絞りかすみたいな、いい先生

絞りかすみたいな毎日
 自分は多少のユーモアを持っている。しかし、洗いざらいそれは作品の中にぶち込んでしまっている。だから、現実の自分はまったくしぼりかすみたいな毎日をおくっている。わたしの生活はつまらない日々、おそろしく常識的な、平凡な日々に過ぎない。 石坂洋次郎
 

 だからこそ、彼はいい作品を生み続けるいい作家であった。
 いい授業のための研究や教案作りに、精力の全てを注ぎ込み絞りかすみたいになった先生。そんな先生を記憶の底から探った、なかなか思いつかない。一晩寝て、はっとした。絞りかすどころか、廃人になってしまった先生を思い出したからだ。「心を病んだ教師」←クリック 

   彼が非常勤講師だった頃、小説や回想録に登場するような素晴らしい青年国語教師であった、まったく。
 このF先生が石坂洋次郎のように振る舞うことは出来なかっただろうか。F先生と石坂洋次郎を隔てているのは、生活指導である。そして非常勤講師F先生と学級担任のF先生を隔てるのも、生活指導であった。
  「幸福は退屈である」←クリック  でこんな逸話をひいた。

  ・・・興味深いessayを読んだ。30歳前後の高校同級生が久しぶりに酒を飲む。積もる話の末、一人がこう呟く。
 「・・・この頃、古文のA先生の授業を思い出すんだ」
 「お前もか、おれもだよ。高校の頃あんなに退屈な授業はなかった、だがまた聞きたいとしきりに思うよ」
 「だろう、A先生の淡々とした口調に今頃になって引き込まれてね。『古典文学大系』を買って読んでいるよ。脚注を利用すれば、楽しく読めてしまう。知らぬ間に学力はつくものだね」
 他日別の同級生と会った時、この話をするとこの友人も
 「実は僕もね、あの教科書をまた買ったよ。先生の名前も顔も10年以上も忘れていたのに、なぜかね、あの頃はうつらうつらしながら聞いていた、考えれば勿体ないことしたよ」


 正式採用されたF先生は、教材研究する間も惜しんでクラス運営にのめり込み、失敗すればするほどのめり込んでしまった。3年間通して同一学級に全てをかけ、これ以上無い失態を招いた。劇的な失敗にもかかわらず、それを教訓に綿密な指導計画を練り、間をおかず再び3年間連続して受け持ち同じ失態を招いた。彼の精神的弾性は限界をこえてしまった。
 もし彼が、国語授業に全てではなく適量をぶち込めば成功したことは間違いない。学級運営は絞りかすすれすれで臨んでも生徒の信頼は落ちなかった筈。

 それが何故彼には出来なかったのか。担任としての「おそろしく常識的な、平凡な日々」な退屈を怠惰として憎んだか。十年後の酒場でかつての教え子が静かに絶賛したとしても、それは彼の耳には届かない。石坂洋次郎の小説に引き摺られ、始終生徒たちに取り囲まれることが教師の至福に見えたか。だがそれは生きた石坂洋次郎とは隔たりがある。
 極楽は仏様があくびするほど退屈なのだと『蜘蛛の糸』に芥川龍之介は書いた。それは福祉国家になると退屈で若者の自殺が増える類いの、使い古した勤勉哲学に過ぎない。

 生活指導さえ無ければ、素晴らしい先生は一気に増える。そのお陰で少年たちの問題行動は激減する。なぜなら授業で信頼を獲得した教師の指導を生徒は嫌がらない。たとえ枯れ果てていてもそれは風情。過剰な熱心や熱血から生徒は逃れることが出来ない、これほど鬱陶しいものはない。それを3年間も続けられれば暴発は必然であることに、何故この青年教師は思い至らなかったのか。熱血は冷静な認識も判断も妨げる。


 教師は、石坂洋次郎的退屈に生きることに耐えるべきだと思う。耐えて高校生が部活の悪夢から覚めるのを待とう。争いの無い社会は極めつけの退屈満ちていると言いたがる者にはたっぷり言わせておけばいい。極楽は退屈さとともに学問も芸術も生み出すのだから。石坂洋次郎の作品と人柄はそれを証明している。人は一芸に秀でることさえ至難なのだ。

  高校生が荒れる学級を立て直すために取った行動(「和解する教室」)に比べるとF先生のやり方は、思想も哲学も見えない。しかしいかにも教師らしい暴力性に満ちている。
 生徒たちの暴発は、卒業文集に現れた。F先生は「何を書いてもいい、検閲はしない。書いた通りを載せる」と請け合い、全ての生徒から「死ね、死んでください」と書かれてしまう。この時までF先生は、生徒の不満に気付かなかったのだろうか、3年間も。生徒たちは、担任に不満や要求を押さえつけられて何も言えなかったのだろうか、この時まで。卒業文集の原稿を担任が目にしてから卒業式まで、2・3ヶ月はある。同僚たちは何を見ていたのだろうか。
 彼の総括も独善的であった。3年間の方針に質的な誤りはなく、ただ量的に不足・徹底さがなかったというものであった。担任を降りる、休む、独善的指導を止めるという選択はあらかじめ排除されている。日本軍に酷似している。独善性は強化され徹底する。破綻する度に独善性は増した。二度目の担任では、生徒との接触は入学前から始まり、昼休みも一緒に弁当を広げ、学級通信は一日二回になる。
彼の脳裏に去来したのは、未だ足りない、もっと強くだけ。方向転換することが出来ないのである。巨艦巨砲主義から脱却出来なかった海軍と変わらない。
 致命的なのは、生徒側に話し合いがないこと、学級に対する愛着の欠けらもないことである。自己認識から逃げたくなるほど、学校や学級に対して冷めてしまった生徒たち。その集団を規律の強化・徹底で乗り切ろうとする教師。F先生が精神に異常を来しても気付かなかった同僚たち、異常に気付いても狼狽えるだけの管理職。最悪の組み合わせである、この組み合わせがなにゆえこの学校に起きたか。
 

ミャンマーにခြင်းလုံး 中国の踢毽 日本では蹴鞠

遊びの意義は、興行化した競技の及ぶところではない
 これらは東アジアに生まれた勝敗のない「遊び」である。踢毽(ティージェン)は羽根を蹴る遊びで、ベトナムや朝鮮にもある。ခြင်းလုံး(チンロン)には籐で編んだボールが使われ、蹴鞠では鹿革製の鞠が用いられた。共通しているのは、数人が円状になって玉や羽根を地面に落とさず手を使わずやり取りすること。自分の手元に玉や羽根がある間に、巧みな技を披露して見せるが、玉や羽根を次のplayerに渡すときには攻撃的行為はしない。互いに協力し楽しむことが賛美される。
 メダルやタイトルを巡って国家が愚かな競い合いを繰り広げる余地は無い。競技団体が利権集団化して、playerを企業の奴隷的広告塔に堕落させることも今のところない。
 
遊び=playを商業化して、近代スポーツが始まったのが間違いの始まりだった。たかが遊びを商業化したことの罪は大きい。
 その最大手FIFAがခြင်းလုံးを「公認」したという悪夢のような情報がある。
 FIFAの興行方針が国家間の憎悪を煽っているのは紛れもない事実。それ故オスロのノーベル平和センターは2015年、汚職スキャンダルに塗れたFIFAとの提携関係を解消すると発表している。
 今年になって、ロシア人女性歌手がワールドカップロシア大会イベントへの出演をFIFAから禁じられる事態も起こっている。戦争をテーマにした彼女の過去の活動が理由。彼女が公開したFIFA文書によれば、FIFAイベントでは戦争や宗教、政治をテーマとした内容は厳しく禁止されている。戦争をテーマとした活動を禁止すれば、平和になると考えているとしたら幼稚すぎる。反戦行動も戦争をテーマとした活動。それを一括りにして禁止することは、戦争当事国を利するだけである。

『セールスマンの死』は他人事ではない

 「あのころは個性というものがにじみだしていましたよ。尊敬しあい、友情をかよわせ、感謝しあったもんですよ。ところがこのごろでは、そんなものはどこへきえてしまったのか、さばさばしたもんだ。友情をしめすこともないし、個性などというものには一文の値うちもありはしない
 アーサー・ミラー作『セールスマンの死』の主人公ウィリィ・ローマンの科白である。63歳の
彼は敏腕セールスマンであった。家も車も家具もいち早く手に入れ、子どもにも教育を施し順風満帆の人生の筈だった。だが何時までも若い筈
何時までも若い筈はない
はない。自身は老いぼれ、贔屓客も死亡する、売り上げは下がり始め、生活費も借金に頼るようになる。家庭内の問題も起きるし、車も住宅も家具もローン返済で首が回らない。ついに疲れ果てて自殺、その死亡保険金で家の借金が完済される。それを嘆く妻の独白で幕が降りる。

 プロスポーツplayerやオリンピック競技playerが、スポーツ業界肥大化のセールスマンに見える。金メダルや上位ランキングを請け負って、広告代理店経由の仕事で莫大な収入を約束される。スポーツのプロはメダルを囓りその数を誇り、碁や将棋のプロはタイトルの独占を目指す。その快進撃振りすなわち獲得賞金額に煽られて、子どもも親も夢を見る。地位は不安定で過労死しかねない会社員より、成果に応じて目に見えて増える収入と栄光を得るプロは、輝いて見える。それがマスメディアで盛んに流され中高生も、プロを目指す。小学生がプロ宣言する有様がニュースになる。
 若いうちやオリンピックまでは、過剰にちやほやされるだろう。プロplayerたちの豪勢な消費生活をTVは繰り返し報じるが、成功から置き去りにされた元playerがどう暮らしているのかは決して報じない。失業保険も退職金もない。労災も適用されない。ランキング一位のplayerの年収は太文字で大々的に紙面を飾るが、ランキング底辺playerの収入は話題にもならない。

 虚像に煽られて、競技はあらゆる分野を席巻しプロ化の波は止まるところがない。書道や俳句や漫画まで、甲子園の名を付して見世物になってしまった。TVや新聞の絶好の鴨である。これらは、一見我々の生活の自由と夢を拡大伸張しているように見える。好きなことで互いに競い合い、好きなことを一年中やって愉快に豊かに生活する。ピアニストやバイオリニストは、好きなことで世界を股に駆け巡り賞賛され最上の生活が待っている。お陰でスポーツも、今まで競技やプロ化とは無縁であった登山やロッククライミングまで中継される。

 僕は遠からず、教師のプロ化が始まると睨んで背筋を震わせていた。
学校は競争好きには堪らない誘惑に満ちている。掘っておいても、教師は競争をしたがる。プロ化で競争を仕込めば、暴走する。
  例えば特定大学合格者数を請け負い進路指導を指揮して、成功報奨を貪る専門家。生徒の問題行動を発見して退学に追い込み、学園に安寧をもたらすと称して賞金稼ぎをするプロ。入学志望者増加や偏差値上昇を企て暗躍する者もでる。・・・これらの報奨金や賞金は、学校が若者向け衣料品メーカーや飲料メーカーやスポーツ用品メーカーなどと契約し、広告を教師の背中や学校中の壁に貼り巡らせて調達する。学校自体あるいは教科や分掌毎の独立採算制も求められるかもしれない。校門脇にはコンビニやファストフード店が並び、プールやテニスコートはフィットネスクラブが運営するケースもありうる。5時以降や休日の校舎・利用は塾が入札で確保するかもしれない。定員割れが続く学校では、校舎自体が売却され、学校が売却した校舎を借りるようになるかもしれない。文科省は、こうして発生する業界の巣窟と化するだろう。もう今だってそうだ。
 実験だけ見せるプロ「先生」はすでにいる。おしゃべりを止めない強者を静かに授業に引き込むと請け合うプロも現れる。掃除指導のプロ、感動させる行事のプロ、マスゲームのプロ、組合解体を豪語して教師の奴隷化を売り込むプロ、民間教育団体を内側から崩壊させたり乗っ取ったりするプロ・・・これらのプロは、通常の授業は手抜きして専門に励む。
 こうして様々なプロ教師が、報酬や特権に釣られ個別に学校や教育行政当局と契約を交わし、雇用契約から外れる。学校からの労働基本権一掃、政権はそれを狙っている。学校運営そのものが営利企業に丸ごと委ねられる事態もありうる。国立大学行政法人化は、その大きなSTEPだった。公立保育園や幼稚園がどうなったかを考えれば絵空事ではない。

 現在都立高校で実施されている「公募制」人事は、プロ化の先導的試行と思えてならない。例えば進路指導担当者を欲しがっている高校に、若くやる気に満ちた教師が「私なら短期間に・・・してみせる」と売り込む。売り込んだ以上それ相応の成果を求められ、失敗すればアッという間もなく強制転勤させられるという制度である。校長側は、希望して来た以上という切り札で無理難題を押しつけることが出来る。校長自身が短期間に異動を命じられる憐れな存在だから、教員は更に短期の成果を校長から迫られるわけだ。生徒は更に短期間の目論みに踊らされるコマでしかない。
皆があのころは個性というものがにじみだしていましたよ」と呟く。
 失敗が露わになった頃、当該の校長は既に栄転していないのだ。なぜなら彼らは教育職ではなく、経費削減と人員整理のプロに過ぎないからだ。

 教員が都合のいい生徒ばかりを入学させることに腐心し続けるなら、校長が気に入りの教師だけを揃えるようになるのも尤もだと思う人は多くなる。

 年老いて授業にも部活にもエネルギーを注げなくなり、どこの学校にも使って貰えなくなったとき、『セールスマンの死』の主人公ウィリィ・ローマンと同じ悲劇が、近い未来の教師を待っている。人は、何時までも若いわけにはいかない。
 今なら「あのころは個性というものがにじみだしていましたよ。尊敬しあい、友情をかよわせ、感謝しあったもんですよ」と回想するのではなく、「今は・・・」と現在進行形に社会の仕組みを変えることが出来かもしれない。そのためには、何よりも入学時の差別的選抜を止めることだ。
 オリンピック騒ぎがどんな結末をもたらすのか、想像力のありったけを喧噪と閃光の中で冷静に動員する必要がある。この莫大な費用と辟易する程の宣伝と長い準備の裏に隠された意図を見抜こう。何しろ水道も戦争も刑務所も、我々の知らない間のアッと言う間に民営化してボロ儲けの種になったのだから。彼らはまともな政府のもとでは、終身刑になる程の恥知らずなのだ。


追記 スポーツをリクリエーションと呼んだ時期がある。労働が我々に強いる疎外から自己を回復する活動であった。その多くは商業化や競技化やプロ化の波にのまれてしまうか消滅してしまった。リクリエーションの花形だった草野球は跡形もない。俳句は自己表現して批評しあい、生活をリクリエートするものであった。しかし競技化した俳句は、主催者の視点からのランキングに左右されて「自己」表現ではなく忖度を競うものとなった。潮干狩りは、有料化され自由に楽しめなくなった。
 ハイキングは残るだろうか。 バードウォッチングはどうか。昆虫観察はどうか。花見、月見、雪見はどうか。海水浴は・・・

和解する教室Ⅳ 思索する高校生


承前←クリック 
 学級の荒れを知りながら毅然と対処しない担任に、不安や不満を感じた保護者も少なくなかった筈だ。にもかかわらず多くの父母は臨時HRの朝まで、そしてその後も娘や息子に適切な助言や叱咤激励をしていたことを後日知った。学校は父母の言葉や眼差し無しには成り立たない。
 生徒たちが夜更けても公園や街角で議論できたのは、この高校の通学範囲が広くなかったことが大きい。一番遠い生徒さえ、バス一本で通っていた。殆どは徒歩や自転車通学。日曜日に集まるのも容易い。保護者が平日の夜や土曜の午後に話し合うことも出来る。高校が小学区制であれば、高校生もPTAも活発になるのは疑いない。学力による輪切り体制もなければ爆発的に活発になる。
 
 臨時HR後1-6の話し合いは続き、共同の要求として授業を受ける権利に辿り着いた。しかもそれに先立って、
6人は無意識のうちに自力でプラグマティズムにたどり着いている。
 どちらが正しいか先か判らないとき、先ず事態を引き受けて行動してみる。
ロダンの「パンセ」は思索する肉体を刻んでいる
 「ある思想の真偽を判断するのに・・・先ず行為におもむいてみる。すなわちその思想を実際問題とぶつからしてみる。そしてその行為のもたらす結果により、利害によって、その思想の真偽を判断する」大杉栄はこう言って、労働運動に於けるプラグマティズムの果たす役割を評価している。
 6人は長い討議を経て、「先ず行為におもむいて・・・思想を実際問題とぶつからし」て、学級を変えることに成功している。ぶつからした思想とは、「いいクラスにしたい、そのためには誰かが謝らなければ始まらない、それを私が引き受ける」である。これが思想であったことは、6人が臨時HRで批判を甘んじて受け容れ続けたことからも判る。50分も批判に曝され続けそれに耐え、反論を抑えるのは容易いことでは無い。信念なしに、へこたれぬ肉体なしに出来るものではない。
 この気持ちは直ちに伝わり、入り組んだクラスの人間関係を一気に透明にした。級友の6人に対する言葉も、一方的非難から次第に自己批判や共感を含む方向に変わる。思想には、仲間を共感によって変える力がある。
 6人が「・・・時間ちょうだい、先生・・・私たちだけで話させて・・・考えてみる」と言ったとき、彼女たちは厄介な事態を正面から受け止め行動する若い哲学者であった。同時に、
1-6という学級に対する執着も残っていた。だから一週間も喧嘩腰で思索し続けることが出来た。生易しいことではない。ここに、思索の肉体性と集団性をみることが出来る。僕はロダンの彫刻「パンセ」の苦難を突き破るような表情を想った。
 思想は若者の日常に生まれ、青少年の現実を変える力となる。我々は、哲学や思想の授業を過去の偉い人の言葉として教え込むのではなく、少年たちの生活と苦悩の中に生成するものとして構成することが出来る。


 ロダンの彫刻「パンセ」のレプリカを掲げて「すでに君たち一人ひとりの中に思想はある」と、「倫理」の授業を始めるべきだった。絶好の機会だったのに、なんて愚かなんだ。
 「実践が提起する課題との対決、格闘、そしてこれを通じてみずからの難路をきりひらき、みずからの展望をかちとってゆく作業─これをこそ思想と呼ぶのだろう」(古在由重)。


 大切なのは教科書に書かれた思想ではない。
 日本では高校も大学も、哲学を軽視し続けてきた。軽視して、思索の道具となる「論理」の教育訓練を放棄してきた。
それ故少年が賢さを増すことは、偶然に賭けるしかない有様だ。少年たちは賢さを抑制され、その知性や冒険を、大人に受け入れさせる切っ掛けが掴めないでいる。それは口答えとして始まり、論戦となり自立を促す筈だが、その武器としての「論理」を持たないのだ。この教育上の欠陥に乗じて、成長に伴う逸脱や病的状態を、学校は生活指導上の問題に矮小化してしまう。定義によれば病的状態とは、健全な状態の極限形態である。環境の変化に適応して、危機を切り抜けるために起る有機体の健全な反応である。
 矮小な生活指導の立場からは、1-6で起きたような揉め事は早期発見・早期指導の対象でしかない。大杉栄の「実際問題」、古在由重の「難路」が自覚される前に、整然たる秩序が与えられてしまうのである。1-6は幸いにも、難路に直面している自己を発見することが出来た。
 歴史や哲学は、憎悪を相対化し客観視することができる。客観視は自分の内側を見詰める余裕を与えたのである。
 

 僕は人の倫理的賢さの頂点は、高校1・2年にあると考えてきた。思索する条件としての肉体的健康さが燃え上がらんばかりの時期だからだ。だが肉体的健康さは、部活に消費され思索を忘れている。進路選択が迫れば自己保身のために、世間との妥協を始めてしまう。思索を伴わない肉体は脆い。進学し就職すれば、いとも簡単に業界の論理に身を委ね、独立した思考や判断を邪魔者扱い。地位と財を手にすれば、他者抑圧に手を染めてしまう。それを「社会人」になった「大人」になったと褒めるおかしさに気づかない。

追記 「和解する教室」Ⅰ~Ⅳで書いたような行動を、S高生たちはやってのけるだろうか。S高は偏差値も入試競争率も進学率も「1-6」のH高より高い。しかし、1-6のような自治を実現することは金輪際出来ない。なぜならS高では入学してから卒業するまで、クラス自治の経験を持てないからだ。素直な生徒たちは部活に全関心を預け、教室はまるで3時からの部活の分断された「待合室」となる。待合室に暴動はあり得るが、決して政治化しない。「現社」で放課後を使ってのグループ毎の調査や見学などは出来ない、部活は絶対だからだ。土日に博物館や地域を巡ることも不可能、練習試合でそんな時間は1分たりとも無いのだ。
 「現社」教員としての僕は、手足をもがれた気がして滅入った。黒板の前だけが「教室」だった。生きた世界からは隔離されていた。
 学級内集団も、クラブ毎にしか形成されない。したがって学級共同の要求としての自治や授業が自覚されることはない、まして要求にまで高められることはない。S高生ひとり一人の社会的意識は決して低くないが、それが集団化することはなかった。
 これは支配する側にとって願ってもないことだ。たとえ卒業後、職場や地域に深刻な問題が起きても、部活で培った社会的無関心は容易には回復しない。
 日本の高校生の政治化は、「部活」がダムとなって堰き止めているのだ。卒業後、ダムとしての「部活」の機能に気付きそれを突き破ることに成功した者は、逞しい社会性を持つようになる。だが気付くのに、短くとも数年を要する。戦時下の少国民が、軍国主義的悪夢から覚醒するよりはるかに長い。社会変革の主体として若者が再び登場するのは、日本の青少年が部活の幻から覚めるときである。
 

斉藤喜博をそうさせたのは何か

この光景から響めきの中の斉藤喜博を想像出来ない
 1977年、教授学研究会夏の合宿は石川県で開かれた。

 斎藤(喜博)の講演が宿舎の大広間でされ、私たち参加者は中央におかれた演台を囲むように座り、彼を待っていた。いろいろな人々のあいさつや話の終わったあと、いよいよ斎藤の出番である。斎藤が広間へ入った途端「ワォー」という、人気歌手が片田舎のマーケットでやる特設会場に登場したようなどよめきがおこった。・・・その後、私はびっくりするようなことを参加者から聞くのである。
 宿舎では、たいていの合宿研究会がそうであるように、就寝前のひとときにビールを飲みながらの歓談がある。そこで「斉藤先生は、足音がまるでちがう」という人がいた。それは教育に対する力量と人間の深さ、やさしさに由来するというのである。大部分の人々は「そうだ」とうなずいて言う。「そうかなぁー」と私は思ったが、何やらそこで異議をさしはさむのがはばかれるような雰囲気なので、ついにそれが言えなかった。「足音がちがうって、あのう、どういうことなんでしょうか?」 とおそるおそる質問するのが精一杯であった。冷たい視線が返されたのは言うまでもない。

                岡崎勝『不能化する教師たち』風媒社
 

 島小の教師たちが、斉藤喜博と川の土手を歩いている時、ある若い教師が「校長は我々を解放したが、我々を組織しなかった」と言ったという話を、僕はある本で読んでことがある。
  「校長は我々を解放した」という言葉に引っ掛かった。上からの解放を喜ぶ無邪気な若い教師に、進駐軍を解放軍と位置づけた敗戦後の忌々しい歴史的記憶が重なるのである。

 斉藤喜博はせめて組織化は若い教師自身の課題とし残したのではないかと、そのときは評価した。
 だが若い教師が、自らを組織することまで校長に求めるとはやはりいただけない。
 自らを自力で解放出来ない教師が、どうして生徒を解放出来るのだ。校長に自らを組織しなかったと難詰する者が、どうして生徒自治を指導できるのだ。暗澹たる思いに駈られた。
 

 斉藤喜博は校長になって、互いを先生と呼び合わないことを教職員全体に求めた筈。どうして彼は、石川の合宿でどよめく教師に向かって、「こんな雰囲気が教育を駄目にする」と怒らなかったのだろうか。せめて憮然として踵を返さなかったのか。足音が違うといった教師に「あなたの足音も、あなたの生徒たちの足音も違うよ」とたしなめなかったのか。
 互いに学び合う筈の関係が、こうして神格化を誘い従属を生み、相互批判し学習する習慣が消えてゆくのである。民主主義を学んでいる筈が、その対立概念を生んでしまう。

 斉藤を島小に訪ねた戦後の教育学者や知識人にも大いに責任がある。彼らは列をなして著名な教師の門前に連なるではなく、僻地や底辺校で孤立し潰れそうになっている教師を探し歩き、ともに苦悩し泣くべきではないか。共感能力を失ったか、初めから持っていないのか。もしあるのなら、泣いた悔しさを行政にぶつける怒りの論文を書けと言いたい。優れた教師の優れた授業を批評をする偉い自分を自演して、酔ってはいないか。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...