「学道の人は最も貧なるべし。世人を見るに財ある人はまづ瞋恚(しんい・逆らう者への嫌悪)恥辱の二つの難定めて来るなり。宝らあれば人是を奪ひ取らんと思ふ、我は取られじとする時、瞋恚たちまちに起る。或は是を論じて問答対決に及びつゐには闘諍合戦をいたす。かくの如くのあひだに瞋恚も起り恥辱も来るなり」 『正法眼蔵随聞記』四ノ四
『正法眼蔵』を論ずる禅僧も、この問題だけは避けて通りたいと言う。キリスト教に於ける「駱駝と針の穴」の喩えと同じように、都合の良い解釈が次から次へと生まれる。
学僧までがこう言う。「最も貧なるべし」とは物欲を捨てよということではなく、ただ単に「物欲に囚われる」ことを戒めているのだと。なら、僧は要らない。
悩み多い凡人に、そう説いて一時の安心を与えるのは方便とも言える、しかし禅僧が自身の生き方について堂々とそう言うのは逃走である。少なくとも最大限の羞恥に身を捩りながら言う必要がある。ただ単に「貧なるべし」と言っているのではなく、「最も貧なるべし」と言う。
であれば「最も貧」を強いられ、しかも敢えてそれを再び選び取ったハンセン病療養所の「学道の人」からしか我々は学べない。
全生園初代自治会委員長土田良雄は見事に「最貧」を選び取っている。そのために死期を早めさえしている。彼は日中戦争で八路軍の捕虜になり、その政策処遇に感銘を受け共産党員に。多くの若い患者たちが、その穏やかで理知的な人柄に惹
かれて集った。画期的治療薬プロミン予算獲得闘争では行動や交渉の先頭に立ち、誰もが第一の功労者と認めたが、土屋委員長はそう見られることを頑なに拒んだ。ために病状は急激に悪化し、命を落とした。望みさえすれば、私費による優先接種も可能だった。今なお毎年、見事な花を付ける桜並木などの植栽整備も彼の仕事の一つ。公正で控え目な人柄は良い仕来りと共に残った。どうして我々は旧体制下で苦難の限りを味わった人々を、新憲法下の政権中心に置かなかったのか。政権が変わるとは如何なることなのか、我々は想像すらできないのか。
患者のための予算で御殿のような園長官舎を建て続けた行政、それを放置し続けた我々。
0 件のコメント:
コメントを投稿