「金時鐘 いうところの大東亜戦争で日本が負けましたが、三八度線というのは、朝鮮を兵団基地にしていた三八度線以南の第一七方面軍と、三八度線以北から旧満州一帯におよんでいた関東軍との軍団上の境界線でした。アメリカとソビエトによる武装解除をその線でするという終戦処理を、日本が意図的に出してる。
「解放」されるベき朝鮮が分割された
当時の日本の為政者たちは、あの混乱のなかでもよく今日の日本 - これは朝鮮との関係においてですが - を見通していたように思います。その炯眼ぶりを思うにつけ、ぼくは肌寒い思いに駆られたりしますが、ポツダム宜言を受諾することは、朝鮮を手放すことなのに、あの終戦処理に関する限り、朝鮮を手放す意図はない。また戻ってくるということなんですね。そういう発想で、のっぴきならない関係にある米ソ両勢力に角を突き合わさせれば、朝鮮は未解放のまま存立するという見通しを持っておったというふうに、ぱくは個人的に思うんです。負けた日本、戦争犯罪を犯した日本は分割されなくて、「解放」されるベき朝鮮が分割されたというのでは、・・・あまりにも朝鮮はうかばれなさすぎますよ」 『差別その根源を問う 下』朝日選書
北朝鮮の核ミサイル廃棄を日本のマスメディアは、信用ならないと息巻いている。朝鮮戦争の原因を作り、植民地体制維持を画策した国が言える台詞ではない。
それにしても、敗戦の困難混乱の極みにあって、自らと自らの家族の安全だけはいち早く段取りし、戦争犯罪の証拠の隠滅を図り、守るべき開拓団男子を満蒙国境に徴発しその家族を置き去りにして逃げる卑怯さには、開いた口も塞がらない。
日本が決意すべきは、北朝鮮に劣らず積極的な「東アジアの非核化」宣言であり、米軍全基地の撤去である。コスタリカの常備軍廃止同様、平和の宣言はその後の懸命な外交交渉の「覚悟」を前提としている。強い国に追従することを外交の国是とした政府には最も困難な課題だろうが、それなしにこの国が独立する道はない。
自分は甲冑に身を固めて完全武装しながら、相手には丸腰丸裸を迫るのは筋が通らない。峠の胡麻の蠅じゃあるまいし。
近頃は、至るところで自らを「サムライ」と自称するのが流行っている。江戸中期の兵学者大道寺友山←クリックなら日本政府の振る舞いを「武士らしからぬ卑怯の沙汰」と怒ったに違いない。
非核化は、憲法が政府に命じる責務でもあるのだ。