幸福度が低い国の子どもを待ち受ける危険な「隊列」

 ユニセフの子どもの幸福度調査は、利用できる統計が集まった38カ国を対象に実施。「精神的な幸福度」「身体的幸福」「学力・社会的スキル」の3分野で行われた。


 「精神的な幸福度」で使われた指標は、生活満足度と自殺率。 「身体的幸福」では肥満度。「学力・社会的スキル」では学力と「すぐ友達ができる」子どもの割合を調べた。

  日本の「精神的な幸福度」の低さは際立っている。

 学校では、いじめと体罰が国際的比較の対象にならない規模とレベルで蔓延している。 東京五輪パラリンピック開会式の楽曲担当予定者・小山田圭吾らへの政府、組織委員会、世間の鈍い対応がそれを如実に示している。たかが金メダルの数でごまかされる。おまけに偏差値による受験地獄は文科省がベネッセの植民官庁となって留まるところを知らない。

  「すぐ友達ができる」環境を日本の社会は、破壊することで

福井新聞から
繁栄している。

 それだけでも、絶望に値する。日々落ちこぼれる恐怖が更新されるからだ。その恐怖から逃れるために、子どもも親も「塾」資本と部活に救いを求める「アリ地獄」構造に自ら笑顔で飛び込む始末。


  子どもの幸福の根幹にあるのは、「こん子たちゃもう戦争に行かんでん良かとじゃな」と大人が安心して子どもたちの未来を見通せる事だ。平和の安定性を支える政治構造への信頼だ。

  日本国憲法第9条は「日本への攻撃」がない場合の武力行使を認めていないから集団的自衛権の行使はできないというのが,戦後一貫した政府の解釈だった。それが「こん子たちゃもう戦争に行かんでん良かとじゃな」の根拠だった。


  現在日本は集団的自衛権行使を口実に、NATOの「不朽の自由作戦・海上措置作戦」に参戦、武装「隊列」を組んでいる。集団的自衛権は明白な憲法違反。地理的に遠い世界への武力行使に無関心を利用して、保守政権は解釈改憲に移行した。そんなことにさえ気付かない鈍感さが、小山田圭吾問題への醜悪な対応に及んでいる。

 若者にも、子どもにもそして働く者に年寄りにも絶望的な世界がもう始まっている。不幸は、学力や賃金や競争力の国際ランキングの低下ばかりではない。  

 


もし、君の庭が貴金属だらけになったら

   夢のような幸運、たった一掴みでどんな贅沢も思いのままだ。ひとかけらの土も糞や汚物もない。大リーグ「大谷」の幸運は、さしずめプラチナか巨大なルビー相当だろうか。プロゴルフも競艇も競馬も囲碁将棋gamerもオリンピックplayerもその稼ぎ高が、画面や紙面を賑わす。それにつられ...