米国の学生はなぜおとなしいか

  アメリカの経済学者 が、フランスでは何百万人もが参加してデモやストが行なわれるのに、アメリカでは大きな抗議行動がほとんど起こらないのは、なぜかという問題をたてている。

 フランスでもアメリカでも、経済が抱えている問題とその由来や構造は同じ。とられた対策も、総体的に見れば、さほど変わりない。なのに、フランスでは年金支給年齢の引き上げなどの緊縮財政策に対して、大きなストライキが行なわれた。全欧で統一抗議行動も予定。フランスの学生たちは「経済危機は銀行や大企業など資本家たちの間違った投資のために起こっている、今、政府は資本家を護るために人々に負担を要求している。これは許すことはできない」と捉えている。
 つまり、ヨーロッパの若者たちは、資本主義に依存しない生き方を知っていて、個別の問題に対する反対も、広く正義を希求し公正な社会を作る闘いの歴史の中に位置づけることができるのだ、と彼はみる。フランスの若者たちの考え方は、長年の教育や情宣によって培われるもので、アメリカの左翼はその点を反省しなくてはならない、とも。

もう一つ、Why Aren't US Students Rioting Over Crazy Tuition Hikes Like College Kids in Europe?というAlterNetの記事 
 欧州の教育予算削減などに大学生たちが強い抗議行動を起こしたのに対し、アメリカの大学生たちはなぜおとなしいか。
 欧米間の温度差に関して紹介されている一つの意見は、アメリカの学生たちが学費値上げなどを自分自身の問題だと感じていないこと、逆に、問題を感じている前衛的な学生たちは、インドの貧しい人たち、アフタにスタンの戦火にさらされている人たちにも目を向けるため、ローカルな活動から力を奪ってしまうという見方です。
 この意見に対し、 Simeon Talley は、過去数十年の間に州立大学への州の運営費交付が急激に減ったことや、1980年代初頭に比べ、大学の学費が5倍あまりにもなったことを指摘し、学生たちは在学中にいかに自分を雇用者にとって魅力ある人物にするかに汲々とせざるを得なくなったと分析。つまり、大学教育がよりよい民主的な市民社会を形成するためではなく、単なる勤労者の生産工場となっしまったというわけだ。
 一方、ヨーロッパでは、「学費値上げだけではなく、社会のために教育は存在するということを忘れがちな風潮、大卒という肩書きを単なる「将来への投資」と考えるような功利主義、そして社会の地平が狭まっていくことへの抵抗として」学生たちは闘っているのだというイギリスの学生の意見がAlterNetには紹介されている。

 つまり今、イギリスが直面しているのは、アメリカがずいぶん前に置かれていた状況だ、というのがこの記事の結論だった。言い換えれば、アメリカで学生たちが活動的になることを期待するのには、もう遅すぎるのだというのが結論。

 しかし、2001年春Harvard大学の「生活賃金」運動とその拡がり←(クリック)、や先の大統領選挙で奮闘Bernard "Bernie" Sanders候補を支えた若者たちの動きを、歴史的に分析すれば「もう遅すぎる」とは言えない。学ぶべき事は多い。
 問題は日本の学生や若者の状況を、ヨーロッパやアメリカ、ラテンアメリカと具体的に対比分析した論文さえ殆ど見られない事だ。僕はそこが先ず問題だと思う。国立大学法人化に為す術なく白旗を揚げた事の分析も。

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