「タカ子は、このフキ探りがはじまってから急に頭角を現した。彼女は、母親と家にいたころ、山へばかり入っていた。そのため、フキのある場所に詳しかった。その上、坂道や山道を歩くのが上手だった。都会の子がひるんで行かない所を、タカ子はとっとと歩いて、やがてフキの海に出くわすと、たくみに鎌で根を切って、これを束にして背負うのだった。
・・・相変わらず鼻汁はたらしていたが、誰よりも量の多いフキを背負ってくる。・・・タカ子の場合は、ヘビも蛙も友だちで、恐れがない。どんな所へでも入りこんで、フキの海があると、無心に採ってくる。夕方、私は笛を吹いてみなを集めて、点呼してから分教場へ.フキを背負って帰ったが、谷口タカ子の収穫量が群をぬいていたことはいうまでもない。・・・ ある一日のことだった。夕方がきて、・・・点呼してみたが、タカ子の姿がなかった。心配になった。子らに訊いても、どこで見失ったか知らぬという。私は青ざめた。谷には危険なところがあった。足をふみすべらせば、深い川底へ落ちるところもあったし、細い仙道は苔が生えて、よく足もすべる。・・・子供らに山へ入らせて、タカ子を捜させた。だが、タカ子は帰ってこない。 「タカちゃんよォー.タカちゃんよォー」と、全児童が谷から谷を走り回って、彼女の名を呼んだ。 山上は黄昏が早かった。すぐなすび色の霜がかかって谷は暗くなった。どれくらい時間が経ったろう。真剣になって呼び回っていると、遠い谷の奥から、
「タカちゃん、おったぞォ」 勝巳の声だった。今寺部落のタカ子親衛隊長といってもよい勝巳は、私の青ざめる顔を見て走っていったのだった。そうして、その谷の奥で見つけたらしかった。声を聞いて、私らはほっとした。 なんと、タカ子は、背中いっぱいのフキを山のように積みあげ、鼻をたらしながら必死で背負ってきた。
「先生、タカちゃん、地獄谷におったわのう」と、勝巳は涙でぬれた顔を私に向けていった。
「あすこは、大人のひとでも行かんとこや。えらいところへ行っとった」 地獄谷は、青葉山の数ある谷のうちで、岩石の多いところだった。巨大な岩が通せんぼをしているので、穴をくぐってゆかぬと入れない。そんな奥の暗いところへ、タカ子はフキに誘われていったのだ。そうして、みなに比べて、数倍のフキを収穫したため、荷が大きすぎて穴から出られなかったことも分かった。
「タカちゃん、よかったなあ。タカちゃんいてよかったなあ」 子供らは口々にタカ子を呼び、迎え出て泣いた。あの夕刻の山上で、二十七人の都会の子も山の子も、知恵おくれの子の背負ってきたフキの山を見て泣いたのである」
タカちゃんは、はじめ学校に慣れなくて、大便や小便を漏らすこともあつた。そんなときは四年生が、「タカちゃんション便や」と手を挙げて、少しも嫌がる様子もなく世話をした。いつの間にか、タカちゃんのこの癖はなくなった。
雪の日は、タカちゃんの集落の子どもたちは、雪が深いので登校しないことになっていた。そしてこんな日、水上は授業で差がつかないように、自作の物語をするのが常だった。だが、集落の子どもたちは「タカちゃんが、ゆきたいというから」と、級長の勝美がタカちゃんを背負ぶって吹雪でびしょ濡れになって登校した。タカちゃんの鞄は、他の子たちがいつものように分担していた。こうした子どもたちを、水上先生は、「知恵遅れの子を守るの覚悟」を持った、大人も及ばぬ顔と挙動があり、山間の複式学級ならではの連帯であったと回顧している。
タカちゃんは、「情緒不安定」でも「他児童に支障を来す」厄介者でもなかった。子どもたちに、光をもたらした優等生であり、「教科書」であった。だから、水上は彼女に「優」をつけている。
後に水上は、前任の訓導に圧力を加え、タカちゃんを登校禁止に追い込んだのは、集落の大人たちであった事を知る。それ故、水上先生が辞めてから、タカちゃんは再び学校に行けなくなってしまったのである。
水上勉はこのessayのおしまいにこう書いている。
「「落ちこぼれ」ということばを誰がいいだしたか知らないが、この造語をなした人は上から下を見ていないか。つまり、何匹もの蟻どもを、ある線上へ登らせようとして大半は登りつくが、落伍してゆく蟻がいるのを見つめているような語感がある。虫を見るような眼で、子供を見つめた語感がひびくので私はこの語が嫌いだ。 先にもいったように、私は人間は生まれてから、その子はその子の特性があってオリジナルなものだという考えを変えていない。人間が尊いという意味は、その人間しかもっていない、かけがえのないものを持っているからである」
落伍する者の存在を前提とした選抜・評価制度を作った者が、「落ちこぼれ」と罵って落伍者を排除する。こういう仕組みが内包された「教育」に、「国民」と「権利」を付け加えて「国民の教育権」と軽々にいうべきではない。「落ちこぼれ」の現象と闘うばかりでなく、落ちこぼれを前提とした制度そのものと闘う「覚悟」を求められる。
僕には、オリンピックのメダルが段々大きくなるのがとても疎ましい。下品だとも思う。「頑張った者が報われる」社会というスローガンも好きになれない。「応援よろしくお願いします」と「選手」たちが口癖のようにいうとき、そのうちの1人ぐらいは「我々に過大な予算を投入するのは、やめて欲しい。社会的弱者の予算や報道の枠組みが削られているのを横目に、メダル取りに狂奔するのはごめんです。我々は支配の道具ではない」と言わないか。外国にはこうしたスポーツマンがいて、スポーツマンシップというものを知る事が出来る。
0 件のコメント:
コメントを投稿