反骨精神

  マーロン・ブランドは誇り高い若者だった。だが彼の父親は誇りを反抗と見做した。その矯正のために陸軍士官学校に入学させる。厳しく叩き直せば、素直になると考えたのだ。だが彼は教官にも口応えして謹慎処分を喰らう。謹慎の最中遊びに行ったことがばれて、卒業直前には退学処分。

 この除籍処分に対して「あまりにも一方的」「不公正」と学生全員が憤慨。次第にストライキに発展、根負けした士官学校長はブランドに、学業を修了して翌年に卒業するよう手紙を送るが、ブランドは復学も拒否している。

  彼は、クラスメートが自分に宛てた激励の手紙を自宅の寝室に飾って大切に保存していたという。


  マーロン・ブランド主演・エリア・カザン監督『波止場』は1954年アカデミー賞の監督賞、脚本賞、主演男優賞など8部門を受賞した。元ボクサーの主人公は波止場の日雇い労働者。港湾労働者の日当をピンハネして暴利をむさぼるボスに反抗、事件に巻き込まれ瀕死の重傷を負うが、信念に基づいて生きることに目覚めるテリーの熱意に心動かされた港湾労働者たちは、脅迫を続けるボスに背を向ける。ここに描かれた元ボクサーの姿は、矯正教育を強要する父親と士官学校長に従う事を拒否するマーロン・ブランドの生き様を思わせる。

   1972年の映画『ゴッドファーザー』ではマフィアのドンを演じアカデミー主演男優賞に選ばれるが、「ハリウッドにおけるインディアンをはじめとした少数民族に対する人種差別への抗議」して受賞を拒否。

 授賞式にはインディアンの服装をしたネイティブ アメリカンの公民権活動家リトルフェザー女史を登場させ、アメリカの映画作品内における人種差別、分けてもインディアン差別に抗議した。

 それまでのアメリカの西部劇映画では、史実を歪曲した外見・風習のインディアンを悪役として登場させ、正義の騎兵隊のワンパターン。マーロン・ブランドの抗議をきっかけに、アメリカの映画界のインディアン観は少し変わり始める。しかし日本で上映する西部劇では、相も変わらず先住民蔑視が今も続いている。

 

 差別に抗議するAIM(アメリカインディアン運動)代表がFBIに追われて逃走中、ブランドは逃走資金として1万ドルと逃走用の車を提供している。映画界だけではなく国家権力対しても闘う誇り高さがある。  

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一ぐらいも日本の「芸能人」=「俳優」たちはないのか。電通やtvショッピングに支配された業界とスポンサーに過度に迎合した台詞と眼差しは、若い視聴者の世界観から誇りを奪う。迎合する見苦しい振る舞いを「金「票」で買われたのだから当然だ」と思うに違いない。「俳優というのは自分の言葉ではなく与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」と情け無い言い訳をしたのは、酩酊するたびセクハラ絡みの乱暴狼藉を繰り返した自称「俳優」香川照之。

 統一教会に支配された政権党議員達の振る舞いや言葉は「・・・与えられたセリフ、人の書いた言葉を言う職業です」からすれば、至極自然に見える。

 マーロン・ブランドなら譬え喰うや喰わずになっても、電通やtvショッピングの画面にさらされるのを断固拒否したに違いない

  マーロン・ブランドの反骨精神の万分の一でも日本の「学

者」「官僚」「警官・判事・検事」「教師」たちにあったら・・・と思う。檻に閉込められた囚人のようにもはや彼らは自分の言葉では語れない。



 大逆事件の報を聞いた徳冨蘆花でさえ、一高生に「謀反論」を語ったではないか。彼は会場に溢れる若者にこう訴えた。

「・・・諸君、最上の帽子は頭にのっていることを忘るる様な帽子である。・・・我等の政府は重いか軽いか分らぬが、幸徳君等の頭にひどく重く感ぜられて、到頭無政府主義者になって了うた。無政府主義が何が恐い? ・・・幸徳君等は時の政府に謀叛人と見做されて殺された。が、謀叛を恐れてはならぬ。謀叛人を恐れてはならぬ。自ら謀叛人となるを恐れてはならぬ。新しいものは常に謀叛である・・・」

 2時間に及ぶ演説が終わると数秒の静寂の後、万雷の拍手がわいたという。蘆花は些かも「主義者」ではなかった

 

 

もし、君の庭が貴金属だらけになったら

   夢のような幸運、たった一掴みでどんな贅沢も思いのままだ。ひとかけらの土も糞や汚物もない。大リーグ「大谷」の幸運は、さしずめプラチナか巨大なルビー相当だろうか。プロゴルフも競艇も競馬も囲碁将棋gamerもオリンピックplayerもその稼ぎ高が、画面や紙面を賑わす。それにつられ...