非行や犯罪の範囲はどこで誰が判断しているのか

 東南アジアの海賊は、5世紀には記録に登場している。主な略奪品は、交易の積み荷や沿岸部の商品であったほか、労働力としての奴隷も主要な略奪の対象であった。多くは、ヨーロッパの植民地勢力がやってきてから規模が拡大している。
 「海賊は、同時に漁民であり交易商人であった。かれらは生業が不振になれば、海賊業にいそしむ以外になかった。ヨーロッパ植民地主義者がこの地域に多くの海賊を発見するのは、かれら自身の交易独占政策が発生させた結果を、それと気づかずに眺めたにすぎない。 かれらは、この土地の正当な抵抗者を身勝手にも海賊と呼んだのである。海賊は確かに植民地主義に対抗する抵抗の一つの型であった」 鶴見良行『マラッカ物語』 時事通信社
  僕がN工の定時制課程にいたのは、大学卒業直後の数年間だった。その後半、S工全日制課程から数人の転校生があった。何かの事情でいくつも落第点が付き退学を勧告されたのだが、転校を条件に落第点が取り消され単位を認められてやって来たのだった。何れも素直な少年で、生活も成績も問題なく進級して卒業した。
 当時僕は、組合の教研委員を務めていた。毎週金曜日の午後、各職場持ち回りで、支部教研の例会をもっていた。どの職場でも教研委員の金曜午後は、授業を開けてくれていた。僕はS工全日制の教研委員に、転校してきた生徒は何れもいい少年であったことを告げて、それとなく退学勧告が間違いではないのかと仄めかした。しかし、次の年も、S工全日制から同じ事情の転校生が数名あった。何れも問題はなかった。この頃からこうした転校生が、どこでも増えた。生徒減に悩む定時制にとっては、渡りに舟と歓迎する傾向もあった。僕は他の高校ではどうなのか、それぞれの職場の状況を聞いて、あきれ果てた。 
 「そもそも、自分のところでは赤点だが、転校するなら合格にするというのは失礼ではないか。うちはレベルが高くて無理だが、そちらはレベルが低いからいいだろうと言っているのと同じだ」と噛み付いた。
 「そんなつもりはない。環境を変えることが、生徒のプラスになればとの判断なんだ」と年配の生活指導のベテランを自任する教師は抗弁した。
 「転校生たちの生活上の問題も、学力上の問題もそちらの方が熟知しているはず。次から次へと退学や転校させて、一クラスの人数は減っていると言ったのはあなただ。彼らの指導に向いているのは、あなたたちだ。環境を変えるのではなく、やり直しを認める事を考えるべきではないか。それを教育と言うのではありませんか」次の年から、転校生は来なくなった。
 学力であれ、生活であれ、個々の生徒とその学校や教師との関係から生まれる。その分析もせず、対策もとることなしに、厄介者扱いをする。
 「植民地主義者がこの地域に多くの海賊を発見するのは、かれら自身の・・・政策が発生させた結果を、それと気づかずに眺めたにすぎない」
  我々教師が、学校における「海賊」をつくっていたのではないか。「正当な抵抗者を身勝手にも海賊と呼んだので」あれば、先ず己の侵略行為をこそ糾弾しなければならない。

  ソマリアの「海賊」も、ヨーロッパ漁船による乱獲、違法操業するようになってから始まった。

なぜ入試は点数の高い者から選抜するのでしょう   「自同律の不快」

少年埴谷は植民地台湾で支配側の自己を感じていた
  「「自同律の不快」も一種の自己語なんですよ。これは疑似哲学ことばです。自同律を問題にして、それが不快だと決めつけるのは、ふつうの言語ではできないんです。 自同律を不快の異常論理へ引きずりこむ出発点は、偶然ぼくが台湾という植民地に生まれたということです。植民地でも日本人の町に生まれたらだめです。田舎の工場へ行くと、実際に台湾人を使っていてぶん殴るわけですから、それを、子どものときから見聞きしていないとわからない。台湾人が野菜を売りにきて「奥さん、これ十銭よ」と言うと、日本人のおばさんが「いや八銭、八銭」と言って八銭しか払わないんですよ。日ごろはいいおばさんが、植民地の体系のなかに入ってしまうと、自分のしていることの非道さがわからない
              埴谷雄高
 新任教師として壇上で紹介されるとき、僕は埴谷の言う「自同律の不快」にみまわれていた。
 新卒の前任校で、僕は職場の教研委員を4年続ける機会に恵まれた。職場を、外側から見る事が出来たからである。各職場の僅かな違いが、高校教育と教育界の全体構造を見せてくれた。それは、付き合いや交流の範囲の拡大と共に明瞭になった。嫌なものも、目についてくる。
 特に嫌悪したのは「生活指導」にのめり込む一群の教師たちの「使命感」であった。「指導」という言葉は、軽薄な教師による「少年の領分」への介入に過ぎないと思った。いたずらに生徒と教員の間に壁を作る浅知恵なのだ。埴谷雄高の言う「体系のなかに入ってしまうと、自分のしていることの非道さ」も無意味さも、分からなくなる。僕自身もそのなかの一人であるのが嫌だった。

 異動後の着任式で、僕は「君たちは、この若造は何なんだ、どういう奴なんだと考えているだろう。嘗めちゃいけないよ、とは言わない。なめてもいいよ。そうしなければ味はわからない」とだけ言った。いつまでも生徒達はざわめいていた。教室に戻っても「あいつは何を言いたいんだ、何者なんだ」と静まらなかったらしい。学校は「自分のしていることの非道さがわからない」の連続である。「なめるんじゃない」はそうした中で「指導」の言葉として多用されてきた。しかし僕は、生徒たちにはなめる権利があると思う。
 都立K高校でTさんが小便をしていたら、後ろでしゃがんで眺める生徒がいて「先生ながいね」と笑っていたという。教室で片手を前列の生徒の机について話を始めたら、手の甲に妙なものが当たって振り向くと、そこの生徒が「先生、しょっぱいね」と言ったと聞いたのは大分昔の事だ。

 はじめ僕は「不快」を、教師と生徒の問題だと考えていた。そうではない、学校を越えた支配=被支配の問題であったのだ。我々は自分自身を「不快」と思うことなしに、自分自身にはなれない。時には自分と、自分を取り巻く歴史も含めて、憎む事になる。

なぜ入試は点数の高い者から選抜するのでしょう。低い者の方が学ぶ必要があるのですから、低い者から順に入学を認めるべきではないでしょうか。金曜日、合格発表で、何も受け取らずに肩を落として帰る中学生を見て、僕は、自分でも驚いたことに、涙が止まりませんでした。これが選別の現場だ。僕は何と犯罪的なことをしているのか。でも、管理職とほとんどの教師は、受付で「おめでとうございます!」などと連呼していて、落ちた方は眼中にない。これでは、教師が共感や連帯を伝えられるはずもない」 Aさんからの便りである。

 「自同律の不快」が、Aさんの中では止まらない涙として、受付の「おめでとうございます」連呼への嫌悪として現れたのだと思う。
 いつの間にか選別体制への怒りが、現場教師から消えている。自らが選別されていることへの怒りと闘いの意志も消えて、選別されて上昇することに参入する。この事実を「保守化」と言わずして何というか。
 国民の教育権は人権であって、友愛・連帯の精神は「階層横断」的文化と教養に依らねばならない。それは選抜の否定抜きにはあり得ない。個人の能力開発だけを「教育権」の内容としていては、Aさんが涙を止め得なかった光景を永続させるだけだからである。「階層横断」的文化教養は、成績や毛並みの良さを自他共に認める者にこそ必要なのである。不合格に打ちひしがれて帰る中学生に涙を止められなかった話題が、霞ヶ関や証券街で日常的になるように。
 無論「階層横断」的文化と教養を以て「共感や連帯」を学び実践すべき者の第一は教員である。

 高校入試は勿論、大学入試も必要ない。受験と学歴を利権化した者たち以外には何の不都合もない。
 阪大や京大入試問題の些細なミスが大問題であるかのように騒がれる。恰も「公正な」入試問題がどこかにあって、それに近づけば「正しい」選抜が出来ると言わんばかりだ。授業に参加し、ともに展開出来さえすれば良いのだ。進級と学位認定は厳格にして、就職斡旋は大学や高校の関与を排して当事者本人に任せなければならない。

他人の死を怖れる人の方が好きだ。生命の価値を知っている証拠だ。

 「エドレル・・・なぜそんなに夢中になって穀し屋のまねをしたいのかね。殺し屋になるのは、想像力の乏しい連中だ。生命というものがどんなものか、ぜんぜん頭にないので、人殺しを重要なことと思わないのだ。他人の死を怖れる人の方がわしは好きだ。それは、生命の価値を知っている証拠だ。 
 ユゴー 僕は生きるためにつくられてはいないのです。生命とはなにか、僕は知りませんし、知る必要を感じません。僕は余計者なんだ。この世の中に、僕の居場所は無く、そして僕の存在は人に迷惑をかけるのです。誰ひとり僕を愛してはいません。誰ひとり僕を信頼してはいないんです。 
 エドレル わしは君を信頼する。 
 ユゴー あなたが 
 エドレル そうだ。君は骨折って大人になろうとしている若僧だ。もしも君の行為の障害がとり除かれたら、君は誰からも喜ばれる人間になるだろう。わしがやつらの爆発缶や爆弾から脱れられたら、わしは君を手許において、力になってあげよう。 
 ユゴー なぜ僕にそんな事をされるんです なぜ僕に今日おっしゃるんですか? 
 エドレル・・・専門家でない限り、冷静な男を穀せるものではないことを君に証明してみせたかったのだ・・・」    サルトル全集 劇作集『汚れた手』人文書院 p103

  若き革命党員ユゴーは、指導者エドレル博士を裏切り者と見做して暗殺を目論み博士の秘書として乗り込んだ。エドレルは元国会議員、ナチと結ぶ体制に絶えず命を狙われている。エドレルの人格に圧倒されたユゴーは決行をためらいはじめる。大戦末期のある東欧王制国家を舞台としたサルトルの作品『汚れた手』
 「僕は余計者なんだ。この世の中に、僕の居場所は無い・・・誰ひとり僕を愛してはいません」というユゴーの言葉は、疎外に苦悩する全ての青少年のものである。
 高校生の取るに足らぬ逸脱と、暗殺を目論む若者の悩みとが、同じように存在そのものを賭けた哲学的「骨折り」であることを僕らは感じ取らねばならない。そして、それを打開に導くのが相も変わらず古典的な信頼であることも。罰や栄誉などではなく古くさくもある信頼。しかしそれこそは時代と個人に即して、同時に時代を繋ぎ越える。生徒の遅刻やサボりのの中に命と思想の課題と捉える知性と洞察力が、教師に要請されている事を肝に銘じねばならない。
 たかが遅刻に、いかれた服装と髪形に、若者の存在を賭けた苦悩が秘められていることもある。そうでないこともある。それを読み解く能力に欠ける教員の、短い断定的セリフが職場に満ちている。
  
 エドレルの科白「なぜそんなに夢中になって穀し屋のまねをしたいのかね。殺し屋になるのは、想像力の乏しい連中だ」は、倫理であれ国語であれ歴史であれ平和教育であれ、授業の中で徹底的に論じ尽くさねばならぬ。僕は教師同士で「なぜそんなに夢中になって(生徒の自主性の)穀し屋のまねをしたいのかね。(生徒の自主性の)殺し屋になるのは、想像力の乏しい連中だ」と読み替えたい。
 結局エドレルは殺される。政治の世界も学校も、想像力を持つ者を失い続けてきた。だが希に、その死が新しい力に受け継がれることもある。 

   今この国の人々は、煽られた憎悪の感情をつのらせ「人間の喜怒哀楽の感情は、本人にしかわからない」という絶望の中に立ち尽くしているかのようだ。だから若者たちは、共同の疑似体験に無理矢理涙して絶叫するのではないか。部活に、行事に「やった者にしかわからない」共同の快感を求めて。
 「感情は、本人にしかわからない個人に特有なものではなく、時を越え国境を越えて、分かち合うことができる」ことを忘れている。僕は学力の中で最も重要なのはこの共感能力だと考えている。ともかく日本では議論すらあまりしない概念だ。

軍事基地は追い出せる、ビエケス島反基地闘争。代替基地はいらない

  第二次大戦参戦直前、米軍は中南米各地に基地を置いて、英国に代わって大戦後の世界制覇権の準備をしている。チャーチルがルーズベルトに「貴方は大英帝国を無くそうとしているとしか思えない」と言ったのは、このときのことである。プエルトリコ南東の小島ビエケス島も1941年、米国基地となる。
 大戦後、民族意識高揚に伴い米軍基地は中南米各地から撤退したが、パナマ・キューバのグアンタナモ・パナマの軍事基地は残された。そしてビエケス島は、海軍演習に使われてナパーム弾、枯れ葉剤、劣化ウラン弾などの最初の発射実験に使われたのである。              
 島の産業である砂糖栽培・精糖と漁業は絶え間ない射撃訓練のために衰退し,島の失業率はつねに50%を超え、貧困者は人口の72%に達した。珊瑚礁は破壊され、海は弾薬に使用した劣化ウランで汚染。ガン発症率はプエルトリコの他地域に比べ27%も高かった。何度も米海軍とプエルトリコ政府間で協定が結ばれるが、常に海軍が反故にしてきた。理由には、「他に代替基地がない」を挙げるのだった。

 反基地運動には長い歴史がある。70年代末には、子供の遊ぶ海岸に艦砲射撃がおこなわれ犠牲者が出て、抗議のため漁師たちは、座り込み闘争を始め参加者21名はまもなく逮捕さた。そのうちの一人アンヘル・ロドリゲスは獄中で変死を遂げている。
 1999年には海兵隊のミサイル誤射による住民死亡事件が起き、若者の決死の抗議団が基地内で座り込みをはじめ、闘争は一気に緊迫した。このとき、いつもと違うことが起きた。

  いつもなら軍の要請を受けた警察が出動、若者達を排除してお終いだった。だがプエルトリコ知事は、抗議団の行動に理解を示し米軍を非難、「米軍による軍事演習が環境を破壊し,9400のビエケス島民の経済発展を阻害している」と記者会見で言ってのけたのだ。プエルトリコ議会も全会一致で,米国海兵隊の爆撃演習の即時中止を求める決議を採択。こうして基地撤退の機運はプエルトリコ全体に広がる。政府・議会の姿勢に力づけられた青年達は,現地に団結小屋を建設、米本土からも青年たちが続々と結集。 独立党委員長は、ビエケスの闘いにその存在のすべてをかけ
 「米軍が撤去するか,私が逮捕されるまで、ここにとどまりつづける」と宣言した。彼は大変なエリート弁護士で影響力は大きく、演習場内には9つの団結小屋が、漁民組合、教員組合、教会関係者、社会主義者などによって建てられた。団結小屋の事務局長役はイスマエル・グアダルーペ、1952年には合衆国議会乱入事件に参加し,長い獄中生活を送った老婦人戦士である。
 海軍寄りといわれたビエケス市長も「海軍のもたらしたさまざまな災難に驚いている」と、基地占拠闘争を是認。島民集会では、25の団体5万人が参加、海軍と米国大統領、国連およびプエルトリコ知事への「最後通牒」を採択した。
  ハーバード大学では40人の教授がビエケスの闘いに賛同して署名、ガルブレイズや複数のノーベル賞受賞者も。ゴア副大統領、フロリダ州知事、ニューヨーク市長、ヒラリー・クリントンも海軍撤退を支持するに至り、米下院はプエルトリコ海軍基地を半年以内に閉鎖するという基地再編案を承認。 ブッシュ大統領をして「住民に被害が出たし、住民は基地を望んでいない。代替地は米軍が後で探せばいい」と言わしめるに至ったのである。
  海軍基地は2003年に撤退。現在、この島は、海辺はリゾート地、内陸部は野生動物の保護区になっている。しかし島には基地の汚染された土地が放置されたままである。米は浄化の膨大な費用を負担しない。
                                        
追記 「何度も米海軍とプエルトリコ政府間で協定が結ばれるが、常に海軍が反故にした。理由には、「他に代替基地がない」が挙げられたのは、代替基地があれば移転すると言う事ではない。ブッシュがいみじくも言っているように必要なら「代替地は米軍が後で探せばいい」のであり、「住民に被害が出たし、住民は基地を望んでいない」という事実だけが重要なのである。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...