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高校生たちの「荒れ」は「授業から逃亡する教師」への異議申し立てだった。

  承前 「校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造」

  「・・・校則の厳格化や教諭らの指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」「毎日新聞」(2022.02.16夕刊)と強弁して 、厳しい校則の効果を強調する論調は悲しいほど強い。

 しかし必要なのは、生徒管理に都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。表現の術を悉く奪われた荒れる少年たちの立場に立つことではないか。

 彼らの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」だった。異議申し立てを正面から受け止めた例は極めて希だ。いくら申し立てても、教師たちは聞く耳を持たなかった。

 疲弊した少年たちに広がったのは、「厳しい校則への依存」だった。

 アルジェリア独立革命を思想的に支え続けた精神科医ファノンの言葉がここでも有効だ。

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年


 「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見い出す安逸な惰性が、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。「厳しい校則への依存」=指導者の永遠的存在への依存は、生徒だけの問題ではない。親にも教師にも行政にも広がったのだ。ファノンはこの屈辱的状況をこそ植民地的と呼び、独立への戦いを組織した。  

  

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れていた。生徒たちは校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火、校庭にもたばこの吸い殻や菓子袋が散らばった。切っ掛けは校舎改築だった。教師たちは建物を可愛がった、壁にテープを貼るな、落書きをするな。建物が新しいから少しのゴミでも目立つ。口うるさくなる。生徒と校舎どっちが大事なんだと荒れる。近所からの苦情は絶えず、対策に追われて職員会議は週二回が定例。教員は疲れ果てるが為す術がない。

 ところが思い掛けない事で事態は一変する。夜間中学を卒業したお婆ちゃん数名が、勉強を続けるために入学したのである。

 彼女たちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。荒れ狂ったツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。教師達が束になって説得し脅しても駄目だったことが、あっさり解決した。何が違うのだろうか。

 教師は、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された均一の空間に、異質のお年寄りが加わることで突然起きる根底的変化、それが革命である。

 B高校定時制課程には、花火とバイクの日常があったのではない。学校の日常としての学習が無かったのである。式や行事と口やかましい清掃はやたらにあるが、日常としての学習は続かない。テストやオリエンテーションで芸術鑑賞など行事で呆れるほど中断される。退屈しないように、生活にメリハリを付けるとの御託であったが、退屈するほど淡々としているのが日常である。長閑で欠伸が出るのが極楽ではないのか。お釈迦様が欠伸をするほど長閑で退屈だから、蜘蛛の糸を地獄に垂らしてみたのである。それが日常である。それが無ければ、脅しても説得しても甲斐はない、彼らは何をすればいいのか分からない、しかし校舎が生徒より大切という教師たちには我慢がならないのだ。教師たちは、勉強しろと説教するのは得意だが、自ら勉強するのは何より嫌いなのだ。

 花火やバイクは少年たち自前の行事なのかも知れない。であれば、自前の手本で示すに限る。


 高度成長期、企業は気前よく泊まりがけの社員旅行を奮発した。海外も珍しくない。中でも人気はタイと韓国への買春ツアーであった。日頃国内では世間の目・世間体や社則に縛られ礼儀正しい筈の日本社員達は、飛行機のただ酒で酔い、ホテルロビーに着くや大声で「おんなはどこだ、女」と叫ぶ。彼らは日常を切り離して会社に置いてきた、その程度の世間であり常識であった。安手の日常が無ければ When in Rome do as the Romans do である筈だが、そこはローマでもロンドンでもない。アジアへの上から目線で、ここではカネが全て、日常も常識も要らない無いと決めてかかる。情事の後、ホテルのロビーに寝間着で繰り出し喚き歌い倒れる。一人ではやれない。成田に帰り着いた途端、常識や社則に復帰、「やっぱりみそ汁だね」と一等国意識に浸る。取り外しの出来る消費財としての日常・常識。男達だけではない、遅れて若い女性や主婦達が「男、オトコ」と海外リゾートで嬌声を挙げたのである。

 カントもこれが20世紀も後半の大人のことと知れば仰天するに違いない。中学生までは規律や道徳の規準は仲間集団にある。それが青年・高校生に成長するに伴い、道徳律は個人の内面に移り自立する。「たとえみんなが~しても僕は~しない」と。他者の異質性を容認擁護する覚悟はこうして芽生える。しかし我々の日本社会では、内なる道徳律は依然として確立困難。藩の掟、村の掟、家の掟、内務班の掟・・・が内なる道徳律の成立を妨げた。今、校則と部の掟そして会社の掟が青年の倫理的道徳的自律を妨げる。日常とは多様な個人が、コモンセンスによって合意する領域である。 違うことが、選別や憎しみの根拠となるのではなく、平等の前提となる。


 偏差値が異なることが選別の理由であり差別の根拠であると見せつけられた高校生が、「底辺」とは造られた体制と感じ、それを理不尽と捉えるのは知的成長の証である。荒れる怒りは、選別の体制仕組みに向けられねばならない。怒りが学校や教師に向けられるのは、選別体制の最前線と見なされたからであり、まさに文科省・教委の教員管理はそのように仕組まれている。善意で熱心であるほど生徒は荒れる。荒れる生徒を根拠に、行政は組織実態の無いに等しい教員組合を攻撃、教員教員の管理を強めるというわけだ。その点でも「底辺校」は選別体制に欠かせないものとなっている。

     

 B高校定時制に突然現れた「学ぶ」おばあちゃん達は、見かけも年齢も価値観も生活歴も全くの異質であった。中には民族や言葉の異なる場合もある。ツッパリから見れば他者。仲間内の掟が闊歩する言葉を要しない均質社会に、コモンセンスが浮かび上がらざるを得ない。冷静に見れば、おばあちゃんの存在は、あんこの中の僅かの塩にも似ている。教師は生徒が毛嫌いする饅頭を、旨いぞ旨いぞと手を変え品をかえ砂糖を増やすばかりであった。飽きるように怒りが込み上げるように工夫を凝らして無駄に消耗する。

 思いがけない展開で、B高校定時制は職員会議を減らし、やがて二週間に一度に変えた。こうして高校定時制の生徒も教師も学校の日常を発見したのである。

 

 学校は生徒の中にも教員の中にも、異質な他者を具体的に含む事で、普遍的健全性を実現するのだと思う。困難校の厄介で気の滅入る困難も、異質の他者性を回復することで容易く消える筈である。


 スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極にB高校定時制同様に荒れる学校が必ず出現する。さもなくば社会全体が、厳しい校則への依存症に感染する。「総合学科」、単位制高校、特色ある学科、公立中高一貫教育校など高等学校の多様化・特色化が一気に進んだのがB高校定時制課程が荒れ始める少し前、90年代である。

 学校の日常は平凡に長閑に学ぶことを核に構成されねばならない。そのためには選別を排して、雑多な社会を教室に職員室に再生する必要がある。スーパーサイエンスハイスクールや底辺校の日常が個別に存在するのではない。それは教育の非日常なのだ。


  もう一度言う。「厳しい校則への依存は、生徒だけではない。親にも教師にも行政にも広がってしまったのだ・・・国会にも。

  「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」は教師にも向けられている。

学校もfake 情報を操って、架空の「安定」を保って来た

 安倍晋三は、2017年2月17日、衆議院予算委員会における福島伸亨議員の質問に対し、「いずれにいたしましても、繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして・・・私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」などと答弁した。これは学校法人「森友学園」への国有地売却問題と、その後に起きた財務省による公文書改竄に絡む発言である。

 対して英国では、コロナ対策でロックダウン実施中の2020年5月、首相官邸に100人以上を招待して「飲み会」が開催された問題で、首相が辞任寸前まで追い込まれる。

 この絶望的落差。あったことをなかったことにする、なかったことをあったように告げるのを「インチキ・いかさま・偽造・fake」という。


 国の基幹統計「建設工事受注動態統計」の不正をめぐり、国土交通省の本省職員が受注実績を無断で書き換えて二重計上していたことで、2020年度の統計数値が約4兆円過大になっていた。国土交通省が宗教政党の定位置となって以来の悪事。

   統計法は第60条で

〈次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する〉

〈二 基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者〉と規定している。 


 日本は首相が国会でいかさまを働いても、官僚が証拠を隠滅する。権力が私物化され、悪徳官僚は「異例の出世」。こうした権力によるいかさま=fakeが、革命やクーデターをもたらすどころか、隠蔽は更に大きな隠蔽を生み破局に向けて驀進する。帝国陸軍だけがfake 情報を流して、破局を招いたのではない。


 体系的fake 情報に、我々が初めてにさらされるのは学校である。 「学力が明るい未来を約束する」これが最初に子供の脳を洗浄する。そのためにはいい学校に。 

   だがそもそも学校をランキングする行為は、誰の為になるのか?   学校の何を取り出して何処と比べているのか。それは比較に値する事柄なのか。その数値に右往左往する。いい数値は学校に付いたもので、君個人の特性互いに独立したものだ。気付かないのか、学校のバッジや制服を身につけることは、君の君らしさを消し去ることなんだ。

 教科書自体がfake処理=検定される。教科書を使えばfake 情報は、「公認」の情報と化す。日本が如何に優れているか、美しい城郭と歴史ある家系を戴く国に生まれことが如何に幸福なことか。

 「学力が明るい未来を約束する」「服装の乱れは心の乱れ」「愛の鞭は体罰ではない」「校長は行政の末端である」  

  「学力が明るい未来を約束する」が本当なら、「低学力」に認定された側には絶望の未来を制度化する。成績に関わりなく、文化的で豊かな生活の保証が学ぶことの前提になければならない筈。にもかかわらず教員は低学力による格差の悲惨を煽り立てて、自らの職務から逃亡し続け来た。管理職になれば「校長は行政の末端である」と言い放って授業から逃亡。その怠慢が塾を繁栄させる。努力は塾資本を肥え太らせ権力に接近させる。競争は決して少年たちを豊かになどしない。

 受験戦争とはよく言ったものだ。闘い終えた本人には小さな墓標が与えられ、結果は全て「商人」が掠取する。「主権者」たる少年たちは、煽て騙され塾と部活に明け暮れ青春を潰された挙げ句、塾資本と教材屋に巻き上げられる。「頑張れば結果は着いてくる・・・」と本気にする高校生がいるとしたら、酩酊している。

 であれば学校では王子工高のM君のように「寝る」のが正しい。学ぶことは現在の順位や未来の栄達とは関係のないことだと気づくまで、自らの尊厳のためと悟るまで。   


塾「変更」勧誘チラシの仰天

  塾の折り込みチラシを時々見る。不思議なことに、志望校合格者の写真が何年も変わらない。塾市場も飽和飽和を通り越して過飽和状態に陥ったことを白状している。過飽和状態は少しの衝撃で土砂降りになる。過冷却と言ってもよい。保険業界や携帯電話会社等も市場が過飽和、そればかりではない電力会社も都市ガス会社も過冷却状態。そこで行われているのが、電力会社はガス料金を安く、ガス会社は電力料金を安くするともちかけ、会社登録を変えさせる。実際は大して安くはならない。めんど臭かったり違約手数料が設定されていたりする。

 それぞれの会社が恰も新規契約があったように見せかけ、過冷却の現状を繕っているに過ぎない。

 生命生命保険会社も各地に保険の無料相談所の類を置いている。無料にはカラクリがある。無料相談所には保険会社からの販売手数料が支払われる。手数料の中身は、数年ごとの無事故祝い金や満期祝い金など保険者自身が出所であるものが少なくない。

 ガス会社はガス料金の値下げを、電力会社は電気料金を、保険会社は保険料を、携帯会社は通話料を、それぞれ値下げする。それが長年のお客にたいする商業道徳。他社顧客の引き抜きに顔色を変えるのは長年のお客に無礼極まりない。信頼関係が生まれる筈はない。

 建設業の受注実態を表す国の基幹統計を国土交通省が書き換えていたが、同様の不正はあらゆる分野で日常化していたのだ。 

 塾のチラシはほぼ全てが女子生徒の肖像を使っている。競馬や競艇の宣伝も若い女性ばかりを使う。男女平等格差が世界最低の国の珍現象だろうか。物言わぬお飾りとしての悲しむべき光景なのだ。男女平等格差をジェンダーギャップと言い換えて、ニヤつく政権党の責任逃れがそこにある。難し気な横文字や漢語を使えば誤魔化せるのだ。  更に最近驚いたのは、塾変更勧誘の案内チラシがあったことだ。塾市場も枯渇してきている。客=生徒の奪い合いだ。


 塾も生命保険も、政府がまともなら要らない筈の代物。将来の不安の産物に過ぎない。不安を官民挙げて煽った挙句の、虚構の産業である。早く滅びるがよい。

  英国人は退職後の貯蓄に関心を示さない。45歳以上で預金額が9000ポンド(約140万円)未満の割合は2014年度末で全体の40%。英国では国民が老人ホームに入居する場合、住宅、貯蓄、年金などの資産併せて500万円以下なら全てその費用を国が負担する制度になっている。ビバリッジ報告の精神「揺り籠から墓場まで」は、今尚守られている。長いナチスドイツとの闘いを経た戦後の苦しい生活の中で英国人が獲得した制度だ。ちっとやそっとでは揺るぐはずもない。労働者や福祉嫌いのサッチャーが腕まくりして戦争で国民を騙しても、これは残っている。


 だからこの英国では、140万円以下の貯蓄でも悠々と生活できる。出世競争で過労死することはない。中高校生は、日本のように将来に備えた受験競争で鬱になることも、推薦入学を狙って部活での体罰や虐めに耐える必要も無い。だから英国の少年は、政治や環境もに関心を持ち自由に行動できる。演劇や音楽にも夢中になれる。祖父や祖母たちの生活が保証され安定していることが、少年たちを若者らしい正義に導く。だからhate言説にも引っ掛からない。

 我々日本人はいくら稼いでも、不安でたまらない。互いに支え合う思想を知らない。墓や葬式すら見栄の張り合いだ。どんなに企業内部留保が積み上がっても、ワークシェアリングに踏み切れないのは何故なのか。

「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」

    「社畜」という言い回しがある。経営者や首長の驕奢を甲斐性と見做す性癖は根強い。

 働く者は薬物も犯罪もやらず、難民や移民でもない、まして犯罪者やその家族ですらない。教育水準も職務技能も決して低くない。勤勉で、長時間労働に耐える。にも拘らず、日本の貧困は世界で際立っている。「これは完全な「政策の過ち」である」と外国の研究者は驚いている。日本でだって心ある人々は絶望で立ち竦んでいる。  

 厚労省作成の「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、平均所得(約552万円)を下回る世帯は61.1%、貯蓄がない世帯は13.4%。「生活が苦しい」と答えた世帯は54.4%に上る。


 株は買えないほど貧しいが、会社の株価が気になる。特売品と百円均一しか買えないから、盗まれる物も家も無い。検事総長予定者が賭け麻雀しても逮捕されないが、治安は良いと信じている。賃金も年金も安いが、テロもない。

 「防衛費」をGNP2%=10兆円に爆発させ、その殆どは米国製武器購入に充てられる。国内の工場や企業が生産で潤う筈もないのにそれをGNPに繰り入れる詐欺手法に、隣国が協調しないから「先制攻撃」も当然と拍手する。そして「変えて悪くなるよりは現状維持」と冷たい笑いを浮かべる。   その隙に日本独自のRNAワクチン開発資金が、怪しさ極まる加計学園に消えたことに怒る気配もない。

  日本の極右政権は、これを世界に類例を見ない日本国民の「美徳」であり、政治的「成功」と見做して、我が世の春を謳歌している。

 「完全な「政策の過ち」」が、何故日本国民の「美徳」に容易く転換するのか。大いなる幻魔術。

 まさに天皇制国家体制の「幻魔術」の成果は手っ取り早く手堅い。(嘗ては筆頭戦犯を被害者に見せた幻魔術)日本の君主制の際立った特色は、天皇家の対極として民衆の身近に被差別者を配置したこと。被差別部落、ヘイト言説に曝される朝鮮、技能実習生・・・、これらが君主制への憤怒を反らす役割を担ってしまう。それ故、国民の意識は君主=天皇一族への距離で自発的に階層化されるのである。

 北欧などの王政国家には、対極が存在しない。「被差別」者は、イギリスにとってのインドや南ア、ベルギーにとってのコンゴのように遠い国外に設定される。それ故、国民の中に社会的差別は生まれにくい。何故なら不平等は直ちに君主制への不信と怒りに結びつき、王制消滅を意味するからだ。それ故王家も政権も、国民全体の平等実現に努めざるをえない。

 天皇制がある限り、日本社会の社会的差別は永遠に続く。天皇制廃止なしに、この列島に平等は決して実現しない。従ってこの体制下の日本に人文主義は定着しない。

 16世紀フランスの人文主義者Étienne de La Boétieは『自発的隷従論』で、

 「悪い政治が成り立つのは、国民が進んでそれを受け入れているからだ」・・・「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」と述べている。


 同時に彼は、高等法院法官でもあった。人文主義者=humanisteは、古典や聖典の探求に基づいて人間と神の本質を考察したので、教会側は危険思想としてたびたび弾圧した。

 ナチへの不服従も人文主義は呼びかけている。

 体罰による生指や部活の横行がかくも長く続いたのも「支配される側の自発的な従属」があったからではないのか。

 自発的な従属=「民主化抜きの近代化」は驚異的な成長と軍事化を進めはしたが、人文主義者=humanisteの抵抗は稀だった。 

追記 ドイツ語で忖度を表わす言葉は、vorauseilender Gehorsam =先回りした服従 だという。ナチスの暴虐に対してドイツ人が執った行為の本質をよく表している。新自由主義の政権に対する日本メディアの行動は、もはや忖度では言い表せない。

国家の犯罪行為に対する責任は、主権者たる市民のほうが独裁体制下の臣民より重い

   水兵からの叩き上げで暗算が得意だった祖父は、抜擢され兵学校で弾道学を教え、退役後は畑に精をだし旧制中学で教えた。祖母や教え子たちの思い出話などから想像するに、今の高校教師より遙に自由に振舞っている。配属将校や若い教師が無暗に総動員体制への威圧的忠誠をこれ見よがしに披露していた時も、祖父は温和だった。「軍人じゃ無か若い先生たちはよく殴いやった、ばってん先生の怒いやったことは無か」。町の様々な階層から仲裁を頼まれ、赤ん坊の僕を懐に入れて散歩がてら話を聞いていたという。 
 「国家の犯罪行為に対する責任という点では、主権者たる市民のほうが独裁体制下の臣民より重い。」M.マイヤー『彼らは自由だと思っていた』未来社

 第二次上海事変で砲兵将校として軍艦勤務した祖父は陸戦
隊には加わらなかったが、「国家の犯罪行為」としての謀略・殺害を目撃している。この頃の祖父の母宛の絵葉書には苦力や屋台の職人が色彩豊かに描かれたが、軍人や軍艦は描かれていない。
  40 歳そこそこで祖父は退役、表向きは病気が理由だった。後日叔父は中学生になった僕をこっそり呼び出し、退役を巡って海軍内で揉めたらしいことを耳打ちした。詮索しなかったのが悔やまれる。
 
 交戦時には互いの攻撃をかわして敵艦も自艦も複雑に移動する。砲術の難しさは陸戦のそれとは比較にならない。しかも咄嗟の判断で計算・作戦立案・命令指揮する必要がある。
 三角関数を組込んだ計算尺を祖父は大切にしていた。弾道計算に不可欠の道具。
 操船術と砲術、祖父の判断に全乗組員の命が掛かっていた。何より実戦で磨き上げた経験がものを言う。そうでなければ訓練を重ねた水兵の命も軍艦も失う。ところが日本の軍隊では実力は滅多に考慮されない。兵学校で皇族も高級将校子弟が規律を破り現を抜かしても「国体」擁護を絶叫しさえすれば、叩き上げ将校をアッと言う間に飛び越し昇進した。それが皇軍の輝ける規律であった。彼らには、敵に勝つことより皇軍の秩序が優先していた。酒を飲まない祖父は苦笑いしながら、皇族や高級将校子弟のやんちゃぶりを話していたと言う。
 英国皇太子戴冠式にへの航海に参加しているから、祖父は彼の国では戦功次第で序列を飛ばして昇進する例を見知っていたに違いない。
 日本軍で国を守る事はできない、祖父は大胆にもそう判断した。それ故、旧制中学で虚勢を張る若い教師や配属将校たちを見る眼は冷めていた。
 その厭戦姿勢は敗戦とともに平和志向に変わる。国防婦人会で竹槍訓練の先頭に立っていた大叔母も、「バカの考え休むに似たり」が口癖になった。

 終戦直後の50年代始め、町議会議長長男の結婚式を祖父の家で挙行する珍事が起きた。町議会議長は運送業も兼ねる網元で、河口の絶好の位置に何百人も寝泊りできる大きな屋敷を構えていた。対して貧乏極まる祖父の家は、部屋も台所も家族だけで手一杯の詫び住まい。とりえは志布志湾が見渡せることだけだった。庭と露地に臨時の竈が拵えられ、近所や親戚も総動員され戦場のようになった。二部屋と廊下が全て開け放たれ、廊下の先に縁側が張り出された。居間も台所も庭もテーブルが並べられ配膳の支度にてんやわんや。行き場のない僕は、客間から聞こえる「高砂や~」を聞いていた。歌に合わせて舞ったのは祖母に違いない。祖父も祖母も三味線と舞を習い、バイオリンまで覚えていた。

 農地解放の波に乗り、農民組合がつくられ勢力を増していたし、志布志機関区の国労も強大。デモは盛大だった。小さな僕もデモに引っ張りこまれた。厭戦気分を隠さなかった祖父が、平和な時代を象徴する存在と見られたのかも知れない。
 結婚の宴は三日続いた。しかし暫くして祖父あっけなく急逝。祖母はショックで口が利けなくなり足腰も立たなくなってしまった。その間に日本は逆コースを転がり落ちてしまった。
 大叔母は残された孫の平和な教育のために、文字通り身を粉にして奮闘し続けてくれたことになる。事あるごとに「うんだももしたん、こんたいかん」と下駄ばきで駆け出す姿を忘れられない。

 いま都会の教師は幾重にも哀れだ。現場の反動化に呆れ早期退職しても、耕す畑はない。ローンは残り、恩給はないから再就職の派遣労働に明け暮れる。疲れ果て、老人ホームの空きを待つ間にウサギ小屋で息絶える。それだけは避けたいと教育の劣化にも我慢を重ねれば、日々に日々に教育の裁量の範囲は無くなる。
 堪らないのは、自らが生徒に伝える価値を裏切る振舞いを生徒や父母の見守る「式」で強制される事だ。
 「国家の犯罪行為に対する責任という点では、主権者たる市民のほうが独裁体制下の臣民より重い」。

これは差別ではないのか

  「・・・特別支援学校」や「・・・中等教育学校」と、学校の種別を表示する理由は何か。何故他の学校と同じように ○✕市立第八中学校  などと書かないのか。地域名と番号で十分ではないか。例えば市立二中が所謂「普通」で、市立五中が所謂「障害児学校」であって何の差支えがあるのか。いずれの学校も憲法に基づく国民の権利としての教育を任務として、平等でなければならない。本来同じであるべきものを違うと言う、これが差別である。

 「偏差値」で上位にある学校は、何かにつけて都合のよくない生徒を排除して「賢く健康な」生徒を囲い続けてきた。「偏差値」で上位にある学校の対極には、都合のよくない生徒たちが集積されそれ以外の行き場はない。

 差別がないのならまだしも様々な偏見に取り巻かれて、障害のあるなしを学校の壁に大書するのは、生徒の服や鞄に「・・・特別支援学校」と書くのと変わらない。


ナチスが「ダビデの星」を服にも店にも強制したことを思い出させる。もし学校の偏差値を色別のバッチにしたら、どうだ君は付けるか。

 特別支援学校生が、自宅近くの小中学校にも籍を置き、地域の一員として学び合う制度がある。

 普通の小中学校生にとっても、障害や多様性への理解が深まると教委は自画自賛している。嘗てのように公選制教育委員会を置き、どのような学校形態が名称が相応しいか地域全体で議論すべきである。その為には自治体を欧州並みに小さくする必要がある。日本のように合併を繰り返した数十万の自治体では地域性は消え、効率だけが追及される。管理統制する側からは、学校種別名称は細かいほど便利に違いない。

  老人ホームの名称も、一目瞭然いかにもそれと分かる名称が付けられている。例えば  // 介護老人保健施設 ほほえみの里 // 特別養護老人ホーム ふれあい荘 // すこやかホームゆうゆう //  有料老人ホームシルバー  // ケアハウスかがやきの郷//・・・それだけではない、外見も巨大な墓石のようで画一的。

   ある「高い」有料老人ホームの名称が、「・・・倶楽部」と地域名だけになっているのを見かけたことがある。気持ちが和んだ。何故地域名だけではいけないのか。地域の歴史や文化を生かした独自の建物を建てないのか。緑地公園や河川を周りに配したものがないのか。国の責任で運営する国々の施設の方が余程個性的で環境豊か。 

 国も自治体も責任を放棄、民間の有料施設に依存している日本が画一的なのは皮肉なことだ。民営とは「自由」や「多様性」を意味しない。立地も建設費も極限にまで切り詰めれば却って画一化する。『姥捨て山』の方が立派に思える。


 旅行中「芸術家の家」とだけ小さく書かれた施設を見たことがある。興味を惹かれて中に入ると、老人たちの演奏が玄関や廊下に響いて年寄りが楽しく談笑していた。絵を書く人もあった。退職者のホームだった。豊かな国ではないのに重厚な外観、立派な中庭は威厳に満ちていた。


   英国人労働者は退職後の貯蓄に関心を示さないと言われる。45歳以上で預金額が9000ポンド(約140万円)未満の割合は2014年度末で全体の40%。日本では65歳で定年して「平均貯蓄額2080万円」それでも不安。

 英国では誰であろうと国民が老人ホームに入居する場合、住宅、貯蓄、年金などの資産併せて500万円以下なら全てその費用を国が負担する制度になっている。ビバリッジ報告の精神「揺り籠から墓場まで」は、今尚守られている。長いナチスドイツとの闘いを経た戦後の苦しい生活の中で英国人が獲得した制度だ。ちっとやそっとでは揺るぐはずもない。労働者や福祉嫌いのサッチャーが腕まくりして戦争で国民を騙しても、これは残っている。

 だから英国の労働者は、140万円以下の貯蓄でも悠々と生活できる。出世競争で過労死することはない。中学生や高校生は、日本のように将来に備えた受験競争で鬱になることも、推薦入学を狙って部活での体罰や虐めに耐える必要も無い。

 英国の少年は、政治や環境もに関心を持ち自由に行動できる。演劇や音楽にも夢中になれる。祖父や祖母たちの生活が保証され安定していることが、少年たちを若者らしい正義に導く。だからhate言説にも引っ掛からない。


 日本では、大名や豪商の屋敷が庭ごと老人ホームになることは想像すら出来ない。ウサギ小屋程度でも順番待ちで、待っている間にあえなく死んでしまう。それが嫌なら億近い入居一時金と月数十万円を私費負担せねばならぬ。

参照  https://zheibon.blogspot.com/2019/09/blog-post_26.html                                                  

雨にも負けず・・・

  日本国籍を失ったアメリカ国籍のマナベ氏がノーベル物理学賞をもらった。彼は

「日本に戻りたくない理由の一つは、周囲に同調して生きる能力がないからです」

と言い切っている。

 マナベ博士は偶然日本で生まれた。そんな些細なことで「日本人!日本人!」と興奮して得意がる国柄はさもしい。偶々異国で生まれた人が、又は難民となった人が、この国の大学や研究機関だからこそできる研究でノーベル賞を取る事がありうるか。そちらのほうがずっと誇らしい。

 そんな母国にワクワクする主権者でありたい。

  

 わざわざ選んで日本に留学してきたスリランカ女性を、在留資格を失ったとして法務当局が収容・虐待し続けた。彼女は日本語で「なんでわたしたち動物みたいな扱いですか?」とメモにのこして極度に衰弱して絶命。 こうして収容中に亡くなった人は2007年以降、17人。そのうち5人はみずから命を絶っている。「おもてなし」と言いながら、何たるざまだ。この国は嘘つきや詐欺師、下着泥棒を大臣にして恥じない政府を許している。

 誇りは状況と闘ってこそ生まれる、もとからそこにあるものではない。

富士に向けて砲弾を放つ米軍、上空は
米軍管理の広大な「横田空域」



 「あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。

・・・我々がこしらえたものじゃない」と言ってまたにやにや笑っている。

・・・三四郎は「これからは日本もだんだん発展するでしょう」と弁護した。

すると、かの男は、すましたもので、「滅びるね」と言った。  漱石『三四郎』

茶壺道中・ルメイ叙勲・ペリー記念碑 / 歴史から学べない国の社会科は憂鬱

ずいずいずっころばし胡麻味噌ずい

茶壷に追われて(茶壺道中が近づけば理不尽極まる面倒が課されるから)

トッピンシャン(戸を閉め隠れて息をひそめる)

抜けたらドンドコショ(茶壺道中が過ぎてようやく賑やかな日常に戻った)

 御茶壺道中は、将軍専用の茶葉を、宇治から江戸に運ぶ行列。この御茶壷道中は、たとえ参勤交代や御三家の行列であっても、駕籠や馬から降りて道を譲る仕来りに遭遇して厄介千万だった。行列の街道は、事前に入念な道普請が命じられ、見ても顔をあげてもならず、恐る恐る息を潜めて遣り過ごす。田植えは農繁期であっても禁止、子供の戸口からの出入りも、たこ揚げも、屋根の置き石も、煙の上がる煮炊も、葬式までも禁止して弾圧。 

 先ず空の茶壺が東海道を宇治に向かい、茶葉を茶壺に詰めたあと、一旦京都の愛宕山へ預け朝廷にも分けた。その後、中山道を通って、途中茶壺を山梨県の谷村で夏を過ごし、秋になって江戸へ運んだ。

 千人もの大人が、「恐れ多い」茶壺への失態に怯えながら徒歩で運んだという。こうした横暴は必然的に腐敗を生む、茶壺役人は質が悪くなる。茶壺関係物品をわざと人馬往来ある場所に置き、粗相を誘発しては恐喝の種にした。

 その道中の様子を風刺したのが、「ずいずいずっころばし」。

 茶壷の数も行列の人数も年ごとに増え、道中は千人以上が百個を超える茶壷を運ぶ「絢爛豪華」な行列になった。この前代未聞の馬鹿げた慣行は、家光が1633年に制定し幕府が消滅するまで235年も続いた。

 こともあろうかこの愚行を、地域の誉れ高い歴史的行事として再現する自治体が一つならずある。世界遺産はこうした愚行の集積に他ならない。

 

 どんな迷惑も限度を顧みず徹底的に強行弾圧し続ければ、やがて民衆は諦めるばかりか自ら進んで平伏する。その封建時代の忌まわしい記憶は、日本に今なお深く刻まれている。皇室の人間は「様」付でその恋人は「さん」だ。相手が強大ならば、どんな仕打ちにも「耐え」やがて自らひれ伏し従属する。大空襲と原爆投下の指揮官ルメイに、勲一等旭日大綬章を贈る恥ずかしい国となり果てたことを忘れてはいまい。ペリー一行が琉球や日本に上陸して、まずやったのは「婦女暴行」である。この事実はむしろ米国の学生のほうが知っている。それを全く無かったかのように、開国の「偉業を讃える」像や碑を競って建てる。

 弾圧は徹底的にやるほどよい、やがて弾圧にすすんで迎合する勢力が政権を握る。それを米合衆国に伝えたのは敗戦日本ではないか。ベトナムもキューバも、力で理不尽に襲い掛かるアメリカを決して許さなかった。中南米もイランもイラクもアフガニスタンもどんな苦難を舐めてもアメリカに屈せずやがて排除している。

米軍に轢殺された幼女、左の写真を撮った写真家は米軍に射殺されかねなかった
 日本だけが、金も出すから基地による支配を続けてくれと懇願している。その原型は江戸時代に形成されたのではいか。そう思えてくる。歴史から正しく学ばないこの国で「社会科」を教える困難の中に我々はいる。

 ナチ支配はそれでも13年で解体した。しかし米軍基地による沖縄支配は既に約80年、なお終息の気配どころか拡大。こんな理不尽を地球上のどこに見つけることが出来るか。

 他人の犠牲になりたがるものは、他人を犠牲にしたがる。悪徳は加害者によってより、むしろ被害者によって拡大される。 むのたけじ

何故「民主」ではなく「民主主義」なのか      「主義者」と「特高」

  自由に主義をつけるのは、「新自由主義」の場合ぐらい。平等を平等主義と言うことはない。平和も平和主義とは言わない。

 「民主教育」と言う場合と「民主主義教育」と言う場合、どこが違うのか。民主法律家協会は民主主義法律家協会ではない。

  「主義者」という言葉がある。非「国体」思想撲滅を任務とした特高警察が、マルクス主義や無政府主義など左翼的傾向全般を一括りにしていた。「国体」概念が曖昧な事が味噌、感情的憎しみが込められ虐殺と弾圧の言語的温床となった。対して天皇制支配や植民地獲得を喧伝する者は、どのように振舞っても「主義者」ではなく世間の標準なのであった。

 tvワイドショーで弁護士が「・・・共産党はまだ『暴力的な革命』というものを、党の要綱として廃止してませんから。・・・」と発言するや、自民党の支持率が爆発的に上昇(自民党24.9→43%)し野党の支持率が軒並み激減(立憲民主党28.1→11%、共産党10.0→6% 各党の支持率は前者が信濃毎日、後者が朝日)した現象は、「主義者」呼称と特高的「国体」概念が如何に根強いかを示している。「特高」紛いの言説で政権やマスメディアの人気を狙う輩も後を絶たない。


 日本で「民主」が生き生きしていたのは、敗戦後の僅かな期間だけ。生まれたばかりの「公選制教育委員会」や「公選制公安委員会」が押しつぶされた時、体制は曖昧な「国体」概念で自らを包み込み、「主義者」概念を徐々に復活させることに成功した。

 今教員が何であれ自主的取り組みを目指せば、間髪を要れず「日教組」という「主義者」ラベルが貼られ 世間の眼差しを曇らせる。日教組は組織としては死んだも同然だが、体制が自らを守る道具に使えば世間は判断力を放棄する。お陰で政権は何をしても無色・標準を装うことが出来る。  

 徳冨蘆花が一高で「謀反論」を公演した意義を想う。彼は会場に溢れる若者にこう訴えた。

「・・・社会主義が何が恐い? 世界の何処にでもある。然るに狭量にして神経質な政府は、ひどく気にさえ出して、殊に社会主義者が日露戦争に非戦論を唱うると俄に圧迫を強くし、足尾騒動から赤旗事件となって、官権と社会主義者は到頭犬猿の間となって了った。諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。・・・我等の政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君等の頭にひどく重く感ぜられて、到頭無政府主義者になって了うた。無政府主義が何が恐い? ・・・幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である・・・」

 2時間に及ぶ演説が終わると数秒の静寂の後、万雷の拍手がわいたという。蘆花は些かも「主義者」ではない。無論この後「不敬罪」騒ぎが起こった。問題はどこにあるか。


 左は無冠の貧しき抗日ゲリラ戦士、右は勲章を誇る富める大量虐殺戦犯。
 我々に必要なのは、あらゆる権威や権力に依存しない自立した判断だ。それを学校は培ってきたか。指導に名を借りて、特高並みの暴力的思想善導に励まなかったと言えるか。この国では、体罰殺人が半ば当局公認で戦前から続いている。

 

粗末に扱われた人は、やがて他人を社会を粗末にする。

  「五輪すら止められないのに、戦争を止められるわけがない」 日米開戦も明るく盛り上がり、人々は万歳を叫び提灯行列さえした。作家も例外ではなかった。

  「一生に一度」と、炎天下の競技場周辺に密集する。競技場からバスで帰るplayerに手を振るためだけに。いい歳した人が、tvニュースのインタビューに興奮気味に答えている。

  一体「一生に一度」とは何か。それ以外の日常は何なのか。「一生に一度」が輝けば輝くほど、残りの日常は彩りの消えた闇と化するのではないか。

 日常が暗い。・・・職場でも、家庭でも、地域でも粗末に扱われれば、自分自身が塵芥なみに思えてくる。

  そんな虚しさを、「近しい」つもりの他者の「輝かしき」属性で埋める。自らに欠けた、高貴さ、力強さ、希少性、美しさ、古さ・・・何であってもいい。たとえ藁であっても、溺れる者には救いに見える。それは藁だと指摘すれば、逆ギレさえする。


 皇太子の結婚行列目撃が、或る人の「一生に一度」なら、孫の笑顔も「一生に一度」の筈だ。何故なら昨日の孫も明日の孫も違う孫だ。毎日成長しているのだから。

 授業の出来も、生徒の反応も日一日変化して止まない。それが「一生に一度」の体験ではないか。煌びやかな結婚式が「一生に一度」なら、結婚前の日々もそれぞれ 「一生に一度」の興奮や喜びに満ちている。その後の平凡極まりない日々も、「一生に一度」の貴重な日だ。それが生きることではないか。

 粗末な自分も、粗末な日も。粗末な家族もないのではないか。粗末なのは制度ではないか。

 我々の日常には、近隣アジア諸国への蔑視と敵意が溢れる。その対極には、日本に原爆を落とした国への尽きない忖度があって分かり易い。しかし忖度しても忖度しても期待する見返りはない。さらなる貢をと脅される始末。当たり前だ、同盟国関係に忖度は在りえない。対等な関係でなければ同盟は在りえない。「トモダチ」強要も同盟ではない。何故なら「トモダチ」に条約は在りえない、あるのは掟。同盟に権利が明示されるが。掟には制裁がある。

 忖度にもとづく「トモダチ」関係はヤクザ社会の組織関係に似ている。平等意識のない社会に友情ばあり得ない。例外がある、ヤクザと担当刑事の間には「友情」が生まれる。

  アジア分けても中国や韓国への敵意の裏には、「隣人」への「愛」がある。アジア諸国への蔑視や敵意の裏にある筈の「隣人」への愛、その場合の隣人とは一体どこの誰なのか。

 隣人の実体は何か。日本が優位に在ると思い込める物や事柄を魅せる何かか。

例えば「学力」「歴史」「技術」「風土」「メダル」への執着。だがいずれも虚しい。賃金は6年も前に韓国に追い越されている。恰も「外国」や「外人」がいまだに日本に憧れているかのような幻想に縋りつく。幻想を無理やり映像化させるために莫大な浪費も犠牲も厭わなくなる。メダルが増えれば、粗末に扱われる日々は消えるか。狭い一部屋に数人が犇めく家族の感染恐怖はなくなるか。

   「一生に一度」のバカ騒ぎにシラケる若者に期待したい。入学や卒業「式」文化祭や体育祭の「開会式」も部活の大会出場も軽くボイコットして、日々の授業の充実と自由な日常を要求して座り込む生徒の出現が僕の夢だ。

「授業をうける権利」と勤評

 「授業をうける権利」とは何か。学校に行くことか、教室に入ることか、よく考えると段々曖昧になる。だが権利の原則に立ち戻って考えてみる必要がある。例えば、宗教を信じる権利。これは特定の宗派あるいは宗教一般を信じる自由を意味するだろうか。

 そうではない、信じないことによっていかなる不利益も被


らない事である。この原則があって初めて特定の宗教を自由に信じることが出来る。だから戦前の日本に信仰の自由はなかった。ある宗教を信じれば、あからさまな弾圧が加えられたからである。アメリカには信仰の自由はない。無宗教は「アカ」と見做され入国さえ危いからだ。

 同じように「授業をうける権利」を考えてみる。それは「授業をうける」または「授業を受けない」ことによって不利益を被らない事である。

 具体的に言おう。僕が小学校六年生の時、クラスは能力別に4つに分断された、一番できるグループは廊下側、二番目が窓側、三番目は廊下側の次、おしまいは窓側と三番目の間。一目瞭然だった、60年が過ぎた今なお「あれは嫌だったね」と同級生たちは口々に言う。この並び方で行われた授業は、毎日業者テストの繰り返し。僕は次第に不満を募らせ、三学期の末怒りを爆発させた。担任が楽しく「お別れ会」をやろうと言った。このクラスは6 年間クラス替えがなくそのうち5 年間がこの担任で、僕は転校生だから2年半だけこのクラスだった。学級委員だった僕は「なぁ、いいだろう、いいだろう」を笑顔で繰り返す担任に、「嫌です」とかみついた。賑やかに、あれをやろう、誰とやろうと盛り上がっていた教室は、突然シーンとなった。

 担任は「何が不満なんだ、みんなが賛成しているのに。このクラスが詰まらなかったと言うのか」

  僕はこの後チャイムが鳴るまでの30分以上を担任と喧嘩した。「みんなが賛成なら僕は出ません」と僕は最後に言って教室を出た。すぐに野球仲間が追いかけてきて「ごめんな、俺も反対だったんだ」「担任が恐くて何も言えなくなっちゃった」・・・僕はリーダーシップもあり、成績もよく担任のお気に入りだったからみんな驚いた。頻繁に行われた業者テストでは毎回千人中の順位が添削とともに記入されいた。僕は一桁の順位だったから、初め不満はなかった。クラスの空気が暗くなったことに気づいたのは二学期になってからだ。

 母は呼び出されて「こんな協調性のない子は初めてだ」とだいぶ小言を食った。僕は祖父母や大叔母や両親から、納得いかない時にははっきり意見を言いなさいと言われ続け実行してきた。

 この顛末が「勤評」だったのかと読めてきたのは、高校生になって「教育問題」を文化祭でとりあげてからだ。

 勤評に怯えた担任によってクラスが「出来・不出来」で分断されたのが、不利益にあたる。勿論僕は一学期に、「こんな不快な席順はやめてください」と言うべきであった。

 教師の日常に煩雑な競争を持ち込むのは、政策vision のない政治屋とって手軽に票を組織する手段である。

 例えば、若者の自殺をなくすことを真剣に考えるなら、少なくとも25年を見据えた社会政策が必要になる。 長く費用の嵩む社会政策を訴えていては、議員4年の任期は瞬く間にすぎてしまう。

 誰もがその門を潜り多かれ影響を受ける学校教師の「資質」や「日教組」の問題と罵れば、「単純で分かり易い」説明を希求する有権者の賛同は得やすい。予算の裏付けも僅かで済む。軍事予算や大規模公共投資に手を付けないで済む。マスメディアへの露出も増える。こうして彼らもまた教育を政治的に取り上げることで、ほぼ永遠に「授業をうける権利」阻害し続けるのである。


  マッカーシーが「赤狩り」にのめり込みアメリカの戦後を混乱のどん底に落としたのも、「単純で分かり易い説明」が有権者に受けたからである。その痛手からアメリカは未だに立ち直ってはいない。

  勤評のような政策を分析する時、我々は大人の世界である経済情勢や政治情勢の分析を好む。しかし僕は、当時の子どもや生徒の記憶を探る研究が無いことを悲しむ。何故ならそれなしに我々は 当事者から見た「授業をうける権利」にたどり着けないからである。

学道の人は最も貧なるべし

 

 「学道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ瞋恚(しんい・逆らう者への嫌悪)恥辱の二つの難定めて来るなり。宝らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、瞋恚たちまちに起る。或は是を論じて問答対決に及びつゐには闘諍合戦をいたす。かくの如くのあひだに瞋恚も起り恥辱も来るなり」 『正法眼蔵随聞記』四ノ四   

   『正法眼蔵』を論ずる禅僧も、この問題だけは避けて通りたいと言う。キリスト教に於ける「駱駝と針の穴」の喩えと同じように、都合の良い解釈が次から次へと生まれる。

 学僧までがこう言う。「最も貧なるべし」とは物欲を捨てよということではなく、ただ単に「物欲に囚われる」ことを戒めているのだと。なら、僧は要らない。

 悩み多い凡人に、そう説いて一時の安心を与えるのは方便とも言える、しかし禅僧が自身の生き方について堂々とそう言うのは逃走である。少なくとも最大限の羞恥に身を捩りながら言う必要がある。ただ単に「貧なるべし」と言っているのではなく、「最も貧なるべし」と言う。

 であれば「最も貧」を強いられ、しかも敢えてそれを再び選び取ったハンセン病療養所の「学道の人」からしか我々は学べない。

 全生園初代自治会委員長土田良雄は見事に「最貧」を選び取っている。そのために死期を早めさえしている。彼は日中戦争で八路軍の捕虜になり、その政策処遇に感銘を受け共産党員に。多くの若い患者たちが、その穏やかで理知的な人柄に惹

かれて集った。画期的治療薬プロミン予算獲得闘争では行動や交渉の先頭に立ち、誰もが第一の功労者と認めたが、土屋委員長はそう見られることを頑なに拒んだ。ために病状は急激に悪化し、命を落とした。望みさえすれば、私費による優先接種も可能だった。今なお毎年、見事な花を付ける桜並木などの植栽整備も彼の仕事の一つ。公正で控え目な人柄は良い仕来りと共に残った。 

 どうして我々は旧体制下で苦難の限りを味わった人々を、新憲法下の政権中心に置かなかったのか。政権が変わるとは如何なることなのか、我々は想像すらできないのか。

 患者のための予算で御殿のような園長官舎を建て続けた行政、それを放置し続けた我々。

五輪選手村にコンドーム大量配布の愚  五輪「ボランティア精神」と天皇制fascism「奉公」の相似性  


「宮城前清掃」「土下座の皇居礼拝」「出征兵士を送る万歳三唱」・・・と、東京オリンピックボランティアには相似性がある。前者が天皇制ファシズムへの追従加担であったならば、後者はIOC Ripoff Baron支配する商業主義スポーツ祭典への盲目奉仕である。国民の犠牲を意に介しない傲慢な無神経さが共通している。

 天皇制ファシズムが「従軍慰安婦」を不可欠の手段としたように、商業主義プロスポーツ祭典も「コンドーム」無料配布へ抜かりがない。

 選手村でのコンドーム無料配布は、性感染症予防を口実に1988年ソウル大会から始まっている。2000年シドニー大会は12万個、08年北京大会は10万個、12年ロンドン大会は15万個、16年リオ大会では45万個が配られた。このリオ大会では選手1人あたり約42個のコンドームが配布された計算になる。

 オカモトKKと相模ゴム工業KKによれば1998年長野五輪の際、大会関係者からの依頼で、3~5万個のコンドームを選手村に配布したという。両社とも「五輪でコンドームを配布することは、「世界中の人々の性の健康を守るための大切なチャンス」」と捉えて、濃厚接触厳禁体制下でも16万個配布する予定。コロナ感染予防など、商業主義スポーツ祭典関係者の眼中にはない。

 緊急事態宣言で行動制限を強要しておきながら、同時にgo to travelキャンペーンで感染を広げた愚かさを狂気のレベルにまで導くものだ。

 五輪関係者向けにファイザー社とビオンテック社からワクチン提供が伝えられたが、選手への接種は義務付けられていない。IOCのバッハ会長は「(ワクチン接種を)必要条件にするというのは行き過ぎ。個人の健康の問題だ。自由裁量に任せる」と説明している。五輪相の丸川大臣も「ワクチンを前提にしない大会の準備をしている」と表明。ワクチン未接種の小学生数十万人を観戦に動員する予定も着々と進んでいる。

 五輪関係者の夜の濃密交歓にはコロナ感染爆発の危険があっても格段の温かい配慮、コロナウイルスに怯え苦しみ公的支援なしに逝く者への視線は冷酷の限り。それが政権運営者の言葉に現れている。曰く「国民の命と健康を守り安全安心な大会が実現できるように全力を尽くす」 

 こうした商業主義プロスポーツ祭典の醜悪さを、教室でどのように喋るべきか戸惑う。まさか日本会議青バッチの政権党議員は「絶好の性教育の機会だ、配布される実物を使ってでもやれ。子どもの性教育とはわけが違う、大人の恋愛は自由だ」とは言うまいな。

 この大量無料配布の事実に、見ざる・聞かざる・言わざるを決め込む世界が恐ろしい。嘗て日本敗戦とともにやってきた占領軍対象対象の特殊慰安施設に、多くの日本人が知らんぷりを決め込んだように、この大量配布にも見て見ぬふりするのを大人の対応とするのか。開会式や閉会式の中継に、オカモトと相模ゴムは、選手への無料大量提供を誇るCMを流せるだろうか。通勤電車の広告に、選手団とゴム製品を写真入りで一斉掲示して胸を張れ。 

 特殊慰安の衛生品の無料配布が、五輪運営に欠かせないのなら、IOC廃絶条約をつくる必要がある。

権力行為としての「教えたがり」

 「STOP! 教え魔」 こんな妙な掲示がボウリング場に現れ、tv番組の話題にもなった。

 今、ボウリング場の悩み№1は、客が客にコーチする『教え魔』の増殖。教えられるほうは迷惑、断りづらい。

 これはボウリングに限らない、ゴルフ、ゲートボール、囲碁将棋、カラオケ、少年野球・サッカー。あらゆる趣味やスポーツの世界に「教え魔」=教えたがりは出現しはじめた。

 パワハラや体罰の温床ともなる。「アドバイス」する行為は「教え魔」に「自分が上等という権力意識」を与えるからである。自分が上であることには拘るが、教える内容の真実性には関心がない、ひたすらに居丈高。こんなところに下士官根性は根を張る。

  「芸能人」も、吉本興行や電通を通して「世間」に説教したがる。芸に磨きをかけるわけではない。見るに耐えない悪ふざけで「自分が上等という権力意識」に浸る得意顔が出来る。説教の中身は「芸能人の内輪話」から「政権」「皇室」ネタまでと広いが忖度は欠かせない。

 芸能人と政治屋を兼て説教すれば一石二鳥と、倫理はそっちのけ。

(まともな国では、議員や立候補予定者やその家族を番組に出させはしない。放送の公平性が保てないからだ。この国では放送自体が公然たる権力行為となっている)

 しかも教説の真実性や科学性を無視して傲慢に居直れば、世間は「カリスマ」性を見紛う。

 あとがないほど切羽詰まっても、虐げられる者同士で助け合い闘う方向にはなかなか向かない。tv芸能人と説教を共有すれば「自分もまだ落ちぶれ切ってはいない」と慰めることも出来るのだろうか。そんな危うい気休めに縋らざるを得ないのは、safty netの底が抜けているからだ。

 「上を向いたら きりがない 下を向いたら あとがない」状況で藁にも縋りたくなっても、そんな物はすぐ切れる。説教する電波芸人は虚像だから掴めもしない。その虚しさを穴埋めして、アジアを蔑視して止まない眼差しの傲慢さが立ち上がる。

 日本には、戦前・戦中・戦後を貫く棒のようなものがある。

 (「去年今年貫く棒の如きもの」虚子のこの句は、川端康成が「背骨を電流が流れたような衝撃を受けた」と評し有名になった。川端は「美しい日本」の伝統を貫くものを感じてそう言った。しかし僕は、小林多喜二を拷問で殺害し、三木清を獄死させた「内務省的権力」を「美しい日本」に感じて背骨が凍りつく。)

 棒のようなものは、教育現場から外交関係にまで及んでいるから遣り切れない。

  路上で物陰に身を潜める警官は道交法違反行為は摘発するが、事前に何が違反かは教えない。決して「教え魔」にはならない、罰則金徴収自体が権力的だからだ。市民警察として必要なのは、安全であって内務官僚的傲慢さではない。

 

 学校にも「教え魔」が満ちているか。「授業中喋るな、質問もするな、失礼だ」と命じる輩は少なくない。質問やお喋りを禁じる命令は「権力意識」そのもの。彼は授業が好きなわけではない。

 教員が一斉に「教え魔」になったことがある。全国一斉学力テストが実施された時である。正解を指示しただけで授業に熱中したわけではない。ここに「希望」はない。行政の「権力意識」と「統制好き」が招いた喜劇であった。


 教職関係者かたびたび引用される「教えるとは 希望を語ること 学ぶとは 誠実を胸にきざむこと」には続きがある。

(1943年11月、ナチスはストラスブール大学の教授、学生を銃殺、数百名を逮捕した) 



「・・・
 死刑執行人どもこそ罪人にかわるのだ
 
 やつらに戦車と手先があろうと
 やつらを追いだすのだ 今年こそ
 武装を解除された英雄たちよ 武器をとれ
     ・・・」 ルイ・アラゴン


 選別体制と闘う決意なしに「教える」行為は在りえない。  「真実を食べて嘘は生き永らえる」のだから。

「一等国」幻想と違式註違条例

  共産党の志位和夫議員が「昨年5月、厚労省はPCR検査拡大に反対する内部秘密文書を作成し、政府中枢に説明していた。民間団体の調査で判明したものです。

 国民が検査を受けられずに苦しんでいる最中に、厚労省が検査拡大を妨害していた。許せません。誤りを認め、反省を明確にすべきです。・・・」と暴露。

 https://youtube.com/watch?v=0oEjH8TRb1k ←クリック

 この動画には「PCR検査を抑制していたのは外ならぬ厚労省自身だった!という事実(内部の機密文書の存在)が示されています。(志位和夫議員)」

 2013年ブエノスアイレスIOC総会では前首相安倍が「フクシマについて、お案じの向きには、私から保証をいたします。状況は、統御されています(アンダーコントロール)」と事実を隠蔽して以来、政権もマスコミも都合の悪い事実は隠し「美はしき日本」=cool japan幻想を撒き散らし続けてきた。

 だが都合の悪い事実を隠し捻じ曲げるのは、今に始まった事ではない。日本近代の幕開けとともに始まっている。


  「文明開化を焦る明治政府は「廃刀令」「断髪令」等と文明のかたちに煩かった。 1872年東京府知事が発令した「違式註違条例」というものがある。違式(いしき)は「御法度に背く」、註違(かいい)は「心得違い」と意味をとらせている。ことさら難しい漢語を使って恐れ入らせようとの官僚の魂胆が、うかがえる。

 


 条例は刺青、男女混浴、春画、裸体、女相撲、立小便、肩脱ぎ、股をあらわにすること、街角の肥桶などを「文明国」に有るまじきと決めつけ、軽犯罪として細々と禁止している。

 「裸や肌脱ぎがいけないというなら、いつも肌脱ぎしているお釈迦様はどうなんだ」と噛み付いた新聞(「新聞雑誌」第50号)もあったが、不平等条約を受け入れてしまった日本の支配層は欧米キリスト教徒の、日本のあれがこれが文明的でない野蛮であるとの視線に極度に神経質になった。

 幕末の江戸では若い女性が路地で行水を使っていた。それほど治安が良かったのであり、裸は美しいものであっても猥褻なものではなかった。それはむしろ誇るべきことである。しかし若い女性の行水に、英国婦人が野蛮と眉をしかめれば忽ち裸禁止令を出した。盆踊りや裸足が槍玉に挙がった所さえある。


 「恥ずべきでないことを恥じる、そのことが恥」なのだ。(「恥でないことを恥とする時、本当の恥となるのではないか」部落解放運動に深く関わった林力教授が、隠し通せとの戒めを破ってハンセン病者であった父親を語ったときの言葉。)

 他人の尺度でしかものを考えない卑屈さは、「文明国」にない筈のものに対する傲慢過酷な眼差しを生んだ。 通りすがりにたまたま目に入った現象を非難する「文明人」の一瞬の嫌悪の感情は、所詮深い考察を伴うものではない。例えそこに注目すべき視点があったとしても、我々は我々の社会の実態を踏まえて、判断をしなければならない。肥桶が臭いと言えば、それは安全で良質な肥料であり、数百年わたって百万都市の衛生を担って成功していたことを説けば良い。それが矜持というものである。矜持を捨てて何の「文明」だろうか。 

 底の浅いその世界観によれば「文明国」にはない筈のものの一つが、浮浪するハンセン病者だった。少し学べば、浮浪らいの実態は貧困であることに気付く。「文明国」であれば貧困の放置こそ恥ずべきであった。病気は不幸不運なものであっても恥ずべきものではない。後藤昌文らの優れた治療技術は、世界に誇るべきものであった。その漢方医学は、政策的に一掃される。  (1875年に始まる医術開業試験の試験科目は全て西洋医学であったことから、漢方医学は医学の正統から外されてゆく。)

 居留地制度廃止(1899年)以降、外国人が日本中を自由に往来居住するようになり、浮浪患者を外国人に目撃される可能性が高くなる。更に日清・日露戦争に勝利するや 「一等国」意識は増長、「一等国に有ってはならない恥ずべき」という言葉が、ハンセン病に付いて回るようになる。

 後にナイチンゲール記章を受賞した「救癩」の看護婦三上千代でさえ卑屈に書く。

 「美はしき日本の土よ、桜咲く国よ、富士の霊峰に、大和魂に誇の多き我国、殊には、畏れ多くも、万世一系の皇統を頂く、世界に比類なき、神々しき我国に、生を受けた我々は、如何ばかりに恵まれた国民でありませう。然し乍ら、茲に我らに、唯一の恥辱がのこされてあります。それは「癩病の一等国」といふ、有難くない名称でよばれて、列国から侮辱されてをる事であります。・・・・・・・これが未開の野蛮国なら、さまで目障りにならぬでありませうが、如何にせん、文明国といふ正装の手前、実に嘆かわしい面汚しではありませんか」(1928 年) 」  


  ・・・文明国といふ正装」という言葉が当時の民族浄化主義者たちの論理を暴露している。つまり「文明国」というのは、装いの問題であって中身ではない。恥部を覆い隠すものに過ぎない。救癩は実態において隠癩であり、それゆえ治療に関心はなかったのである。」   樋渡直哉『患者教師・子どもたち・絶対隔離』地歴社刊


  真実を隠蔽して生き永らえる「うそ」の集積が、日本の近代である。

何故「自粛」なのか、どうして「行政命令」を出さないのか

 感染防止のための自粛要請は、個人の自由を侵害するか。それは一体誰のどんな自由か。

 ここには複数の問題が、無秩序に絡まっている。

玉砕は連帯の思想を
形成できぬ我が国の必然
一つの筋を通せばどこかに無理が生じ、捩じれが生じ、切れもする。

 銃所持の自由や私兵をもつ権利はどうか。また、国家には核武装の自由があるか。

 第一、自粛は他人が指示するものか。まして「おかみ」=行政が強制出来るものなのか。何故「行政命令」と言わないのか。

 主権在民下では、命令する行政は責任を負う。例えばドイツ。コロナ禍で労働時間が5割以上短縮され収入が減れば、政府はその60~80%を3カ月単位で給付しなければならない。育児中なら7%上乗せ。 病院も車椅子も出産も、外国人であっても無料、眼鏡も処方箋があれば無料。

 「自粛要請」に対する「協力金」とは雲泥の差になるのは言葉の使い方からして、初めから明らかなのだ。これが主権者の公僕が責任を持つ姿である。無料は政権の恩恵ではない。


 偏差値の高い生徒達には、多くの学校から選ぶ「自由」がありそうに見える。しかし自らの偏差値より劣る学校を選びはしない(そのために彼は偏差値に頼っている)。だから実は彼らにも「自由」はない、ある種の奴隷状態。指定通りの数校に拘束される。最底辺の生徒には全く選択の余地はない。これが自由の問題だろうか。しかし学校を選ぶ「自由」が制限されれば、それに依存する人々は戸惑い次いで怒り、自由を守れを連呼するだろう。

 ここには「自由」が常に意識すべき「平等」がない。学校を「選ぶ自由」は、全ての少年に等しく与えられねばならない。裁判を受ける権利=自由が、裁判を受けることによる不利益を予め排除しなければならないように。

 スポーツをする自由はどうだろうか・・・ここに生じる捩じれは複雑な上に、初めから劣化して危険でもある。学問する自由はどうか。・・・

  「おおやけ」=publicは一人ひとりが、この面倒くさい問題を引き受けなけば形成されない。「おかみ」の命令で作られた「おおやけ」=「大家」は権力への諂い=忖度は生むが、連帯や共同を排除する。何故なら対立する立場の相互承認が「公」形成の前提だからである。

 「指導拒否」や「自宅謹慎」・「自主退学」など珍妙な生指用語に慣らされた日本の若者は、「自粛」要請という言葉に鈍感になっている。元来指導は拒否出来るから指導と呼ぶ、拒否出来ないなら「命令」や「強制措置」と言うべき。

 「指導」という言葉を使えば、人々が自分の判断で従ったという体裁を取れて都合がいい。命令なら命令した者の責任が生じる。

 自宅謹慎は登校停止に過ぎない、謹慎も他人が命じるものではない。だから期間中に映画を見ようと遊園地に出掛けようが一向構わない。我々は昭和天皇危篤から葬式にかけて、おかしな「自粛」ゴッコに遭遇した苦い経験がある。

  では学校選択の「自由」は何処にもないのか。

  ヨーロッパ諸国には、gap yearの習慣がある。大学入学資格を得ても、すぐには進学しない。1年程度は様々に社会経験を積む。平和や地球環境の問題を知るための活動に参加したり、福祉ボランティアに志願したりする。自分がすべきことや出来ることを知り、それを実現するための知識や技能を求めて大学や職業を選ぶ。だから偏差値は目安にもならない。

 高校と大学の間には若者が越えねばならぬ大きなギャップが待ち構えている、それを経験・乗越えるために有意義なモラトリアム。自ら選んだ他者・他民族・他国を通して自分を知り、教室で学べなかった世界の姿をそれぞれが捉える。だから期間も場所も多様。

 それ故、これらの国には入学式や卒業式や入社式の習慣も「就活」も存在しない。予備校や塾はない、存在の余地すらない。

  日本の高校生や親にとって、与えられた進路は他者との格差を保証する恩恵。「お願いだから、決めてください」と泣きつくに違いない。(「権力」に対する各種の依存がこうして蔓延している。そうでなければ、政権党に対する無暗に高い支持率の説明がつかない)  

「はじめ東大卒業生に特権はなかった。だから慶應義塾、東京商業学校など実業的教育を施す学校に学生が集まった。大隈重信の東京専門学校も、国会開設に備え人材を育成し時の政府を悩ませた。時の政府とは伊藤博文内閣である。

 伊藤は、手っ取り早く東大に特権を与え、他校を出し抜くことにした。

 工部省工部大学校、司法省法学校を東京大学に吸収、法医工文理の総合大学・東京帝国大学にした。そして東京帝国大学法学部を卒業すれば、高等試験を受けずに高級官吏になった。医学部を卒業すれば無試験で医者になり、教員免状も無試験。東京帝国大学を卒業しさえすれば、進路はひらけ、俸給も飛び抜けて高くなるよう仕組まれたのである。

 だから優秀な学生か殺到したのである。逆ではない。彼らが就職する企業も特権を求めて鎬を削り「政商」と呼ばれた。後に複数の帝国大学がつくられ、これらの特権も縮小するが地位は揺るぎようもなくなっていた。

 伊藤博文は学生に教育を施し優秀な若者に育てて送り出すのではなく、始めから「優秀」な若者を「特権」で釣る事に力を注いだのである。封建社会の特権を廃止して、国民の権利を普遍化したわけではない。特権の再編を図ったのである。」

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  「中立」を貫くべき文部省が、敗戦後も大学の予算にも介入し続けてきた。お陰で東大は「依怙贔屓」され特権性は維持された。大学紛争はまさに「粉」争に過ぎず、学園管理強化に利用されたのみ。こうして権力による秩序を恩恵と見做す意識は崩れない。

 翻って見れば、英国に国立大学はない。私立と公立。大学は文部省から独立して運営され、予算は独立した委員会が査定管理して公平に配分される。無論教育の内容に介入は出来ない。それが民主国家の行政である。 

 自ら宣言してgap yearに突入するか、既存の特権から逸脱する以外の方法を僕は思いつかない。





王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...