「二時間後にタンタを去るとき、私の心は快く温まっていた。タンタでの二時間は、エジプトでのもっとも充実した時間であった。
まず、帰りの切符を買おうと、例の紙片を持って窓口を探す。外国人の訪れない駅だからローマ字表記など一切なく、すべてアラビア文字ばかりである。うろうろしていると、そのあたりにたむろしていた一人が案内してくれる。13時13分発の指定券は満席で、15時47分発のしかなかったが、無事に帰りの切符が買えたので、チップを渡そうとすると、手を振って受けとらない。
駅前の露店をプラプラしていると、私に全然わからない言葉で話しかけ、タバコをすすめる男に出会う。自分について来いという身振りをするので、不安を覚えながら後に従うと、モスクがあって、彼は自慢げに説明する。もちろん何を言ってるのかわからないが、それでおしまいで、駅へ戻ってくる。案内料をくれといった素振りはまったくない。
駅のホームに布を敷いて母子らしい二人がパンや菓子を売っている。一EP紙幣を出してパンを買う。・・・釣銭は硬貨や小さな皺くちゃの紙幣が一握りほどもある。数えるのも面倒なので財布に押しこみ、ベンチで固いパンをかじっていると、さっきの店の男の子が走ってきて、何やら言うと、私の掌に小さな硬貨を三つ押しっけていった。釣銭の計算をまちがえたので、追加分を届けに来たのである。」 宮脇俊三 1981年『週刊文春』
旅行作家はエジプトの汽車に乗る企画でカイロを訪れた。
小さな町には共同体が残っている |
この作家を訪れた偶然の経験は、本編の鉄道乗車記より面白い。文化人としての作家が「旅行記」を書くのに、その舞台設定を他人に任せる。現地旅行社には雑誌社を通して日本大手旅行社経由で話をしている。そこに生まれる大名旅行が面白い筈がない。ガイドと運転手付きの『旅行』に安心する悪癖は、一切他人任せの修学旅行と遠足に起源がある。自分で決断しない・させない行動は、個人の倫理感を惹起させない。「旅の恥は掻き捨て」意識はそこから生まれる。
小さな町の物売りや少年たちのさり気ない行為が、自立した個人に見えて頼もしい。
しかし我々の日本の自治体は、決断と連帯を産まない構造になっているからだ。身分や上下関係で動く社会に横に拡がる連帯は生じない。命令と忖度と賄賂が幅を効かせる。面白い訳がない。教師と親に依存した「部活と生指と偏差値」の少年時代を過ごす人間に、他者に共感し連帯する世界観は生まれる筈がない。格差が一切を破壊する。
小さな自治体には共同体=コミュニティが成立しやすい。貧しい人々に判断する市民としての矜持が満ちているのなら、「豊か」になるのも大きくなって競争に勝ち抜くのも考え物だ。