「古在 ぼくも教師についてよくいうんですが、おそらく教育への関心には順序がある。第一には、子どもが好きだということ。そして子どもが好きだというのはつまり人間が好きだということだと思うんですよ。いろいろな可能性を未来にはらんだ人間、すなわち子どもが大好きだということ。第二には、子どもが好きだから、それを教育するのが好きだということ。そして第三に、この教育というものを正しくやってゆくためには教育理論もまた必要になるということです。これがきわめてノーマルな順序。 けれども、ぼくの目が狂っているのかもしれないけれど、教育学の大家などをみますと、どうも教育学が何よりも好きだというのが先にきて(笑)、教育活動とか子どもとかの順位はそのあとになることもあるような感じがする。・・・ 大家といえば、やはり大学の既成の先生などを思い出すのでしょうね。この人はほんとうに子どもが好きなのかな、という感じがすることがあります。少なくとも昔ほくらが教わった大学の教育学の先生たちには、そんな感じの人が多かった。 ・・・直接には昔の教育学の先生たちを思い出したのですよ、ぼくは。戦前に教育には興味がなかったと最初にいったけれども、それに加えて大学の教育学の先生をみても、またその講義をきいても興味は起こりませんでした。
堀尾 そうだと思いますね、昔の教育学は。資料として読んでみても、ゆううつになることが多いですね(笑)。
古在 一番つまらない学科のひとつじゃなかったかと思いますね、たとえば東京大学あたりの教育学の講義というのは。
堀尾 それで戦後の教育の解放には、その一環として教育学の大手術と再生が必要であった。この仕事はまだ終わっていないどころか、はじまったばかりというべきなのでしょう。教育科学研究会も、そういう仕事を担わなければならないのだと思いますね。 ところで教科研の委員長であった亡くなった勝田守一先生は、戦後、哲学から教育学へ入られた方ですが、勝田さんは、教育こそは哲学が最後に責任を負う問題領域だと考えておられ、ご自分では方向転換をしたという気持ほまったくなかったといわれていたのですが、哲学者として嘱望されていた勝田さんが、教育などという泥沼に足を入れて気の毒だったというようにみていた哲学者もいるようで、そういう哲学と教育への意識そのものも問題だと思いますが・・・。哲学も教育学も変わらなければならないということだと思うのです。
古在 その点についてはまったく同感です。広く今日の教育問題について無関心な哲学者こそは思弁の泥沼に身をひたしているというべきでしょう。 ・・・ 教育学や教育理論というのはたしかに一つのイデオロギーに支えられているでしょうけれど、一般に人間の教育活動そのものはイデオロギーだけではありません。その意味ではかなり広い意味をもっているし、また過去のいろいろな経験の伝達と展開ということを考えても、人間の生活上のその行動半径は非常に広く、多面的です。人生教育もあれば技術教育もあり、そのほかいろいろな専門分野での教育活動が生活の全面にわたっています。たしかに教育の内容や方法や理論はそれぞれのイデオロギーに支えられていますけれど。教育の基本が人間形成とか人格形成とかいわれるのは、このためでしょう」 古在由重、堀尾輝久1974.8『教育』
子どもかが好きというとき、いったい誰がそれを言うのか。教師本人か、子どもか、子どもと教師が接している姿を見た第三者か。いつもハッキリしない。「いい教育やいい教師の資質」という形で漠然と話される。せいぜい「私は子どもが好きです」と大した証拠もなしに自己表明する。これを手懸かりにして議論をしてきたことに驚く。一般的な話としてではなく、私のこの場合という具体性が肝心なのだ。
教育学の大家などが好きなのは教育学ではない。「教育学」学がお好みなのである。
引退した活動的教師たちに話を聞いていて合点のゆかないことがあった。授業中であれ放課後であれ学校外であれ具体的生徒についての記憶が引き出せてない。初めは、その教師の特性かとも思った。聞き方の問題かも知れないとも。しかし、古在の言うように大家になるほど生徒の話が出てこない。
「子どもが好き、授業が好き」の教師であれば、記録を書く為にわざわざ生徒たちの作文や統計を集めたりしないだろう。座談会にのこのこと出かけたり、TVにでたりしないだろう。そんな暇があれば、生徒と一緒にいたり教材作りに忙しいはずだ。
かつてある雑誌の編集委員をしていた頃、書いて欲しいと思う人ほど書いて貰えなかったのも尤もなことである。せめて書いて貰えなかったことの次第を、その先生の周辺を取材して書いておくべきだった。昔の名ルポルタージュに「廃帝カイザルに会わざるの記」がある。
全生分教室の青山先生の書いたものを捜そうとすることがそもそも先生を見くびっていたことになる。たくさんの記録を残したS先生のものからは生徒たちのいきたすがたを見いだすのは難しい。解るのは彼女が困難な環境にあったということである。
記録を殆ど残さなかった青山先生や患者教師の僅かな足跡からこそ実態と本質に迫ることができる。書きたい発表したいと、子どもが好きは一致しない。教育原論や青年心理学に、執筆者自身の経験特に教室で教えての経験が欠落しているのは当然と言うことになる。自らの学問分野に痛恨の反省をしなければならないのは、どうも原子力工学ばかりではなさそうだ。
堀尾輝久が「戦後の教育の解放には、その一環として教育学の大手術と再生が必要であった。この仕事はまだ終わっていないどころか、はじまったばかり」と言っているが、見事失敗と言いたい。