名護市長選に於ける年代別投票動向を、沖縄テレビ出口調査がまとめている。
10代 稲嶺37% 渡具知63%
20代 稲嶺38% 渡具知62%
30代 稲嶺39% 渡具知61%
40代 稲嶺41% 渡具知59%
50代 稲嶺38% 渡具知62%
60代 稲嶺65% 渡具知35%
70代 稲嶺68% 渡具知32%
80代 稲嶺67% 渡具知33%
90代 稲嶺86% 渡具知14%
名護市長選では、基地反対を旗印に闘う稲嶺陣営に対して、渡具知陣営は争点は経済活性化と偽った。結果は詳細において衝撃的だった。
この国は沖縄に、70年間も他国軍基地を強いてきた。沖縄県民に何の相談もなく出された「天皇メッセージ」の犯罪性は計り知れない。沖縄と人々を恰も倉の中の私物のように占領軍指令官に献上したのである。彼は人間宣言した筈なのに、主権者を人間扱い出来ない。彼の中では「人」とはどこからどこまでを指していたのか。そもそも君主制とは、君主を「人民」から隔離する事から始まるとすれば、彼が沖縄県民を「人」扱い出来なかったのは当たり前だった。
政権は、返還後もその事実を詫びようとはしなかった。そればかりか、「素直に基地建設に賛成せよ。見返りは考えよう。逆らえば、締め上げる」 ヤクザも顔負けの脅しである。これは、沖縄人には日本国憲法上の「権利はない」と、重ねて通告したも同然。「選挙が日本にはある、中国や北朝鮮とは違う」と言いながら、「言うとおりにしなければ、ただじゃ措かない」と言うのでは、選挙権はない事になる。気に入る結果がでたときだけ、選挙を認める。そんな無茶はない。
選挙権がない区域を、植民地又は保護領と言う。核大国に従属した国の、その又植民地として扱われている。こんな屈辱があろうか。
沖縄テレビ出口調査結果は 「18歳19歳選挙権」騒ぎが何だったかを如実に示している。模擬投票は何を「教育」したのか。
管理主義全盛の頃、ある地方中学の修学旅行で新幹線を使うことになった。完璧好きの担任が、教室内に机や椅子を並べ替えて、車両の乗車口らしき場所をつくった。一列に順序よく「乗る」練習をするのだ。謂わば「模擬乗車」、生徒たちはあきれて笑う。担任は「まじめにやれ」と怒り拳骨を食らわす。この担任は、あらゆる事を事前に覚えさせる事を「教育」だと思っていたのか。デパートでの買い物の予行も、結婚式の予行や初夜の予行も、この男はやりかねない。
模擬投票で、民主政治と投票についての従来の学習を超える何かをやったつもりになってはいないか。選挙公報や新聞の政党別公約早見表を見れば、いい投票が出来ると本気で思っていたのか。
高校で一体どれほどが、ビエケス島の反基地闘争を学んだのだろうか。東京の高校では、衆院選で一体どれほどが、基地問題を投票の基準に入れたのだろうか。AKB総選挙に意識を盗られず、自分一人の判断で、国会前集会に向かった若者はどれほどあったか。
取締役会の決定に反しない限りの労組、職員会議の決定内での生徒会活動、上級官庁の意向に反しない限りの自治行政、内閣府見解を逸脱しない限りの報道、文科省見解内の学問、・・・これは既にfasismである。
若者の学校や地域の日常生活に於ける、政治的要求の自覚が必要である。そして要求の集中・集約、分析、啓蒙・宣伝、集会、交渉、ボイコット、座り込み、ストライキ、デモ行進などを自ら積み上げてこそ、政治的主体としての青少年が現れてくる。そのためには、詰まらない授業や行事をサボり、体罰や処分に反抗する日常に向けて生徒たちを解放しなければならない。
長い間我々教員は、自治指導も教員の職務の範疇だと自惚れていた。その結果の衝撃的な一つが、名護市長選に於ける若者の投票動向に表れている事を自覚しなければならない。そして我々は、政治・哲学・歴史・経済教育に熱中して、生徒たちの現実を見る目と頭脳を明晰にしなければならない。いや、その前に教員自身の知性を鍛え、覚悟を明確にしなければならない。
模擬投票のお行儀に満足している場合ではない。
敗戦直後の何もない頃、いかに日本の高校生が行動的で政治的だったか思い出そう、例えばこれ。←(クリック)
米国の学生はなぜおとなしいか
アメリカの経済学者 が、フランスでは何百万人もが参加してデモやストが行なわれるのに、アメリカでは大きな抗議行動がほとんど起こらないのは、なぜかという問題をたてている。
フランスでもアメリカでも、経済が抱えている問題とその由来や構造は同じ。とられた対策も、総体的に見れば、さほど変わりない。なのに、フランスでは年金支給年齢の引き上げなどの緊縮財政策に対して、大きなストライキが行なわれた。全欧で統一抗議行動も予定。フランスの学生たちは「経済危機は銀行や大企業など資本家たちの間違った投資のために起こっている、今、政府は資本家を護るために人々に負担を要求している。これは許すことはできない」と捉えている。
つまり、ヨーロッパの若者たちは、資本主義に依存しない生き方を知っていて、個別の問題に対する反対も、広く正義を希求し公正な社会を作る闘いの歴史の中に位置づけることができるのだ、と彼はみる。フランスの若者たちの考え方は、長年の教育や情宣によって培われるもので、アメリカの左翼はその点を反省しなくてはならない、とも。
もう一つ、Why Aren't US Students Rioting Over Crazy Tuition Hikes Like College Kids in Europe?というAlterNetの記事
欧州の教育予算削減などに大学生たちが強い抗議行動を起こしたのに対し、アメリカの大学生たちはなぜおとなしいか。
欧米間の温度差に関して紹介されている一つの意見は、アメリカの学生たちが学費値上げなどを自分自身の問題だと感じていないこと、逆に、問題を感じている前衛的な学生たちは、インドの貧しい人たち、アフタにスタンの戦火にさらされている人たちにも目を向けるため、ローカルな活動から力を奪ってしまうという見方です。
この意見に対し、 Simeon Talley は、過去数十年の間に州立大学への州の運営費交付が急激に減ったことや、1980年代初頭に比べ、大学の学費が5倍あまりにもなったことを指摘し、学生たちは在学中にいかに自分を雇用者にとって魅力ある人物にするかに汲々とせざるを得なくなったと分析。つまり、大学教育がよりよい民主的な市民社会を形成するためではなく、単なる勤労者の生産工場となっしまったというわけだ。
一方、ヨーロッパでは、「学費値上げだけではなく、社会のために教育は存在するということを忘れがちな風潮、大卒という肩書きを単なる「将来への投資」と考えるような功利主義、そして社会の地平が狭まっていくことへの抵抗として」学生たちは闘っているのだというイギリスの学生の意見がAlterNetには紹介されている。
つまり今、イギリスが直面しているのは、アメリカがずいぶん前に置かれていた状況だ、というのがこの記事の結論だった。言い換えれば、アメリカで学生たちが活動的になることを期待するのには、もう遅すぎるのだというのが結論。
しかし、2001年春Harvard大学の「生活賃金」運動とその拡がり←(クリック)、や先の大統領選挙で奮闘Bernard "Bernie" Sanders候補を支えた若者たちの動きを、歴史的に分析すれば「もう遅すぎる」とは言えない。学ぶべき事は多い。
問題は日本の学生や若者の状況を、ヨーロッパやアメリカ、ラテンアメリカと具体的に対比分析した論文さえ殆ど見られない事だ。僕はそこが先ず問題だと思う。国立大学法人化に為す術なく白旗を揚げた事の分析も。
フランスでもアメリカでも、経済が抱えている問題とその由来や構造は同じ。とられた対策も、総体的に見れば、さほど変わりない。なのに、フランスでは年金支給年齢の引き上げなどの緊縮財政策に対して、大きなストライキが行なわれた。全欧で統一抗議行動も予定。フランスの学生たちは「経済危機は銀行や大企業など資本家たちの間違った投資のために起こっている、今、政府は資本家を護るために人々に負担を要求している。これは許すことはできない」と捉えている。
つまり、ヨーロッパの若者たちは、資本主義に依存しない生き方を知っていて、個別の問題に対する反対も、広く正義を希求し公正な社会を作る闘いの歴史の中に位置づけることができるのだ、と彼はみる。フランスの若者たちの考え方は、長年の教育や情宣によって培われるもので、アメリカの左翼はその点を反省しなくてはならない、とも。
もう一つ、Why Aren't US Students Rioting Over Crazy Tuition Hikes Like College Kids in Europe?というAlterNetの記事
欧州の教育予算削減などに大学生たちが強い抗議行動を起こしたのに対し、アメリカの大学生たちはなぜおとなしいか。
欧米間の温度差に関して紹介されている一つの意見は、アメリカの学生たちが学費値上げなどを自分自身の問題だと感じていないこと、逆に、問題を感じている前衛的な学生たちは、インドの貧しい人たち、アフタにスタンの戦火にさらされている人たちにも目を向けるため、ローカルな活動から力を奪ってしまうという見方です。
この意見に対し、 Simeon Talley は、過去数十年の間に州立大学への州の運営費交付が急激に減ったことや、1980年代初頭に比べ、大学の学費が5倍あまりにもなったことを指摘し、学生たちは在学中にいかに自分を雇用者にとって魅力ある人物にするかに汲々とせざるを得なくなったと分析。つまり、大学教育がよりよい民主的な市民社会を形成するためではなく、単なる勤労者の生産工場となっしまったというわけだ。
一方、ヨーロッパでは、「学費値上げだけではなく、社会のために教育は存在するということを忘れがちな風潮、大卒という肩書きを単なる「将来への投資」と考えるような功利主義、そして社会の地平が狭まっていくことへの抵抗として」学生たちは闘っているのだというイギリスの学生の意見がAlterNetには紹介されている。
つまり今、イギリスが直面しているのは、アメリカがずいぶん前に置かれていた状況だ、というのがこの記事の結論だった。言い換えれば、アメリカで学生たちが活動的になることを期待するのには、もう遅すぎるのだというのが結論。
しかし、2001年春Harvard大学の「生活賃金」運動とその拡がり←(クリック)、や先の大統領選挙で奮闘Bernard "Bernie" Sanders候補を支えた若者たちの動きを、歴史的に分析すれば「もう遅すぎる」とは言えない。学ぶべき事は多い。
問題は日本の学生や若者の状況を、ヨーロッパやアメリカ、ラテンアメリカと具体的に対比分析した論文さえ殆ど見られない事だ。僕はそこが先ず問題だと思う。国立大学法人化に為す術なく白旗を揚げた事の分析も。
何十の金メダルより、たか子と同級の子どもたちの振る舞い
イギリスには、「全英カタツムリ選手権大会」がある。この奇妙なレースの優勝者は、シェラレオーネまでカタツムリを探しに行った。おかげで彼のカタツムリは、2feet(約60センチ)を2分15秒の「俊足」で駆け抜け世界記録を打ち立てている。
同じくウエスト・サセックス州ティンズリー・グリーンでは、「世界ビー玉選手権大会」が開催され、専用競技場まであって80年以上の歴史がある。このほかにも、犬まで使った本格的ネズミ狩りに命を張る人やミミズの競争に心血を注ぐ変人の類いがわんさかいる。かつてイギリスには地球平面協会もあった。世界で初めて山岳会をつくったのも、1857年の英国人である。だから世界の山岳会のなかでイギリスだけが、国名をつけないでThe Alpine Clubと名乗れるのである。愉快で頑固な人たちである。
イギリスのgreeting card.売り場には、変わったものがある。退職祝いである。日本でも少しはあるが「ご苦労様でした」と引導を渡すものが殆どで、さみしい印象がある。イギリスのものは華やかで、まさしく祝いである。早めに引退して、極めてマイナーな趣味や研究に没頭する願いが叶うのを、祝福するのである。
数年前、模型列車の長距離走行記録更新を目指す男たちの奮闘を、BBCが番組にしたことがある。日本のTVならお笑い芸人が、煩く画面に顔を出し、何の役にも立たない悪ふざけを展開して、見ている者をうんざりさせる。 だがこれは淡々と、主催の模型愛好家に語らせて、数日前の準備から終わりまでをまとめたものだった。イギリスらしい田園の公道に、模型の線路を延々と繋ぎ、交差点や本物の鉄道の踏切を克服しながら、ひたすら完走を目指す。公道だから、模型の走行は夕方から朝までを交通止めにして行われた。電源が切れたり、モーターが故障したり、脱線したりいろいろな厄介が起きるが、それに挑む模型愛好者たちの姿がよく撮れていた。近所の人たちも子ども連れで見物に現れ、結局 明け方ギリギリに一チームだけがゴールしてお終いになったと記憶している。開会の挨拶も閉会の表彰もなかった。
こういう人たちには、オリンピックのスケートで4回転半ジャンプをしようが、10回転して着氷しようが、金メダルが取れようが、たいした事ではない。1人ひとりのマイナーな趣味が優越する。少なくとも同列だ。同様に僕には、水上勉『知恵遅れについて』の、たか子と同級の子どもたちの振る舞い←クリック の方が、オリンピックのどんな記録よりも何十倍も賞賛に値すると思われる。
英国や欧州のメディアには、オリンピック競技やplayerの詳細がくどくどしく表れる事はない、国政上の重大問題報道を妨害して政権を利する事もないのはその為である。オリンピックなど「祭典」の過度の狂乱騒ぎは、良い塩梅に相対化される。
対ナチスドイツ戦に於けるチャーチルの功績を絶対化することなく、自分たちの生活のなかに相対化して、あらゆる予想を覆して労働党に勝利をもたらしたのは、こうした国民性である。個人の存在価値を他者に委ねない、意識がこうして維持されたのだと思う。それが時には熱狂する国民意識を相対化して、階級意識を鮮明にする。だから戦争後の消耗仕切った時期に、Beveridge Reportを法律化して「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を実現出来たのである。
2020年東京オリンピックのメイン会場建設費は、2520億円にも達し、2000年以降の全てのオリンピックメイン会場建設費の合計額2480億円を上まわっている。←クリック これを狂乱とずして何というか。たいした数にもならない日本のメダル数に浮かれている間に、政府はポンコツの米国製殺人兵器を空前の規模で買い込んでいるのだ。その分、福祉や医療介護の自己負担は増えつづける。
競争的「祭典」を相対化出来ないのがこの日本人。どちらが上か決めずにはおれない。日米の無謀な戦さえして、負けてしまったら、あっけなく従属するのである。もう70年以上独立の気概を自ら放棄している。
もしスケートや体操の大技などに感動したければ、それも個人的な嗜好である。自前で競技を招致して、それが無理なら選手個人を有志で招待して、演じさせ存分に賞賛すれば良い。
他人の懐に手を突っ込んで「おもてなし」と浮かれるな。「全英カタツムリ選手権大会」は自前であるから品格がある。やれる範囲で楽しめ。他人も同じように感動しているなどと思われては困る。
追記 江戸時代の日本にも世界に類例のない「算額」奉納の習わしがあった。学ぶ事が、出世や儲けと無縁の時代があったのである。それを破壊したのは、富国強兵策。浮かれ増長して、自己を見失ったのである。
同じくウエスト・サセックス州ティンズリー・グリーンでは、「世界ビー玉選手権大会」が開催され、専用競技場まであって80年以上の歴史がある。このほかにも、犬まで使った本格的ネズミ狩りに命を張る人やミミズの競争に心血を注ぐ変人の類いがわんさかいる。かつてイギリスには地球平面協会もあった。世界で初めて山岳会をつくったのも、1857年の英国人である。だから世界の山岳会のなかでイギリスだけが、国名をつけないでThe Alpine Clubと名乗れるのである。愉快で頑固な人たちである。
イギリスのgreeting card.売り場には、変わったものがある。退職祝いである。日本でも少しはあるが「ご苦労様でした」と引導を渡すものが殆どで、さみしい印象がある。イギリスのものは華やかで、まさしく祝いである。早めに引退して、極めてマイナーな趣味や研究に没頭する願いが叶うのを、祝福するのである。
数年前、模型列車の長距離走行記録更新を目指す男たちの奮闘を、BBCが番組にしたことがある。日本のTVならお笑い芸人が、煩く画面に顔を出し、何の役にも立たない悪ふざけを展開して、見ている者をうんざりさせる。 だがこれは淡々と、主催の模型愛好家に語らせて、数日前の準備から終わりまでをまとめたものだった。イギリスらしい田園の公道に、模型の線路を延々と繋ぎ、交差点や本物の鉄道の踏切を克服しながら、ひたすら完走を目指す。公道だから、模型の走行は夕方から朝までを交通止めにして行われた。電源が切れたり、モーターが故障したり、脱線したりいろいろな厄介が起きるが、それに挑む模型愛好者たちの姿がよく撮れていた。近所の人たちも子ども連れで見物に現れ、結局 明け方ギリギリに一チームだけがゴールしてお終いになったと記憶している。開会の挨拶も閉会の表彰もなかった。
こういう人たちには、オリンピックのスケートで4回転半ジャンプをしようが、10回転して着氷しようが、金メダルが取れようが、たいした事ではない。1人ひとりのマイナーな趣味が優越する。少なくとも同列だ。同様に僕には、水上勉『知恵遅れについて』の、たか子と同級の子どもたちの振る舞い←クリック の方が、オリンピックのどんな記録よりも何十倍も賞賛に値すると思われる。
英国や欧州のメディアには、オリンピック競技やplayerの詳細がくどくどしく表れる事はない、国政上の重大問題報道を妨害して政権を利する事もないのはその為である。オリンピックなど「祭典」の過度の狂乱騒ぎは、良い塩梅に相対化される。
対ナチスドイツ戦に於けるチャーチルの功績を絶対化することなく、自分たちの生活のなかに相対化して、あらゆる予想を覆して労働党に勝利をもたらしたのは、こうした国民性である。個人の存在価値を他者に委ねない、意識がこうして維持されたのだと思う。それが時には熱狂する国民意識を相対化して、階級意識を鮮明にする。だから戦争後の消耗仕切った時期に、Beveridge Reportを法律化して「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家を実現出来たのである。
2020年東京オリンピックのメイン会場建設費は、2520億円にも達し、2000年以降の全てのオリンピックメイン会場建設費の合計額2480億円を上まわっている。←クリック これを狂乱とずして何というか。たいした数にもならない日本のメダル数に浮かれている間に、政府はポンコツの米国製殺人兵器を空前の規模で買い込んでいるのだ。その分、福祉や医療介護の自己負担は増えつづける。
競争的「祭典」を相対化出来ないのがこの日本人。どちらが上か決めずにはおれない。日米の無謀な戦さえして、負けてしまったら、あっけなく従属するのである。もう70年以上独立の気概を自ら放棄している。
もしスケートや体操の大技などに感動したければ、それも個人的な嗜好である。自前で競技を招致して、それが無理なら選手個人を有志で招待して、演じさせ存分に賞賛すれば良い。
他人の懐に手を突っ込んで「おもてなし」と浮かれるな。「全英カタツムリ選手権大会」は自前であるから品格がある。やれる範囲で楽しめ。他人も同じように感動しているなどと思われては困る。
追記 江戸時代の日本にも世界に類例のない「算額」奉納の習わしがあった。学ぶ事が、出世や儲けと無縁の時代があったのである。それを破壊したのは、富国強兵策。浮かれ増長して、自己を見失ったのである。
知恵遅れの子と複式学級の子どもたち
水上勉は戦時中、若狭の山奥の分教場で代用教員をしていたことがある。その時の事を『知恵遅れについて』というessayにして「総合教育技術」に連載した。受け持ったのは、一年から四年までの複式学級だった。水上先生は、前任の訓導が、「情緒不安定」「他児童に支障を来す」と登校を禁じた、知恵遅れのタカ子を、学級に戻して一年生にした。10歳ぐらい、大柄で力持ちの色白であった
タカちゃんは、はじめ学校に慣れなくて、大便や小便を漏らすこともあつた。そんなときは四年生が、「タカちゃんション便や」と手を挙げて、少しも嫌がる様子もなく世話をした。いつの間にか、タカちゃんのこの癖はなくなった。
雪の日は、タカちゃんの集落の子どもたちは、雪が深いので登校しないことになっていた。そしてこんな日、水上は授業で差がつかないように、自作の物語をするのが常だった。だが、集落の子どもたちは「タカちゃんが、ゆきたいというから」と、級長の勝美がタカちゃんを背負ぶって吹雪でびしょ濡れになって登校した。タカちゃんの鞄は、他の子たちがいつものように分担していた。こうした子どもたちを、水上先生は、「知恵遅れの子を守るの覚悟」を持った、大人も及ばぬ顔と挙動があり、山間の複式学級ならではの連帯であったと回顧している。
タカちゃんは、「情緒不安定」でも「他児童に支障を来す」厄介者でもなかった。子どもたちに、光をもたらした優等生であり、「教科書」であった。だから、水上は彼女に「優」をつけている。
後に水上は、前任の訓導に圧力を加え、タカちゃんを登校禁止に追い込んだのは、集落の大人たちであった事を知る。それ故、水上先生が辞めてから、タカちゃんは再び学校に行けなくなってしまったのである。
水上勉はこのessayのおしまいにこう書いている。
落伍する者の存在を前提とした選抜・評価制度を作った者が、「落ちこぼれ」と罵って落伍者を排除する。こういう仕組みが内包された「教育」に、「国民」と「権利」を付け加えて「国民の教育権」と軽々にいうべきではない。「落ちこぼれ」の現象と闘うばかりでなく、落ちこぼれを前提とした制度そのものと闘う「覚悟」を求められる。
僕には、オリンピックのメダルが段々大きくなるのがとても疎ましい。下品だとも思う。「頑張った者が報われる」社会というスローガンも好きになれない。「応援よろしくお願いします」と「選手」たちが口癖のようにいうとき、そのうちの1人ぐらいは「我々に過大な予算を投入するのは、やめて欲しい。社会的弱者の予算や報道の枠組みが削られているのを横目に、メダル取りに狂奔するのはごめんです。我々は支配の道具ではない」と言わないか。外国にはこうしたスポーツマンがいて、スポーツマンシップというものを知る事が出来る。
「タカ子は、このフキ探りがはじまってから急に頭角を現した。彼女は、母親と家にいたころ、山へばかり入っていた。そのため、フキのある場所に詳しかった。その上、坂道や山道を歩くのが上手だった。都会の子がひるんで行かない所を、タカ子はとっとと歩いて、やがてフキの海に出くわすと、たくみに鎌で根を切って、これを束にして背負うのだった。
・・・相変わらず鼻汁はたらしていたが、誰よりも量の多いフキを背負ってくる。・・・タカ子の場合は、ヘビも蛙も友だちで、恐れがない。どんな所へでも入りこんで、フキの海があると、無心に採ってくる。夕方、私は笛を吹いてみなを集めて、点呼してから分教場へ.フキを背負って帰ったが、谷口タカ子の収穫量が群をぬいていたことはいうまでもない。・・・ ある一日のことだった。夕方がきて、・・・点呼してみたが、タカ子の姿がなかった。心配になった。子らに訊いても、どこで見失ったか知らぬという。私は青ざめた。谷には危険なところがあった。足をふみすべらせば、深い川底へ落ちるところもあったし、細い仙道は苔が生えて、よく足もすべる。・・・子供らに山へ入らせて、タカ子を捜させた。だが、タカ子は帰ってこない。 「タカちゃんよォー.タカちゃんよォー」と、全児童が谷から谷を走り回って、彼女の名を呼んだ。 山上は黄昏が早かった。すぐなすび色の霜がかかって谷は暗くなった。どれくらい時間が経ったろう。真剣になって呼び回っていると、遠い谷の奥から、
「タカちゃん、おったぞォ」 勝巳の声だった。今寺部落のタカ子親衛隊長といってもよい勝巳は、私の青ざめる顔を見て走っていったのだった。そうして、その谷の奥で見つけたらしかった。声を聞いて、私らはほっとした。 なんと、タカ子は、背中いっぱいのフキを山のように積みあげ、鼻をたらしながら必死で背負ってきた。
「先生、タカちゃん、地獄谷におったわのう」と、勝巳は涙でぬれた顔を私に向けていった。
「あすこは、大人のひとでも行かんとこや。えらいところへ行っとった」 地獄谷は、青葉山の数ある谷のうちで、岩石の多いところだった。巨大な岩が通せんぼをしているので、穴をくぐってゆかぬと入れない。そんな奥の暗いところへ、タカ子はフキに誘われていったのだ。そうして、みなに比べて、数倍のフキを収穫したため、荷が大きすぎて穴から出られなかったことも分かった。
「タカちゃん、よかったなあ。タカちゃんいてよかったなあ」 子供らは口々にタカ子を呼び、迎え出て泣いた。あの夕刻の山上で、二十七人の都会の子も山の子も、知恵おくれの子の背負ってきたフキの山を見て泣いたのである」
タカちゃんは、はじめ学校に慣れなくて、大便や小便を漏らすこともあつた。そんなときは四年生が、「タカちゃんション便や」と手を挙げて、少しも嫌がる様子もなく世話をした。いつの間にか、タカちゃんのこの癖はなくなった。
雪の日は、タカちゃんの集落の子どもたちは、雪が深いので登校しないことになっていた。そしてこんな日、水上は授業で差がつかないように、自作の物語をするのが常だった。だが、集落の子どもたちは「タカちゃんが、ゆきたいというから」と、級長の勝美がタカちゃんを背負ぶって吹雪でびしょ濡れになって登校した。タカちゃんの鞄は、他の子たちがいつものように分担していた。こうした子どもたちを、水上先生は、「知恵遅れの子を守るの覚悟」を持った、大人も及ばぬ顔と挙動があり、山間の複式学級ならではの連帯であったと回顧している。
タカちゃんは、「情緒不安定」でも「他児童に支障を来す」厄介者でもなかった。子どもたちに、光をもたらした優等生であり、「教科書」であった。だから、水上は彼女に「優」をつけている。
後に水上は、前任の訓導に圧力を加え、タカちゃんを登校禁止に追い込んだのは、集落の大人たちであった事を知る。それ故、水上先生が辞めてから、タカちゃんは再び学校に行けなくなってしまったのである。
水上勉はこのessayのおしまいにこう書いている。
「「落ちこぼれ」ということばを誰がいいだしたか知らないが、この造語をなした人は上から下を見ていないか。つまり、何匹もの蟻どもを、ある線上へ登らせようとして大半は登りつくが、落伍してゆく蟻がいるのを見つめているような語感がある。虫を見るような眼で、子供を見つめた語感がひびくので私はこの語が嫌いだ。 先にもいったように、私は人間は生まれてから、その子はその子の特性があってオリジナルなものだという考えを変えていない。人間が尊いという意味は、その人間しかもっていない、かけがえのないものを持っているからである」
落伍する者の存在を前提とした選抜・評価制度を作った者が、「落ちこぼれ」と罵って落伍者を排除する。こういう仕組みが内包された「教育」に、「国民」と「権利」を付け加えて「国民の教育権」と軽々にいうべきではない。「落ちこぼれ」の現象と闘うばかりでなく、落ちこぼれを前提とした制度そのものと闘う「覚悟」を求められる。
僕には、オリンピックのメダルが段々大きくなるのがとても疎ましい。下品だとも思う。「頑張った者が報われる」社会というスローガンも好きになれない。「応援よろしくお願いします」と「選手」たちが口癖のようにいうとき、そのうちの1人ぐらいは「我々に過大な予算を投入するのは、やめて欲しい。社会的弱者の予算や報道の枠組みが削られているのを横目に、メダル取りに狂奔するのはごめんです。我々は支配の道具ではない」と言わないか。外国にはこうしたスポーツマンがいて、スポーツマンシップというものを知る事が出来る。
「理屈を言え」と言え
「自分の意志を主張するには、説得術に長けていなければならない。説得術は、いわゆる雄弁術とは違う。いわゆる雄弁術では聴衆を感動させなければならず、そのためには発音が明瞭で、抑揚や問の取り方等、話術が巧みでなければならない。しかし説得術では、そういうことはどうでもよい。話が理詰めに運ばれて、ちょうど将棋で敵の王将を詰めてしまうように、相手をして結論を受け入れざるを得ないと観念させるだけの、論理力がなければならない。こういう論理力がないのに首相が「積極外交」をうそぶいたなら、それは「こけおどし」以外の何物でもない。
ところで日本人の論理力は極めて弱い・・・ 日本では、古代はもちろん中世でも、論理的に思考することはほとんどなかった。徳川時代に和算が発達したが、それが刺戟になって社会問題や宗教問題が論理的に考えられることにはならなかった。論理的思考が多少とも一般国民のレベルに入って来るのは、明治時代に近代科学が輸入されてからである。そのような時代にも学問以外で論理を振るうことは歓迎されなかった。「理屈を言うな」の一声が、日常政治や政治生活から論理を追放したのである。
人間の論理力は、10歳代の後半に高速度で発達する。したがってこの年頃に自由に勉強できるなら、20歳になった時には相当高水準の思考ができる。日本でも旧制高校は、そのような青年を育成するのに貢献した。しかし新制教育の時代になると、大学入学試験が激化したから、生徒は高校時代に考えなくなり、必要な知識は記憶力で頭に詰めこむようになった。私はかねがね塾や予備校育ちの人が首相になるようになれば大変なことになると思っていたが、まさにそういう時代が来たのである」 森嶋通夫『政治家の条件』
フランスの高校生たちは、例えばサルコジ政権の「年金改悪」政策を追い詰め、カナダや南米でも世論を喚起して共感を巻き起こし要求を実現し、政権を打倒することもたびたびある。"子供のために投票しよう"運動を繰り広げる「ペルー働く子ども・若者全国運動」(MNNATSOP)の子どもたちは、働く子どもの権利を提起広く世界に活動を広げている。←クリック
日本の高校生や大学生が、大きな運動を組織出来なくなったのは「論理力」に欠け「相手をして結論を受け入れざるを得ないと観念させ」られない弱さ所以だと、僕も思う。受験で青少年が知的精神的消耗しきって「考えなくなり、必要な知識は記憶力で頭に詰めこむようになった」事もある。 がそれだけではない。例えば、慶応や早稲田はかなりの人数を付属高校から無試験で入学させている。彼らが、受験地獄をくぐり抜けた連中より、鋭い分析と展望で学生運動をリードしていたとは、少なくとも1968年の「紛争」時代の経験からは言えない。
たとえ受験競争がなくとも、高校生から「論理力」を根こそぎ奪うものがある。部活である。部活の論理は、部活の指導者を教員が兼ねているから、「理屈を言うな」の声が中学時代から学園生活を席捲、日常から論理を説得を追放している。教師の生活自体が、上から「理屈を言うな」の声に押しつぶされて、身動きならず過労死に至っている。受験圧力だけなら、つまり高校生を締め付けるものが一つだけなら「反乱」の可能性はある。いくらか「考え」る力・論理力が弱くとも、困難が一つなら誤魔化されはしない。自殺も、原因が一つだけなら避けられる可能性は高い。だが原因が複合しているときの絶望感は、対数関数的に高まって手に負えなくなる。
高校生諸君! 偶には部活をサボり、考えてみようではないか。世界では君たちと同世代が、直接社会的発言や行動を繰り広げ、若者や国民の要求を政府に認めさせている。学校の運営にも、教師や親たちと対等な立場で発言、評決もしているのだ。 「模擬」ではない、「本物」の社会参加が君たちには出来る、肉体も精神もそういう年齢に達しているのだ。
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若者を貧困と無知から解放すべし
「病気の原因は社会の貧困と無知からくる。」「だがこれまで政治が貧困と無知に対してなにかしたことがあるか。人間を貧困と無知のままにしては置いてはならないという法令が出たことがあるか」 黒澤明は『赤ひげ』で新出去定に怒りを込めてこう言わせている。 ...