先進38カ国の子どもを比べたユニセフ調査(9月3日)によれば、日本の子どもたちは、身体的健康は1位なのに、「精神的健康」は、37位と調査対象国中ワースト2位。1位はオランダ、2位がデンマーク、3位はノルウェーと、北欧の国が上位を占めた。
「学力」はPISAテストの読解力・数学的分野で、38か国中5位で上位となっている。一方、社会的スキルでは「すぐに友達ができる」と答えた15歳の割合は69.1%で38か国中37位。
読解力・数学的分野で38か国中5位を単純に喜べない。批判精神が伴わなければ、政権の意図を直ちに「読解」して忖度する霞ヶ関官僚の「忠犬」振りを約束するに過ぎないからだ。
「すぐに友達ができる」社会的スキルが低ければ、政府や資本の危険な意図を読解し仲間を組織し抵抗する可能性も低いわけだ。
OECD先進7ヵ国の調査でも、日本の子どもの自己肯定感は断トツに低い。昨年内閣府が公表した2019年度の「子ども・若者白書」によると、「自分自身に満足している」という質問に対し、「そう思う」「どちらかといえばそう思う」と回答した日本の若者(13~29歳までの男女)は45.1%しかいなかった。
動物園の動物が、野生動物よりはるかに平均寿命が短い。それは餌や行動などを自ら選択しないからだ。重い責任を伴う幹部たちの平均寿命は、生涯にわたって指示される平よりも長いし健康でもある。休みもせずhardな日々でも長生きなのは、裁量権や選択権があるからだ。
4ヵ月の乳児に、ひもを引っ張ると音楽が聴こえることを教えたら、とても喜び落ち着いた。ところが、「音楽のひも」を奪い不規則に音楽が聴こえるようにしたら、乳児たちは悲しげな顔をし腹を立てたという実験がある。コロンビア大学のシーナ・アイエンガー教授は自著の『選択の科学』でこう語っている。
「子どもたちは、ただ音楽を聴きたかったわけではなかった。音楽を聴くかどうかを、自ら選ぶ力を渇望したのだ」文藝春秋刊中国帰国生たちが正月に、他校の帰国生を連れてきたことがある。彼女は指定校推薦でなかなかの国立大学に入ったのだが
「先生聞いて頂戴、如何して日本の教師達は私たちの希望を無視して、偏差値の高い学校を押しつけるの」
「善意のつもりなんだ。彼はこう思っているよ。偏差値社会の日本で暮らすうちに何時か君が彼に感謝すると」
「私をランクの高い学校に入れて、自分の手柄にしているだけなのよ。」
「辞めてもいいんだよ」
「私もそう言ったの。そしたら指定校だから来年の受験生に迷惑がかかるから、辞められないと脅かすのよ」
自ら選ぶ意志を無視する教師の罪は深い。仮令失敗したとしても、自ら決意しての失敗からは学ぶものは多い。与えられた「成功」体験は、更なる指示を待ち望む「依存」が生じるだけだ。
部活も日々の授業も受験も、「指導」と言う名の指示に従うだけ。皆が同じ方向を向いているとき、それを疑い変える、それが主権者らしさなのだ。教師は生徒を優秀な奴隷に仕立て上げ、豊かなら「やむを得ない」と自らの成果を誇るのだろうが、もはやどうあがいても豊かさに手は届かなくなっている。「自助・共助・公助」を掲げた政権が、主権者の審判抜きで湧いて出たが、共助・公助の余地は既にない。
教室に『謀反論』が必要だ。