傲慢がかっこいいか

虚心はかっこいい
 築地の路上でおかしな表情の男を見た。外車で煽り運転を繰り返した男ソックリ、本物は拘留中の筈。鼻の下に髭を薄く生やし、大きく口を開けながら上下の唇で歯を覆う異様な顔貌。広い交差点の向こう側から、一度も口を閉じること無く肩を怒らせながら歩いてきた。あの男はあおり運転男の傲慢な振る舞いを真似て見せびらかせば「かっこいい」、男らしい、と褒めそやされると感じていたのだろうか。
 男子中学生が女子中学生の首を絞め飛び蹴りする暴行現場の動画が、投稿され再生回数を稼いだ。学校や飲食店での悪戯を誇る動画も後を絶たない。動画を撮った者も取らせた者にも、これらの悪事は再生回数を稼げる「かっこいい」ことになっている。
 週刊誌やTVで時には議場で、嫌韓hate発言が過激化、発言者は胸を反らした得意顔で同類の醜い発言を繰り返す。彼らも周辺諸国を睥睨する自分の姿を「かっこいい」と思っているのではなかろうか。
 歴史的な大量虐殺や強制連行を「無かった」とする男の発言を、マスメディアが追い競う。男はその混乱を得意がりその切っ掛けを作った自分に「格好良さ」を感じている。視聴率を上げる功労者として持ち上げられるからだ。
 

 これら数値で即座に確認出来る「格好良さ」は、動画再生回数や視聴率ばかりでは無い。発行部数、出演回数、得票数・・・。数字は倫理的判断の置き場はない。収入それ自体が人間や組織の「格好良さ」になり、収入の根源の善悪を忘れさせてしまうように。
 人間や組織の品格は、数値の前にひとたまりも無い。格好良さを他人の物差しで、それも分かりやすい数値で計る癖がついてしまった。経済は株価で、学校は標準偏差値で、スポーツは獲得メダル数で、政治は議席数で・・・

 日本軍は1940年ナチスドイツのフランス・オランダ電撃占領にかこつけ、文字通り他人の褌で相撲を取るようにして、東南アジア「領土」拡張を目論んだ。小学校に大東亜共栄圏の地図が張られ、占領の度に日の丸が張られた時、その実体に目は向かず数的膨張にのみ酔った。

 酔えば倫理は捨てられる、いや倫理を捨てるために酔う。倫理を捨てた頭に残ったのは、世界に冠たる生き神の国という幼稚な紙芝居と乱発される勲章。そんなものに酔った。その苦い経験を忘れている。
 
 スポーツ界や学校に体罰が絶えず、企業や役所にパワハラが消えないのは、無理を力で支配することが「かっこいい」との眼差しが蔓延しているからだ。「口でガタガタ言うより一発殴って」「厄介な奴は制裁するしかない」と生徒自身や親までが言う。

 殴られ強くなり勝利数を稼げば、個人も学校も内申は上がる、それを「善」と短絡する惰性がある。正義や品格で推薦入学は出来ないと言うわけだ。教師の中にも、暴力で秩序を保ち勝ち進む教師を賞賛する雰囲気がある、教師は疲れ切った。他人の褌であっても偏差値が上がれば少しは楽になると、藁をも掴む気持ちになっている。
 だがこれを競争とは言えない。なぜなら偏差値の高い者や運動能力の高いものだけを入れることは、スタートの平等を否定することだからだ。

 竹内好は1963年「満州国研究の意義」という一文において
 「「満州国」をでっちあげた日本国家は、「満州国」の葬式を出していない。口をぬぐって知らん顔をしている。これは歴史および理性に対する背信行為だ。・・・国家が知らん顔をしたら、国民がその尻ぬぐいをしなければならぬ。シャッポを脱げば植民地時代が消えてなくなると思ったら、大まちがいだ」と記し、さらに語を継いで
 「ただ残念なことに、国家が意識的に忘却政策を採用し、学者がそれに便乗して研究をさばっているために「満州国」に関する知識の結集がさまたげられている」と批判していた。文中の「満州国」は「大東亜共栄圏」に置き換えてもそのまま読める。

 日本軍は南京入場では派手な式典をやった、大虐殺の軍刀をガチャガチャならしながら。百人斬りを誇って新聞一面を飾った二人の男は、軍刀による大量殺戮をサムライらしく「格好いい」と感じていたに違いない。

 占領軍GHQは、次々と日本「民主化」に関する指示を日本政府に迫った。財閥解体、婦人解放、農地解放、労働組合の育成、秘密警察解体・・・が矢継ぎ早に指令された。だがおかしなことに、日本に定住する朝鮮人や台湾人、強制連行された中国人の処遇については日本政府に任せている。政府は講和条約発効と共に朝鮮人は日本国籍を喪失したとみなすに至った。当事者の意思は無視して。それが今日にまで問題を引き摺っている。これは慎重に仕組まれた核地雷のように、時に応じて東アジアの政治的安定を脅かしている。


 内務省警保局「内地在住朝鮮人運動」によれば「(1938年の在日朝鮮人,79万9,865人のうち)世帯を有する総人員は65万9708名にして総人員の82%を占む。・・・この男女の比の接近及世帯人員数の比の多きは,在住朝鮮人が漸次定住性を帯びつつあることを示すものなり」と分析している。戦中は否が応でも同朋扱いで日本国籍を付与され、兵役にも就いた。その挙げ句、戦犯として死刑にもなった朝鮮人や台湾人を、どう処遇するかが大きな課題で無い筈はない。
 戦争犯罪とは何か、誰がその責任を負うのかについて、国民自らが審判する機会を奪われていたことがその根源にある。 敗戦1ヵ月後の東久邇内閣・幣原内閣では、日本人自身による戦犯裁判が模索された記録が残っている(松尾文夫・元共同通信ワシントン支局長談 https://diamond.jp/articles/-/76469?page=3)。しかしGHQの反対で実現しなかったという。
 日本は自らの目と手足で未曾有の過ちを検証していない。

  大元帥=天皇は訴追を逃れ、平和主義者天皇は戦争では形式的な役割しか果たさなかったという新たな「神話」作りが展開され、これを占領軍は強い検閲で統制保護した。

 東京裁判の判事にアジアから選ばれたのは僅か3名。その中に朝鮮の代表はなかった。

 杜撰な調査と証拠隠滅を放置したま、賠償はすべて解決済みと口走る姿に「格好良さ」を感じるのは、無知による傲慢以外の何ものでも無い。無知振りが幼稚な原理主義に火を注いだ例を、我々は光田健輔と小笠原登の論争に見ることが出来る。
 来年の五輪で旭日旗を群舞させる者たちは、傲慢な己の姿に打ち震えるのだろうか。無知に動じない姿を人はカリスマ性と見誤る。

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