耐えられないときは何時でも泣いて白旗を出そう |
「伝説などは、どんな伝説でもすべてつまらない。・・・しかし伝説をつくりだすひとびとの心も、それを信じたふりをして保存するひとびとの心も、いつも簡単に片づけられない問題をはらんでいる。簡単に片づけられるのは個々のひとびとがもっている迷蒙さだけだが、共同の迷蒙さはそうはいかないのである。なぜならばそれは、時代の象徴としての不安、すがりつきたい共同の願望がいつも根底に横わっているからである。共同の迷蒙が伝説にかわるためには、かならずしも個々の人間が迷蒙であることを必要としていない。個々の人間がどんなに賢明であっても共同の迷蒙は成立するのである」吉本隆明『源実朝』
1945年の夏、学徒動員の中学生が、敗戦の知らせに声を上げて一斉に泣いた。ある文学少年が「何が悲しいんだ、泣くのを止めろ」と叫んだ。皆一瞬はっとして、誰も泣かなくなった。そしてしばらく経ってみると、どうしても泣けない。死にたいと言って泣いていたのに、泣けなくなっていた。いとも簡単に(共同の迷蒙)が消えたのである。
自決用に配られた青酸カリをただ一人捨てるように、先ず自分自身の迷蒙を断ち切れ。例えば、雪の日に一人決意して雪かきをする、一人決意して部活を週三日に制限する、休暇を取り子どもと遊ぶ・・・のは、(共同の迷蒙)を断ち切る練習である。
今年の高校野球は、「球児」が無闇に泣く。それも目立つように、ワーワー泣く。(共同の迷蒙)が、五輪騒ぎによって煽り立てられ国際紛争に向かっている。泣くな、事実を見つめろ。
画像の白旗
白い旗は、ガマの中でいっしょに数日を過ごした両手両足を失ったおじいさん、盲目のおばあさんが作ってくれた。「それをもっていけば、ぜったいに安全なのだ。それが世界中の約束だから・・・」と言いながら。
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