心を病んだ教師

  免許を持ったり採用試験に合格するだけで、一クラス・一学年・全校生徒を指導できる、すべきた、しなければならないという傲慢不遜で軽薄な世界観がどうして形成されるのだろうか。
   生徒たちの中に教師より優れた力を持つものはいくらでもいる。専門の教科に於いてさえそれはある。ましてや自治活動やクラブなどの指導力などは、平均人揃いの教員を凌駕する力を持っている者も少なくないはず。その能力に対する畏敬の念を欠いて、照れもせず指導者顔をする。

 元全学連委員長K君が、高校時代の対照的な教師の思い出を語っている。(拙著『平凡な自由』大月書店 p115「いい先生の条件」)
 自分では優れた民主的良心的進歩的教師であると自認吹聴する教師が、実は大いに生徒から軽蔑されていることは少なくない。橋下や石原の思想の根底にはこれがある。彼らは、尊大で指導者然としているが実力のない高校教師を非道く憎んでいる。反対に反動的と言えるほどの世界観の持ち主で、気むずかしく生徒を近寄らせない教師が、畏敬の目で迎えられることもこれまた例外ではない。それを分かつのは授業の中身と隠された人格である。
 若く人気がある、おもしろい、などという要素を削ぎとって、教師に向いているのか、それを一生やれるのか、実習で感じ取らねばならぬ。そのためには指導教師との対話的関係が欠かせない。授業と付き合いから何を読み取るのか、自由な批判精神や洞察力がなければならない。
 
 F先生は文句の付けようのない非常勤の国語教師であった。ギターを抱えて教室に向かう姿を良く見た、授業の導入にフォークソングの歌詞を使うのが得意だった。そうした芸が僕には一切ない。教材に社会科関係のことが触れられていれば、準備室にやって来て、教科内容について質問勉強して話し込んだ。
 苦節七年ようやく合格、正教員として異動。彼と再び出会ったのは異動から六年後。都心の巨大書店であった。書棚の前で本を選んでいると、視線を感じる。見渡すが誰もいない。再び目を本に落せば再び気配を感じるが、矢張り誰もいない。それを何度か繰り返した後、F先生が書棚の影に隠れるのを見た。僕は懐かしくて彼を追った。ゆっくり話したかった。逃げられて諦めるとまたF先生が書棚の影から覗いている。追いかけた。そのうちに、これは統合失調症かと不安がよぎる、不安なまま帰宅。
 翌日F先生の勤務校の知り合いに状況を伝えた。数日後やはり尋常ではないとの報せがあった。だが管理職の優柔不断が対策を一年も逡巡。入院した時には、手遅れで再帰不可能となっていた。何があったのか。知り合いの家を訪ねて事情を聞いた。

 彼は正式採用とともに所謂底辺校に赴任したが「立派な」教師を目指して、なり手の少ない担任を希望した。彼にはやりたいことと自信があった。実践書も読み、様々なクラス運営を傍から学んでウズウズしていた。
 クラスづくりは早い方がいいと、第一回目のHRは入学式前。クラス通信は三年間毎日発行。個人面接にも時間をかけた。弁当は教室で食べ、文化祭も体育祭も遠足も全力で取り組んだ・・・年賀状もクラス全員に出した。何もかも指導者らしく取り組んだ。卒業文集も素晴らしい物にしなければならない、またそうなる筈だった。「何を書いても良い、検閲は絶対しない」と請け合った。しかし出来上がった文集ではクラスの全員が彼に向かって「死ね」と書いていた。しかし彼はめげない。直ちに再び担任を希望。
 失敗を総括して、F先生は最初のHRを三月に前倒し、クラス球技大会も行った。彼の総括は「指導が足りなかった、熱意が通じなかった」であった。学級便りは夕刊まで出したのに、三年後彼が手にした文集には再び「死ね」の文字。

 僕が彼と書店で出会ったのはその五月である。彼は僕の本(『普通の学級で好いじゃないか』地歴社刊)も読んでいた。「何もしなくてもあの程度であれば、一生懸命やれば遥かにうまくゆく」彼はそう考えて頑張ったのか。誤読である。しかしそう読む人が少なくない。僕が言いたかったのは、上手くやろうなどと考えるのはやめたということにすぎない。
 F先生は書店で僕を見かけ「何故なんだ、僕はやることは全部やったんだ。あなたより遥かに熱心に」と詰め寄ろうとしたのかもしれない。昔の懐かしさを抑えきれなかったのかもしれない。わからない。
 彼の生徒に対する熱心さは、彼自身の存在証明であり生徒はその手段に過ぎなかったのではないか。生徒のためと妄想しながら、いつも主人公は自分であった事に気付かなかった。
 彼の精神は可塑性を失い退院帰宅、側には声をかけるのも躊躇われる程に悄気切った初老のお母さんが座っていたという。思い出す度、僕は居ても立ってもおれない気持ちになる。精神の異常に気付かなかった同僚や管理職に怒りも感じる。訪ねて酒でも飲もうと誘わなかった自分自身に腹が立つ。
 ギターを抱えた明るい教師を変えたのは何だったのか。非常勤の頃と変わらない彼であれば、自己紹介で「僕には弾き語り以外には取り柄がないんだ。採用試験にも落ち続けた」と言いながら弾き語りして笑わせたに違いない、そういう男だった。
 免許取得や採用試験合格は一体何なのか。何を証明するものか。合格して彼に芽生えたのは、過剰な責任感とはやる自信。いいクラスに、今まで見てきたどのクラスよりいいクラスにしたい、出来る。彼はそう考えていたのではないだろうか。ギターを抱えた非常勤教師の若者は、責任感とは無縁な自由人だった。その生き方にその頃の生徒たちは共感したのだ。

追記 教育実習は高校免許の場合、たった二週間でもいいことになっている。実習校はその期間中に体育祭などを組み込み実習生を労働力として利用したがる。大勢の卒業生がやって来る学校では、授業もHRもほんの僅かしか経験できない。働く「お客」のうちに終了してしまう。だから生徒は、感想に書くことがないから「楽しい授業でした、いい先生になって下さい」と書くしかない。
 実習生も、生徒との遣り取りの繰り返しの中から問題に辿り着く前に実習が過ぎてしまう。これでは少し長めの観光旅行である。いい思い出だけですんでしまう。修学旅行のバスガイドは、何時もいい人だったと評価される。教育実習の重要な機能の一つは、教師に向いていない学生を発見して早めに進路変更を促すことにある。そのためには短すぎる。 しかし一年間の実習なら少しはいい、しかし殺人的な多忙に悲鳴を上げて、誰も採用試験を受けないだろう。だがそれも学生には重要な事である。
  しかし、どうして教員の職場には過剰で後戻りの利かない「自発的」競争が生まれるのだろうか。矮小な「優等生」気質を生徒に期待してしる間に、自らがそれに飲み込まれてしまうのだろうか。

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