安倍晋三は、2017年2月17日、衆議院予算委員会における福島伸亨議員の質問に対し、「いずれにいたしましても、繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして・・・私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。」などと答弁した。これは学校法人「森友学園」への国有地売却問題と、その後に起きた財務省による公文書改竄に絡む発言である。
対して英国では、コロナ対策でロックダウン実施中の2020年5月、首相官邸に100人以上を招待して「飲み会」が開催された問題で、首相が辞任寸前まで追い込まれる。
この絶望的落差。あったことをなかったことにする、なかったことをあったように告げるのを「インチキ・いかさま・偽造・fake」という。
国の基幹統計「建設工事受注動態統計」の不正をめぐり、国土交通省の本省職員が受注実績を無断で書き換えて二重計上していたことで、2020年度の統計数値が約4兆円過大になっていた。国土交通省が宗教政党の定位置となって以来の悪事。
統計法は第60条で
〈次の各号のいずれかに該当する者は、六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処する〉
〈二 基幹統計の作成に従事する者で基幹統計をして真実に反するものたらしめる行為をした者〉と規定している。
日本は首相が国会でいかさまを働いても、官僚が証拠を隠滅する。権力が私物化され、悪徳官僚は「異例の出世」。こうした権力によるいかさま=fakeが、革命やクーデターをもたらすどころか、隠蔽は更に大きな隠蔽を生み破局に向けて驀進する。帝国陸軍だけがfake 情報を流して、破局を招いたのではない。
体系的fake 情報に、我々が初めてにさらされるのは学校である。 「学力が明るい未来を約束する」これが最初に子供の脳を洗浄する。そのためにはいい学校に。
だがそもそも学校をランキングする行為は、誰の為になるのか? 学校の何を取り出して何処と比べているのか。それは比較に値する事柄なのか。その数値に右往左往する。いい数値は学校に付いたもので、君個人の特性互いに独立したものだ。気付かないのか、学校のバッジや制服を身につけることは、君の君らしさを消し去ることなんだ。
教科書自体がfake処理=検定される。教科書を使えばfake 情報は、「公認」の情報と化す。日本が如何に優れているか、美しい城郭と歴史ある家系を戴く国に生まれことが如何に幸福なことか。
「学力が明るい未来を約束する」「服装の乱れは心の乱れ」「愛の鞭は体罰ではない」「校長は行政の末端である」
「学力が明るい未来を約束する」が本当なら、「低学力」に認定された側には絶望の未来を制度化する。成績に関わりなく、文化的で豊かな生活の保証が学ぶことの前提になければならない筈。にもかかわらず教員は低学力による格差の悲惨を煽り立てて、自らの職務から逃亡し続け来た。管理職になれば「校長は行政の末端である」と言い放って授業から逃亡。その怠慢が塾を繁栄させる。努力は塾資本を肥え太らせ権力に接近させる。競争は決して少年たちを豊かになどしない。
受験戦争とはよく言ったものだ。闘い終えた本人には小さな墓標が与えられ、結果は全て「商人」が掠取する。「主権者」たる少年たちは、煽て騙され塾と部活に明け暮れ青春を潰された挙げ句、塾資本と教材屋に巻き上げられる。「頑張れば結果は着いてくる・・・」と本気にする高校生がいるとしたら、酩酊している。
であれば学校では王子工高のM君のように「寝る」のが正しい。学ぶことは現在の順位や未来の栄達とは関係のないことだと気づくまで、自らの尊厳のためと悟るまで。
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