い政党と築いた関係は、政府に安全を与えるための歴史的制度でもある事を理解する必要がある。

 ブラジルの進歩的大衆は、ルラ大統領が国家の矛盾に立ち向かう事を期待している。ルラ政権の急進性の度合いや構造改革の進展は、大衆の勢力と圧力にかかっている。

なぜなら、社会の歴史的構造変動は常に大衆の結集に支えられて来たからだ。

  コスタリカで革新政権が成立したことはただの一度しか無い。この事実を知ると日本の平和勢力は仰天する。肝心なのは体制では無い。民衆の絶えざる運動なのだ。出来上がった体制に依存したり「代行」させたりする事ではない。


 希な例だが、アメリカの西部劇でただ一つ感心出来ることがある。銃と略奪が幅を効かせる西部の町で、新聞が果たす役割を見事に描いている作品がある。頑固者の新聞発行者は、銃や略奪に依存する保安官や市民に距離を置いて細々と輪転機を回している。その新聞を市民は買う。市民に背を向ける新聞を読むのだ。そして自ら判断する。

 新聞が多数に傾いたり特定の判断をするのでは無い。判断の主体は市民。

  何が正しいかを判断する独立した市民のバランス感覚がここにある。暴力や貧乏にも屈しない自由な精神がある。  

  日本国民は、新聞に一体何を求めているのか。プロスポーツや公営ギャンブルの勝ち負け、天皇一族や芸能人の消息スキャンダルか、世界大会のメダルか。自分たちの尊厳を無きが如く扱われてさえ歓喜する隷属性。日本の新聞と広告代理店はそこに的を絞って恥じない。付和雷同そのものが事柄の価値付け動機となる空虚な危うさがここに生まれる。

 体罰や腐敗が横行しても生徒会「新聞」は批判するすべを知らない、なぜなら新聞部や委員会室を仕切るのは顧問と言う名の他者だからだ。体制の広報はジャーナリズムたり得ない。従順な生徒に教師は安堵し、服従を分掌する教師に管理職は安堵し・・・この逆転しない構造が何処までも続く。この構造は空虚な「国体」に収束するように工夫されている。

 何処にも日々の授業や成長する若者の姿は無い。卒業「式」の答辞には一過性の幼稚な涙と感動の場面が語られ、親も教師も教委もつくられた予定調和を賛美する。主権者は絶えず異議を唱えねば消える。

 

  服従本能を持ち付和雷同する人間の群れを「畜群的人間」と言ったのはニーチェであった。

 日本の学校は幼稚園から大学院まで「自由な民」としての子どもを、コンパニオンアニマルに仕立てる事が要求される。そのためだけに学校の日常を、様々な行事で涙と感動づくめにするのは、成果を目に見えるように求められるからだ。管理社会では、目に見えないものは成果ではないとして葬られる。

 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」サン=テグジュペリ

 コンパニオンアニマル化は「自由な民」への虐待に他ならない。

    「可愛い」ペット=コンパニオンアニマルは、体制=飼い主に服従する以外の幸福はない。ものを見るための心を捨てたからだ。オルテガの指摘を日本の学校の日常が先取りしている。

  「俺に任せておけ」と言いたがる活動家や政治家。そして彼らに不和雷同し、やがて暴走する世間の姿が「国家の奴隷」。

遅刻は「指導」対象か 優しく眠らせるべし

  睡眠を妨げると如何なる生物も認知能力は著しく低下する。昆虫やミミズから象や鯨はもちろん類人猿も学習が妨げられる。現代日本人は寝足りているか。


 若者の若者の睡眠時間は、国際的にも歴史的にも惨憺たる有様だ。

 にもかかわらずTV番組では、日本人が如何に優れ、外国人の憧れ賞賛の的になっているかの映像で隙間もない。寝る間も惜しみ、寝る間も奪われて過労死も世界一。満員電車での通勤時間も世界一だ。

 青少年が眠りを奪われて壮年に達するとき、日本の認知能力の低さは目を覆うようになるに違いない。それは政権党議員らの知的倫理的堕落として既に現れてしまった。

   或人、法然上人に、「念仏の時、睡ねぶりにをかされて行ぎょうを怠り侍る事、いかがして、この障りをやめ侍らん」と申しければ、「目のさめたらんほど、念仏し給へ」と答へられたりける、いと尊とうとかりけり。 吉田兼好『徒然草』第三十九段

「それなら目覚めている時に・・・」 兼好法師
 「念仏を唱えていると、どうしても眠くなって怠けてしまいます。どうしたらいいのでしょうか。」とある人が、法然に聞いた。・・・「それならば、目が覚めているときに念仏を唱えなさい」と、それが答。実に尊い。

選択できる「生活指導」を試す

  「生活指導」で問われるべきは、量ではなく質である。下町のある工高では、指導の長さや表面的効果ではなく担任や担当教師の取り組みの中身が問われ時期がある。その底流には、指導はあくまで生徒の「権利」であって、生徒に対する処分=罰ではないとの共通認識があった。しかし、学級担任や校務分掌としての生徒指導部に人気はなかった。生徒が主体と言う考えにどうしても馴染めないからだ。日数や時間が過ぎたからokとは行かない。教師個人の個性が反映することにもなる。職員会議での議論もややこしくなる。指導内容抜きの教員個人間の言い争いになりが

ちだ。  
 ある年、生活指導部送りになった生徒に、指導方法を選ばせることにした。担当は二人。指導室での説教、グランドの草取り、プールの掃除、職員室の掃除(清掃分担表から各職員室を外した。職員室清掃が生徒の分担という発想に僕は合点が行かない。)

  生徒に人気のあったのは、「グランドの草取り」。もう一度草取り指導してくれと言い出す生徒が続出した。担当二人の空き時間にやれば生徒は授業を脱ける、これは事前に職員会議で周知しておいた。工高は専門教科の実習や実験や製図が圧倒的、この時間を脱けることになる。

 グランドの木陰は校舎からは見えないから、普段から彼らの喫煙場所でもあった。その付近で今度は草取りをする、教師と並んで。面と向かってでは無く草や空を診ながら、いつの間にか対話になる。授業や教師ねへの不満から親や校則への不満もゆっくり話し合える。将来への不安が口にでることも。草取りは心身を解すにも丁度良い。終わった時には、生徒の表情が柔らかい、同じように僕らも柔らかい表情になっていたに違いない。

  しかし一見長閑な選択できる「生活指導」は、定着しなかった。

 教員は「強制してこそ指導」との先入観から自己を解放できない。この傾向は学校の「偏差値」ランクが下がるほど著しい。ここに、経済的・文化的貧困への止みがたい無知と偏見がある。

 加えて都立高校異動に関する「希望と承諾の原則」が、都教委による強制人事に変わったことも大きい。異動先の教育文化の違いを受け入れない教師が強制異動で増えたのだ。このような教師にとって、服装や頭髪の自由や、指導の選択制など論外だったに違いない。全都的に、全国的に「管理主義」教育が力を増していたのだ。 特定の生徒だけが管理されるように見える時、既に全ての生徒の自由も教師の自主性も侵害されているのだ。

暴発は制御できない


 






  中央値とは、データを小さい順に並べた時の真ん中の値。同じ値のデータが最も多い値は最頻値という。

 画像に示した年代別平均貯蓄額。驚くべきは20代と50代の貯蓄額の中央値が、それぞれ8万円 30万円にすぎないことだ。20代の半数は貯金が8万円以下だし、50代の半数は30万円しかない。日本は新自由主義経済の掛け声に浮かれて、気が付けばsafty netが破れて久しい。だから貯蓄に頼らざるを得ない。にもかかわらず政府は物価対策を放棄。

  報道によれば、壮年男性がコロナ感染して僅か半日で死亡したという。その間救急車が患者を乗せたまま問い合わせた病院は200カ所以上。それでも受け入れる病院はなく、走り続けた挙げ句自宅に戻り絶命した。同じような例が相次いでいる。これを医療崩壊寸前と呼ぶ行政もTVも狂っている、寸前ではなく既に崩壊。明らかな医療放棄。 僕が怖いと言っていたのはこのことだ。日本の新規陽性者数と1日当たりの死者数は世界1位、という惨状。とっくに子どもや既往症ある人や妊婦が医療から弾き出されている。病院経営には莫大な補助金がつぎ込まれるが、医療そのものは消滅。これは国民皆保険制度下の行政犯罪。狂気の沙汰。

 その上実質賃金は下がりつづけ年金も削られ物価は上がる。にもかかわらず弱者の怒りの行動は組織されない。弱者・敗者はまるで生きていること自体が罪であるかのように、恥であるかのように息を潜めている。tvでは警察ドラマと武将ものや公営ギャンブルとプロ化したゲームの勝ち組だけが画面に踊る。金がなければギャンブルか投資で稼げと宣伝が流れる。ギャンブルや投資に回す金もないのに。貧しい労働者は存在しないかのような電波の世界。

  うらぶれた街や狭く密集した住宅がドラマから消え、城や宮殿ばかりが登場する。社会全体が、貧しさ、敗者に対する想像力を失っている。

 恐れねばならないのは、こうして自我像を喪失すれば温和しく秩序ありげな国民ほど、輝かかりし過去の「栄光」に自己を埋没して一気に暴発することだ。

 成長著しい中国や韓国を揶揄する雑誌が売れ、攻撃的発言が視聴率を上げる。しかし滅びた日本の栄光は妄想の中にしかない。暴発も妄想も一度始まればコントロール出来ない。 

1967年のどぶねずみ色の若者たち Ⅱ

 承前  花森安治は兵隊だった頃を思い出す。彼は1911年生まれ、徴兵で中国東北部の部隊に従軍した。


   どうにもならぬほどのどが渇いてくると奇妙に、だれの顔つきも、おなじような感じになった。 

   目が、へんに光っているくせに、それでいて、どこか遠くのほうを見ているような、早くいえば、呆けたような表情になる。

 ひとの顔が、みんなそう見えるのだから、もちろん、こちらなど、とっくにそんな顔つきになっていたのだろう。

 そして、考えていることといったら、あとどれくらい歩いたら、水のある所に行きつくだろうか、などといったことではなくて、それでも、だれか水筒に水をこっそり残していないだろうかと、前後左右の兵隊の腰のあたりで、歩くたびに揺れる水筒の音に、神経をすりへらしているのだ。

 ことわっておくが、こんなことを書くのは、このごろのご連中、みなさまおなじような顔つきをしているのは、心のなかで、よほどのどが渇いているのだろう、などと歯の浮くようなことを言うためではないのである。

 なにかといえば、欲求不満だの挫折感だの劣等意識だの体制だの反体制だのとはやしていて、それで日が暮れるような、そんな甘っちょろいものではない筈だ。

 第一、おなじバカみたいな表情にしても、汗が噴いて乾いて塩が縞のように白くこびりついた兵隊のぎりぎりのアホウ面と、ズボンのポケットに小銭をじゃらじゃら鳴らしている、男性化粧料やけしたアホウ面とが、いっしょになろうはずがなかろうじゃないか。

 そんなことではなくて、あのどうにもならないほどのどが渇いているときでもみんなが、おなじ兵隊服でなく、てんでばらばらのものを着ていたら、それでもやはり、みんなおんなじょうな顔つきになっただろうか、それをふっと考えたからである。

 というのは、そんな生命ぎりぎりのときでなくても、兵隊の顔は、どうにも見わけのつかないものなのだ。

 いつか、行進している部隊の中から、自分の中隊を探そうとして、知った顔を見つけるのに、ひどく苦労したおぼえがある。

 そういうつもりで、一度、このごろの連中の着ているものを、町角に立って、眺めてみたまえ。

 まるで、だれかに命令されたように、みんながみんな、おなじような服を着ている。それが、どぶねずみ色なのだ。

 だいたい、男の背広なんてものは、やれコンチがどうの、アシタがどうのといってみたって、たかだか、エリの巾が何ミリどうなって、胴のダーツが何ミリどうとったなんてことで、ボタンの数がふえたといっても、まさか十も二十もつくわけじゃなし、ズボンをスラックスといいかえてみても、ガニマタが、すらっとするわけでもなし、洋服屋のまわし者がさわぐほどには、大して変りはえのするものではない。女の子の流行の千変万化ぶりにくらべたら、男の背広なんて、いつだって、どこだって、だれが着たって、大して変りのないものだ。

 形がすでに大して変りはないときているところへもってきて、色まで、そろいもそろって、どぶねずみ色なのだから、なんのことはない、これは、もはや一種の兵隊服である。

 それも、兵隊服のほうは、なにも好きこのんで着た奴は一人もいない。馬鹿野郎、服に体を合せるんだ、とどなられながら、どうにかこうにか、体のほうが服に合ってきたものだ。

 もちろん、あの兵隊服には、細部にわたって、なにからなにまで、きちんと規格があって、縫製はもちろん、着方まで、うるさくきめられていた。帯革をしめたとき、ビジョウのどの線が、服のどの線にそろわねばならないか、そのとき出来たシワほ、どこへ寄せなければならないか、そんなことまできめられていた。軍人の制服だから、仕方のないことだった。

 ところがこのごろの連中のどぶねずみ色の服が、やっぱりそれなのだ。

 なにも会社や役所できめたわけでもあるまいし、タダでくれたものでもあるまいに、兵隊服みたいに、ぴったり規格に合って、着方までそろっている。

 ワイシャツは白、ネクタイと靴下は、どぶねずみ色、靴は黒、ハンカチは白ときて、そのハンカチの折り方、胸ポケットからのぞかせる寸法(ミリ単位)、ネクタイの結び方から、カフスボタンののぞかせ方(おなじくミリ単位)、上着のボタンの外し方に至るまで、これがおなじときている。

 古い言葉でいえば、さしづめ、バッカじゃなかろうか、である。

 君、なにを着たっていいんだよ。

あんまり、わかりきったことだから、つい憲法にも書き忘れたのだろうが、すべて人は、どんな家に住んでもいいし、どんなものを食べてもいいし、なにを着たっていいのだ。それが、自由なる市民というものである。

  花森安治「どぶねずみ色の若者たち」 『暮しの手帖90号』

 どうだ、不気味だろう。「 あんまり、わかりきったこと」も憲法に書かねばならぬと言いながら、その実政権党が目指しているのがどんな世界なのかが。

 花森安治は、世界を震撼させた「大学闘争」の前年にこれを書いた。と言うことはここに書かれたどぶねずみ色の若者たちは、団塊の世代のだいぶ前に生まれている。つまり戦中派ではないが戦後派でもない。この微妙な世代のおかしな風俗に、花森安治は怒りを隠さない。

 彼らが国民国民学校に入る頃、教師は敗戦で呆然。昨日まで現人神のために命を捨てろと裏声で叫んでいた男が、教科書の墨塗に励むそんな時代。

 適格審査による教職追放もあったはず。 教職追放は、GHQのCIE(民間情報教育局)が担当した。CIEは、教職追放の方が公職追放より厳しいものになるべきと考えていた。全国130万の小中学校教員、大学教授等を対象に審査し、日本の戦争を肯定する者、積極的に戦争に加担した者、戦後の自由と民主主義を受け入れない者に、除籍を求めた(適格審査の記録はほんの一部しか残っていないが、審査は実に杜撰なものであった)。1946年5月、占領下の文部省は『教職員の除去、就職禁止及び復職の件』を発令。各都道府県に教員適格委員会を設置している。

 少年たちは何を考えただろうか。

 丸山真男は駅ホームの放送「危険ですから白線の内側にお下りください」に腹を立てた。判断する主体はあなたではないということを、政府に代わって数十年間睡眠学習のように聞かせ続けているからである。

 戦前の教育は少年の生活全てから、判断するする知性を奪い尽くした。

 つい昨日まで鬼畜と罵った米兵に一言一句に至るまで唯々諾々と従う。そんな教師を見て、少年たちが再び胸に刻んだのは今までのように「考えない」こと「判断しないこと」だった。そうでなれば「どぶねずみ色の若者たち」の奇態は説明が付かないではないか。


 『暮しの手帖』の魅力は、多種多様な取材対象と執筆陣にある。ノーベル賞受賞者も日雇い労働者も人間国宝も貧乏暇なしも同列に扱われる。この無鉄砲かつ勇敢な編集姿勢は、花森自身の旧制高校時代や「帝大新聞」編集部時代に形成されている。

 だから彼は一方で「どぶねずみ色の若者たち」とは対極の輝かしい青春を経験し、他方で軍馬以下の一兵卒=究極の溝鼠として戦場を彷徨った経験をもった。正真正銘の複眼的切れ味の良さはこうして生まれている。

 

  

1967年のどぶねずみ色の若者たち Ⅰ

 花森安治は、全世界的な学生紛争の勃発する「1968」年の前年に不気味な批評を書いた。

 学校にいるときは、一向に制服を着たがらないでもって、ひとたび世の中へ出たとなると、とたんに、うれしがって、われもわれもと制服を着る、という段取りになっているようだ。

 たとえば、東京でいうなら、丸の内とか虎の門あたり、あのへんを、昼休みにぞろぞろと歩いている、若いサラリーマンたちを、ながめてみたまえ。

 ・・・

 へたな空想科学小説にでてくる、どこかの遊星の、独裁者の意のままに支配されている人民たちみたいに、みんな生気のない顔をして、べつにどこへゆくというあてもなく、みんなが歩いているから、じぶんもそっちへ歩いているといったふうに、動いているのだ。

 真昼の強烈な日光の下で、突如あたりの風景が、すうっとくらくなる、立ちぐらみというのだそうだが、いくらか、それに似ている。

 見ていて、うすら寒いのだ。

 いったい、人なに事かを憂えているときは、顔色に生気があり、日に光りがある。このどぶねずみ色群の、のろのろとした動きには、そのような、大それた気配はない 

・・・

 顔色の生気のないことをいうまえに、顔つきの、だれもかれもおなじように見えること、さながらナンキソ豆の面つきのようであること、それからいうのが、ものの順序だったかもしれぬ。

 なるほど、ひとりずつを離して、ことこまかに観察すると、おのずから多少のちが小はあって、佐藤君を三木君ととりちがえるようなことはない。

 しかし、佐藤君の顔と三木君の顔のちがいは、つまりはナンキン豆にも、皮がこびりついているのもあれは、焦げて苦いのもある、その程度のちがいで、ひっくるめてみれば、このごろの連中の顔は、まったくおなじような感じである。

 むかしは、女性の顔が、こんなふうに、どれもおなじような感じだった。

 リンカクでいうと、面長とか面丸とか色つやでいえは、じゃがいもの皮をむいたのと、むかないのとか、一方はキッネ顔、一方はタヌキ顔といったちがいはあったにせよ、ひっくるめての感じは、どれもおなじだった。二言でいうと、つまりは<良妻賢母>風とでもいうか、内心はともかく、いつも一歩か一歩半ひき下ったような、見たところ、つつましく、たよりなげな顔つきであった。

 どこで、どう回路を引きそこねたか、このごろは、男の連中が、おしなべて、おんなじような顔つきになっている。

 一くせも二くせもありげな、ギョロリとした面がまえは、先日小菅刑務所を見せてもらったが、そこでも見つからなかった。

 まして、のろのろと昼休みのビル街に動いているどぶねずみ色群のなかに、半くせも四分の一くせもありそうな面を見つけようというほうが無理なのだ。

 おしなべて、一見たよりなげで、二見良夫賢父ふうで、三見ケチでずるそうでこれでは、だれの顔を、だれの顔とすげかえてみても、べつになんの差し支えもござりませぬわいなあ、といった顔つきをしている。

 だれの顔つきもおなじだということはみんなのっぺらぼーの顔で歩いている、ということだ。

・・・

 兵隊だったころに経験したことだが、どうにもならぬほどのどが渇いてくると奇妙に、だれの顔つきも、おなじような感じになった。

 しかし、このごろ どぶねずみ色の服を着て、のろのろと、けだるそうに生きているのは、こどもでも老人でもない筈である。

 それとも、このごろの青年は、戸籍面の年令だけが青年で、中身のほうは、ひねくれたこどもか、若年寄りのどちらかなのだろうか。

・・・

 どんなわかりきったことでも、一度じぶんの手で受けとめて、じぶんなりに考えてみて、ほんとにそうなのか、じぶんでたしかめる。もし、そうでなかったらハッキリさせる、そうなるまでたたかおうとする、この抵抗の精神は、青年だけが持っていた筈である。この精神だけが世の中を、すこしでもスジの通ったものにしてゆけたのである。

 みんな、だれの命令でもないのに、どぶねずみ色の服を一生けんめいに着こんで、しかも我ひと共に怪しまない、そんな姿勢のどこに、この青年だけが持っていた<さからいの精神>がみられるというのか。

一体何時から日本はこんな馬鹿げた児戯に力を込め始めたのだ、千歳飴が相応しい


 いまは、天下泰平だという。

 ウソをつけ。世界といわず、日本といわず、いったい、どこが天下泰平なのですか。 いうならば、乱世である。

 お互い、うじゃじゃけ(傷跡などがただれた状態になる。 また、だらしない様子)のかぎりをつくした乱世ではないか。

 まいにちの新聞の見出しをならべただけでも、とても正気な人間の集っている世界とはおもえない。

 それだけに、こう連日連夜、ばかげたことに、十重二十重と取りかこまれていてはくよほど、しっかり立っているつもりでも、足をとられてしまう。まあ仕方がない、とあきらめる。しまいには、それがあたりまえのような気が、してくる。

 あげくの果てが、みんな、のっぺらば一の顔にどぶねずみ色の服だ。みんなが着ているから着ている。

・・・

 たかが、服のことぐらい、、どうだっていいじゃないか、というのか。

 その通りだ。たかが服のことだ。こちらも、それがいいたくて、さっきからうずうずしていたところだ。

 まったく、どうだっていい筈だ。いい筈なのに、どうして、みんな申し合せたみたいに、どぶねずみ色の、ものはしげな服を着ているのだ。

 紺の上衣に、うすいグレーのズボンをはいたっていい筈だ。・・・

 第一背広なんか着なくたっていい筈だ。ジャンパーだっていい筈だ。

 それを、みんながしているとおりにしていたら、まちがいがない、などと横町の年寄りみたいなことを考えて、そう考えるのが、大人の考えというものだ、とおもっているのなら、たいへんな大まちがいだ、。

 たしかに、そういう考え方は、こどもではない。しかし、決して大人の考えでもないのである。それは、ともかく生きているだけ、という老人の考え方にすぎない。

 そんな考え方では、世の中をよくしようなどと大それたことはもちろんだが、この凄じい乱世を、果して乗り切って生きてゆけるかどうか。

 のんでものんでも、のどのかわきのとまらない因果な病人みたいに、ひとのすることばかり追っかけるクセがついてしまったら、ひとが赤旗を振れといえば、うしろの方で目立ぬように赤旗をふり、ひとが鉄砲をかつげといえば、ロの中でぶつぶついいながら、鉄砲かついで船に乗せられてしまいはせぬか。

 どぶねずみ色の服を着せられている諸君よ。たかが服のことだが、このつぎ服を買うときは、ひとのことは気にしないで、じぶんの着たい服を買いたまえ。

 すると、たかがそれくらいのことをするにも、いささかの勇気がいることに気がつく筈だ。

 しかし、君よ。君がねがうところの、親子何人かが、おだやかに暮してゆけたら、というささやかなマイホーム的幸せを手に入れるためには、たぶんその何倍かの、<いささかの勇気>がなければ、だめなのだ。らくなことだけをしたい、いやなことはしたくない、といった臆病者では、到底手に入れることはできない等なのだ。       花森安治「どぶねずみ色の若者たち」 『暮しの手帖90号』     続く

 1967年この年僕は高校三年生になった。既に前年頃から制服や校則に対する火花を散らすような抵抗が、あちらこちらの高校で始まっていた。教室で、廊下で、校庭で、教師と激しい論争が繰り広げられ、大きな人だかりになった。同時にそれはベトナム反戦と密接に絡んでいた。

 花森安治はこうも言う。

 みんながスキーに行くから、おれはゆかない。みんながクルマに熱を上げているから、おれはそっぽをむく。みんなが安ウイスキーをのんで麻雀をするから、おれはのまないし、やらない。

 それがいいとか、わるいとかいうのではない。それが青年なのだ。すくなくとも、青年とこどもがちがうのは、そういうところなのだ。

 そんなことを言っては損だと知っていても、いわなければならないことは、ハッキリと大きい声でいう。そんなことをしてはまずいとわかっていても、しなければならないことは、きっぱりとやる。

 それが青年というものだ。すくなくとも、青年と老人がちがうところは、そこなのだ。

 かりに、世の中がすこしでも進歩しなければならないとしたら(こどもと老人は、そんなことを考えもしないし、信じもしない)それがやれるのは、青年しかない。   

「象牙の船に 銀の櫂 月夜の海に 浮べれば」・・・


 詩人西條八十は、詩に専念したいと願いながら 生活苦のために株取引に明け暮れていた。
 貧乏は人をその人の望む仕事から遠ざける。芸能人は演劇などの芸に専念出来ないため、生活のためCMで笑顔を振りまかざるを得ない。まるで商品の奴隷だ。

 日本の医師は、病院経営と外来患者数の多さに追われて医療に専念出来ない(人口1,000人あたりの医師数:日本2.0、独仏3.4、米2.3 //・医師一人当たりの外来患者数:日本8421、米2222、OECD平均2400)
  日本の教師は労働時間は世界的に見てダントツに長いが、授業に専念する時間は短い。雑務や部活に追われるからだ。
 日本の親は仕事と通勤に時間をとられ、子どもの世話や社会活動と睡眠時間を削り誇りを持てない。
 
 みんな「唄」を、誇りを忘れている。忘れさせられている。睡眠時間を削られた者は、考えられなくなる。だから短く他人を他人を揶揄するメッセージが飛び交う。
 
唄を忘れた 金糸雀(かなりや)は/ 後の山に 棄てましょか / いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた 金糸雀は / 背戸の小薮に 埋けましょか / いえ いえ それはなりませぬ

唄を忘れた 金糸雀は / 柳の鞭で ぶちましょか / いえ いえ それはかわいそう

唄を忘れた 金糸雀は / 象牙の船に 銀の櫂 / 月夜の海に 浮べれば / 忘れた唄を おもいだす

 『かなりあ』は1918年(大正7年)の『赤い鳥』に掲載された。

唄を忘れた 金糸雀は
象牙の船に 銀の櫂
月夜の海に 浮べれば
忘れた唄を おもいだす

 唄を忘れた者のために必要なことが、金糸雀に託して描かれている。誰もが好きで得意なことに専念出来れば、子どもも少年も、忘れた唄=学びを思い出す。医師が治療に、教師が授業に、働く親が子育てに専念する制度を作るのが行政である。国公立大学・研究機関や病院の「法人化」はこれに逆行している。行政の役割まで営利企業に丸投げする有様だ。

 高校生の「荒れ」を「異議申し立て」として受け入れるとは、「象牙の船に 銀の櫂 月夜の海に 浮べれば」とは最高の教育を最善の環境で保証することだ。

 遅刻三回で自主退学させ(後の山に棄て)たり、茶髪の生徒を追い返し(小薮に埋け)たり、些細なことで体罰を受け(鞭でぶっ)たりを、人間の学校は何十年やり続けてきたのか、いつまで続けるのだろうか。少年法体系は厳罰化が止まらないし、投資教育で資本の餌食にされるのを自己責任や契約と呼ぶ始末だ。諦めを弱者の新しい道徳と言うつもりか。強い者への規制は取り払われる。

 泥の船に 氷の櫂 吹雪の闇夜に 働く者を流しているのが日本。象牙の船に 銀の櫂で 月夜の海に宴をはるのは
嘘で政権を握るものたちだ。
  最高の教育を最善の環境で、唄を忘れた子どもに保証するにとは、すべての特権を公教育から排除しなければならない。これが民主主義の前提の筈。


   1918年(大正7年)は祖父母たちが、父や母を産み育てた頃だ。母や叔母の小学校時代の写真は「赤い鳥」の表紙そっくり。色褪せた児童雑誌「赤い鳥」もSP判レコード「かなりや」が戦後も残っていた。
  学校が少年たちに、現人神のため命を捨てることを「名誉」と考えさせるようになるのに僅か20年。
 今日本は原爆を落とした国の言わば「奴隷」、自立した国家としての誇りを捨てている。

怒りを忘れた日本の青少年は正体不明の恐怖に立ち竦んでいる。

  気になる。21世紀になったばかりの頃の日記に授業の記録。

 誰もが、ハンバーガーやフリースは幾らでも安いほうが良いと言う。だが幾ら金が要っても、娘やお爺さんを捨てようとはしない、何故か。(先生、姥捨て山はと声が飛ぶ、いいね、ヤジが飛ぶ)

 お金は使うのに料理が不味いお母さんを捨てたりクビにしたりはしない。安いのが良ければ捨てた方が良い筈なのに。ああ母さん疲れているなと思いやる。何故僕たちはそう考えるのか。

 現代を『「もの」と「人間」の関係が切断された』状態と捉えることが出来る。僕たちは買い物をする時、それをどんな人が作り彼がどんな生活をしているか知らない。ものとそれを作った人の関係が見えない。経済圏が村の中に殆ど限定できた時代は、誰が何をどんな状態で作ったかみんなが知っていた。(共同体と板書)

 もっと具体的に『「もの」と「人間」の関係が切断される』状態を考えてみよう。「もの」がお母さんのまずいご飯、「人間」がお母さんだとしょう。この場合君たちには、「もの」と「人間」の関係が細かい事情や心まで見える。

 まずいご飯だけど、君達のためなら命を捨てかねないお母さんが作ったという関係が見えるから、君達はそれを受け入れる。しかし 「もの」がマクドのハンバーガーで、「人間」がそれを作っている労働者だとしょう。 

 先ず君達は誰がそれを作ったか知らない。 『「もの」と「人間」の関係が切断され』ている。安いハンバーガーのために時給を下げられた店員が、娘を退学させる羽目になっても、君達はそれを知る事はない。遠い世界の事だからだ。

 だからもっと安くなれなどと平気で言える。ユニクロのおかげで首を吊った繊維工場の経営者を知らないから、どんなに安くなっても平気。

 だがここで 「もの」に労働者の労働力、「人間」に経営者を入れてみよう。君が経営者で労働者が幼馴染みや兄弟だとしたら、儲けのためにクビに出来るだろうか。会社が潰れるまで一緒にやるだろう。

 日産のゴーンはそうした柵がないから平気でクビを切れる。

 今度は労働者に君達を入れてみよう。中国人やインド人の方が学歴も実力もはるかに高いのに給料はやたらに安い。経営者は君達を交換可能なただの労働者としか考えないから、どんどん安く働く彼らに置き換える。だんだん仕事がきつくなって給料も減らされそうな時、「もっと安くして」という客に、「俺の生活も判ってくれ」と言いたくなる。

 君達がユニクロで自殺した人を知ろうとしなかったように、誰も君の苦しさに関心を持たない。

 もし安いから当たり前じゃんと言うのなら、君達は君達をクビにして安く働く人を雇う経営者を非難できない。論理的一貫性とはそういうことだ。

 この会社のものを買う人も ユニクロや マクドのハンバーガーを買う時の君達と同じように、安けりゃ・・・で思考を止めている。人と人の関係が切断されているからだ。これを「疎外」という。(疎外と板書する)

  でも給料が安くて生活が苦しいから、どうしても安いものしか買えない。給料の文句を言えばクビになるかも知れない。ではどうすればいいんだ。


 日本だけが、未だにこの問いから抜け出せないでいる。「クールジャパン」騒ぎも止まない。アジア近隣諸国を蔑視する言説に引き寄せられる。どうして日本の青少年は事態を正視して怒らないのだ。

 怒れないのか、考えることすら怖いのか。正体不明の恐怖に立ち竦んでいる。怒る方法、「異議申し立て」の思想から教室が隔離されたままだ。

高校生たちの「荒れ」は「授業から逃亡する教師」への異議申し立てだった。

  承前 「校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造」

  「・・・校則の厳格化や教諭らの指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」「毎日新聞」(2022.02.16夕刊)と強弁して 、厳しい校則の効果を強調する論調は悲しいほど強い。

 しかし必要なのは、生徒管理に都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。表現の術を悉く奪われた荒れる少年たちの立場に立つことではないか。

 彼らの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」だった。異議申し立てを正面から受け止めた例は極めて希だ。いくら申し立てても、教師たちは聞く耳を持たなかった。

 疲弊した少年たちに広がったのは、「厳しい校則への依存」だった。

 アルジェリア独立革命を思想的に支え続けた精神科医ファノンの言葉がここでも有効だ。

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年


 「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見い出す安逸な惰性が、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。「厳しい校則への依存」=指導者の永遠的存在への依存は、生徒だけの問題ではない。親にも教師にも行政にも広がったのだ。ファノンはこの屈辱的状況をこそ植民地的と呼び、独立への戦いを組織した。  

  

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だった。教師たちは建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果てるが為す術がない。

 ところが思い掛けない事で事態は一変する。夜間中学を卒業したお婆ちゃん数名が、勉強を続けるために入学したのである。

 彼女たちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。荒れ狂ったツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。教師達が束になって説得し脅しても駄目だったことが、あっさり解決した。何が違うのだろうか。

 教師は、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された均一の空間に、異質のお年寄りが加わることで突然起きる根底的変化、それが革命である。

 B高校定時制課程には、花火とバイクの日常があったのではない。学校の日常としての学習が無かったのである。式や行事と口やかましい清掃はやたらにあるが、日常としての学習は続かない。テストやオリエンテーションで芸術鑑賞など行事で呆れるほど中断される。退屈しないように、生活にメリハリを付けるとの御託であったが、退屈するほど淡々としているのが日常である。長閑で欠伸が出るのが極楽ではないのか。お釈迦様が欠伸をするほど長閑で退屈だから、蜘蛛の糸を地獄に垂らしてみたのである。それが日常である。それが無ければ、脅しても説得しても甲斐はない、彼らは何をすればいいのか分からない、しかし校舎が生徒より大切という教師たちには我慢がならないのだ。教師たちは、勉強しろと説教するのは得意だが、自ら勉強するのは何より嫌いなのだ。

 花火やバイクは少年たち自前の行事なのかも知れない。であれば、自前の手本で示すに限る。


 高度成長期、企業は気前よく泊まりがけの社員旅行を奮発した。海外も珍しくない。中でも人気はタイと韓国への買春ツアーであった。日頃国内では世間の目・世間体や社則に縛られ礼儀正しい筈の日本社員達は、飛行機のただ酒で酔い、ホテルロビーに着くや大声で「おんなはどこだ、女」と叫ぶ。彼らは日常を切り離して会社に置いてきた、その程度の世間であり常識であった。安手の日常が無ければ When in Rome do as the Romans do である筈だが、そこはローマでもロンドンでもない。アジアへの上から目線で、ここではカネが全て、日常も常識も要らない無いと決めてかかる。情事の後、ホテルのロビーに寝間着で繰り出し喚き歌い倒れる。一人ではやれない。成田に帰り着いた途端、常識や社則に復帰、「やっぱりみそ汁だね」と一等国意識に浸る。取り外しの出来る消費財としての日常・常識。男達だけではない、遅れて若い女性や主婦達が「男、オトコ」と海外リゾートで嬌声を挙げたのである。

 カントもこれが20世紀も後半の大人のことと知れば仰天するに違いない。中学生までは規律や道徳の規準は仲間集団にある。それが青年・高校生に成長するに伴い、道徳律は個人の内面に移り自立する。「たとえみんなが~しても僕は~しない」と。他者の異質性を容認擁護する覚悟はこうして芽生える。しかし我々の日本社会では、内なる道徳律は依然として確立困難。藩の掟、村の掟、家の掟、内務班の掟・・・が内なる道徳律の成立を妨げた。今、校則と部の掟そして会社の掟が青年の倫理的道徳的自律を妨げる。日常とは多様な個人が、コモンセンスによって合意する領域である。 違うことが、選別や憎しみの根拠となるのではなく、平等の前提となる。


 偏差値が異なることが選別の理由であり差別の根拠であると見せつけられた高校生が、「底辺」とは造られた体制と感じ、それを理不尽と捉えるのは知的成長の証である。荒れる怒りは、選別の体制仕組みに向けられねばならない。怒りが学校や教師に向けられるのは、選別体制の最前線と見なされたからであり、まさに文科省・教委の教員管理はそのように仕組まれている。善意で熱心であるほど生徒は荒れる。荒れる生徒を根拠に、行政は組織実態の無いに等しい教員組合を攻撃、教員教員の管理を強めるというわけだ。その点でも「底辺校」は選別体制に欠かせないものとなっている。

     

 B高校定時制に突然現れた「学ぶ」おばあちゃん達は、見かけも年齢も価値観も生活歴も全くの異質であった。中には民族や言葉の異なる場合もある。ツッパリから見れば他者。仲間内の掟が闊歩する言葉を要しない均質社会に、コモンセンスが浮かび上がらざるを得ない。冷静に見れば、おばあちゃんの存在は、あんこの中の僅かの塩にも似ている。教師は生徒が毛嫌いする饅頭を、旨いぞ旨いぞと手を変え品をかえ砂糖を増やすばかりであった。飽きるように怒りが込み上げるように工夫を凝らして無駄に消耗する。

 思いがけない展開で、B高校定時制は職員会議を減らし、やがて二週間に一度に変えた。こうして高校定時制の生徒も教師も学校の日常を発見したのである。

 

 学校は生徒の中にも教員の中にも、異質な他者を具体的に含む事で、普遍的健全性を実現するのだと思う。困難校の厄介で気の滅入る困難も、異質の他者性を回復することで容易く消える筈である。


 スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極にB高校定時制同様に荒れる学校が必ず出現する。さもなくば社会全体が、厳しい校則への依存症に感染する。「総合学科」、単位制高校、特色ある学科、公立中高一貫教育校など高等学校の多様化・特色化が一気に進んだのがB高校定時制課程が荒れ始める少し前、90年代である。

 学校の日常は平凡に長閑に学ぶことを核に構成されねばならない。そのためには選別を排して、雑多な社会を教室に職員室に再生する必要がある。スーパーサイエンスハイスクールや底辺校の日常が個別に存在するのではない。それは教育の非日常なのだ。


  もう一度言う。「厳しい校則への依存は、生徒だけではない。親にも教師にも行政にも広がってしまったのだ・・・国会にも。

  「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」は教師にも向けられている。

遅刻・居眠り、実存 

  青少年の自立を促す役割を担う教員に欠かせない素養は、学校の尺度では測れぬ少年たち独自の時間(若い教師であれば、数年前までは少年だったはずなのに、早々とそのことを忘れていることに危機感を持つ必要がある)を感じること、長時間観察に耐えることだ。それは在籍期間を上回ることさえある。


 王子工高のM君は、遅刻(並の遅刻ではない、二時間、三時間はざらで六時間目終了間際に登校したことも)と授業中の居眠り(教卓の真ん前で、折りたたんだバスタオルを枕に「熟睡」する)。掃除もせずサッサと不機嫌なまま下校。その他諸々に生活は乱れ切った。

 少年らしい快活さが戻るのに、二年半。僕は成績会議の度に「優秀な担任は、こうした生徒を早期に退学させるものだ」と咎められて胃が痛くなった。

 困り果てたM君の父親は度々登校して「息子を殴って下さい」と懇願した。「それは僕の仕事ではありません」と僕は言い続けた。

 不思議なことにいつもギリギリの点を取り、実習や実験レポートもすれすれで提出して進級した。教科担任の中にはM君の顔を忘れた人もいた。


 秋のある日だった。倫理の授業中、突然M君が起きあがって腕組みして僕を睨んだ。「よう久しぶりだな」と言おうとしたが、険しい顔付きに押されて無駄口を出せない。長い時間を教卓の真ん前で身じろぎもせず睨み続けた。数日後、数人の生徒が「先生、大変だよ。来てよ」と言う。慌てて駆けつければ、「あいつが掃除してるんだ、大変だよ」とM君に聞こえるように言う。箒を握ったM君が笑いながら僕を見ている。「うん、これは大変だな」と笑い返した。それから、彼は卒業まで一日も遅刻せず登校し、居眠りもしなかった。彼の生活の変貌振りは、微笑ましく凄まじかったがここでは書くまい。


 最初これはこの日の授業(「実存とは何か」)のお陰だと考えていた。彼の熟睡は寝た振りと考えた僕は、彼の反応を狙って授業を組み立てたのだ。

 「親や教師から説教されると、それが正しいと分かってもムカッとする。人間は、自分でももうこんなことは止めようと思っているときに、そのことで説教されると殊更ムカッとするものなんだ。この反応を「反抗」と呼ぶ、反抗は誇りある人間の証だ」と講じていた時、M君はガバッと起き上がった。僕はこのことを「不当強調」したい誘惑に駆られた。しかし大切なのはM君の主観において考察することだ。「不当強調」は倫理上の罪である。


  M君は、学校や家庭の常識に振り回され続けた。「このままではろくな大人にはなれない」「世の中は甘くない」と。だがM君は、一方的に説教される客体ではなく、状況に主観的に自らを投入する主体である。そのことに気付き始めていたのではないか。M君が自力で辿って得たものこそ思想である。

 彼は、学校や親の一方的断定に押されて、心が受動的=パッシブになった。二年以上を「沈黙」のうちに過ごした。彼は「自由と不自由の際」に自ら立っていた。

 「青年は荒野を目指す」という科白があった。少年はいつか「自由と不自由の際」=荒野に立ったことを自覚して青年になる。教師や親の判断に依存するのではなく、自身の主観において世界を引き受ける。それが自立である。

 M君が二年余の眠りから目覚めたのは、僕の授業のおかげではない。そう思い込んだのは、教師の傲慢=「不当強調」だった。 

 

「飼育」を拒否して自立するには、安逸な「檻」から自らを隔離しなければならない。だからM君は敢えて堂々と「寝た」のだ。アランが、考えるためには「静かで暗く長い時間」が必要と言ったのはこのことだった。その暗く長い時間を、耐え抜き考え通したのは彼自身である。

 哲学は、少年/少女ら自身の中に生まれる。我々が「教えてやる」ものではない。


 この項は2019年のblog投稿「自然には独自のリズムがある 少年の自立と成長には深く静かな時が欠かせないから抜き書きした。


先生、憲法擁護義務違反議員への罰則はないの?

  かつてフランス東芝の労働者が、職場の実態を旧共産党機関誌「ユマニテ」で証言したことがある。東芝は激怒して「東芝には東芝の掟がある」と当該労働者を解雇した。仏政府も裁判所も世論も労働者を擁護した。

 日本の企業は外国内でも、当該国憲法規定より私企業の「掟」が優先すると本気で信じていた。まさに狂気の沙汰。東芝などの企業だけでなく、家庭や学校から組合に至るまで「掟」思考に阿智言ってしまうのか、最後に考える。

 子どもが憲法や法律が認める権利を主張すると、親は「他の家のことは知らん、このうちにはこのうちの考え方がある・・・」と馬耳東風を決め込む。それを親権と勘違いする。

 学校もその多くが「校則がいやなら入学するな」と憲法上の「表現の自由」を一顧だにしない。学校や家庭の「掟」が優先することに皆が極めて「寛容」であった年月が長い。労働組合や医師会などの団体までが、個人の政党支持の自由を踏みにじって特定の政党を組織として支持、団体献金する。憲法軽視は我々の日常に蔓延している。自由は団体や集団にはあっても個人にはないと言わんばかりだ。

 だから中高校生の中にも「先生を続けるなら君が代で立った方が良い」という声は決して少なくない。

 大阪知事時代の橋下弁護士は「君が代を起立して歌うのは当然の儀礼の話」とし、「大阪府教育委員会は2002年から、入学式、卒業式での君が代起立斉唱を教育現場に指導してきた。それでも現場は言うことを聞かない。そこで教育委員会は職務命令まで出した。それでも言うことを聞かない教員がいる。情けない。これは組織マネジメントの話。」と述た事がある。

  しかし彼は議員ではなくなった。自分の発言と99条の関係のいかがわしさから国会議員である限り逃れられないことに気付いたのかもしれない。それ故かワイドショウ発言頻度は過激化している。

  こういう発言を煽る土壌が日本のマスコミにはある。


  僕は教員になるときに、憲法を守る事を誓う旨の文書に署名捺印した。以後新学年の授業のたびにこのことを説明してきた。その日本国憲法は第九十九条で

「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」

と規定している。その際の生徒の質問が忘れられない。彼はこう言ったのだ。「憲法違反の罰則は?」。僕は若者のこうした憲法感覚が好きだ。

 「憲法を尊重し擁護する義務」は、自治体の公務員も例外ではない。条例は憲法や法律に違反してはならないからだ。

 我々は自治体の条例や管理職の職務命令に従う前に、憲法に従わねばならない。国会議員は憲法改正の動議を出すことはできない。憲法改正を前提とした衆参両院の憲法審査会は、違憲と言わなければならない。

  日本国憲法は、米憲法と同じ様に「修正条項」を付け加えるかたちで「発展」させる事のみを国会議員には命じている。改悪を防ぐにはそれしかないことを、憲法自体が見通しているのだ。

  大阪府知事と玉木国民民主党が、「衆参両院の憲法審査会は毎週開いたらいい。議論するために歳費をもらっている。開かない選択肢はない」と発言し始めた。国会開催にも審議にも応じない者がそう言う。

  最近日の丸・君が代に関する職務命令に関して、思想や学問の自由は「内面の自由」であって「表現の自由ではない」との言い方がある。もし表現しない思想や信教の自由があるのなら、「踏み絵」も「焚書」も弾圧ではない事になる。

  

  何故この国では「掟」思考に陥るのか。その一つが、「おおやけ」が「公」と認識されるのではなく「大家」と観念される歴史的後進性にある。例えば東芝という大きな屋根の下に入る事が「おおやけ」の意味であり、その東芝は更ににに三井グループの大きな屋根の下にある。東芝の屋根の下にも数多の系列企業、例えば東芝エレベーターがあり、更にその傘下には東芝エレベーターサービス等が連なって幾重にも「大きな屋根」は形成される。大きな屋根からはみ出す事は出来ないし、させない。自立した企業活動や自由な個人としての意識を芽生えさせない。「大屋根」のもとでは、市民意識は「危険思想」となる。家族の政治活動は勿論、市民運動にまで干渉して恥じない。マスコミや宗教団体までこれらの動きに加担する。

 傘下の人間は、支配や拘束を感じるよりは「庇護」されていると考えたがり背広には社員バッチを光らせる。そして東芝、三菱など企業集団の多くは「株式会社日本」という巨大な屋根のために「経済団体」を形成して政権と癒着してきた。「庇護」に感謝する態度の一つが「君が代」斉唱なのだと彼らは意識して疑わない。

 だが彼らだけが「庇護」し「庇護されている」と考えている中身は、働く者に広く認められるべき「権利」なのである。決して屋根の下の恩恵ではない。


 「民主主義」の概念さえ、こうした「大屋根の下」では珍妙な多数決となる。多数派が事柄を総取りし、少数派は忍従を強いられる。

 大阪府内の私立高校2年生だった織原花子さんは、私学助成予算の大幅な削減を打ち出した当時の橋下徹府知事に仲間とともに計画の撤回を求め面会した。しかしその場で橋下知事はまず「君たちもいい大人なんだから、今日は子供のたわごとにならないように」と威圧し、次いで「日本は自己責任が原則。それが嫌なら、あなたが政治家になって国を変えるか、日本から出て行くしかない」と言い放った。「日本から出て行くしかない」とは暴論でしかないが、こうした口調はtvワイドショウではもてはやされる。 

 当選した首長は多数派だけの代表ではない、無謬でもない。低い投票率による選挙で当選しているから、有権者の3割以下の支持しか得ていない場合も少なくない。票を入れた者も彼の全てを支持しているわけではない。候補者も選挙で全てを語ってはいない。選挙は白紙一任ではない。

 それ故当選者と言えど当選と同時に少数派を含めた全住民の代表を自覚しなければならない。それでようやく民主制である。

 多数決が少数派の抹消であるなら、独裁の手段に他ならない。

 異議を主張する若者たちへの、権力者の見事な対応例をあげておこう。



  『パリをゆるがした30万人の高校生・ブラック校則と闘うために 4』https://zheibon.blogspot.com/2018/01/30-4.html


「細菌」=嫌われ者の意外な機能と「不良少年」の社会的役割

   細菌は汚く危険、速やかに消毒すべきとの強い先入観がある。顔面には、数十億個もアクネ桿菌が確認されニキビ患部からも検出されるため、長い間ニキビの原因と考えられてきた。お陰で若者たちは高価な洗顔剤を求め、日に何度も神経質にアクネ桿菌を洗い流してしまい、ニキビ面に悩み続けた。アクネ桿菌は健康な人の毛穴に常在、肌を守る働きをしていることが広く知れ渡ったのは、そのあと。

 皮膚は人体最大の臓器。その面積は畳一畳分、重量は体重のおよそ 16%。皮膚常在の細菌は 1000 種で腸に次いで多い皮膚は外部環境に接しているため、外部の刺激や感染から人体を保護する重要な機能を果たしている。顔から汗を流し、細菌叢を維持すべきなのだ。除去し尽してはならない。

 過度の潔癖は健康を破壊する。雑草を完全に排除した芝は瞬く間に枯れる。「完璧な校則」は若者の健康な批判精神を根こそぎにする。

 厄介なのは「完璧な校則」が保護者はおろか生徒たちに支持されてしまう事だ。一見楽で見栄えもいい、管理もソフト。しかし健康な批判精神は、「楽」な筈はない。絶えず責任を伴う判断を求められる。それは予期出来ない。

 ある私立高校の校長が教員による選挙で交代。リベラルな人物で、先ず屋上を即日解放した。狼狽える教師が、タバコやサボりを心配して反対した。校長は「たかがタバコ」と一笑に付し、断行。大いに生徒たちから歓迎された。この人物がまさか選ばれるとは、投票した教員すら予測出来なかったと言う。革命とはそういうことだ。この大胆な路線は20年以上続いていると聞く。校長選定は教師の選挙に限る。


 僕は四谷二中の「不良」たちが、学校の管理体質を打ち破るのに果たした役割を思い出す。

『四谷二中 4 非教育的環境ゆえに理想の教育的緊張 』      https://zheibon.blogspot.com/2017/05/4.html   

 1961年5月生徒会役員選挙がおわり、早速学級委員会=中央委員会が開かれた。小学校出たばかりの僕には、驚天動地の幕開けだった。決まり切った新生徒会長の挨拶の後、やや沈黙があって、三年生が

 「お前、バカか」と一番後ろの席から言う。新生徒会長があっけにとられていると、

 「分かんないのか。お前、自由に発言して下さいって言っただろう。お前の隣にいるのは誰だ」

 「係の先生です」

 「何のためにいるんだよ」 

 新生徒会長は先生に何かを聞いた。

 「僕たちを指導するためです、相談にのって貰います」

 「それが困るんだよ、何でも自由に言えば、その中には先生に聞かれたら困ることも、言いにくいこともあるんだよ」

  「どんなことですか、何を言っても構わないと思います」隣の先生と必死に打ち合わせをしている。

 「バカ野郎、そんなこと言える訳ないだろう。先ずお前の隣の先生に出ていって貰え」

 生徒会長は救いを求めるように、更に意見を求める。他の三年生が

 「僕も出ていって貰うのに賛成。さっき生徒会は生徒のものだって言ったでしょう、君は。生徒の話し合いの最中に先生は要らない」

 「×○先生の授業つまんないんだけどさ、そんな話もしたいよ。先生がいたら出来ない」

  ・・・

 係の教師は、僕の担任だった。議論を聞いて、何か呟くとニャッと笑いながら出ていった。それからどんな話になったのか、あまり覚えていない。  

 入学式でいきなり現れたヤクザの子どもたちに仰天して、それから一ヶ月も経たないうちに、また仰天してしまった。僕はすっかり小学生の尻尾を切り落として、一つ高い場所に上がったんだと思った。大人ではない、しかし明らかに子どもではない。それを「中ども」という叔母があったが、言い得て妙である。

 臆することなく教師に文句を言う。こういう校風が二中の授業を引き締めたことは十分に想像できる。雑多な生徒・父母、その中にヤクザの舎弟も弁護士も芸者もいることがどんなに大切か分かる。もし歌舞伎町の連中がいなければ、学級委員会は優等生ばかりになっていた。学級委員も、堂々と教師に楯突くことを、歌舞伎町の生徒の生き方から学ぶことは無かっただろう。状況の胡散臭さを敏感に肌で捉える者と、それを言語化して表現する者が揃わなければ学校も、企業も社会も面白くない。

 越境生が犇めく授業環境、それは歓楽街の非教育的環境にも拘わらず維持されたのではない。非教育的環境を排除しないが故に成立したのである。


 管理する教師にとって厄介な 「不良」こそが、学校に於ける「公」と民主主義の最良の肥やしとなっていた事実を、無いものだらけの50年代新制中学校育史から読み取らねば歴史を記述する意味はない。ここには「ごっこ」ではない本物の民主制が芽生えていたからだ。

 

若者は何故投票を嫌がるのか。

  アフォーダンスと言う言葉がある。主体的意図を持つ有機体としての我々と、我々を取り巻く環境の相互作用を指す言葉。語源はafford=提供するとの意。

 暗闇の洞穴に生きる魚が目を退化させるのは、遺伝子を通しての進化。相互作用しない。

 しかし例えば、貧困・汚染・偏見・「偏差値」・トラウマは人々の行動や精神に影響する。遺伝はしないが、その便宜が社会の隙間に定着、人々に特定の意識や行動を提供(afford)する。ツッパリの生徒たちにとって眉剃りやうんこ座りや茶髪は「管理」への抵抗として定着している。ある意味で心地良い。多摩の或る高校に妙な「不良」がいた。放課後の夕暮れ時、わざわざ登校して部室で煙草を吸い酒を飲むのだった。何度捕まっても登校停止解除とともに、忍び込んでいた。教員たちは首を捻った。特定の部室が彼らに居心地の良さを提供(afford)していたのだと考えられる。彼らは卒業後も忍び込んだ。ある女子生徒たちは校内一家をなし、下校前の一時を屋上出入り口で過ごす習慣を維持していた。生指の見回りに発見される危険性を楽しんでいるように見える。

紳士俱楽部(画像は英国学士院)も橋の下も居心地のいいたまり場

   




 無論逆もある。金も地位も名誉が豊富なことも、その人間の意識と行動に作用する。言葉遣いや目つき、服装や持ち物、たまり場(例えば、マイクロフト・ホームズのディオゲネス倶楽部のような紳士クラブ)・・・ある種の家系や群れには恰も遺伝形質のように伝わる。

 こうして格差は収入に留まらず、人々にそれぞれの居場所を提供(afford)している。

 若者が選挙に興味を示さずhate言説やfake情報に魅入られるのは、それらがなくてはならぬ居場所を構成しているから他ならない。

 たった一票に甘んじるより、世間を騒がせ「上に出て勝つ」方が彼らには心地よいのだ。平等な権利は、平凡な価値観の形成抜きには実現できない。大会だらけの部活や偏差値から逃れられない競争原理の中に居場所を指定される日本の高校生が、「一票の価値」に目覚めるには時間がかかる。

 ツッパリや選挙を忌避する若者に「君たちは間違っている」と説教するのは、カルトに信者に「帰ってこい」と言うに等しい。。

 政権党の選挙スローガンが「野党の政策に抱き着く」ことを覚えて、模擬投票ゴッコは不透明になった。口先と見栄えだけならどんな詐欺も出来る。選挙の詰まらなさを事前学習することになる。

   追記 だが待て! アフォーダンスは「遺伝」ではない。いくら親や爺さんが偏差値に雁字搦めになったからと言っても、やめられる。人間は主体的に決意することが出来る。永い間社会的習慣になっていたことをやめる。それが革命である。

 バリがヒトラーのドイツに占領されたとき、ロンドンに亡命したドゴール政権を支持したのは、僅か3%。圧倒的多数がナチとの「平和」を選んだ。始めから多数派の革命は有る筈がない。しかし少数派は無数にある。多様な少数派の統一戦線のみが新しい多数派を形成しうる。

「優秀」印なら物言えぬ賃金奴隷でもいいのか

  身体的に健康で精神的な幸福度が低ければ、奴隷に適している。
先進38カ国の子どもを比べたユニセフ調査(9月3日)によれば、日本の子どもたちは、身体的健康は1位なのに、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位。1位はオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェーと、北欧の国が上位を占めた。
 「学力」はPISAテストの読解力・数学的分野で、38か国中5位で上位となっている。一方、社会的スキルでは「すぐに友達ができる」と答えた15歳の割合は69.1%で38か国中37位。
  読解力・数学的分野で38か国中5位を単純に喜べない。批判精神が伴わなければ、政権の意図を直ちに「読解」して忖度する霞ヶ関官僚の「忠犬」振りを約束するに過ぎないからだ。
 「すぐに友達ができる」社会的スキルが低ければ、政府や資本の危険な意図を読解し仲間を組織し抵抗する可能性も低いわけだ。
 

   OECD先進7ヵ国の調査でも、日本の子どもの自己肯定感は断トツに低い。昨年内閣府が公表した2019年度の「子ども・若者白書」によると、「自分自身に満足している」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した日本の若者(13~29歳までの男女)は45.1%しかいなかった。
 
   動物園の動物が、野生動物よりはるかに平均寿命が短い。それは餌や行動などを自ら選択しないからだ。重い責任を伴う幹部たちの平均寿命は、生涯にわたって指示される平よりも長いし健康でもある。休みもせずhardな日々でも長生きなのは、裁量権や選択権があるからだ。

 4ヵ月の乳児に、ひもを引っ張ると音楽が聴こえることを教えたら、とても喜び落ち着いた。ところが、「音楽のひも」を奪い不規則に音楽が聴こえるようにしたら、乳児たちは悲しげな顔をし腹を立てたという実験がある。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は自著の『選択の科学』でこう語っている。

子どもたちは、ただ音楽を聴きたかったわけではなかった。音楽を聴くかどうかを、自ら選ぶ力を渇望したのだ文藝春秋刊
 中国帰国生たちが正月に、他校の帰国生を連れてきたことがある。彼女は指定校推薦でなかなかの国立大学に入ったのだが
 「先生聞いて頂戴、如何して日本の教師達は私たちの希望を無視して、偏差値の高い学校を押しつけるの」
 「善意のつもりなんだ。彼はこう思っているよ。偏差値社会の日本で暮らすうちに何時か君が彼に感謝すると」
 「私をランクの高い学校に入れて、自分の手柄にしているだけなのよ。」
 「辞めてもいいんだよ」
  「私もそう言ったの。そしたら指定校だから来年の受験生に迷惑がかかるから、辞められないと脅かすのよ」

 自ら選ぶ意志を無視する教師の罪は深い。仮令失敗したとしても、自ら決意しての失敗からは学ぶものは多い。与えられた「成功」体験は、更なる指示を待ち望む「依存」が生じるだけだ。
  部活も日々の授業も受験も、「指導」と言う名の指示に従うだけ。皆が同じ方向を向いているとき、それを疑い変える、それが主権者らしさなのだ。教師は生徒を優秀な奴隷に仕立て上げ、豊かなら「やむを得ない」と自らの成果を誇るのだろうが、もはやどうあがいても豊かさに手は届かなくなっている。「自助・共助・公助」を掲げた政権が、主権者の審判抜きで湧いて出たが、共助・公助の余地は既にない。
 2018年度の「問題行動・不登校調査」(文科省)によれば自殺した少年(小中高校生)は昨年度1年間で332人(小学生5人、中学生100人、高校生227人)。昭和63年度以降、最も多い。気懸かりなのは多さだけでは無い、自殺の要因「不明」が6割を占めているだけでなく、国内の自殺者数は9年連続で減少する中でのことだ。2019年の数は、来月出る。優秀に育ったとしても奴隷にしかなれない。自殺の要因「不明」が多いのは、自分の尊厳さえ知らないからだ。 少年が生きる気力を持てない世の中にした事の責任を、大人特に教師は負わねばならぬ。
  教室に『謀反論』が必要だ。

ツーブロック禁止に抗することが「行為」である

 ツーブロックとは、流行の髪型のことだ。都議会でこんな質疑があった。質問者は池川友一議員(共産党)。
池川都議「頭髪というのは人権と深く結びついています」・・・「ツーブロック禁止という校則は一定数あります。なぜ、ツーブロックはだめなんでしょうか」
 対して藤田裕司教育長は「外見等が原因で事件や事故に遭うケースなどがございますため、生徒を守る趣旨から定めているもの」。
 具体的な事件・事故の報告はあるのかとの問いには「事例は報告されていません。都議会での(教育長の)発言は、髪型や服装が原因で生徒が事件や事故に遭わないように、生徒を守る趣旨の発言」と答えている。
 
 皮肉なことに、ある意味で教育長の答弁は的を射ている。「外見等が原因で事件や事故に遭うケース」とは、校内の体罰を指摘しているとも読み取れるからだ。
多くの体罰が教委に報告されている筈だ。クラブや生活指導の規律を口実に、幾多の中高生が「事件や事故」に遭遇し、死に至ったことも希ではない。

 だが本質はそこにはない。

 我が国では、校則「指導」は担任に過度の負担を押しつけている、そこにあるのは教育ではない、教育とは相容れない権力行為に他ならない。 
 元来「全ての経験は、在る意味では不良経験に他ならず、経験を経ないものが所与のコースを人々、に押し付ける所には、如何なる教育もありえない藤田省三『不良精神の輝き』

 校則に反して「ツーブロック」にすることが一つの経験なのである。 だから、例えば米国では規則違反の「指導」や処分は管理職やschool policeが担う。教える教師の役割ではない。
 生徒たちの表現の自由や良心の自由を、具体的に守るのが教師の職務である。教師の多くは、不良経験を持たないか、忘れた者である。若者から見れば、枯れて死んだような教師に、所与の「よい子」的生き方を押しつけられるのは不快極まりない。「真理」を語れば語るほどに、少年たちの気持ちは教育から正しく離反していてゆく。
                                                                          
 教科担任や学級担任が、規則違反の「指導」や処分に関わるごとに、教育は遠ざかるのである。そのことの不誠実さに気付かない教師には、精神的堕落が蓄積する。


 もう一点考察しなければならない。それは、「偏差値」が下がれば校則も指導=取り締まりも理不尽さが増すことにある。教師と生徒の関係が知的な文化性に満ちあふれ、授業が穏やかで好ましく進行するのは、理不尽な校則それ自体のない偏差値の高い学校に限られやすい。対して偏差値の低い学校では、教師と生徒の啀み合いが日常的であって、とても学ぶ雰囲気ではない。
 池川都議が言うように、頭髪は服装などとともに「外見の自由」として「人権」である。人権とは、人間であることだけを資格として全ての人に保証される権利である。成績がよくないことや家庭が豊かでないことを根拠に、それを奪うことは許されない。
 教師にとっても、生徒たちの成績不振を理由に、不愉快な頭髪「指導」を強いられる筋合いではない。どんな生徒も如何なる教師も、最高の環境で授業に参与出来なければならない。
 僕はこの点に教員組合が鈍感であることが歯痒い。非正規労働などの格差に日本の若者の怒りが爆発しないことの素地を、偏差値による選別・隔離・差別が磨いている。

 僕はこのことが、優生思想と「命の選別」に直結していると考えている。

追記 池川友一議員は  
https://zheibon.blogspot.com/2017/08/1.html ←クリック  
https://zheibon.blogspot.com/2017/08/2.html       ←クリック    で取り上げた宇高申先生(中教組委員長)の孫である。

主権者の自由で公正な判断の為に普通教育はある

 『たかが甲子園で泣くな 野球はgame=あそびに過ぎない』←クリック でこう書いた。
 「1945年の夏、学徒動員の中学生が、敗戦の知らせに声を上げて一斉に泣いた。ある文学少年が「何が悲しいんだ、泣くのを止めろ」と叫んだ。皆一瞬はっとして、誰も泣かなくなった。そしてしばらく経ってみると、どうしても泣けない。死にたいと言って泣いていたのに、泣けなくなっていた。いとも簡単に(共同の迷蒙)が消えたのである。
 自決用に配られた青酸カリをただ一人捨てるように、先ず自分自身の迷蒙を断ち切れ。例えば、雪の日に一人決意して雪かきをする、一人決意して部活を週三日に制限する、堂々と有給休暇を取り子どもと遊ぶ・・・のは、(共同の迷蒙)を断ち切る練習である。」

  今年はコロナ禍で様々な大会や行事が相次いで中止、お陰で又も中学生や高校生が恥も外聞も無く口を開けて泣く。

   「・・・全国大会を目標に練習に励んできました。・・・コロナ感染拡大をうけ、全国大会は中止されました。仲間と目指していたものがなくなった現実を受け止めきれず、涙が止まりませんでした。・・・役に立てなかったことがとても悔しいです」東京新聞2019.6.5
 中学生の投書である。敗戦の夏の光景と変わらない。TVも新聞も少年たちの涙を賛美している。そのことに僕の背筋は凍り付く。「役に立てなかったことがとても悔しい」に、お国のために死ねなかったのが悔しい・・・が二重写しになる。学校の為teamの為と、滅私奉公精神を中学生に煽るのが美しいか。恐ろしく怖いことではないか。

 教育は特定の能力を若者に付与する過程である。しかし、首尾良く実現するのは簡単ではない。ある能力を獲得する過程は、別の能力を犠牲にする過程でもあるからだ。身につけるには努力を要する、だが犠牲にするのは容易い。

両親が息子をプロplayerに育てようと入学前から夢中になって金も時間も注ぎ込んでも、一流になり稼げるのはほんの僅かだ。もしこの子に絶対音感が有っても、球を相手にしている間に誰一人気付かぬ間に消えてしまう。そもそも当の少年が成長したとき、球技playerが少年憧れの職業でなくなっている可能性もおおいにある。いまや少年の憧れが、球技playerから医療関係者に写りつつあることをバンクシーも 描いている。
「君たちは、アメリカにこんな酷い目にあっても怒らないのか」
 少年のあいだに、自分が何に向いているのか、何は駄目なのかを知ることは出来ない。それ故、前面発達の可能性を分けても青少年には保証しなければならない。それが「普通教育」である。普通とは普遍に通ずるということであり、専門を持たない幅広い学芸=教養を意味する。大戦で英国が孤立の中でナチと闘う判断を出来たのは、この専門をよしとしない教養による。高校の学科の多様化は、断じて肯定できない。 
 物理も東洋史も芸術も幾何も学ぶことは、公正で他者に依存しない判断の根源なのだ、それ故権利であって義務ではない。
 たった一つのことに中学生の時から打ち込ませるのは「普通教育」の理念に反している。「一つのことに夜も昼も打ち込む日本の部活」は「共同の迷蒙」にすぎない。まさしく「いとも簡単に消えてしま」う虚妄の青春である。
社会的に公正な判断の基礎を蔑ろにする軽薄な「専門家」を育て、「愚民」を量産している。
 
  昔、侍はよく泣いた。坂本龍馬も西郷隆盛もよく泣いたらしい。新撰組も吉田松陰も泣いた。学生運動セクトもよく泣いていた。泣くことで論理は置き忘れられ、情緒が幅をきかすのである。いやそうではない、論理がないから泣くのである。
 革命家は、泣かない。泣くのを止め、静かに怒るところから革命は始まる。泣きながら武器を振り回わすのは危険極まりない。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...