天皇が神なら、戦争でも兵隊が死なない、飛行機も落ちないはずでしょう  金子文子

 朴烈事件の予審判事・立松懐清の問い「天皇制に対してどういうふうに考えているというのか」に金子文子がこたえている。


 私はかねてから人間の平等ということを考えています。人間は人間として、平等であらねばなりません。人間の平等の前には、馬鹿もなければ、利巧もなく、強者もなければ、弱者もなく、地上における自然的存在としての人間があるのみです。そういう人間の価値は、完全に平等であり、すべての人間が人間であるというただ一つの資格によって、人間の人間たる生活の権利を完全に、かつ平等に享有すべきはずのものです。 具体的にいうと、人間によってなされたこと、なされつつあること、また、なされるであろうところの人間的行動は、すべて完全に人間という基礎の上に立っての行為であります。自然的存在たる基礎の上に立つ人間の地上における人間的行動は、ことごとく人間であるというただ一つの資格によって、一様に平等に承認さるべきはずのものです。しかるに、この自然的な人間的行為を人為的な法律によって、どんなにひどく歪めたり、否定したりしているかということを考えてごらんなさい。本来平等であるべきはずの人間が、現実の社会において、天皇というもののために不平等化されていることを、わたくしは呪うのです。 
 ・・・ 天皇が神様か神様の子孫であったら、歴代の神様たる天皇の保護の下に存在する日本の民衆は、戦争の際にも兵隊が死なないはずでしょう。日本の飛行機も落ちないはずでしょう。また神様のお膝元で、昨年のような大地震のために何万という忠良な臣民が死ぬはずもありますまい。ところが、戦争に行った日本の兵隊がよく死にます。飛行機もよく落ちます。お膝元に大地震が起こって、何万という人が惨死するのを、どうすることもできない天皇が、どうして神様だといえましょう。天皇が神様だなどということは、君権神授説の仮定にすぎません。すべての伝説は空虚な夢物語です。天皇が全智全能の神の顕現であり、神の意志を行うところの天皇が、地上に実在しておりながら、天皇の赤子は、飢えに泣き、炭坑に窒息し、機械に挟まれて惨めに死んでゆくのはなぜでしょう。それは天皇が神でもなければ仏でもなく、結局天皇に人民を護る力がないからです。 天皇の正体は一個の人間です。わたくしども人民とまったく同一な自然的存在です。平等であるべきはずのものです。・・・     金子文子(1924年5月14日 市ヶ谷刑務所にて)
奇っ怪なのは、金子文子ではない。
 「天皇制は神ながらの道そのものではないが、神ながらの道と容易にむすびつき、奇怪な軍国主義の成長を支えることができた加藤周一『親鸞』
   1903年1月25日~1926年7月23日。関東大震災の2日後に、治安警察法に基づく予防検束の名目で、朴烈と共に検挙され、十分な逮捕理由はなかったが、大逆罪で起訴され、死刑となった。後に恩赦で無期懲役に減刑されたが「天皇による恩赦」を拒否して刑務所長の面前で通知を破いている。奇っ怪なことに震え上がったのは所長であった。彼女は獄死。

  金子文子自身が、子どもの頃を振り返っている。
 私は小さい時から学問が好きであった。で、学校に行きたいとしきりにせがんだ。あまりに責められるので母は差し当たり私を母の私生児として届けようとした。が、見栄坊の父はそれを許さなかった。「ばかな、私生児なんかの届が出せるものかい。私生児なんかじゃ一生頭が上らん」 父はこういった。それでいて父は、私を自分の籍に入れて学校に通わせようと努めるでもなかった。学校に通わせないのはまだいい。では自分で仮名の一字でも教えてくれたか。父はそれもしない。そしてただ、終日酒を飲んでは花をひいて遊び暮したのだった。私は学齢に達した。けれど学校に行けない。 
・・・父はある日、偶然、叔母の店から程遠くない同じ住吉町に一つの私立学校を見つけて来た。それは入籍する面倒のない、無籍のまま通学の出来る学校だったのだ。私はそこに通うことになった。学校といえば体裁はいいが、実は貧民窟の棟割長屋の六畳間だった。煤けた薄暗い部屋には、破れて腸はらわたを出した薄汚い畳が敷かれていた。その上にサッポロビールの空函が五つ六つ横倒しに並べられていた。それが子供たちの机だった。 
・・・私立学校へ通い始めて間もなく盆が来た。おっ師匠さんは子どもに、白砂糖を二斤中元に持って来いといいつけた。おそらくこれがおっ師匠さんの受ける唯一の報酬だったのだろう。けれど私にはそれが出来なかった。生活の不如意のためでもあったろうが、家のごたごたは私の学校のことなどにかまってくれる余裕をも与えなかったためでもあろう。とにかくそんなわけで私は、片仮名の二、三十も覚えたか覚えないうちに、もうその学校からさえ遠ざからなければならなかった。叔母の店は夏の終りまで持ちこたえられなかった。二人はまた山の家へ引きあげて来た。家は一層ごたつき始めて、父と母とは三日にあげず喧嘩した。・・・     金子ふみ子『何が私をこうさせたか

追記 彼女がまともに教育権を享受していたら、東洋のアーレントになっていたと想像するのは荒唐無稽とは言えまい。小学校教育さえろくに受けていないが、翻訳・出版編集をこなすまでになっている。

1 件のコメント:

  1. 『小学校教育さえろくに受けていないのに、翻訳・出版をこなすまでになっている。 』と書かれているのですが金子文子は、生前に翻訳や出版をした事実はあるのでしょうか? 彼女は実に頭脳明晰な人で小学校高学年の頃には誰に教えてもらった訳でもないのに4ケタと4ケタの掛け算を暗算ですることが出来ました。(ソロバンなどならっていません)正則英語学校でも成績優秀だったそうですから翻訳出版していても不思議は無いのですが赤貧洗うがごとき生活でしたから食事さへ出来ない日もありました。そのような孤立無援の状況の中で翻訳出版したとは、思えないのですが
    その事実があるのであればご教示ください。

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