校則強化肯定に潜む「因果関係」捏造

 かつて東海地方の中学校管理職がシャープペンシルを禁じた。「シャープペンシルは重いから頭が悪くなる」と言うのが彼の理屈であった。

 東京のある女子校で、遅刻三回で退学という校則を作った。見事「遅刻」する生徒はいなくなった。これをこの学校は、生活指導の成果と説明した。

 学校管理に潜む都合のいい「因果関係」捏造は絶えることがない。


 「因果関係」捏造は霞ヶ関の十八番だった。厚生行政は、「絶対隔離のおかげで日本のハンセン病は消滅に向かった」と言い続けた。それが業界の利益を守るからだ。

 その醜悪な政策を支え続けて来た「日本らい学会」のあまりにも遅い自己批判が有る。引用する。  

 ・・・最も確かな統計とされる徴兵検査の際に発見されたらい患者、・・・の年次推移は、1897年から1937年にいたるまでに、急速な減少・・・を示している。・・・疫学的に見たわが国のらいは、隔離とは関係なく終焉に向かっていたと言える。つまり、このような減少の実態は、社会の生活水準の向上に負うところが大きく、伝染源の隔離を目的に制定された「旧法」も、推計学的な結果論とはいえ、敢えて立法化する必要はなかった。・・・

 ハンセン病治療は、当初から外来治療が可能であり、・・・特別の感染症として扱うべき根拠はまったく存在しない。・・・

 「現行法(らい予防法)」はその立法根拠をまったく失っているから、医学的には当然廃止されなくてはならない。・・・

 隔離の強制を容認する世論の高まりを意図して、らいの恐怖心をあおるのを先行してしまったのは、まさに取り返しのつかない重大な誤りであった。この誤りは、日本らい学会はもちろんのこと、日本医学会全体も再認識しなくてはならない  1995年4月22日 「らい予防法」についての日本らい学会の見解 第68回会長 中嶋 弘

 全生園園長を務めた国立ハンセン病資料館長成田医師は、更に言う。                                  

 「はっきりといってわが国の癩対策は、予防的効果において自然減を越えたとは考えられず、癩による災いを本質的に取り除いたわけでもないから救癩でもなく、それに産業系列から生涯隔離したのでは救貧にもならない・・・療養所の医療は・・・はっきりいえば、、多くの患者はまさに見殺しにされていた・・・」 


 ・・・ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と脅威を捏造宣伝し、実体のない恐怖を煽り立てただけでも大罪である。事もあろうか、捏造した恐怖を根拠に、有無を言わさず患者を収容、全患者絶滅に向けて強制労働を課し、劣悪な衣食住環境に放置、治療を回避、尊厳も命も奪った。償いようのない未曾有の犯罪であった。世界の非難を浴び続け、世界に遅れること数十年、漸くにして隔離の無効性と間違いを、その専門医が「自己批判」した。1995年4月22日、余りにも遅いのである。彼らが謝罪すべき人びとの多くは、すでに惨めな死を強制されていたのだから。

 日本のハンセン病行政に、国際的な医療技術・理論・思想に謙虚に学ぶ姿勢さえあれば、日本のハンセン病者にはまったく異なった人生があったことは疑いない。らい学会自己批判がそれを明確に語っている。

 奪われた数万に及ぶそれぞれの、強いられた人生とあり得た人生を、想像しなければならない。

 隔離は死亡率の高い急性感染症だけに適用される。ハンセン病は急性ではなく、感染力も死亡率も極めて低いのである。感染症の隔離には、相対隔離と絶対隔離がある。相対とは条件付き、絶対とは条件なしということである。前者が例えば、自宅隔離を認めたり、治癒後は退院を認めるとか、家族生活や家族による看病を認めたりするのに対して、後者は本人の意志に係わりなく例外なく終生隔離するのである。日本では始め「浮浪癩」を対象にしたが、政策考案者光田健輔は当初よりすべての患者隔離を目論み、やがて実現させてしまう。                        拙著 『患者教師・子どもたち・絶滅隔離』地歴社刊


 絶滅隔離とハンセン病消滅の間に因果関係はない。栄養状態や住環境など生活環境向上がハンセン病を絶滅に向かわせた。結核とツベルクリンの関係も同様、業界に都合のいい辻褄合わせに過ぎない。


 画像の毎日新聞記事は、「・・・校則の厳格化や教諭らの

「毎日新聞」(2022.02.16夕刊
から切り取り
指導が進む中、数年で生徒たちの行動も落ち着き始めた」ことで 、厳しい校則の効果を強調している。

 我々に必要なのは、都合のいい現象を自らの取り組みに無理矢理結びつけることではない。生徒たちの「荒れ」は校則で落ち着いたのではない。生徒たちの「荒れ」は、授業を忘れた学校への「異議申し立て」なのだ。ここでは「因果関係」を「荒れ」と「秩序の欠如」の間に見いだすことが、如何に学校を堕落・停滞させたかを考えねばならない。

 厳しい校則への依存が、生徒にも親にも教師にも行政にも広がっていることに気づく必要が有る。我々は少しも歴史に学んでない。  

  「植民地の民衆とは、その進化が停止し、理性を受け入れず、白身の事柄を処理できず、指導者の永遠的存在を求めている民衆である」 フランツ・ファノン『なぜ我々は暴力を行使するのか』1960年

 90年代半ば、山手線に近い都立B高校定時制課程で起きたことを次回例示する。

追記 ハンセン病を「ペスト並みの恐ろしい伝染病」と光田健輔とともに宣伝し恐怖を煽り立てた渋沢栄一が新しい一万円の顔になる。日本の過去から都合のいい側面だけを抜き取る風潮は危険だと思う。

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