C君は群馬の陸上競技の盛んな高校を、些細な諍いで飛び出して東京の定時制課程に来ていた。僕が赴任した時、既に四年生、二十歳であった。根っから走ることが好きで真っ暗な、放課後の校庭を一人で走っていた。
あの頃(1970年代初め)定時制は、全日制に入れない者のたまり場ではなかった。様々な能力、生き様の少年・青年が学んでいた。共通するのは貧しさ。中学の成績が殆どオール「五」の生徒会長経験者も、技能オリンピックメダル保持者も、零細工場労働組合活動家も机を並べた。
初秋の日曜日、定時制通信制高校の陸上競技大会が開かれる。引率がいないので競技場近くに住む僕が引き受けた。C君は走る種目には何でも出た。尽く勝って決勝に残り、優勝もしてしまう。メダルに関心のない僕は、彼の疲れが気になって仕方がない。今日は日曜日である、休ませるべきだと思った。日差しが傾くと共に出場の間隔が短くなり、C君の表情も一層苦しそうに見える。もう少しだ頑張れと言うところだが、僕は1000m走決勝の直前彼を呼び寄せて
「おい、そろそろ負けろ、ビール飲むぞ。みんなに電話しておけ」と言った。あの時の嬉しそうな顔は今も忘れられない。「アイアイサー」と手を挙げて、途端に走りが軽くなった。お陰で1000m走決勝も二位以下を大きく引き離した。またもや優勝かと思っていると、彼は笑いながらゴールを間違えてしまった。一位でもビリでもC君の価値は変わらない。彼は卒業と共に大学に進学し、同時に都立高校の実習助手になった。
僕の友人の一人は夫婦揃って医者である。出身大学も旧帝大。娘は女優のよう美しく、県下一の名門高校に通っていた。小学校から高校まで「5」以外の成績を取ったことがないという。
「僕は1と2しか取ったことのない生徒たちを相手にしているんだ。そんな生徒に、少し5を分けてあげないかい」と言ってみた。友達も奥さんも娘さんも呆れた。木賃宿に住む「1」だらけの洟を垂らした親友を思い浮かべた。神がいるとしたら余りにも不公平である。
偶には「5」を忘れた青春を送るほうがいいと思う。出来れば永遠に、そうすればもっと巾広い魅力的な若者になれると思うのだ。
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