支配者の愚策を持ち上げて、それにぶら下がる卑屈

僕が聴くよという決意は将軍や大元帥には無い
 「生類憐れみの令」は24年も続き、処罰された者は新井白石によれば数十万人。徳富蘇峰は「科人毎日五十人、三十人づゝあり、打首になるもあり、血まぶれなる首を俵に入れ、三十荷ばかりも持出す」と書いている。罰金や説諭では済まない。蚊を叩き潰して死罪や遠島、見ていて止めなかった者は閉門。犬の虐殺で死罪、鳥を撃ち殺し売り払って10人切腹1人が死罪(彼らの子どもも遠島)、病馬を棄てた咎で農民10人流刑・・・
 
 綱吉はその愚策のために、大奥の奢侈を止めさせたわけでは無い。綱吉自身が犬猫を江戸城で可愛がったわけでも無い。数カ所の犬小屋用地は数
所29万7652坪もあり、百姓数百名が土地を失った。江戸町奉行は犬小屋維持費用を江戸市中に転嫁。「御犬上ヶ金」といい、小間1間につき金3分。中野犬小屋の普請や修復のためには「犬扶持」が徴収された。周辺農村は高100石当たり1石の割合で賦課されたのである。

 処罰の記述は誇大でありその多くは事実では無いとか、本当の狙いは捨て子保護など福祉であったとか綱吉を評価する言説がある。支配者の愚策を、持ち上げ賞賛する傾向が繰り返される。
 米軍は文化財保護のため京都や奈良を爆撃しなかったと感謝の記念碑を建てたり、占領軍将兵のために政府が率先して特殊慰安施設を開設し、GHQ司令官に国会が感謝決議をするなど「サムライ」らしい卑屈さは常に吹き出す。持ち上げておいて、それにぶら下がろうとする。この恥ずかしいまでの卑屈さを隠すつもりが、弱者や周辺諸国への傲慢である。
 
 天皇の前に出ると、どんな人間も有り難さに震え上がると言われた。しかし森繁久彌は、秋の園遊会に招かれたときのことをこう語っている。

 「・・・ご下問です。《いつも見てるよ》《ハッ》、《テレビはいろいろ大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。もう少し酒落たことを言うつもりなのに、これでは隣りのチョビ髭の代議士とおなじです。汗が出ます。ハンカチ、ハンカチ。女房を小突くのですが、女房は皇后のお顔を口を開けて見ているだけで役に立ちません。《映画も大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。陛下のご下問は矢継ぎ早です。《舞台も大変だろうね》《ハッ、大変です》《アッ、そう》。入江さんが、目で陛下に先を促しているようです。私は、意を決しました。《ところで陛下、この御殿は昔大奥だったそうですが、お手打ちになった女の幽霊が出るなんてことは - 》《アッ、そう》 -陛下のお姿は、私の前から消えていました」  『大遺言書』新潮文庫

 天皇には人の話を聴く耳が無いことを森繁久彌は、うまく語っている。人の話を聴けない者が、元帥や将軍になれば人は末代まで迎合する。その結果、歴史を客観的に見ることが出来なくなる。彼らの耳に入った「子どもまで遠島」や「南京大虐殺」は大脳に達すること無く、脊髄反射ように《アッ、そう》的反応に終わるのだ。
   ユーモア精神溢れる根っからの自由人が、文化人と呼ばれるに相応しい。文化人はその見聞をあちらこちらの多様な人に運んで結ぶのである。それが有効な批判として機能する。聴く耳を失った同じ意見の人間だけがいくら固く結束しても、共感は広がらない。

傲慢がかっこいいか

虚心はかっこいい
 築地の路上でおかしな表情の男を見た。外車で煽り運転を繰り返した男ソックリ、本物は拘留中の筈。鼻の下に髭を薄く生やし、大きく口を開けながら上下の唇で歯を覆う異様な顔貌。広い交差点の向こう側から、一度も口を閉じること無く肩を怒らせながら歩いてきた。あの男はあおり運転男の傲慢な振る舞いを真似て見せびらかせば「かっこいい」、男らしい、と褒めそやされると感じていたのだろうか。
 男子中学生が女子中学生の首を絞め飛び蹴りする暴行現場の動画が、投稿され再生回数を稼いだ。学校や飲食店での悪戯を誇る動画も後を絶たない。動画を撮った者も取らせた者にも、これらの悪事は再生回数を稼げる「かっこいい」ことになっている。
 週刊誌やTVで時には議場で、嫌韓hate発言が過激化、発言者は胸を反らした得意顔で同類の醜い発言を繰り返す。彼らも周辺諸国を睥睨する自分の姿を「かっこいい」と思っているのではなかろうか。
 歴史的な大量虐殺や強制連行を「無かった」とする男の発言を、マスメディアが追い競う。男はその混乱を得意がりその切っ掛けを作った自分に「格好良さ」を感じている。視聴率を上げる功労者として持ち上げられるからだ。
 

 これら数値で即座に確認出来る「格好良さ」は、動画再生回数や視聴率ばかりでは無い。発行部数、出演回数、得票数・・・。数字は倫理的判断の置き場はない。収入それ自体が人間や組織の「格好良さ」になり、収入の根源の善悪を忘れさせてしまうように。
 人間や組織の品格は、数値の前にひとたまりも無い。格好良さを他人の物差しで、それも分かりやすい数値で計る癖がついてしまった。経済は株価で、学校は標準偏差値で、スポーツは獲得メダル数で、政治は議席数で・・・

 日本軍は1940年ナチスドイツのフランス・オランダ電撃占領にかこつけ、文字通り他人の褌で相撲を取るようにして、東南アジア「領土」拡張を目論んだ。小学校に大東亜共栄圏の地図が張られ、占領の度に日の丸が張られた時、その実体に目は向かず数的膨張にのみ酔った。

 酔えば倫理は捨てられる、いや倫理を捨てるために酔う。倫理を捨てた頭に残ったのは、世界に冠たる生き神の国という幼稚な紙芝居と乱発される勲章。そんなものに酔った。その苦い経験を忘れている。
 
 スポーツ界や学校に体罰が絶えず、企業や役所にパワハラが消えないのは、無理を力で支配することが「かっこいい」との眼差しが蔓延しているからだ。「口でガタガタ言うより一発殴って」「厄介な奴は制裁するしかない」と生徒自身や親までが言う。

 殴られ強くなり勝利数を稼げば、個人も学校も内申は上がる、それを「善」と短絡する惰性がある。正義や品格で推薦入学は出来ないと言うわけだ。教師の中にも、暴力で秩序を保ち勝ち進む教師を賞賛する雰囲気がある、教師は疲れ切った。他人の褌であっても偏差値が上がれば少しは楽になると、藁をも掴む気持ちになっている。
 だがこれを競争とは言えない。なぜなら偏差値の高い者や運動能力の高いものだけを入れることは、スタートの平等を否定することだからだ。

 竹内好は1963年「満州国研究の意義」という一文において
 「「満州国」をでっちあげた日本国家は、「満州国」の葬式を出していない。口をぬぐって知らん顔をしている。これは歴史および理性に対する背信行為だ。・・・国家が知らん顔をしたら、国民がその尻ぬぐいをしなければならぬ。シャッポを脱げば植民地時代が消えてなくなると思ったら、大まちがいだ」と記し、さらに語を継いで
 「ただ残念なことに、国家が意識的に忘却政策を採用し、学者がそれに便乗して研究をさばっているために「満州国」に関する知識の結集がさまたげられている」と批判していた。文中の「満州国」は「大東亜共栄圏」に置き換えてもそのまま読める。

 日本軍は南京入場では派手な式典をやった、大虐殺の軍刀をガチャガチャならしながら。百人斬りを誇って新聞一面を飾った二人の男は、軍刀による大量殺戮をサムライらしく「格好いい」と感じていたに違いない。

 占領軍GHQは、次々と日本「民主化」に関する指示を日本政府に迫った。財閥解体、婦人解放、農地解放、労働組合の育成、秘密警察解体・・・が矢継ぎ早に指令された。だがおかしなことに、日本に定住する朝鮮人や台湾人、強制連行された中国人の処遇については日本政府に任せている。政府は講和条約発効と共に朝鮮人は日本国籍を喪失したとみなすに至った。当事者の意思は無視して。それが今日にまで問題を引き摺っている。これは慎重に仕組まれた核地雷のように、時に応じて東アジアの政治的安定を脅かしている。


 内務省警保局「内地在住朝鮮人運動」によれば「(1938年の在日朝鮮人,79万9,865人のうち)世帯を有する総人員は65万9708名にして総人員の82%を占む。・・・この男女の比の接近及世帯人員数の比の多きは,在住朝鮮人が漸次定住性を帯びつつあることを示すものなり」と分析している。戦中は否が応でも同朋扱いで日本国籍を付与され、兵役にも就いた。その挙げ句、戦犯として死刑にもなった朝鮮人や台湾人を、どう処遇するかが大きな課題で無い筈はない。
 戦争犯罪とは何か、誰がその責任を負うのかについて、国民自らが審判する機会を奪われていたことがその根源にある。 敗戦1ヵ月後の東久邇内閣・幣原内閣では、日本人自身による戦犯裁判が模索された記録が残っている(松尾文夫・元共同通信ワシントン支局長談 https://diamond.jp/articles/-/76469?page=3)。しかしGHQの反対で実現しなかったという。
 日本は自らの目と手足で未曾有の過ちを検証していない。

  大元帥=天皇は訴追を逃れ、平和主義者天皇は戦争では形式的な役割しか果たさなかったという新たな「神話」作りが展開され、これを占領軍は強い検閲で統制保護した。

 東京裁判の判事にアジアから選ばれたのは僅か3名。その中に朝鮮の代表はなかった。

 杜撰な調査と証拠隠滅を放置したま、賠償はすべて解決済みと口走る姿に「格好良さ」を感じるのは、無知による傲慢以外の何ものでも無い。無知振りが幼稚な原理主義に火を注いだ例を、我々は光田健輔と小笠原登の論争に見ることが出来る。
 来年の五輪で旭日旗を群舞させる者たちは、傲慢な己の姿に打ち震えるのだろうか。無知に動じない姿を人はカリスマ性と見誤る。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...