少年の日の感激と授業

   大塚金之助にとって生涯最も感銘深い思い出は、図書館で部厚い本を受け取った少年の日のことであったという。ずっしり重い本を司書から受取ったときの感激は、長く大塚博士の胸の中に殘った。大塚少年が感じた重みは、人類の文化的遺産の重みである。その後の少年と日本経済史学の行く末を定めた瞬間と言える。
 我々の日々の授業も又そうあるべく、明日の、来学期の、来年の授業準備に励まねばならない。ただ念頭に置くべきは、未来の偉人だけであっては詰まらない。博学のおばあちゃん、不正を憎み弱きを助けずにはおれない交番の巡査さん、不愛想だが腕のいい正直者の包丁屋・・・。我々はそういう人々と共にあること、共にあったことを誇ることができる。
   孤絶した独房で少年時代の授業の一コマを噛み締め膝を抱く政治犯の脳裏に浮かぶ者でありたいと僕は心から願う。
 大工になった卒業生が
「屋根を組み上げながら、梁に置いたラジオの国際ニュースに耳が傾いて、教室や先生の授業を思い出すそうですよ」
とその父親から聞いたことがある。
 「板場に立っても、ネタの捕れた国とそこの生活や政治が気になるなるんですよ」
と言ったのは、寿司屋の見習いになって半年の卒業生だった。彼は、平和の定義を巡って略章だらけの偉い自衛官と宣誓式で対立、即日退職した。屋根の上や板場で国際情勢を想う若い職人が、少なくともノーベル賞やオリンピックメダル受賞者と同じ様に我々の希望でなければならない。

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