「海賊は、同時に漁民であり交易商人であった。かれらは生業が不振になれば、海賊業にいそしむ以外になかった。ヨーロッパ植民地主義者がこの地域に多くの海賊を発見するのは、かれら自身の交易独占政策が発生させた結果を、それと気づかずに眺めたにすぎない。 かれらは、この土地の正当な抵抗者を身勝手にも海賊と呼んだのである。海賊は確かに植民地主義に対抗する抵抗の一つの型であった」 鶴見良行『マラッカ物語』 時事通信社僕がN工の定時制課程にいたのは、大学卒業直後の数年間だった。その後半、S工全日制課程から数人の転校生があった。何かの事情でいくつも落第点が付き退学を勧告されたのだが、転校を条件に落第点が取り消され単位を認められてやって来たのだった。何れも素直な少年で、生活も成績も問題なく進級して卒業した。
当時僕は、組合の教研委員を務めていた。毎週金曜日の午後、各職場持ち回りで、支部教研の例会をもっていた。どの職場でも教研委員の金曜午後は、授業を開けてくれていた。僕はS工全日制の教研委員に、転校してきた生徒は何れもいい少年であったことを告げて、それとなく退学勧告が間違いではないのかと仄めかした。しかし、次の年も、S工全日制から同じ事情の転校生が数名あった。何れも問題はなかった。この頃からこうした転校生が、どこでも増えた。生徒減に悩む定時制にとっては、渡りに舟と歓迎する傾向もあった。僕は他の高校ではどうなのか、それぞれの職場の状況を聞いて、あきれ果てた。
「そもそも、自分のところでは赤点だが、転校するなら合格にするというのは失礼ではないか。うちはレベルが高くて無理だが、そちらはレベルが低いからいいだろうと言っているのと同じだ」と噛み付いた。
「そんなつもりはない。環境を変えることが、生徒のプラスになればとの判断なんだ」と年配の生活指導のベテランを自任する教師は抗弁した。
「転校生たちの生活上の問題も、学力上の問題もそちらの方が熟知しているはず。次から次へと退学や転校させて、一クラスの人数は減っていると言ったのはあなただ。彼らの指導に向いているのは、あなたたちだ。環境を変えるのではなく、やり直しを認める事を考えるべきではないか。それを教育と言うのではありませんか」次の年から、転校生は来なくなった。
学力であれ、生活であれ、個々の生徒とその学校や教師との関係から生まれる。その分析もせず、対策もとることなしに、厄介者扱いをする。
「植民地主義者がこの地域に多くの海賊を発見するのは、かれら自身の・・・政策が発生させた結果を、それと気づかずに眺めたにすぎない」
我々教師が、学校における「海賊」をつくっていたのではないか。「正当な抵抗者を身勝手にも海賊と呼んだので」あれば、先ず己の侵略行為をこそ糾弾しなければならない。
ソマリアの「海賊」も、ヨーロッパ漁船による乱獲、違法操業するようになってから始まった。