「憲法尊重の誓約書」はどうなるのか

  1960年5.18日、「安保批判の会」に面会していた岸信介は彼らの言葉に耳を傾けた振りして、請願を尊重すると言った。だが、あくる5.19日 国会議長室前にすわりこんだ野党議員を、警官を使ってゴボウ抜き、日付の変わる一〇分前に議長は担がれて、議長席につく。会期五十日延長を可決。五分休んですぐ20日の会議、新安保条約を起立で採決。すべての議事手続きを軽視し強行可決したのである。
 この時竹内好は「ファシズムの下でどう生きるべきか」、朝まで考え都立大学に辞表を提出した。竹内辞任の記事を見た鶴見俊輔も東工大に辞表を提出。
 「竹内さんは辞めるのか、じゃあもちろん私も辞めなきやいけない、と自動的に考えた。それ以上はなにも考えないで、当然のように私も当時勤めていた東京工大に辞表を出した」
と語り、竹内さんと一緒なら食いつめてもいいと思ったとも伝えられた。
  この時竹内好は、安保国会で憲法の柱たる議会主義が衆議院議長と首相によって蹂躙されるという憲法破壊状況下にあって、自らがなお公立大学にとどまるのは就職の際に書いた憲法尊重の誓約書に背くからと説明している。竹内教授辞任の知らせに学生らは「竹内やめるな岸やめろ」というプラカードを掲げた。
  僕が危惧するのは、一体何人の公務員が竹内好に習って政権の反憲法的な企てに抗うかも重大だが、改憲成功に勢いづいた政権が「憲法尊重の誓約書」の再提出を全ての公務員に迫るのではないかということである。

 1952年4月1日、首里城跡地で「琉球政府」創立式典の最後に、代表の議員が宣誓文を読み上げたあと、議長が立法院議員の名を読み上げ、それぞれが立って脱帽し一礼する。そのなかで、ただひとり立ち上がらなかったのが瀬長亀次郎。最後列で、鳥打帽をかぶったまま座ってたが、うおーっという地鳴りのような声が、会場全体から上がった。
  戦時国際法のハーグ陸戦条約には
「占領された市民は、占領軍に忠誠を誓うことを強制されない」
という条文がある。 瀬長亀次郎はこれを根拠に不起立を貫いた。

追記  60年安保のこの忌まわしい日程は、6.20に合わせて準備されていた。米国大統領の訪日予定日が6.20、その30日前までに新安保条約を採決しなければ、自然成立は見込めない。
いわば、安保条約を米大統領に献上するための恥辱に満ちた政治的痛恨事である。

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