online授業は、学力も社会性も阻害する

 幼稚園や保育所で、子どもたちが保育者の感染防止マスクを剥ぎ取る行動を見せるとの報告がある。目だけではなく口や鼻など顔の表情全体が、感情と情報の伝達に欠かせないことを示している。
 スタンフォード大学が8~12歳の女子3461人を対象に調査した結果、snsやvtr、e-mail、スマホによるテレビ電話を利用する少女たちに対人関係上の問題が指摘された。
 同時に調査では、こうしたデジタル機器の影響を回避するには、周囲の人々と直接やりとりするのが重要だということも分かった。友人や家族とよく話をする子どもは人間関係の問題が少なかったという。スタンフォード大学のクリフォード・ナス教授は、携帯電話やパソコンを操作しながらではなく、直接目と目を合わせて会話することが子どもの成長にとって重要だと強調している。

 スマホやパソコンを操作しながら、直接目と目を合わせない習慣は教師にも既に広がっている。オンライン授業は、生徒の学力を阻害するばかりか、生徒・教師双方の社会性を、学校自体の公共性も妨げる。対面授業における眼差しなどの表情が如何に大きな役割をになっているのか、そんなことを大学に指摘されずとも、教師は直感的に感じるものである。だが日本の教師は、行政の要請に弱い。必要以上に忖度して時流に乗りたがる。
 保育者や親そして教師が、マスクやモニター画面越しに生徒たちと接触しないで済むためには、pcr検査を直ちに無制限に実施して陽性者の隔離治療に全力を挙げる必要がある。最悪の「go to travel」(英語教育に権力的に介入を図る政権の何たる恥ずかしい英語力、どうしてgo on a tripと表現しないのか官僚たちの学力を疑う)とpcr検査制限政策に保育者、母親、教師、医者は怒りを表明しなければならない。怒りのデモや集会を阻止する絶好の方便としてコロナ感染の拡大を、首相も都知事も意図しているのではないか。

 オンライン授業やyoutube投稿に鎬を削っている場合だろうか。そもそもonline授業は生徒の家庭にも学校にもかなりの初期投資を迫る。格差は如実に反映される。僕の生徒の一人は、勉強部屋とピアノ室と寝室3つを持っていた。狭い四畳半を
オンライン授業の兄弟テレワークの父親と共有せざるを得ない者も容易に思い起こすことが出来る。そこに老人や母親が、高熱に苦しみpcr検査を拒否されて一室に寝込むことも大いにあるのだ。
 何故日本の教員組合は、格差と闘うことに消極的なのか。

授業がなければ成績は下がるか

  
mさんからのmailが印象的。
 『・・・先週、期末考査がありました。で、私は来たばかりで、中間考査もなかったので正確な比較はできないのですが、けっこう点数が良いのです。もしかすると、「休校」が続いて、プリントやネットの授業よりは、ナマの授業の方が何倍も楽しい(あるいは点数がとりやすい)と思ったからではないかとも思いました。
 ただ、生徒のノートを見ると、黒板に書いたことをただ写しているだけで、一人も「おー」という生徒がいませんでした。それは、誤算でした。
 授業や学校に対する姿勢の向上と、勉強する技能?の低下を感じました。・・・
                                              
  僕はコロナ禍による休講が、学力低下ではなくその反対の事態をもたらすと考えていた。

  スポーツでも、芸術でも、語学でも、長い休みの後に、思いがけず能力が飛躍する。例えば激しく筋肉を使う運動では、骨を強化成長させる必要がある。骨が成長するのは、肉体が動きを止めて十分な休みを取っている時である。これはリハビリも同じで、張り切り続けていては成果は現れない。「休み」は不可欠である。のべつ幕なしに張り切っている時、血液は細胞の隅々や神経の末端にまで養分や酸素を供給できない。
  脳神経も例外ではない。複雑に絡み合っているから、その構成の為に長い時が必要。
 日本の教師は「休めばその分、力は低下する」と頑なに信じて、休むことを敵視している。だから怪我や体罰が異様に多い。
 企業や職場は更に『休み』を誤解し、飲み会を盛んにやる。二次会にまで及び、断ればいい目には合わない。これは休みにならない。ストレスを内向させるに過ぎない。

  たかが一年や二年の休みで低下する能力は、単なる短期記憶。忘れて差し支えない、むしろ忘れたことを自覚することに意味がある。
  mさんの「生徒のノートを見ると、黒板に書いたことをただ写しているだけで、一人も「おー」という生徒がいません。それは、誤算でした。」は誤算ではない。休みが十分でなかったことを表していると思う。黒板に教師が書いたことを一旦忘れて後、生徒一人一人が書きたいことを記憶の中から「見つけ」て再構成する。それこそがノート。
                                                                   
  「勉強する技能?の低下」は、教室という環境を構成する人間関係や制度が「劇画的」な人工性に彩られ、謂わば動物的自然を失ったからのような気がする。インターネットやTVが、教育的時間と空間を非「カイロス」化してしまった。思いがけない長い休みは、それを回復する微かな手立てでもあった。

若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...