『五勺の酒』に描かれた少年たち

  中野重治の『五勺の酒』に、旧制中学校で自治会が形成される過程が描写があり、興味深い。
 旧制中学校長から作家への手紙が、この作品の前半である。五勺の酒とは新憲法発布を祝っての特別配給の残りである。校長は一合の半分の酒を飲み酔いながら、党員の友人に手紙を書いている。
 「・・・そこで聞きたいが、僕の学校にも青年共産同盟が出来た。大分まえに出来た。見ていて僕が気がもめてならぬ。まずこんなことがあった。共産党が合法になり、天皇制議論がはじまると、中学生がいきなり賢くなった。頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった。それがよくなってきた。ちく、ちく、針がもう一度うごき出してきた。中くらいの子供が、成績があがるのとちがって賢くなった。ある日クラス自治会をつくることで教師、生徒議論になったことがあった。そして衝突した。生徒は自治会は自治的につくらねばならぬ、先生は入れぬ形にせねばならぬと言いはった。教師は、それはいかぬ、監督の責任上入れてもらわねばならぬと言いはった。生徒は、それは教師が各クラス自治会の常任議長になることだ、教師聯合が自治会を指導しようというのだという。教師は、自治会を圧迫する気は毛頭ない、しかし指導・監督の責任はどこまでも負わねばならぬという。とど教師側でおこってしまった。それは責任を負うことの拒香だ。責任を放棄するのがどこが民主主義だといわれて生徒側がへこんだ。教師側に圧迫する気がなかったことは事実だ。ただ判断は僕にできなかった。僕に気づいたのは、腹を立てたのが教師側だったこと、腹を立てなかったのが生徒側だった新しい事実だ。教師側は立腹して、生徒を言いまくり、やりつけた。この点になると教師側は一致していた。生徒側はばらばらだった。ただ彼らは、腹を立てずに、監督の責任が別の形で負えることを教師たちに説明した。特に非秀才型の生徒が、どうしたら教師側にうまくのみこませられるか手さぐりで話して行ったのが目立った。教師側が大声になるほど、彼らが、それはそうじゃない、先生が圧迫しょうとしているとは取っていない、そうじゃない、そうじゃなくてと、子供は頭をふりふり、全体として受け身で攻撃を受けとめていたのが目立った。敦師団が駄々っ子になって、教師・生徒がすっかり位置を顛倒してしまっていた。僕はヌエ的司会者として、もっぱら教師たちのために生徒側をなだめた。教師側をなだめたというのがいっそう正しいだろう。教師もはいれる折衷案が出来てけりはついた。 ただ僕はこんなことではじまった生徒の活動が、その後停滞してきたように見えるのが気になるのだ。停滞しているように僕に見える。生徒たちが、賢くなりかけたまま中途半端な形になってきたというのが僕の気のもめる観察だ。僕は圧迫ということも考えてみた。適度に圧迫することでかえって彼らが伸びるだろう。むろん僕は、あまりに教師・校長くさいのに気づいて苦笑したがやっと原因がわかってきた。とかく共産党がわるいのだ。先へ先へと指導せぬのがわるい

 興味深いことの一つは、敗戦後の少年たちの著しい成長が、ロゴスを巡って展開していることである。中野重治が母校福井中学を訪ねて講演したのは、文芸部の招きによるものであった。三戸先生が初めて赴任した都立高校でも、文化系のクラブが盛んで、文学書の読書会や文化人の講演会がよく開かれていた。中野重治が文中で「頭のわるくない質朴な生徒、それが戦争中頭がわるかった。それがよくなってきた。ちく、ちく、針がもう一度うごき出してきた。中くらいの子供が、成績があがるのとちがって賢くなった」と言っているのは、抑圧されていたロゴスが一気に解放されたことを表している。一日中を歩き回ってもはかばかしくない稼ぎのヤミ屋青年が、「文学講演会」の文字に吸い込まれるように会場に入る光景が街角に溢れていた。
  にもかかわらず、「メーデーは五十万人召集した。食糧メーデーは二十五万人召集した。憲法は、天皇、皇后、総理大臣、警察、学校、鳩まで動員してやっと十万人かき集めてl分で忘れた」と、中野重治は『五勺の酒』にしっかり書き込んでいる。我々は新憲法を歴史に関わるロゴスの問題とする感覚に余りにも乏しかった。

 最も興味を惹かれるのは、「生徒の活動が、その後停滞してきたように見えるのが気になる・・・生徒たちが、賢くなりかけたまま中途半端な形になってきたというのが僕の気のもめる観察だ」という指摘である。教育関係者たちが揃って、新制高校生たちの目覚ましい成長ぶりに圧倒されている最中に、「停滞」の兆しを見ている。さすがに作家にして国会議員である。
 校長を司会として、生徒自治を論じていることに根本的無理がある。それが「賢くなりかけたまま中途半端な形になってきた」ことの根っ子にあることも指摘している。そしてそれが21世紀をとうに超えたいまだに続いている。生徒会のトップは、名誉会長としてあいも変わらず校長なのである。
 指導という名目の介入が、折角賢くなりかけた少年たちを、永の停滞に凍結するであろうことを作家は見通していたのではないか。四谷二中の生徒が舌鋒鋭く、生徒会中央委員会から顧問を追放したことの意義を感じずにはおれない。 我々が目指すのは、権威主義的秩序の体系ではなく、溌剌とした民主主義の担い手である。そのやりきれなさが、『五勺の酒』の後半部分、党員から校長宛の手紙を未完成のままにしている。

 例えばここに教員の労組があれば、あるいは地域に農民組合があれば、自治の概念は前進し事態を切り開くことが出来たはずである。農民組合に地主は加盟出来ず、労働組合に資本家は参加できない。しかし、所有の問題を超えて「入れて」貰わねばならぬとするならば、工場評議会、経営評議会の段階へ進まねばならない。学校で言えば、学校評議会である。


 「フランスでは、中学校や高等学校の最高議決機関である管理評議会(法律によって、すべての中学・高校に設置が義務づけられている)には、生徒たちから正式に選ばれた代表が同数の教職員代表と共に参加します。管理評議会では、学校予算・取算、行事計画、校則、カリキュラム、教科書・教具選択の原則などを決定します。学校の教員は、生徒代表も加わった評議会の決定に従うわけです。さらに、日本の中央教育審議会に当たる教育高等評議会にも、高校生代表三名が加えられています」  樋渡直哉『子どもの権利条約とコルチャック先生』ほるぷ出版


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