「共和制は、憲法改正の対象となりえない。」イタリア憲法第 139 条

 イタリアでは憲法が、大戦後20回にわたって改正されている。これを根拠に、我が国でも改憲が必要との論調が勢いをつけている。イタリアの場合の主なものをあげる。

63年2月(上下院議員定数院、上院の任期)

89年1月(大臣弾劾裁判制度を国会から通常裁判所へ移行)

93年10月(議員の不起訴特権の一部廃止)

99年11月(刑事被告人の権利保障)

2000年1月(在外投票権の保障)

01年10月(中央と地方との関係の抜本的改正)

03年5月(男女平等の促進)

22年2月(生態系と生物多様性保護)

 

 イタリアの憲法改正は、各議院で3か月以上の期間をおいて引き続く2回の会期により議決される。第2回目の議決にあっては、各議院で総議員の絶対多数により承認されなければならない。

 憲法改正案は、公布後3か月以内に一議院の5分の1、50万人の有権者または5つの州議会の要求があるときには、国民投票に付される。ただし、前記憲法改正案が第2回目の議決で総議員の3分の2以上の多数により承認されたときは、国民投票に付されない。 

 憲法改正が、かなり頻繁・多項目に及んでいることが分かる。

 しかしイタリア憲法は最終条項の第 139 条で 

共和制は、憲法改正の対象となりえない。 

と釘を刺していることを忘れはならない。

Bella ciaoは1943年から1945年まで続いた
反ファショレジスタンスで唄われた

 1943年7月24日ムッソリーニ政権は崩壊したが、ファシストに協力し伊国王エマヌエー
レⅢ世は戦争継続に固執。抗してムッソリーニ体制を倒したレジスタンス勢力=臨時政府・国民解放委員会は王制の是非を問う国民投票を実施。伊王制は崩壊し、民主共和制国家のイタリア共和国が成立した。民主共和制は、革命の成果であったことを最終条項第 139 条が宣言しているのである。

 24回の憲法改正を経ているフランスも、共和制を憲法改正の対象から外している。

  イタリアやフランスの民主共和制革命にあたるのは、日本で言えば憲法三原則、分けても9条である。

 まともな国家の憲法は、その中心理念を変更しない条項を持つ。

 日本国憲法も、前文で

 そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

と明確に宣言している。

 何度も繰り返す必要がある。 

われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。

 



若者を貧困と無知から解放すべし

    「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」   黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。             ...