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『自由』は平凡の中にしかない

 

我が家ベランダから

 引退したはずのイブモンタンらしい男が、フランスの田舎でペタンクをしていた。的の杭目がけて、鉄の球を投げる大人の遊びである。たまたま日本のマスコミ人が現場に居合わせて、『イブモンタンさんですか』と声をかけた。男は不快そうな顔付きになり、その場を立ち去った。

 いかにも日本のマスコミらしい無神経さである。誰もがマイクを向けられれば喜ぶと思い込んでいる。肉親を事故で失った悲しみの底にある遺族にも、『お気持ちを、ご感想を』と傍若無人である。

 もし「日本人」がペタンクの雰囲気に引き込まれたのならば、「去りがたい光景の中の、日本人旅行者」としての自分を書けば良い。一日中眺めて、ペタンクをやらせて貰えば上出来ではないか。 

  イブモンタンは歌手としても俳優としても栄華を極めた。毎日がフラッシュとマイクを向けられる日々であった。希代の英雄や苦み走った二枚目を演じても、それは監督や制作者の造った虚像であり、イブモンタン自身ではない。世界の女を痺れされるような歌を歌っても、それは制作者の意図に合わせているだけで、彼自信を表現したものでは無い。彼は、引退して初めて、平凡な日常の中にしか自由はないことを知ったに違いない。競わない楽しみ。 

 嵐寛寿郎は生涯に300本の映画を撮った。何度も恋愛し結婚離婚を繰り返したが、そのたびに全財産と家屋敷を別れる相手に贈った。銀幕や舞台の嵐寛寿郎は、彼自身ではない。引退後の彼は、掃除が趣味で他人任せにせず楽しんでいた。とくに拭き掃除は念入りであった。

 戦犯筆頭を逃れ沖縄を米国に献上した自称天皇の末娘が地方公務員と結婚して、下町のマンションに住んだ。商店街での買い物が好きで、買い忘れがあれば何度でも往復した。商店街の女将が「言っていただければ、お届けしますのに」と言うと「とんでもありません、こんなに楽しいこと、何度でも自分でいたします」と、おっとりした口調で答えたと言う。イブモンタンも嵐寛も件の娘も自由が何処にあるのか、それを如何に知り知り獲得し愉しんだのか。

 

 『平凡な自由』(大月書店)を書いたとき、タイトルが過激だ、皮肉がきついなどと揶揄された。

 五輪を誘致したり博奕場や博覧会建設に浮かれる精神に自由はない。毎日の通勤や登校途中に、道ばたの草花にみとれる中にこそある。時折出会う幼児やお年寄りの姿に安堵して挨拶を交わすことにある。勲章やメダルを首にかけた自称天皇の即位パレードに「感激して涙を流す」ことにではなく、長い病みが癒えて木々の香りと暖かい空気に包まれる中にある。


 中村哲医師が、命を賭けたのは、砂漠化した土地に生きる人々の『平凡な自由』を実現するためであった。それ故彼は殺された。すべてが商品化された社会では、自由も平凡も敵と見なされる。

 中村哲医師がノーベル賞に挙がらなかったのは、所詮ノーベル財団が商品化社会の申し子だからである。

  ペタンクを五輪種目に『昇格』させる企てが持ち上がったら ペタンク愛好者は激しく抵抗するに違いない。

  マラソンの円谷氏は、国家期待の日の丸を背負ったために、「父上様、母上様、三日とろろ美味しゅうございました」から始まり「幸吉は父母上様の側で暮らしとうございました」で結ばれる家族宛の遺書にしたためている。

若者を貧困と無知から解放すべし

  「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」

 


黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。                            全く同じ事を教育にも言わねばならぬ。

 「教室の困難は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   教室を取り巻く諸困難ー非行・低学力・苛め・暴力・卑屈・傲慢・・・は悉く「社会の貧困と無知」が生み出した者ものだ。おかげで教師たちは、教育それ自体から逃げ出し始めて久しい。若者たちを主権者たるにふさわしく賢く逞しく育てる任務に戻せ。若者たちが平等で自由な権利を求め、仲間と共に街に繰り出す日は来るだろうか。

大きな声が必要なのは誰か

  ある都立高校のgooglemaphttps://www.google.co.jp/maps/ 口コミ欄にこんな感想が寄せられている。

 「毎週末、グラウンドでの部活動がチンピラまがいの騒がしさです。野球部とサッカー部もかな。わざわざ、校舎側でなく民家側に寄って無駄な大声を出し放題。ペアガラスなんて意味なく、音楽も聴けません。

 例えば試合で、誰かが良いパフォーマンスした時などに盛り上がる位は全く構わないのですよ。楽しんで欲しい。ですが、練習などでワンアクションする度に無駄な掛け声など必要か?大声出せばパフォーマンス上がるのか?上がらねえよ。子供達が悪いのではなく、指導者が問題。大声出させたいなら校舎側でやって。」


 この学校も嘗てはnhk tvの番組で度々取り上げられる程の所謂「名門」だった。敷地の民家寄りには古い学校らしく大きな桜並木があり、絶好の日陰を造る、そこに複数の部活数百名が集まり騒ぐから喧しい。

 「名門」なら何でも許されると言わんばかりに部活顧問教師は無神経に大声を煽る。近隣住民の堪忍袋も切れる。

 大きな声が必要なのは「住民」の方ではないか、「うるさいぞ、迷惑だ」と注意を喚起する為に。しかし彼らは窓を閉め切って怯える。

権力は飾り立てたがる

 関東大震災の時も大きな声を挙げ威圧したのは武装した自警団。朝鮮人や中国人・社会主義者たちは為す術無く惨殺された。「武装した自警団」とは言わば公権力の規制から逸脱した「自由主義」者=「新保守主義即ちネオコン」に他ならない。近代民主主義社会が成立すれば、公権力は「自由主義」とは相容れない。

 公権力は声がやたらに大きく勲章や地位の好きな「お上」とは本質的に違う。特に学校では自覚する必要がある。教委も学校管理職も安易に自らを「お上」に擬えたがるからだ。勘違いも甚だしい。彼らは公僕であり、公権力=市民による議会に忠実でなければならない。それは多数決とは次元が違う。常に小さな声に敏感でなければ、平和と教育は直ちに崩壊する。

パレスチナ・ガザ沿岸に「病院船」を派遣するイタリア

 CNNによれば、 イタリアは2023.11月8日病院の機能を持つ海軍の船舶をパレスチナ自治区ガザ地区へ派遣する。現地の犠牲者を治療するためという。クロセット国防相は記者会見で、この病院船は8日にもイタリアを出発すると述べた。船の乗員は170人で、このうち30人が救急医療の訓練を受けているという。報道によれば、パレスチナ側との合意に基づいて、野戦病院を直接ガザに搬送する。彼は「我々はあの地域で人道的活動を行う最初の国であり、他の国々も我々に続くことを望む」と述べたという。


  かつて僕は、米軍にの戦争参加要請に抗してベトナムに病院船を派遣したドイツについて書いた。

   「 病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断 」     https://zheibon.blogspot.com/2020/08/jet.html

 再掲する。

病院船・コロナ病床jet機による国際主義という決断

Helgoland号甲板の乗り組み看護婦と治療後のベトナム幼児
 ベトナム戦争中米国は、同盟国ドイツにも参戦を執拗に要請した。だがドイツ政府が出した答えは、病院船派遣。ドイツは武器と兵隊ではなく、病院船ヘルゴラント号をベトナムに送った。ヘルゴラント(Helgoland)号は、遊覧船だったが、病院船に改造されベトナムに向かう。ジュネーブ条約を遵守、米国の民族皆殺し政策に加担して殺すのではなく、北ベトナム、南ベトナム双方の民間人を治療したのである。ベトナム人からは、「白い希望の船」と呼ばれ歓迎された。昼は港に入って患者の手当てをし、夜はより安全な沖で待機。ドイツの医師や看護師たちは、来る日も来る日も手足の切断手術や、米軍のナパーム弾で体全体にやけどを負った人々の治療に励んしだ。

 これは、沖縄の基地をベトナム爆撃に使わせていた日本が率先してやるべきことだった。憲法九条を持つ自称「海洋国家」の何たる失策。世界に反戦運動が盛り上がる1969年、進水した原子力船「むつ」は失敗を重ね、膨大な費用を文字通りドブに捨てた。為にならないことには精を出し、害が明らかになっても中止する判断さえ出来ない。希望がない。
 


独は、伊からのコロナ患者輸送のために、エアバスA310 を改造
 そして今度は、コロナ患者のための世界最高のMedEvacである。高度な施設での治療が必要な患者を、治療を行いながら迅速かつ効率的に医療機関に搬送するICU専用jet 機。ドイツは、イタリアからドイツの病院にコロナ患者を運ぶために、エアバスA310 を改造。この飛行機には44床のベッドがあり、そのうち16床は高集中治療患者向けのもので、最大25人の医療スタッフが搭乗していると。

 病院船も ICU専用jet 機も、日本にこそ必要なものではないか。全国に散らばる離島のコロナ患者や医療破綻自治体の為に、複数のICU専用jet 機と病院船、そして病院列車が、大勢の医療stuffとともに必要だ。
 中国封じ込めのために、阿倍が世界中に専用機でばらまいた資金援助だけで 30 兆円。
 せめて首相専用機をICU専用jet機にしても罰は当たらない。何ら有効活用していない豪華専用機だ。
 莫大なコロナ対策費が、又もドブに投じられ却ってコロナ禍を広げ深刻化させている。
 集団的自衛権行使を容認して積極的平和主と嘯く日本は、いつまでも経っても、失敗を認めない、惨劇を中止出来ない国だ。
 日米欧6カ国首相のコロナ対応策調査「ケクストcnc」が7月中旬各国1000人対象に行った。プラス評価はドイツのメルケル首相(42%)のみ 、最低は日本阿倍首相のマイナス34%。


  関連記事

https://zheibon.blogspot.com/2018/10/blog-post.html


 

   


 

「勝つことだけ」に執着する「プロ」の悲劇 Ⅰ

 

   引退する頃にボンヤリ分かっていたことが、三年ほ

 元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 
ど前になってハッキリ分かったんだよ。俺が女も家庭も全て捨ててやって来たボクシングが、実は金持ちが貧乏人を殴り合わせて見物する非道いことで、しかも金は結局見物していた連中が、、いろんなテクニックで巻きあげてしまうのさ、・・・ファイト・マネーの上前ははねる。その上、やれ一緒にビシネスをやろうとか、出資しろ、土地を買って朝鮮キャロットを植えれば、ボクシングをやめてもピンクのキャデラックに乗り続けられるなんて、それはいろんなことを言って来るんだ。リングに登る直前の控室から、一文無しになったこの頃まで、男も女もひっきりなしに俺の金を狙い続けるんだ。ボクサーは、強ければ強いほど他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。   サンディ・サドラー   元世界フェザー級王者。通算103KO勝ち 


   集団の中にどんなに優れた人がいても、集団の判断は知能の低い者に向かって平均化される。   マクドゥーガル   

 戦争や災害など密室化した空間で、我々は理性的判断を如何に保てるのか。社会が特に報道が、批判を怖れないことは不可欠。しかし今この国は戦争でも無いのに、新聞もTVも挙げて理性的・合理的判断を放棄、「勝つことに執着」している。 Japan as Number Oneと持ち上げられ慢心し続けたこの国は、あらゆる指標で落ちぶれ内に籠もっている。容易く稼げる「一位」を探し、やっぱり優れていたとの判断に縋ってしまうのだ

 

 勝敗に関係なく相手を理解することは、自己認識の前提である。負けることや互いに楽しみを分かち合うこと以上の悲しみはない。

   幸いに通算103KO勝ちのチャンピオンサンディ・サドラーは、強ければ強いほど・・・他のことはあまり知らない。それに減量や練習が辛くて堪らないし、試合の前には怖ろしさで気が狂うか、そうでもなければどこか遠くに逃げてしまいたくなる。だから、つい一番そばにいる自分の女に当たってしまって、引退する頃には独りぼっちで、一緒に考えたり心配してくれる者もいなくなってしまう。」ことに気付くことが出来た。

 プロ野球、プロサッカー、プロゴルフ、・・・プロパチンコ、プロ麻雀・・・今や栄光のオリンピック各種競技もアマチュアでは無い。放映権で荒稼ぎする業界お抱えのプロだ。囲碁将棋も少年時からプロを目指したくなる。だが強くなればなるほど他のことは知らなくなる。これを成長と呼ぶことは出来ない。

 人間は全面的な発達を目指すべく宿命づけられている。

何時「才能」が発現するか、開花しないかも知れない。子ども時代からプロを目指すのは、才能の芽を早期発見することではなく、可能性を摘み取ることにしかならない。どんな時期に如何なる環境で誰とともに才能が伸びそして消えるのか。たとえ死ぬまで才能の発現が無いとしても、彼も又天才かも知れない。。比べ競うことは犯罪的賭けなのだ。失敗して路頭に迷う確率は、成功するより遙かに高い。

 手当たり次第にtopを目指す性癖は天皇制fasismの逃れられない宿命である。

 第1次南極調査隊の副隊長兼越冬隊長の西堀栄三郎や初期マナスル登山隊の今西綿司らは登山家としてはアマチュアであった。それ故「強くなればなるほど他のことは知らなくなる」ことからは自由であり、優れた科学者として成果を挙げ続けることができた。

 コロナ対策の「専門家」会議の医者や学者たちは、病院経営の専門家=「プロ」として莫大な利権を手中に収めた。利権を手中にすればするほど医師や学者としては恥多き失敗をかさねている。

 アマチュアであり続けることだけが人間らしい成長や発達の不可欠の条件なのだ。鶴見俊介も小田実も決してプロ評論家やプロ作家では無かった。

北朝鮮とロシアの接近で思い出したことがある。

   当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為』   を再再引用する。

     あれは確か1992年の二学期だった。二人組が準備室にやってきた。

 「ねえ、褒めてやってよ」と僕の横に来ていきなり言う。

 「今日の○○、かわいいでしょ」 

 「いつもかわいいじゃないか」と言うと○○さんが照れている。

 「そういえばいつもと違ってる」

 「でしょ、スカートも短くなったし、化粧もしてないでしょ」

 「うーん、美人になったし賢く見える。どうしたんだ」

 「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

   

 事柄は何かをなして遂げられるよりは、なさないことによって思いがけない形で実現することがある。青少年は猫に似て、追えば逃げ、ほっておけば寄ってくることがあって難しい。僕はつくづくそう思う。

 でもね、「何もしないこと」は「何もしないこと」によって維持されるのではない。「何もしないこと」をすることによってしか起きない。人間は他人の目を意識して、知らず知らずのうちになにかをしてしまう惰性・癖がある。例えば小舟が、海流中にあって何もしなければ、流され翻弄される。どちらにも流されないためには、エンジンをかけ、船首を海流に向け、海流と同じ速度で進まなければならない。海流の方向も早さも刻々変わる、一刻たりとも注意は怠れない。しかし他人からは「ぼーっとして」何もしていないように見えなければならない。でなければ猫は警戒する。

 数日後、○○さんのお母さんが、挨拶にみえた。控えめで品のいい人だった。

  ○○さんを連れてきた少女は、数学に於いては天才的能力を持っていた。数学の授業は熟睡していても試験は満点。 試しに最も難度の高い大学入試問題を与えると、暫く考えて易々と解く。しかも模範解答より美しく短い。字の配列もバランスがとれて美しい。明晰という言葉が浮かんだ。だが数学の教員は、やれば出来るのに寝てばかりいるとおかんむりで、いい成績はつかなかった。僕はその分野に進学させなければならない、と考えいろいろ試みたが、彼女はすっかり臍が曲がってしまっていた。

 学校は、生徒の才能を探り当て伸ばすことはなかなか出来ないが、漸く芽生え大きく成長し始めた才能を打ち砕くことだけは確実にやり遂げるのである。これがプラス・マイナスゼロならまだ救いはある、どう見ても大きな欠損である。


  北朝鮮を「突っ張るしかない」状況に追い込んだのは、米日韓。ソ連中国に接近した地域に混乱を巻き起こしたのは日米結託の「単独講和」であった。民族を一方的に分断し、片方だけに賠償したのだ。あたかも地球上に存在しないかのような扱いだった。「突っ張らなければ」完全に無視される。

    「・・・一年生の時は私たち別々のクラスで浮いてた。友達は出来ない、つまんないことで担任にガミガミ叱られてばっかり。でも負けたくないから突っ張るしかないじゃない」

 「二年になって同じクラスになって、似たもの同士ですぐ友だちになった」

 「それで、このクラス何となく居心地がいいのよ、先生もぼーっとしてるし、気が付いたら突っ張る必要がない、突っ張るって疲れるのよ、だからやめちゃった。そしたら親も急に優しくなるし、・・・」

 「だからさ、褒めてやってよ、えらいでしょ」 

 「えらいよ、二人とも。突っ張るのは疲れると気付いたのも、その友だちの変化に気付いて「えらい」と言ったのも」

 「私も突っ張るのやめるよ、ほんとだよ」

 北朝鮮は突っ張る必要が無くなったと僕は見ている。日本だけが急速に没落しながら突っぱれもせず、東アジアで「浮いて」いる。

米国制作「ベトナム戦争映画」にアメリカ先住民=インディアンが登場することは無い。何故なのか。

  合州国のベトナム戦争映画では、黒人やヒスパニックへの差別や偏見もあからさまに描かれる。だが、先住民=インディアンが登場することは無い。何故か。 

 合州国では黒人やヒスパニックは差別と偏見の対象であるが、先住民=インディアンは今尚「殲滅」の対象であり続けるからだ。 だから先住民=インディアン殲滅そのものをテーマにした騎兵隊西部劇映画には事欠かない、特に日本で好まれる。これも珍妙な現象である。           

 アメリカ「独立」宣言(1776年)から100年以上も経った

1890年12月29日、Wounded Knee Massacreが起きた。無抵抗のスー族インディアン一団に対する騎兵隊の民族浄化作戦である。虐殺を実行の第7騎兵隊には勲章が授与されている。

 英国から「先住民のいる新大陸」へたどり着いた清教徒は最初の冬(1620年)を越せず大半が死んでいる、辛うじて生き残った彼らを全滅から救ったのは神だろうか。こんな祈りをした者がある。

 わたしたちのうちの十人が、千人もの敵を相手にすることが出来るのを見るとき、また、わたしたちの植民地の成功を見て人々が「主よ、ニューイングランドのようにして下さい」と賛美と栄光を表白するようになるとき、わたしたちはイスラエルの神がわたしたちのなかに臨在されることを見いだすであろう。なぜなら、わたしたちは「丘の上の町」だからだ。全世界の人々の目がわたしたちに注がれていて、もし始められたこの仕事に関してわたしたちの神に不忠実であれば、神はわたしたちから去ってしまわれるのであり、わたしたちの物語は世界中に言葉によって知られるようになるからなのだ。(ジョン・ウインスロップ、マサチューセッツ・ベイ植民地の初代総督)

 そうではない、衣食住に難儀を極めた清教徒は現地の先住インディアンの好意(先住インディアンにとって、難渋する者に手を差し伸べることは「人間」として当たり前のことであった。)に助けられる。これを「神の思し召し」と見做し、インディアン殲滅を勝手様々に「合理化」する為に「神」は利用された。つまり神の許可を盾に先住民を虐殺。 1000万人以上を数えた先住民=「アメリカ・インディアン」は、50万人に激減してしまう。

 清教徒の或いはキリスト教の見解によれば、神を理解するものを奴隷とすることは禁じられる。しかし清教徒は先住民=「アメリカ・インディアン」を奴隷化。同時に数々の作戦で奴隷労働力を殲滅し続けた結果、奴隷の供給源を失い奴隷狩りを旧大陸に拡大してしまう。


 米軍指揮官ジョン・チヴィントン大佐は、メソジスト派牧師長老だった。或年の州議会議員選挙で演説している。  

  インディアンに同情する奴は糞だ!・・・私はインディアンを殺さなければならない。そして神の天国のもとではどのような方法であってもインディアンを殺すことは正しく名誉あることであると信じる。小さいのも大きいのも、すべて殺して頭の皮を剥ぐべきです。卵はシラミになりますから。


 建国の父にして第一代大統領ジョージ・ワシントンは、イロコイ族絶滅作戦で、

 「彼らを徹底的に根絶やしにするように」と指令し、殺したインディアンの皮を剥ぎとらせ、軍装の飾りにさせ、「インディアンも狼も生贄となるべきけだものだ」と述べている。


 清教徒は、先住民を対等な「人間」と認識することは無く、彼らにも守るべき土地・家族・文化があると考えることさえ出来なかった。彼らは旧約聖書に依拠しながら新大陸を約束の地カナンと見做して今尚占拠拡大して止まない。米国がIslael に加担しPalestine侵略と虐殺を積極的に支援するのは、米国の成り立ちに於ける先住民殲滅と略奪略奪を認めたくないからだ。

 同じ理屈は、アジア・アフリカ・ラテンアメリカ各地植民地化の「錦の御旗」として高く掲げられ夥しい虐殺・略奪を欲しいままにしてきた。  


  「すべてを共有する」というインディアンの文化では、土地は誰のものでもなく、みんなのものだった。


 1973年スー族保留地内の「ウンデット・ニー」で、スー族と「アメリカインディアン運動 (AIM)」が同地を占拠し、「オグララ国」の独立宣言を行った。この「ウンデッド・ニー占拠抗議」には、全米からインディアンが応援参加した。この非武装の先住民たちに対して合州国と州政府は戦車や武装ヘリで鎮圧。

 2003年、約100年に及ぶ先住民=インディアンの運動によって「カスター国立記念戦場」は「リトルビッグホーン国立記念戦場」に名称変更され、「インディアン記念碑」が建立され、地図と解説の書かれた石壁が設置された。この石壁には次の文言が彫り込まれている。

 “The Indian Wars Are Not Over.”



   追記 2023/07/27 nhkのbs1で 「世界のドキュメンタリー選 ▽われらの土地われらの手にハワイ立ち上がる先住民」を放送する番組案内にはこうある。
 かつてハワイでは土地は王のものとされていた。しかし19世紀後半以降、多くの土地が島外の人の手に。現在は絶景を望む海沿いの土地の多くが富裕層に買占められ、米軍に騙し取られ、先住民は祖先の墓に行くこともできない。オアフ島では今、ホームレスの4人に1人が先住民だといわれる。失った権利回復の闘いを続ける先住民たちの思いを伝える。 原題:Hawaii The Native Resurgence(フランス 2022年)
 米軍と自衛隊に苦しめられている沖縄先住民へのこの上ない励ましでもある。こういう番組は日本のメディアには望むべくもない。

「大本営発表」由来の筋書きを暴露しないことが良識なのか

  2021年の暮れ、長いメールが友人から届いた。彼は現役の医者で医学部教授でもある。

 仕事の帰り道に、I・立憲参議院議員の事務所に、時々よって 話しすることがあります。・・・

 自公政権の悪政は長期間続いているだけでなく、国民の生活と人生の安心不安と幸福感、経済停滞下での企業利益と株主配当増加と賃金低下、社会の(不)健全さ、アメリカへの従属と軍備拡張強化、国民に対する監視等々の更に悪政は強化され続けている。悪政は更に悪しくなって続いているにもかかわらず、2021年総選挙では、自公政権は多数を占め、維新の会などの補完勢力は飛躍し、野党共闘勢力は後退した。・・・・

 彼の義憤は高校生の頃から一貫して誤魔化しがない。だが義憤も続けば人は消耗する。僕は思う、かくも長き義憤は何故か。長きにわたって政変も革命もクーデターさえ無かった、一時は興奮渦巻く変容に見えた現象も瞬時の稲妻に過ぎなかったのか。全てが「大本営発表」由来の筋書きに乗っていたのではないか。

 我々には何一つ自己決定権がない。例えば政府でさえ「横田空域」の存在に口を挟む気配すらない。「横田空域」所有者が大戦後の「大本営」と化している。(おかげで日本政府自体が、歴史の記憶から広島・長崎の原爆爆撃が「米国の仕業」であったことを消し去ることに躍起になっている。)

 平の国民なら、なおさら自己決定権はどこにもない。高校生は有料のお仕着せを「カワイイ」と歓声を上げる始末だ。若者は自らの進路も何一つ選択できない。格付け=偏差値による割り当てから自由になれないからだ。 教師は更に哀れだ、労働基本権すらない。 

 政府は我々「主権者」が入手できない各種の情報を、例えばワクチン接種の影響について詳細なデータと論文を把握しているはず。欧米はこれらを公開している。  

 日本では、ある学者がコロナワクチンの全有害事象等の開示を求める行政訴訟をおこした。これに対し、厚労省はなんと「20234月3日に一部のデータを開示し、全データの開示は2026年度末までに段階的に検討する」と回答する始末。ワクチン接種は、主権者ひとり一人が詳細なデータをもとに判断する。医学論文を何一つ書いていない専門家で構成する会議が下命するものではない。 詳細なデータの作成と公開が官僚=公僕の義務であり、その所有権は主権者に帰する。

 にも関わらず判断は官僚が行い、国民は温和しくそれに従う。この国ではこの構図に異議を唱え怒りを表明することが「大本営発表」の存在を暴露することとして「自粛」の対象となって久しい、自粛すれば全てが存在しないことになる。虐めもパワハラも暴露する奴が混乱の源だと見做される。それは「国際」関係そして国政から学校までを貫く「良識」=処世術となっている。

  EUには、そんな「良識」を打ち破る仕組みがある。

 米国はその覇権的立場に胡座をかき、同盟諸国や従属国など第三国に対して米国が設定する制裁体制に従うよう圧力をかけていた。外国企業は米国の制裁対象国と取引すれば、米国市場を失うことになった。 それでも従わなければ軍事クーデターによる政権打倒は常套手段だった。その例は中南米で幾度も繰り返され、中東や東アジアやアフリカ間断なく続いた。

 これらの米国の治外法権的措置に対抗するため、EUはブロックメカニズムを導入。第三国とEUは、不当な制裁法の阻止、制裁の範囲を回避するための特別な目的の手段、さらには対策など、さまざまな非司法的メカニズムを利用している。

 EUブロック規定第5条(1)では、「EUの運営者は、EUが治外法権的に適用するとみなされる一連の外国制裁法の「外国裁判所の請求を含む、直接的または間接的に」要件または禁止事項を遵守することが禁止される」。  問題の法律は規則の附属書に記載されているが、現在はすべて米国の法律。 第5条(2)は、欧州委員会がこれらの法律の全部または一部を遵守するようEU運営者に権限を付与することができ、これに従わぬ場合、EUの利益を害することになると規定している。  2018年、欧州委員会は、イランに対する米国の二次制裁(再適用)を含むようEUブロック規定の附属書を更新している。 

 ブロック法は、EU企業が米国の制裁に従うことを禁止しているわけだ。例えば米国が核協定を脱退した後、イランに対して加えた制裁を拒否するために使用されている。

   米軍とともにリビアやイラク等を爆撃してきたeu諸国ですら米国の干渉に手を焼いていることがよく分かる。eu諸国や米国に支配された弱小国家・民族は過去の「宗主国」に対する怒りや悲しみは如何ばかりか、想像するに余りある。

 英国王戴冠式騒ぎの中、英連邦12カ国の先住民組織や指導者たちが、イギリスの植民地化が先住民に与えた影響に対する謝罪を求める書簡を突きつけた。「謝罪、賠償および遺品と遺骨の送還」と題された書簡は、元上院議員で『オーストラリア共和国運動』の共同議長を務めるノバ・ペリスの提案による。

 「私たちは、2023年5月6日の戴冠式の日にイギリ

スの君主であるチャールズⅢ世に対し、先住民や奴隷にされた人々の大量虐殺と植民地化の恐ろしい影響と遺産を認めるよう求める。」 この申し立ては、君主の正式な謝罪に加え、英国の博物館や施設に保存されている原住民の神聖な品々や遺骨の本国送還を強く求めている。

 この書簡には、チャールズⅢ世を国家元首とするアンティグア・バーブーダ、オーストラリア、バハマ、ベリーズ、カナダ、グレナダ、ジャマイカ、ニュージーランド、パプアニューギニア、セントキッツ・ネイビス、セントルシアと、セントビンセント・グレナディンの代表者が署名している。彼らは、何世紀にもわたる「大量虐殺、奴隷制度、差別、虐殺」の間に人々から盗まれたすべての文化財や芸術品の返還を要求している。

 さらに、バチカンが行ったように、「大航海時代の教義」を放棄するよう君主に求めている。この教義を否認することによって、先住民との協議と賠償のプロセスを開始することが可能になると署名者たちは考えているのだ。


 エリザベスも黒人奴隷を酷使し、印・中両国を麻薬漬けにすることで大英帝国の礎を築いたという過去を謝罪していない。彼女は王冠に、インドから略奪したルビーと南アのダイヤを嵌め込んでいた。恥じるどころか得意満面の笑いを浮かべて。

 日本はどうなのか。加害と被害の両面から問うべき課題が我々には突きつけられている。決して逃げられないし逃げてはならない。だが逃げ隠れが止められない。

   世界中が太平洋戦争後の日本のようになると、青い目の「大本営」は考えている節がある。徹底的に無差別空襲され、原爆を二発も落とされて、容赦のない圧迫は、反抗を惹起するのではなく服従を生んだ。しかし、暴力はいつか必ず「夢」を破る。

わが国では、学校は植民地同然なのか 牢獄か

  

「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」                              フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』みすず書房1960年

 

 これはフランスの高校生のデモ     今月7日、マクロン政権への国民的な怒りは、約350万人(CGT調べ)の街頭抗議デモー鉄道、地下鉄、バスなどの交通機関、道路、輸送、医療、消防、港湾、燃料、電気・ガス、清掃、公務員、学校、商業、サービス業ーあらゆる産業分野の労働者、老若男女が街頭に結集、政府の年金改革に異議を突きつけた。 抗議デモは国内300の地域に広がり、「生存権を守れ」「われわれは労働の囚人ではない」「ウクライナではなく国民を支援しろ」と声を上げた。ストを呼びかけた労組や組織は「年金改革法案の撤回」まで無期限ストを宣言している。

フランスの人口は日本の半数弱。
 ここ仏で高校生は教師とともにともに闘う仲間として街頭に出ている。日本の高校生は政権に指示された模擬投票ごっこの幼児以下か、なす術なく狼狽える。教師と高校生は、長い時間を共通の目的=学問をともにしながら、共感しあうことが出来ない。ここは牢獄か。何故連帯から逃避し傷つけ合うのか。

 高校生は既に政治的主張と行動の主体。教室の壁に閉じ込められた囚人や主権を奪われた植民地民衆では無い。進化をとどめるな、理性を研ぎ澄ませろ、怒りをもて白身の課題に立ち向かえ。高校生・若者、君たちは主権者なのだ。先ず要求を掲げて、当局に政府に突きつけねばならない。君たちが侍japanに興奮している間に政権は戦争にまっしぐら。

記 異議申し立てする主権者たちに、フランス警察は警棒はもとより、催涙ガス、高圧放水銃、閃光弾、までも使っている。重装備の警官が非武装のデモ参加者に襲いかかる様子はSNSに溢れている。消防士の一部隊は寝返り、デモ隊に合流した。あるmediaは「パリは戦争状態だ」と報じている。

 イタリアの異議申し立てデモでは、軍人が市民=主権者側に寝返っている。

 

  

多数への隷属を打破する民主主義 絶えざる政治的平衡 

 

 革新派のルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバが、保守派の様々な妨害を押さえてブラジル大統領に復帰した。 

 保守派が多数の議会を相手に、ルラ大統領はどの程度の統治意思決定力を発揮出来るか。

 ここで思考を巡らせるべきは、嘗てブラジル議会が革新的議会があったことはないという歴史的事実である。最高の憲法を作った1988年でさえも。左派の議員は16人で、残りはすべて保守政党の議員だった。しかし、それでもブラジルは進歩的な憲法を制定出来た。(上院81、下院513)

 議会は社会的諸勢力の相関関係を反映する。ルイス・イナシオ・ルラ・ダシルバが資産家勢力や古い政党と築いた関係は、政府に安全を与えるための歴史的制度でもある事を理解する必要がある。

 ブラジルの進歩的大衆は、ルラ大統領が国家の矛盾に立ち向かう事を期待している。ルラ政権の急進性の度合いや構造改革の進展は、大衆の勢力と圧力にかかっている。

なぜなら、社会の歴史的構造変動は常に大衆の結集に支えられて来たからだ。

  コスタリカで革新政権が成立したことはただの一度しか無い。この事実を知ると日本の平和勢力は仰天する。肝心なのは体制では無い。民衆の絶えざる運動なのだ。出来上がった体制に依存したり「代行」させたりする事ではない。


 希な例だが、アメリカの西部劇でただ一つ感心出来ることがある。銃と略奪が幅を効かせる西部の町で、新聞が果たす役割を見事に描いている作品がある。頑固者の新聞発行者は、銃や略奪に依存する保安官や市民に距離を置いて細々と輪転機を回している。その新聞を市民は買う。市民に背を向ける新聞を読むのだ。そして自ら判断する。

 新聞が多数に傾いたり特定の判断をするのでは無い。判断の主体は市民。

  何が正しいかを判断する独立した市民のバランス感覚がここにある。暴力や貧乏にも屈しない自由な精神がある。  

  日本国民は、新聞に一体何を求めているのか。プロスポーツや公営ギャンブルの勝ち負け、天皇一族や芸能人の消息スキャンダルか、世界大会のメダルか。自分たちの尊厳を無きが如く扱われてさえ歓喜する隷属性。日本の新聞と広告代理店はそこに的を絞って恥じない。付和雷同そのものが事柄の価値付け動機となる空虚な危うさがここに生まれる。

 体罰や腐敗が横行しても生徒会「新聞」は批判するすべを知らない、なぜなら新聞部や委員会室を仕切るのは顧問と言う名の他者だからだ。体制の広報はジャーナリズムたり得ない。従順な生徒に教師は安堵し、服従を分掌する教師に管理職は安堵し・・・この逆転しない構造が何処までも続く。この構造は空虚な「国体」に収束するように工夫されている。

 何処にも日々の授業や成長する若者の姿は無い。卒業「式」の答辞には一過性の幼稚な涙と感動の場面が語られ、親も教師も教委もつくられた予定調和を賛美する。主権者は絶えず異議を唱えねば消える。

 

  服従本能を持ち付和雷同する人間の群れを「畜群的人間」と言ったのはニーチェであった。

 日本の学校は幼稚園から大学院まで「自由な民」としての子どもを、コンパニオンアニマルに仕立てる事が要求される。そのためだけに学校の日常を、様々な行事で涙と感動づくめにするのは、成果を目に見えるように求められるからだ。管理社会では、目に見えないものは成果ではないとして葬られる。

 「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ」サン=テグジュペリ

 コンパニオンアニマル化は「自由な民」への虐待に他ならない。

    「可愛い」ペット=コンパニオンアニマルは、体制=飼い主に服従する以外の幸福はない。ものを見るための心を捨てたからだ。オルテガの指摘を日本の学校の日常が先取りしている。

  「俺に任せておけ」と言いたがる活動家や政治家。そして彼らに不和雷同し、やがて暴走する世間の姿が「国家の奴隷」。

平凡な価値 と 共同体の規模

  一学年10学級が続いた悪夢の日々を思い出す。学区は選択の多様化をうたい文句に無闇に拡大。それを教委は「自由」の拡張と錯覚させ、親も中学生も教師もこんな安手の詐欺にまんまと引っ掛かってしまった。

 受験生に選択の余地はなかった。彼らは受検産業の用意した「偏差値」に相応しい学校を指定されるに過ぎない。「偏差値」が低すぎても高すぎても近くの学校は、予め「自由な選択」からは排除さているのだ。

 おかげで教師も生徒もは、1時間以上を満員電車で通勤通学させられる。学校に着く頃には既に疲れている始末。

  平等と民主を欠いた「自由」の実態を良く表している。

 「高校増設運動」は時間的に追い詰められ、教育の「質」を自ら放棄したのだ。「子どもの声」を騒音扱いする価値観は共同体の拡大や消滅に伴い拡がる。幼稚園や保育所の立地が難しくなっている。保育者の幼児に対する体罰も起こる。

 共同体か小さければ、子どもたちの遊び泣く声は煩さくない。親や祖父母を安心させ和ませる機能がある。保育者も親も子どもも古くから続く共同体で生まれ育ち、互いに気心が知れている事の価値を我が国は破壊し続けている。それを地域の「発展」といつわつてきた。

 1888年日本には7万314の自治体があったが、2019年現在1718にまで減少。フランスは3万8000ドイツは1万4500 の自治体があり、それぞれ一自治体あたりの人口は1600人と 5600人である。日本は7万8000 人である。

  我々の社会の自殺の多さ、いじめ、貧困に対する不寛容は、ここに根を探る必要がある。


  社会の大きさや複雑さの違いは、社会のあり方を、従って人間のあり方を変える。

 例えば村会と国会の運営には質的な差がある。数千万、数億人を対象とする様々な案件を抱える国会では集団の利害や党派の一般原則に基づいて討議決定せざるをえないが、村会では、政策の提案者や対象となる個人を考えて柔軟に決定できる。お酒の好きなこの人を、酔っ払い、博奕好きという属性だけを切り離して判断しないということである。子どもと博奕打ちの、曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉えるということ、それが小さな共同体では可能になる。酔っぱらいの博奕打ちの変化を、多くが目にし話して確かめることが出来るからである。自治を支える人口的条件がそこにはある。 

 人口が増加すれば、こうした判断(曖昧さを含んだ有機的関係を固有名詞のまま連続的に捉える)は難しくなる。酔っぱらいの鼻つまみは固有名詞を奪われ、多数雑多な厄介者の一人として一括処理されてしまう。彼らが孤立状態から共同体への回帰するためには、多数への順応・同調という手続きのみが残り、同調できなければ罰と排除が待っている。 彼らの全生活の複雑性の理解と把握は顧みられなくなる。同時に社会は豊かな文化性を失う。リベラルな教養はその文化の中にある。

  小さな共同体で、ひとは全て、取り替えることの出来ない固有名詞の複雑な全体として承認される。それが平凡という価値であると思う。平凡は平均ではない。千人程度の「奇妙な国」で、それが可能であったことの持つ意味は深い。何故なら「社会」では、企業も自治体も学校さえもが合併して、人は特性のない諸属性に解体・分類・適応され、従って絶えざる競争と孤立の日常に埋没してしまったからである。


 勘違いしてはいけない。大きな都市でも日常的な生活決定の単位を小さくすることで共同体は小さく出来る。通勤や通学圏の縮小、世界を仰天させる悪習=単身赴任廃止は行政の決意にかかっている。遠方への高速で高価な交通機関や設備ばかり心を奪われ、日常の安価で便利な施設に目が向かないのは我々の意識か奴隷化してしまったために違いない。

 プラトンは奴隷を「自分の行動において自分の意志ではなくて誰か他人の意志を表現する人間」と定義している

選択できる「生活指導」を試す

  「生活指導」で問われるべきは、量ではなく質である。下町のある工高では、指導の長さや表面的効果ではなく担任や担当教師の取り組みの中身が問われ時期がある。その底流には、指導はあくまで生徒の「権利」であって、生徒に対する処分=罰ではないとの共通認識があった。しかし、学級担任や校務分掌としての生徒指導部に人気はなかった。生徒が主体と言う考えにどうしても馴染めないからだ。日数や時間が過ぎたからokとは行かない。教師個人の個性が反映することにもなる。職員会議での議論もややこしくなる。指導内容抜きの教員個人間の言い争いになりが

ちだ。  
 ある年、生活指導部送りになった生徒に、指導方法を選ばせることにした。担当は二人。指導室での説教、グランドの草取り、プールの掃除、職員室の掃除(清掃分担表から各職員室を外した。職員室清掃が生徒の分担という発想に僕は合点が行かない。)

  生徒に人気のあったのは、「グランドの草取り」。もう一度草取り指導してくれと言い出す生徒が続出した。担当二人の空き時間にやれば生徒は授業を脱ける、これは事前に職員会議で周知しておいた。工高は専門教科の実習や実験や製図が圧倒的、この時間を脱けることになる。

 グランドの木陰は校舎からは見えないから、普段から彼らの喫煙場所でもあった。その付近で今度は草取りをする、教師と並んで。面と向かってでは無く草や空を診ながら、いつの間にか対話になる。授業や教師ねへの不満から親や校則への不満もゆっくり話し合える。将来への不安が口にでることも。草取りは心身を解すにも丁度良い。終わった時には、生徒の表情が柔らかい、同じように僕らも柔らかい表情になっていたに違いない。

  しかし一見長閑な選択できる「生活指導」は、定着しなかった。

 教員は「強制してこそ指導」との先入観から自己を解放できない。この傾向は学校の「偏差値」ランクが下がるほど著しい。ここに、経済的・文化的貧困への止みがたい無知と偏見がある。

 加えて都立高校異動に関する「希望と承諾の原則」が、都教委による強制人事に変わったことも大きい。異動先の教育文化の違いを受け入れない教師が強制異動で増えたのだ。このような教師にとって、服装や頭髪の自由や、指導の選択制など論外だったに違いない。全都的に、全国的に「管理主義」教育が力を増していたのだ。 特定の生徒だけが管理されるように見える時、既に全ての生徒の自由も教師の自主性も侵害されているのだ。

反骨精神

  マーロン・ブランドは誇り高い若者だった。だが彼の父親は誇りを反抗と見做した。その矯正のために陸軍士官学校に入学させる。厳しく叩き直せば、素直になると考えたのだ。だが彼は教官にも口応えして謹慎処分を喰らう。謹慎の最中遊びに行ったことがばれて、卒業直前には退学処分。

 この除籍処分に対して「あまりにも一方的」「不公正」と学生全員が憤慨。次第にストライキに発展、根負けした士官学校長はブランドに、学業を修了して翌年に卒業するよう手紙を送るが、ブランドは復学も拒否している。

  彼は、クラスメートが自分に宛てた激励の手紙を自宅の寝室に飾って大切に保存していたという。


  マーロン・ブランド主演・エリア・カザン監督『波止場』は1954年アカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞など8部門を受賞した。元ボクサーの主人公は波止場の日雇い労働者。港湾労働者の日当をピンハネして暴利をむさぼるボスに反抗、事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負うが、信念に基づいて生きることに目覚めるテリーの熱意に心動かされた港湾労働者たちは、脅迫を続けるボスに背を向ける。ここに描かれた元ボクサーの姿は、矯正教育を強要する父親と士官学校長に従う事を拒否するマーロン・ブランドの生き様を思わせる。

   1972年の映画『ゴッドファーザー』ではマフィアのドンを演じアカデミー主演男優賞に選ばれるが、「ハリウッドにおけるインディアンをはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」して受賞を拒否。

 授賞式にはインディアンの服装をしたネイティブ アメリカンの公民権活動家リトルフェザー女史を登場させ、アメリカの映画作品内における人種差別、分けてもインディアン差別に抗議した。

 それまでのアメリカの西部劇映画では、史実を歪曲した外見・風習のインディアンを悪役として登場させ、正義の騎兵隊のワンパターン。マーロン・ブランドの抗議をきっかけに、アメリカの映画界のインディアン観は少し変わり始める。しかし日本で上映する西部劇では、相も変わらず先住民蔑視が今も続いている。

 

 差別に抗議するAIM(アメリカインディアン運動)代表がFBIに追われて逃走中、ブランドは逃走資金として1万ドルと逃走用の車を提供している。映画界だけではなく国家権力対しても闘う誇り高さがある。  

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一ぐらいも日本の「芸能人」=「俳優」たちはないのか。電通やtvショッピングに支配された業界とスポンサーに過度に迎合した台詞と眼差しは、若い視聴者の世界観から誇りを奪う。迎合する見苦しい振る舞いを「金「票」で買われたのだから当然だ」と思うに違いない。「俳優というのは自分の言葉ではなく与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」と情け無い言い訳をしたのは、酩酊するたびセクハラ絡みの乱暴狼藉を繰り返した自称「俳優」香川照之。

 統一教会に支配された政権党議員達の振る舞いや言葉は「・・・与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」からすれば、至極自然に見える。

 マーロン・ブランドなら譬え喰うや喰わずになっても、電通やtvショッピングの画面にさらされるのを断固拒否したに違いない

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一でも日本の「学

者」「官僚」「警官・判事・検事」「教師」たちにあったら・・・と思う。檻に閉込められた囚人のようにもはや彼らは自分の言葉では語れない。



 大逆事件の報を聞いた徳冨蘆花でさえ、一高生に「謀反論」を語ったではないか。彼は会場に溢れる若者にこう訴えた。

「・・・諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。・・・我等の政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君等の頭にひどく重く感ぜられて、到頭無政府主義者になって了うた。無政府主義が何が恐い? ・・・幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である・・・」

 2時間に及ぶ演説が終わると数秒の静寂の後、万雷の拍手がわいたという。蘆花は些かも「主義者」ではなかった

 

 

1967年のどぶねずみ色の若者たち Ⅱ

 承前  花森安治は兵隊だった頃を思い出す。彼は1911年生まれ、徴兵で中国東北部の部隊に従軍した。


   どうにもならぬほどのどが渇いてくると奇妙に、だれの顔つきも、おなじような感じになった。 

   目が、へんに光っているくせに、それでいて、どこか遠くのほうを見ているような、早くいえば、呆けたような表情になる。

 ひとの顔が、みんなそう見えるのだから、もちろん、こちらなど、とっくにそんな顔つきになっていたのだろう。

 そして、考えていることといったら、あとどれくらい歩いたら、水のある所に行きつくだろうか、などといったことではなくて、それでも、だれか水筒に水をこっそり残していないだろうかと、前後左右の兵隊の腰のあたりで、歩くたびに揺れる水筒の音に、神経をすりへらしているのだ。

 ことわっておくが、こんなことを書くのは、このごろのご連中、みなさまおなじような顔つきをしているのは、心のなかで、よほどのどが渇いているのだろう、などと歯の浮くようなことを言うためではないのである。

 なにかといえば、欲求不満だの挫折感だの劣等意識だの体制だの反体制だのとはやしていて、それで日が暮れるような、そんな甘っちょろいものではない筈だ。

 第一、おなじバカみたいな表情にしても、汗が噴いて乾いて塩が縞のように白くこびりついた兵隊のぎりぎりのアホウ面と、ズボンのポケットに小銭をじゃらじゃら鳴らしている、男性化粧料やけしたアホウ面とが、いっしょになろうはずがなかろうじゃないか。

 そんなことではなくて、あのどうにもならないほどのどが渇いているときでもみんなが、おなじ兵隊服でなく、てんでばらばらのものを着ていたら、それでもやはり、みんなおんなじょうな顔つきになっただろうか、それをふっと考えたからである。

 というのは、そんな生命ぎりぎりのときでなくても、兵隊の顔は、どうにも見わけのつかないものなのだ。

 いつか、行進している部隊の中から、自分の中隊を探そうとして、知った顔を見つけるのに、ひどく苦労したおぼえがある。

 そういうつもりで、一度、このごろの連中の着ているものを、町角に立って、眺めてみたまえ。

 まるで、だれかに命令されたように、みんながみんな、おなじような服を着ている。それが、どぶねずみ色なのだ。

 だいたい、男の背広なんてものは、やれコンチがどうの、アシタがどうのといってみたって、たかだか、エリの巾が何ミリどうなって、胴のダーツが何ミリどうとったなんてことで、ボタンの数がふえたといっても、まさか十も二十もつくわけじゃなし、ズボンをスラックスといいかえてみても、ガニマタが、すらっとするわけでもなし、洋服屋のまわし者がさわぐほどには、大して変りはえのするものではない。女の子の流行の千変万化ぶりにくらべたら、男の背広なんて、いつだって、どこだって、だれが着たって、大して変りのないものだ。

 形がすでに大して変りはないときているところへもってきて、色まで、そろいもそろって、どぶねずみ色なのだから、なんのことはない、これは、もはや一種の兵隊服である。

 それも、兵隊服のほうは、なにも好きこのんで着た奴は一人もいない。馬鹿野郎、服に体を合せるんだ、とどなられながら、どうにかこうにか、体のほうが服に合ってきたものだ。

 もちろん、あの兵隊服には、細部にわたって、なにからなにまで、きちんと規格があって、縫製はもちろん、着方まで、うるさくきめられていた。帯革をしめたとき、ビジョウのどの線が、服のどの線にそろわねばならないか、そのとき出来たシワほ、どこへ寄せなければならないか、そんなことまできめられていた。軍人の制服だから、仕方のないことだった。

 ところがこのごろの連中のどぶねずみ色の服が、やっぱりそれなのだ。

 なにも会社や役所できめたわけでもあるまいし、タダでくれたものでもあるまいに、兵隊服みたいに、ぴったり規格に合って、着方までそろっている。

 ワイシャツは白、ネクタイと靴下は、どぶねずみ色、靴は黒、ハンカチは白ときて、そのハンカチの折り方、胸ポケットからのぞかせる寸法(ミリ単位)、ネクタイの結び方から、カフスボタンののぞかせ方(おなじくミリ単位)、上着のボタンの外し方に至るまで、これがおなじときている。

 古い言葉でいえば、さしづめ、バッカじゃなかろうか、である。

 君、なにを着たっていいんだよ。

あんまり、わかりきったことだから、つい憲法にも書き忘れたのだろうが、すべて人は、どんな家に住んでもいいし、どんなものを食べてもいいし、なにを着たっていいのだ。それが、自由なる市民というものである。

  花森安治「どぶねずみ色の若者たち」 『暮しの手帖90号』

 どうだ、不気味だろう。「 あんまり、わかりきったこと」も憲法に書かねばならぬと言いながら、その実政権党が目指しているのがどんな世界なのかが。

 花森安治は、世界を震撼させた「大学闘争」の前年にこれを書いた。と言うことはここに書かれたどぶねずみ色の若者たちは、団塊の世代のだいぶ前に生まれている。つまり戦中派ではないが戦後派でもない。この微妙な世代のおかしな風俗に、花森安治は怒りを隠さない。

 彼らが国民国民学校に入る頃、教師は敗戦で呆然。昨日まで現人神のために命を捨てろと裏声で叫んでいた男が、教科書の墨塗に励むそんな時代。

 適格審査による教職追放もあったはず。 教職追放は、GHQのCIE(民間情報教育局)が担当した。CIEは、教職追放の方が公職追放より厳しいものになるべきと考えていた。全国130万の小中学校教員、大学教授等を対象に審査し、日本の戦争を肯定する者、積極的に戦争に加担した者、戦後の自由と民主主義を受け入れない者に、除籍を求めた(適格審査の記録はほんの一部しか残っていないが、審査は実に杜撰なものであった)。1946年5月、占領下の文部省は『教職員の除去、就職禁止及び復職の件』を発令。各都道府県に教員適格委員会を設置している。

 少年たちは何を考えただろうか。

 丸山真男は駅ホームの放送「危険ですから白線の内側にお下りください」に腹を立てた。判断する主体はあなたではないということを、政府に代わって数十年間睡眠学習のように聞かせ続けているからである。

 戦前の教育は少年の生活全てから、判断するする知性を奪い尽くした。

 つい昨日まで鬼畜と罵った米兵に一言一句に至るまで唯々諾々と従う。そんな教師を見て、少年たちが再び胸に刻んだのは今までのように「考えない」こと「判断しないこと」だった。そうでなれば「どぶねずみ色の若者たち」の奇態は説明が付かないではないか。


 『暮しの手帖』の魅力は、多種多様な取材対象と執筆陣にある。ノーベル賞受賞者も日雇い労働者も人間国宝も貧乏暇なしも同列に扱われる。この無鉄砲かつ勇敢な編集姿勢は、花森自身の旧制高校時代や「帝大新聞」編集部時代に形成されている。

 だから彼は一方で「どぶねずみ色の若者たち」とは対極の輝かしい青春を経験し、他方で軍馬以下の一兵卒=究極の溝鼠として戦場を彷徨った経験をもった。正真正銘の複眼的切れ味の良さはこうして生まれている。

 

  

1967年のどぶねずみ色の若者たち Ⅰ

 花森安治は、全世界的な学生紛争の勃発する「1968」年の前年に不気味な批評を書いた。

 学校にいるときは、一向に制服を着たがらないでもって、ひとたび世の中へ出たとなると、とたんに、うれしがって、われもわれもと制服を着る、という段取りになっているようだ。

 たとえば、東京でいうなら、丸の内とか虎の門あたり、あのへんを、昼休みにぞろぞろと歩いている、若いサラリーマンたちを、ながめてみたまえ。

 ・・・

 へたな空想科学小説にでてくる、どこかの遊星の、独裁者の意のままに支配されている人民たちみたいに、みんな生気のない顔をして、べつにどこへゆくというあてもなく、みんなが歩いているから、じぶんもそっちへ歩いているといったふうに、動いているのだ。

 真昼の強烈な日光の下で、突如あたりの風景が、すうっとくらくなる、立ちぐらみというのだそうだが、いくらか、それに似ている。

 見ていて、うすら寒いのだ。

 いったい、人なに事かを憂えているときは、顔色に生気があり、日に光りがある。このどぶねずみ色群の、のろのろとした動きには、そのような、大それた気配はない 

・・・

 顔色の生気のないことをいうまえに、顔つきの、だれもかれもおなじように見えること、さながらナンキソ豆の面つきのようであること、それからいうのが、ものの順序だったかもしれぬ。

 なるほど、ひとりずつを離して、ことこまかに観察すると、おのずから多少のちが小はあって、佐藤君を三木君ととりちがえるようなことはない。

 しかし、佐藤君の顔と三木君の顔のちがいは、つまりはナンキン豆にも、皮がこびりついているのもあれは、焦げて苦いのもある、その程度のちがいで、ひっくるめてみれば、このごろの連中の顔は、まったくおなじような感じである。

 むかしは、女性の顔が、こんなふうに、どれもおなじような感じだった。

 リンカクでいうと、面長とか面丸とか色つやでいえは、じゃがいもの皮をむいたのと、むかないのとか、一方はキッネ顔、一方はタヌキ顔といったちがいはあったにせよ、ひっくるめての感じは、どれもおなじだった。二言でいうと、つまりは<良妻賢母>風とでもいうか、内心はともかく、いつも一歩か一歩半ひき下ったような、見たところ、つつましく、たよりなげな顔つきであった。

 どこで、どう回路を引きそこねたか、このごろは、男の連中が、おしなべて、おんなじような顔つきになっている。

 一くせも二くせもありげな、ギョロリとした面がまえは、先日小菅刑務所を見せてもらったが、そこでも見つからなかった。

 まして、のろのろと昼休みのビル街に動いているどぶねずみ色群のなかに、半くせも四分の一くせもありそうな面を見つけようというほうが無理なのだ。

 おしなべて、一見たよりなげで、二見良夫賢父ふうで、三見ケチでずるそうでこれでは、だれの顔を、だれの顔とすげかえてみても、べつになんの差し支えもござりませぬわいなあ、といった顔つきをしている。

 だれの顔つきもおなじだということはみんなのっぺらぼーの顔で歩いている、ということだ。

・・・

 兵隊だったころに経験したことだが、どうにもならぬほどのどが渇いてくると奇妙に、だれの顔つきも、おなじような感じになった。

 しかし、このごろ どぶねずみ色の服を着て、のろのろと、けだるそうに生きているのは、こどもでも老人でもない筈である。

 それとも、このごろの青年は、戸籍面の年令だけが青年で、中身のほうは、ひねくれたこどもか、若年寄りのどちらかなのだろうか。

・・・

 どんなわかりきったことでも、一度じぶんの手で受けとめて、じぶんなりに考えてみて、ほんとにそうなのか、じぶんでたしかめる。もし、そうでなかったらハッキリさせる、そうなるまでたたかおうとする、この抵抗の精神は、青年だけが持っていた筈である。この精神だけが世の中を、すこしでもスジの通ったものにしてゆけたのである。

 みんな、だれの命令でもないのに、どぶねずみ色の服を一生けんめいに着こんで、しかも我ひと共に怪しまない、そんな姿勢のどこに、この青年だけが持っていた<さからいの精神>がみられるというのか。

一体何時から日本はこんな馬鹿げた児戯に力を込め始めたのだ、千歳飴が相応しい


 いまは、天下泰平だという。

 ウソをつけ。世界といわず、日本といわず、いったい、どこが天下泰平なのですか。 いうならば、乱世である。

 お互い、うじゃじゃけ(傷跡などがただれた状態になる。 また、だらしない様子)のかぎりをつくした乱世ではないか。

 まいにちの新聞の見出しをならべただけでも、とても正気な人間の集っている世界とはおもえない。

 それだけに、こう連日連夜、ばかげたことに、十重二十重と取りかこまれていてはくよほど、しっかり立っているつもりでも、足をとられてしまう。まあ仕方がない、とあきらめる。しまいには、それがあたりまえのような気が、してくる。

 あげくの果てが、みんな、のっぺらば一の顔にどぶねずみ色の服だ。みんなが着ているから着ている。

・・・

 たかが、服のことぐらい、、どうだっていいじゃないか、というのか。

 その通りだ。たかが服のことだ。こちらも、それがいいたくて、さっきからうずうずしていたところだ。

 まったく、どうだっていい筈だ。いい筈なのに、どうして、みんな申し合せたみたいに、どぶねずみ色の、ものはしげな服を着ているのだ。

 紺の上衣に、うすいグレーのズボンをはいたっていい筈だ。・・・

 第一背広なんか着なくたっていい筈だ。ジャンパーだっていい筈だ。

 それを、みんながしているとおりにしていたら、まちがいがない、などと横町の年寄りみたいなことを考えて、そう考えるのが、大人の考えというものだ、とおもっているのなら、たいへんな大まちがいだ、。

 たしかに、そういう考え方は、こどもではない。しかし、決して大人の考えでもないのである。それは、ともかく生きているだけ、という老人の考え方にすぎない。

 そんな考え方では、世の中をよくしようなどと大それたことはもちろんだが、この凄じい乱世を、果して乗り切って生きてゆけるかどうか。

 のんでものんでも、のどのかわきのとまらない因果な病人みたいに、ひとのすることばかり追っかけるクセがついてしまったら、ひとが赤旗を振れといえば、うしろの方で目立ぬように赤旗をふり、ひとが鉄砲をかつげといえば、ロの中でぶつぶついいながら、鉄砲かついで船に乗せられてしまいはせぬか。

 どぶねずみ色の服を着せられている諸君よ。たかが服のことだが、このつぎ服を買うときは、ひとのことは気にしないで、じぶんの着たい服を買いたまえ。

 すると、たかがそれくらいのことをするにも、いささかの勇気がいることに気がつく筈だ。

 しかし、君よ。君がねがうところの、親子何人かが、おだやかに暮してゆけたら、というささやかなマイホーム的幸せを手に入れるためには、たぶんその何倍かの、<いささかの勇気>がなければ、だめなのだ。らくなことだけをしたい、いやなことはしたくない、といった臆病者では、到底手に入れることはできない等なのだ。       花森安治「どぶねずみ色の若者たち」 『暮しの手帖90号』     続く

 1967年この年僕は高校三年生になった。既に前年頃から制服や校則に対する火花を散らすような抵抗が、あちらこちらの高校で始まっていた。教室で、廊下で、校庭で、教師と激しい論争が繰り広げられ、大きな人だかりになった。同時にそれはベトナム反戦と密接に絡んでいた。

 花森安治はこうも言う。

 みんながスキーに行くから、おれはゆかない。みんながクルマに熱を上げているから、おれはそっぽをむく。みんなが安ウイスキーをのんで麻雀をするから、おれはのまないし、やらない。

 それがいいとか、わるいとかいうのではない。それが青年なのだ。すくなくとも、青年とこどもがちがうのは、そういうところなのだ。

 そんなことを言っては損だと知っていても、いわなければならないことは、ハッキリと大きい声でいう。そんなことをしてはまずいとわかっていても、しなければならないことは、きっぱりとやる。

 それが青年というものだ。すくなくとも、青年と老人がちがうところは、そこなのだ。

 かりに、世の中がすこしでも進歩しなければならないとしたら(こどもと老人は、そんなことを考えもしないし、信じもしない)それがやれるのは、青年しかない。   

「共和制は、憲法改正の対象となりえない。」イタリア憲法第 139 条

 イタリアでは憲法が、大戦後20回にわたって改正されている。これを根拠に、我が国でも改憲が必要との論調が勢いをつけている。イタリアの場合の主なものをあげる。

63年2月(上下院議員定数院、上院の任期)

89年1月(大臣弾劾裁判制度を国会から通常裁判所へ移行)

93年10月(議員の不起訴特権の一部廃止)

99年11月(刑事被告人の権利保障)

2000年1月(在外投票権の保障)

01年10月(中央と地方との関係の抜本的改正)

03年5月(男女平等の促進)

22年2月(生態系と生物多様性保護)

 

 イタリアの憲法改正は、各議院で3か月以上の期間をおいて引き続く2回の会期により議決される。第2回目の議決にあっては、各議院で総議員の絶対多数により承認されなければならない。

 憲法改正案は、公布後3か月以内に一議院の5分の1、50万人の有権者または5つの州議会の要求があるときには、国民投票に付される。ただし、前記憲法改正案が第2回目の議決で総議員の3分の2以上の多数により承認されたときは、国民投票に付されない。 

 憲法改正が、かなり頻繁・多項目に及んでいることが分かる。

 しかしイタリア憲法は最終条項の第 139 条で 

共和制は、憲法改正の対象となりえない。 

と釘を刺していることを忘れはならない。

Bella ciaoは1943年から1945年まで続いた
反ファショレジスタンスで唄われた

 1943年7月24日ムッソリーニ政権は崩壊したが、ファシストに協力し伊国王エマヌエー
レⅢ世は戦争継続に固執。抗してムッソリーニ体制を倒したレジスタンス勢力=臨時政府・国民解放委員会は王制の是非を問う国民投票を実施。伊王制は崩壊し、民主共和制国家のイタリア共和国が成立した。民主共和制は、革命の成果であったことを最終条項第 139 条が宣言しているのである。

 24回の憲法改正を経ているフランスも、共和制を憲法改正の対象から外している。

  イタリアやフランスの民主共和制革命にあたるのは、日本で言えば憲法三原則、分けても9条である。

 まともな国家の憲法は、その中心理念を変更しない条項を持つ。

 日本国憲法も、前文で

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

と明確に宣言している。

 何度も繰り返す必要がある。 

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 



「異議申し立て」の方法や思想を新たに

  アガサ・クリスティの作品や「シャーロック・ホームズ」を読めば、作品中に貧しい労働者が主人公として描かれることはない。貴族や名士と植民地での怪しげな略奪で財をなした者たちの相続を巡る殺人事件が描かれる。

 物語の遺産の殆どすべては、帝国植民地からの暴力的略奪による。貴族や名士たちの身分は、その略奪の巧みさによっている。「略奪」された植民地側の抗議=異議申し立てには、ポアロの灰色の脳細胞やワトソンのpenも弱々しくほぼ無関心。


    事件解明の主題は「植民地での帝国の怪しげで暴力的略奪」ではない。略奪され側の怒りや涙も描かれない、英国市民の誰がもっともらしい相続人なのかだけが問われる。豪華な列車や客船もホテルも登場人物の華麗な生活を飾る舞台装置でしかない。それらの費用の源泉や労働の担い手が考察されはしない。古代遺跡発掘を巡る利権争い殺人でも、埋蔵文化財の所有権関心が向くことはない。正当な所有権を持つ植民地政府は宗主国家の傀儡でしかなく、所有者たる民衆は怪しい言葉の発掘労働者や偽物を略奪国家英国人に売りつける無頼な輩としてしか設定されない。

 アガサ・クリスティの作品や「シャーロック・ホームズ」が絶大な人気を保ち続けるのは、大英帝国への「異議申し立て」そのものが存在しないかのような世界観で成り立っているからだ。

 我々が日本や米英のマスコミ報道を手放しで肯定するのは、我々の世界観が歪んでいるからでは無いか。異議申し立て不要の同調圧力に屈しているからではないか。人も組織も己のやましさを隠そうと正義面して、殊更他者の悪をあげつらう傾向がある。


 第三世界の地下資源は誰のものか、水は誰のものか、森林は誰のもの現地現地国民共有であり不可侵ではないのか。ところが国有化を宣言した国は悉く米や英や仏に国家転覆の攻撃をかけられている。キューバ・ベネズエラ・チリ・シリア・イラン・パナマ・ベトナム・・・枚挙に暇がない。対してこれらを専有する「法人」の所有権は、その株主の特権とともに幾重にも守られているのだ。


 ウクライナ攻撃のロシアに対する経済制裁を正式に「拒否」した国は・インド ・中国 ・メキシコ ・サウジアラビア・アラブ首長国連邦 ・ベネズエラ ・トルコ・エジプト・イラン・ドイツ・ハンガリー・セルビア・アルゼンチン・ボリビア・エルサルバドル・ウルグアイ・・・

 ウォールストリート・ジャーナルによれば、サウジアラビアは、「アメリカ大統領からの電話を受けるのさえ拒否した」と伝えている。

 アラビア半島の国々は、パレスチナに限らず英国の「三枚舌外交」で煮え湯を飲まされている。対ロシア経済制裁を懇願する米大統領の電話さえ断った気持ちはよくわかる。

 対して対ロシア制裁に加わっている国は・アメリカ・欧州連合・スイス・イギリス・カナダ・チェコ共和国・オーストラリア・ニュージーランド・日本・韓国・台湾

  米英仏+NATOとウクライナが孤立しているのだ。

 ベトナムが北爆と枯れ葉剤で攻撃されているとき、チリのアジェンデ政権がciaとピノチェト将軍の大量虐殺と専制支配に泣いている時、パナマ運河の国有化を阻止するために米軍がこの小さな国を爆撃した時、辺野古の埋め立て地に新たな基地建設が詐欺的手法でされている強行されている今、一体どの国のTVや新聞が連日数時間おきに報道したか、しているか。

 かつて米国支配下の米州機構で、キューバは徹底的に孤立していた。しかし今、米州機構内では米国が完全に孤立している。


   ロシアに対する「異議申し立て」には、莫大な資金と国家・国際機関が動員される。ベトナムやチリなどが米国の攻撃を受けているとき、国際機関は機能しなかった。抗議は弾圧下の絶望的環境の中で行わざるを得なかった。我々が知るべきは、報道から隠された部分である。よってたかって繰り返しTVに登場する事柄こそ疑わねばならぬ。

  「異議申し立て」を禁じられた部分の再現こそ、世界の総体的理解に欠かせない。

 イラク・マアルーマ通信は「アサイブ・アフロルハック(正義の連合)」の政治局員Saad Al-Saadi氏が、演説の中でウクライナ戦争をめぐる国際社会、中でも国連や安保理の態度について言及し、「ウクライナに対する国際社会の態度は、イラクが米国により占領されてインフラや安全保障システム、あらゆる経済活動を崩壊させられた時にとられた態度とは、完全に異なっている」・・・「この態度の違いは、国連や安保理が国際社会の一員たる諸国に対し、同一の基準で対応していないことを証明するものである」・・・「安保理は、イラクの旧バアス党政権が1991年にクウェートに侵攻した後、イラクに対して、520億ドル以上の賠償金を国民の糧食となるべき国の資産から支払うことを強いた。国際社会はこのことから、イラクのインフラを荒廃・崩壊させた理由で米国に制裁を課し、全ての者に同一の基準で対応を取るべきである」と述べたと伝えている。

  イラクにはいかなる大量破壊兵器もなかった。従って米英のイラク侵攻は恐る大量大量殺人・国土破壊・文明破壊であり、殺人罪と賠償と経済制裁の対象である。彼らは自らの犯罪を、まず総括しなければならない。そんな国に他国を非難し、異議申し立てする資格は無い。


  さてここからが本題。少し前僕は荒れる高校生を擁護して、「荒れ」は授業を忘れた学校管理体制への「異議申し立て」であると書いた。誇り高い高校生たちは、ガミガミ叱られるだけの些末な取り締まりに反発する。負けたくないからツッパル。高校生が突っぱれば突っほど、教師の取り締まりはエスカレートして、授業は忘れられた。

 今ツッパル高校生は殆ど姿を消した。しかし学校は授業に回帰しない。新たな取り締まりを頭髪や下着の色に見いだしたからだ。それも無くなれば授業に専心するだろうか。ことをことを許すような管理体制では無い。学校の偏差値を上げる企てを管理職や教委に上申するのに鎬を削らされる。部活と受験対策と行事に忙殺されて過労死に向かっている、相も変わらず学校は授業に回帰しない。「異議申し立て」はかくも無力なのか。秩序への従順さを受け入れさせる管理技術だけが高度化し続ける。

  「異議申し立て」の方法や思想を新たにしなければならない。いつまでも学校は授業に回帰しない。教師は忙殺され続けるのだ。

 教師自身が、授業を求めて「異議申し立て」に向けて自己組織しなければ教育が死ぬ。学校は既に死んでいる。

使って初めてわかる自由。The proof of the pudding is in the eating.

 警察や法務省の統計によれば、少年の非行が減少している。少年1,000人当たりの検挙者数を見るとは、2014年が6.8人で、戦後最多だった1982、83年の18.8人の半分以下。13歳以下の少年の補導件数も減少を続けている。だが 内閣府「少年非行に関する世論調査」では、約8割の人々が、少年非行は「増えている」と感じている。

 全く人々は事態を正しく認識していないのか。それともただ単に若者を強く罰したいのか。一体どうしたことだろうか。我々の感覚は麻痺したのか。


 山手線に近い都立B高校定時制課程が荒れ、生徒たちが校舎や校庭にバイクを乗り入れ、教室や廊下で花火・校庭にたばこの吸い殻や菓子袋が散らばったのは、すでに少年非行が減り始めていた90年代半ばであった。それ故B高校の荒れは世間に目立ち、教師の対策も苛烈を極め精魂尽きてしまった。あれからおよそ20年、日本の少年非行は更に減少している。

 少年たちは温和しくなっのか、ひょっとすると非行すら出来なくなったのではないか。少年たちは厳しい校則へ依存してしまったのではないか。生徒だけではなく、親にも教師にも行政にも広がってしまった。暴力を伴う過剰な依存が。社会的弱者や少数派への悪口雑言はsns上で直ちに歓迎され、選挙の得票に直結してしまう。そのことが、更に秩序への過剰依存を政治潮流にまで押し上げている。


 非行が学校を駆け巡った1970年80年代、教師たちは「教研」活動の組織に忙しかった。僕の職場では、職員会議を潰して具体的教師の授業が議論され、日が暮れても議論は続き、様々な取り組みが生まれた。このような職場教研を基礎に毎週支部教研が、学期ごとに都道府県教研が、年一度全国教研が開かれ、多くの教育実践が交流していた。

 教研を組織しながら我々は生徒の「荒れ」を、授業や教育そして社会への「表現」「異議申し立て」と捉えてきた。

 だがこんな動きにも、歴史的反動はある。そんな甘いことでいいのか、「荒れ」そのものは「管理」して退治すべきとの動きが広がり、マスコミを賑わす。管理主義教育が、取り締まりが「偏差値」を挙げる手段して脚光を浴びるようになった。暴力を伴う取り締まりは生徒を追い詰め「死者」をもたらしても止まらなかった。様々な荒れを、生徒の表現= 権利と捉える教師たちの声は届きにくくなった。確かに管理主義のメッセージは短く単純だった。


 生徒たちの「荒れ」から学ぼうとする職場が徐々に減った後に、現れたのがB高校定時制課程の騒乱だった。騒乱の実態を見極める教師集団が衰えていたのだ。

 疲弊しきった学校に革命を巻き起こしたのは、夜間中学を卒業したたった数名のお婆ちゃん。彼女たちは、学び続けるために入学したのである。お婆ちゃんたちは、荒れる高校生に一瞬たじろぐが「なにしてるの、学校は勉強するところでしょう」と言いながら、教室に入り教科書とノートを広げた。数日の間に花火は姿を消し、静寂が訪れた。荒れ狂ったツッパリ達がおとなしく鉛筆を握ったのである。


 教師は何処でも、~するなと言う。命令である。お婆ちゃんたちは、~すると宣言し実行した。荒れるツッパリとその同調者だけで構成された空間。一見敵対する存在の教師はツッパリと同調者の結束を固めた、同質なのだ。

 夜間中学からのお婆ちゃんは異質。均質の空間に異質の存在が加わることで、突然湧き起きる根底的変化、それが革命であった。


 学校の日常を支配していたのは「掟」であり、その論理は学校ムラの壁を越える普遍性からは絶望的に遠い。「掟」に埋没する者は、突然の革命に遭遇して狼狽え呆然とする。革命を内側から理解するには、長い時間と捨て身の覚悟がいる。ムラ集団から「浮く」ことでしか壁は越えられない。「掟」に縛られる側も「掟」で縛る側も「掟」に中毒する。「掟」なしでは生きられない。


  そもそも突っ張り荒れる高校生たちは、嫌いな筈の学校になぜ登校するのか。どうしてサボらないのか。自由な時間を好きなことに使わないのか。「掟」に縛られるためか、「掟」に逆らうためか。自由が嫌いなのか、わからないのか。 中毒したからだ、掟に。自由は使わなければわからない。使うとは失敗する経験のことだ。何度か倒れなければ、自由に自転車は操れない。

 B高校定時制課程に革命を起こしたお婆ちゃんにとって、自由とは学び続けることとして既に明白であった。だから荒れに直面してもたじろがなかった。


 ツッパリは「掟」に逆らうことで名を揚げ、教師は「掟」を遵守させることで名を揚げる。教師も生徒も失敗しながら学ぶ必要がある。自由が何なのかわからないと言う点で、教師と生徒は同列なのだ。

  「ツッパル」のは疲れる。非常に消耗する。ヘトヘトになる。本音ではどこかでもう止めたいと思っている、生徒も教師も。だが一度振り挙げた拳はなかなか下ろせない。切掛や大義名分がいる。厄介なことだ。

 生徒であれ教師であれ、常識があれば「突っ張るから疲れる」と自ずから気付くものだ。

  当blog『「突っ張るのって疲れるのよ」 何もしないという作為 』 


 生徒たちの直面する現象(その大方は目を背けたくなる)を教材化しよう、その実態を暴き本質に肉薄することこそ社会科教師の存在意義。そこにしか我らの自由はない。 

ぶれない事が重要か

 「我が「党派」はぶれない」と宣言するのが流行った。 

 オウム真理教のサリン殺人実行犯や戦中の皇道主義者たちは頑強に「ぶれ」なかった。彼らは揃いも揃って、ぶれを知らない「エリート」であった。ノーベル賞を目指す快活な大学の研究者、士官学校や兵学校出。彼らは民衆がどんなに犠牲になろうとも、些かも「ぶれなかった」。信念があったからだ。傍目には愚劣極まる宗教儀式に邁進しても「ぶれない」どころか信心を深める。信じれば信じる程「ぶれず」に虐殺は激化。たとえ負け続けても「ぶれ」ない。だから玉砕まで止まらない。

 切羽詰まって藁をも掴もうとする人には、それは藁だと教える必要がある。敗戦の半年前、「赤飯とラッキョウを喰えば爆弾に当たらない」という迷信が流れていたと、当時の朝日新聞が社説に書いている。人々が藁に縋りたくなったのは軍国政府が事実を伝えないからだと新聞までが書くほど流言蜚語が激しくなっていた。鬼畜米英や大東亜共栄も現人神も「流言蜚語」以外の何物でもない。 

 しかし藁を信じる者が「権力」ある多数派になれば、皇道主義以外を排除する言論報国会如きが組織され、藁だと指摘する者が迫害される。藁を掴めと叫ぶ事が「ぶれない」姿勢であった。竹槍で艦砲射撃やB29に勝てると信じて疑わないのが「ぶれない」愛国心であった。いま言論報国会は「電通」と風貌を変えている。

 電線の鳥や一本足で立ち尽くす鳥は、よく見ると畳んだままの翼や体を微妙に動かして絶えず重心を調整している。しかも夜はその状態で睡眠する。微かに絶えず「ぶれる」ことで落ちない。普段は飛ばない鶏でさえ、枝や棒に留まったまま睡眠を取れるのはそのおかげだ。

 

 教養とは「ぶれる」ことである。誰かどんな時にどのようにどこを向いて「ぶれる」かが問われる。陶器製の鳥はいとも簡単に電線から落ちる、絶対「ぶれない」からだ。安定と「ぶれる」ことは対立しない。

  

「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」

    「社畜」という言い回しがある。経営者や首長の驕奢を甲斐性と見做す性癖は根強い。

 働く者は薬物も犯罪もやらず、難民や移民でもない、まして犯罪者やその家族ですらない。教育水準も職務技能も決して低くない。勤勉で、長時間労働に耐える。にも拘らず、日本の貧困は世界で際立っている。「これは完全な「政策の過ち」である」と外国の研究者は驚いている。日本でだって心ある人々は絶望で立ち竦んでいる。  

 厚労省作成の「国民生活基礎調査」(2019年)によれば、平均所得(約552万円)を下回る世帯は61.1%、貯蓄がない世帯は13.4%。「生活が苦しい」と答えた世帯は54.4%に上る。


 株は買えないほど貧しいが、会社の株価が気になる。特売品と百円均一しか買えないから、盗まれる物も家も無い。検事総長予定者が賭け麻雀しても逮捕されないが、治安は良いと信じている。賃金も年金も安いが、テロもない。

 「防衛費」をGNP2%=10兆円に爆発させ、その殆どは米国製武器購入に充てられる。国内の工場や企業が生産で潤う筈もないのにそれをGNPに繰り入れる詐欺手法に、隣国が協調しないから「先制攻撃」も当然と拍手する。そして「変えて悪くなるよりは現状維持」と冷たい笑いを浮かべる。   その隙に日本独自のRNAワクチン開発資金が、怪しさ極まる加計学園に消えたことに怒る気配もない。

  日本の極右政権は、これを世界に類例を見ない日本国民の「美徳」であり、政治的「成功」と見做して、我が世の春を謳歌している。

 「完全な「政策の過ち」」が、何故日本国民の「美徳」に容易く転換するのか。大いなる幻魔術

 まさに天皇制国家体制の「幻魔術」の成果は手っ取り早く手堅い。(嘗ては筆頭戦犯を被害者に見せた幻魔術日本の君主制の際立った特色は、天皇家の対極として民衆の身近に被差別者を配置したこと。被差別部落、ヘイト言説に曝される朝鮮、技能実習生・・・、これらが君主制への憤怒を反らす役割を担ってしまう。それ故、国民の意識は君主=天皇一族への距離で自発的に階層化されるのである。

 北欧などの王政国家には、対極が存在しない。「被差別」者は、イギリスにとってのインドや南ア、ベルギーにとってのコンゴのように遠い国外に設定される。それ故、国民の中に社会的差別は生まれにくい。何故なら不平等は直ちに君主制への不信と怒りに結びつき、王制消滅を意味するからだ。それ故王家も政権も、国民全体の平等実現に努めざるをえない。

 天皇制がある限り、日本社会の社会的差別は永遠に続く。天皇制廃止なしに、この列島に平等は決して実現しない。従ってこの体制下の日本に人文主義は定着しない。

 16世紀フランスの人文主義者Étienne de La Boétieは『自発的隷従論』で、

 「悪い政治が成り立つのは、国民が進んでそれを受け入れているからだ」・・・「圧制は支配される側の自発的な隷従によって永続する」と述べている。


 同時に彼は、高等法院法官でもあった。人文主義者=humanisteは、古典や聖典の探求に基づいて人間と神の本質を考察したので、教会側は危険思想としてたびたび弾圧した。

 ナチへの不服従も人文主義は呼びかけている。

 体罰による生指や部活の横行がかくも長く続いたのも「支配される側の自発的な従属」があったからではないのか。

 自発的な従属=「民主化抜きの近代化」は驚異的な成長と軍事化を進めはしたが、人文主義者=humanisteの抵抗は稀だった。 

 ドイツ語で忖度を表わす言葉は、vorauseilender Gehorsam =先回りした服従 だという。ナチスの暴虐に対してドイツ人が執った行為の本質をよく表している。新自由主義の政権に対する日本メディアの行動は、もはや忖度では言い表せない。

王様に貰ったミカン

 深酒して 終電車に乗り遅れ、交番で補導された事がある。身分証明を見せると、巡査は慌てて「失礼しました」と敬礼した。修学旅行引率では、宿の仲居さんから面と向かって「先生はどこ」と聞かれた。「僕です」と答えると、仲居さんは 一瞬呆然の後 生徒と一緒に大笑いした。引率されたのが二十を...