日本スゴイ系番組の起源と学校

 先ず戦前の例を挙げておこう。1933 年の新潮社雑誌の新聞広告である。現在の狂乱振りに照らして控えめに思えてくる。
 宣伝には「何たる感激の書だ、国民一人残らず読めという逓信大臣の言葉に始まって、次のように書き立て「なぜ日本の陸海軍は世界の脅威なのか? なぜ日本の製品は世界の市場を圧倒しているのか? なぜ日本の文化は世界の驚嘆の的であるのか? 軍事に産業に科学に発明に医学に鉄道に水泳に日本は断断乎として世界一なのだ・・・」」と続いて具体例各論が続く体裁になっている。
 授業で使いたい、ここで挙げられている事柄の実態と本質について面白い授業ができる。インド以下的賃金と呼ばれた低賃労働の実態、国家予算に占める軍事費が突出して農業や教育厚生関係予算に手が回らずスラムがどうなっていたのか。日清日露の戦争で日本は3万1846名もの脚気死を出した日本医療・・・。
なだいなだ 日本人論が・・・いちばん初めに出てきたときは、日本人はだからダメだ、というようなものが多かったし、外国人が書いた日本人論もどちらかというと批判的なものが多かったわけだけれど、最近のものは、なにか無条件に日本人というものを受け入れて、自信を与えよう与えようとしているようなところがあるでしょう。 
鶴見俊輔 アメリカがその政策上、日本人をもちあげることが必要になったので、頭を撫ではじめた、その手のなかに乗っちゃっている、という感じはありますね。あの戦争は紙一重だったとかね 紙一重であるわけがないですよ。あるいは「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とかね、そういうのがとても困るんですね。 戦時宣伝というのは、情報が遮断されていることがたいへん重要なファクターの一つなんだ、・・・いまは、ヨーロッパに対しても開放れているのが一応の救いなんだが、第三世界、第四世界に対しても開放れてきて、その状態をわれわれが知り、あるいはまた向こうではわれわれをどう見ているか、というような交換ができるようになれば、戦時的な宣伝が効果を上げる場は薄くなってくると思うんだけれど、そこのところがむずかしい。 
なだ クナシリ、エトロフにソ連が軍備を強化したというのも、どうしてあんなにゴタゴタと急に問題になったのかね。・・・。 
鶴見 いまの日本が国家として、そういう動物心理学的な条件をじゅうぶんに考えつくして国民を操作できるような状態だろうか。 
なだ ジャーナリズムがいつのまにか自分のほうからそういう場をつくってしまうということがありうるということですね。ジャーナリズムはニュースがないときはニュースをつくり出してしまう、という側面があるでしょう。報道は真実を伝えるもの、なんて言うけれど、実際はニュースヴァリューがなければニュースも売れないわけでね。 たとえば、子どもの自殺が増えた増えたと騒がれたときも、ぼくはいったいいつとくらべて増えたと言ってるのか、自殺は増えていないと、新聞とけんかしたんですけれど、それと同じようなことが、こんどの軍備の問題でも言えると思うんです。                                『鶴見俊輔座談・戦争とは何だろうか』晶文社

  都知事選以降の安倍政権への支持率低下と共に、日本をヨイショする番組が、退き始めた。政権忖度を旨とする雑誌の類も後退を余儀なくされている。これらのヨイショ番組の出所が単一であり強い権限を持っていることを窺わせる。
 1978年金丸防衛庁長官が、在日米軍基地で働く日本人従業員給与の一部を負担して始まった「思いやり予算」。1990年代には、バーテンダー・宴会マネジャー給与までも思いやり予算で処理され「不適切な支出」が明らかとなり、野党が「レジャー向けの職員の人件費まで日本が負担するのはおかしい」と反対したのは、2008年度予算であった。
 鶴見俊輔となだいなだの対談が行われたのは1996年6月、NHK「COOL JAPAN」が始まったのが2006年4月である。例外的に長いブームであって自然発生的流行とは言えない。
 2010年「しんぶん赤旗」は「在沖縄米軍電話帳」で、キャンプ・フォスター司令部内に「思いやり予算」担当部署が設置されている事を明らかにした。ブレジンスキーが日本を保護領と呼んだわけである。
 今は、焦点が クナシリ、エトロフから北朝鮮ミサイル移っているが、尖閣・竹島、からアラビア半島までが問題になって、その度にその造り上げられた危機に相応しい高価なハイテク軍艦、戦闘機、ミサイルシステムが成功裏に輸入された。そのことが逆転して、裏返った遮断状態を作り出している。轟音は我々の状態を我々自身が認識することを妨げる。同じように情報の乱舞で我々の感覚は疲労して麻痺、2016年度から思いやり予算は133億円増額されたことに殆ど気付いていない有様である。                                              
  同時に偏差値による学校の輪切り選別体制は、若者の社会意識と連帯の行動を遮断し続けている。職場で学校で、存在自体が尊重されない生活を送った若者たちが、尊厳を求めて立ち上がるのではなく、アジアや弱者を見下げることで他人の尊厳を蹂躙して代替したのである。

 高校全入運動期の高校卒業生が成人したのが90年代である。日本をヨイショする風潮が押し寄せる時期に当たる。残念でならないのは運動が量的拡大に気をとられて、平等・自由・連帯の質的充実を教育に盛り込む事に失敗したことである。むしろ全入は能力主義教育の副産物だったのかも知れない。実際、全国の新設高校の開設要員たちは、競って管理主義のメッカと化した東郷高校詣でに励み、塾や地元教育関係者と画策して、事前に偏差値を上げ虚像作りに汗を流した。その茶番を歓迎する市民も「成功」と持ち上げる報道も相次いだ。その結果「底辺校」の学力底上げまでが管理主義的手法に依存して見事破綻した。敗戦直後急速にすすんだ高校教育の民主主義的充実もこれですつかり奪われてしまった。 

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