ある日教室に入ってもなかなかお喋りが止まない、(引き揚げ生徒は六人、国語・現社以外の授業はあちこちのクラスに分散している) しばらく待つことにして窓際に立った、しかしなかなか止まない。次もなかなか止まない。その次の日は更に止まない。
「どうしたんだ、君たちらしくないぞ」と少し怒った。急にシーンとなった。
「・・・だって先生、怒ってくれないんだもの。見捨てられたと思って」と男も女も、しゃくり上げて泣き出した。
この学校で僕は、たった一人人名と地名や大事な用語を中国語の発音で繰り返す教員で、彼らが頼りにしているのは、よくわかっていた。
「いけないのはわかってる。でも不安になったの、喋ってないと気が紛れない。先生から見放されると考えると怖くて怖くて」
「ごめんなさい、先生に無視されたら僕たちどうすればいいのか、・・・」 なるほど、愛情の反対は憎しみではない、無関心である。Kさんがいじめに対峙した時の青年らしさとはうってかわって子どもである。こうした二律背反する光景が高校の教室にはある。少年から青年へ凄まじい勢いで成長する時期である。この相反する二面のうち片方、子ども期の残存性だけに教員は目を奪われる。
「よくわかった、今度から叱るよ、いいかい」と言ったが自信は無い。上手い叱り方なんて柄ではない。
「有り難う、先生」と立ち上がって教卓に集まってしばらく泣いていた。
こうした場面をとらえて、「叱る」ことを肯定したがる傾向があるが、勘違いしちゃいけない。
叱られなければならないのは、歴代日本政府である。引き揚げ家族の大きく長い不安が影を落としている。政府の歴史的無策に無性に腹が立ってならなかった。彼らの祖父母の時代に解決しなければならない問題を、ここまで引き延ばしているのである。
それからは帰国生達の家庭を遠慮なく訪問した、剥き出しの貧しさと孤立がそこにあった。生徒達も僕のうちを尋ねるようになった。
三年生になり僕の授業がなくなる。久しぶりに彼らと出会うと、女子がところ構わず「先生、元気だったー」と抱きつき、周りの教師や生徒達が思わず退く場面もあった。親愛の情が剥き出しで自然なのだ。実際に叱ったことはない。
引き揚げの生徒たちは、何につけてもよく頑張った。学校が自慢したがる進学実績のいい部分は彼らに依るところが大きい。
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