谺祐二少年・一人殺人的いじめに対峙する

 「パンドラの箱に残った希望」     拙著 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊から引用する
 「私(谺祐二)は1942年9月、七歳の時多磨全生園に入園し、・・・・国民学校の二年生から新制中学三年を卒業するまでの八年間、全生学園と少年舎に在籍した年月は、苦痛の連続であったと思う。・・・少年に限ってだが、いじめは日常的だったし、患者の教師や寮父による依佑贔屓とか差別など、どれだけ子供の心を傷つけたか計りしれない。 全生学園と少年舎での八年間は、私にとって開きたくないパンドラの箱である。・・・・いじめも、少年舎では日常的であった。代表的なものを上げると、布団むしと胴上げ落としである。いじめの対象とした子供を掴まえ、10枚ばかりの掛け布団を乗せ、その上から少年たちが登るのだ。一番上になった子の背中が、鴨居に届いていたのを私は見たことがある。また、胴上げ落としは、リーダーの合図で、胴上げをした手をみんなが一斉に引くのである。落下した子は気を失うこともあった。いじめというよりも、リンチというべきかもしれない。こうしたいじめに対し、当時の寮父は自室に引寵もり、何もしなかった。止めれば彼自身がやられると思ったのかもしれない」               谺雄二 『知らなかったあなたへ』ポプラ社 p85~87

 いじめの対象を、少年たちは「厄」と呼んだ。いじめによる負傷で症状をこじらせ死に至った「厄」は、ハンセン病の作家冬敏之の兄とヤマキ少年を含む3~4名。ヤマキ少年が犠牲になった時、谺雄二少年は病床の兄に呼ばれる。
  当時ハンセン病者は治療の対象ではなかった。絶滅を期待され収容所に隔離された。外に出られるのは火葬場で煙となる時であった。子供の患者たちは、はたちまで生きられるかと言われた時代である。過酷な生活の中で病状が悪化すれば、病室に送られる。


  「「おまえは、Sにくらべれば下級生だ。だけど、同じ少年舎に暮らすものでありながら、Sのいじめを放置した。ぼくはおまえを許さない。ヤマキがいる解剖室ですわっていろ!」と厳しくいさめられた。 兄にいわれて、わたしはヤマキ少年の死体が安置された解剖室にすわって、一晩中考え続けた。・・・・ そしてその日から、・・・園の授業が終わって少年舎へもどる途中、一人ひとりをよびとめては、「もうSのいうことは聞くな。こんないじめを続けていたらダメだよ」と、声をかける。まず、S少年と同級の、一級上の少年たちを懐柔し、次に同級生たちを説得した。もしも懐柔策がS少年にばれたら、自分自身が「厄」にされてしまうことは目にみえていたから、ほんとうにドキドキだった。同級生まで懐柔できれば、あとはわけはなく、下級生はすんなりと味方についてくれた。懐柔策がうまくいったところで、わたしはS少年に向かって、「もういじめはいいかげんやめろ。おまえのやっていることはひどすぎる」と、対決を申しこんだ。S少年はすぐに、「おお、いいぞ」と応じてきた。だが、少年舎の子どもたちがゾロゾロとわたしのうしろにまわってしまったのをみて、予想外のなりゆきに驚き、びびったようすだった。そのときだった。S少年より三つか四つ年下のオギヤマという少年が、わたしのうしろからいきなり飛び出して、S少年に殴りかかった。・・・S少年はもう手も足も出なかった。・・・・S少年は泣いていた」 
『知らなかったあなたへ』       


 S少年も生まれ故郷で迫害された挙句収容、療養所では両親を失い天涯孤独となった。松本寮父の子どもたちと同じように抱えきれない悲しみと苦しみに押し潰されていた。違いは、S少年には悲しみを聞いて一緒に涙を流す大人がいなかったこと。谺少年の言葉とオギヤマ少年の小さな拳は、一瞬にしてその役割の半分を果たした。だからS少年は手出しもせず泣くことが出来た。オギヤマ少年も叩きながら泣いていた筈である。あとはS少年の物話を聞くばかりである。
 S少年には、根拠なしの愛情の請求権があった。だが、そのために闘う言葉を持たなかった。
 神話は、「パンドラの箱」から災いが飛び出したあとに「希望」が残ったと結んでいる。 隔離の壁を越えた「社会」では、子どもまでが鬼畜米英を叫び総玉砕の狂気に向かって秩序正しく崩壊しつつあった。だが熱狂から一歩退いた療養所の片隅では、「子どもの発見」が新しい時代の普遍的教育を静かに準備していたのである。


追記  自分より強い者に、たった一人で挑み、周囲を粘り強く説得する谺少年の姿は、「たとえ一人でも闘う」と「らい予防法人権侵害謝罪・国家賠償請求訴訟」を提訴、仲間を増やし勝訴したその後の生き方に連なる。自己投機を熱く語って、サルトル君と渾名された所以である。
  今も少年たちに、谺祐二少年のようであって欲しいと思う。しかし今学校内の暴力・理不尽の多くは教師によるものである、大人の不始末を子どもに期待する前に、大人がしなければならないことがある。S少年と同じように現在のいじめにかかわる子どもたちも、ひとりでは「抱えきれない悲しみと苦しみに押し潰されて」いる。その父母や教師までが、過労死線上で喘ぎながら生活している。この状況そのものが、国際的労働環境からみればすでに、許しがたい「いじめ」であるという認識を持ち、ついで、ではいじめているのは誰なのかとの問いをたてねばならぬ。この問いを発することにすら、反感を抱く者やたじろぐ者が多すぎる。彼らこそが我々よりはるかに「強い」者であり、我々が谺少年のようにたった一人であっても立ち向かうべき対象ではないのか。それはいろいろな姿をして立ちはだかっている。国家首魁の顔をしているとは限らない。

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