「もう一度やってみせて」 |
だが、かつて日本では大人までが「この国は現人神の国だから「神風は吹く」」と言ったのである。一度目は元寇の時に吹いて日本を救ったとして、日本に危機が迫れば、「もう一度やってみせて」くれると請け合い、どん底の窮乏と弾圧に耐えたのである。二歳児ではない、大の大人がである。
明治35年生まれの住井すゑは、昭和一桁生まれとは出来が違う。敗戦の一年前のことである。
「1944年(昭和十九)の7月下旬、私宅からは牛久沼の対岸にあたるK村から、青年団長のN君が訪ねてきた。N君は・・・幼年期に片脚を損傷、そのため兵役は免除で、もう何年かK村の青年団長をつとめていた。そんなN君は年に数回、私たちを訪ねてくるのが習慣のようになっていた。 さて、ハナシは当然のように戦況に及んだ。N君は村ではインテリで、新聞なども精読していたので、犬田(住井すゑの夫の犬田卯)とは俗に言うウマが合う仲だった。しかし、そばで聞いている私には、この日の二人の話にはどうにもうなずけないものがあった。
二人とも、″日本は絶対に負けない、負けるはずがない″と、興奮さえしている。それは裏を返せば、戦争は負けつづけて、日本はもうどこにも勝ち目がないことがわかっているための気やすめであり、強がりなのだ。
そんな気やすめや強がりが性に合わぬ私は、六月中旬のB29による北九州の空襲や、ビルマのインパール作戦のむざんな失敗についての新聞記事などを持ち出し、「この戦争はやがて日本の無条件降伏で終わるでしょう」と言い切った」 住井すゑ『愛する故に戦わず』
可笑しいのは、彼らが敗戦を知った後だ。
「N君が青年団員四人を連れ、沼を舟で渡ってきたのはそれから二日目の昼過ぎだった。さて、夫の仕事部屋に輪を描いて坐るなりN君は言った。
「いくさに負けた日本はこれからどうなるか、本当のところがお聞きしたくて、今日は青年会の幹部を連れてきました。・・・一年以上も前に、敗戦の詔書は必ず天皇がラジオで放送すると予言されたセンセイは神さまです。だから、これからのことも、当然おわかりになるはずです・・・こんなことは、神さまでなけりや見通せるもんじゃありません」若者たちは、新しい「神」に日本の先行きを聞きに来たのだった。
日本敗戦を見通したのが「神」なら、治安維持法で拷問をうけ殺され、政治思想犯として刑務所に入れられた「アカ」は全て「神さま」である。一体誰が「神さま」たちを監獄から救い出そうとしたか。「神さま」は敗戦後も監獄に放置されたうえ、疥癬に感染させられ殺されたではないか。「神さま」を拷問し殺した特高を誰が糾弾したか。
「神さま」を畏れ敬ったのではない。自らを罰する権力を恐れ、自らすすんで判断力を放棄したに過ぎない。権力の恐ろしさを植え付けたのが、初等中等教育であったのだ。明治生まれの住井すゑはその手には乗らなかった。
それにしても、懲りずにいつまでも、人の力をこえたものを有り難がる。 最近もコンビニなどのささやかな気配りを「神対応」と呼ぶことが流行り、人気スポーツのこれ見よがしのplayを「神演技」と持ち上げ涙する現象があった。困った人を見たときの自然な思いやりを「神対応」と言い、鍛錬の賜物を「神演技」と言うのを聞くたびに、「神」も人間も安っぽくなったと思うのだ。「神対応」と誉め讃えるなら時給千円余の待遇は失礼に当たる。鍛錬の賜物が「神演技」であれば、「クールジャパン」を支える労働者は悉く「神演技」の持ち主であり、低賃金・過労死に至るまで虐待するのは不敬にあたる。
政府の非人間的政策が、人々から余裕を搾り取り対人関係を冷やしている。だからささいなことが目立つて、賞賛に走る。敬う気持ちなどありはしないのだ。しかし「神」などを有り難がって、自らの力で現実を変えようとしないならば、新自由主義的非人間政策はいつまで経ってもびくりともしない。
「神」に幻惑されて実態を見誤ったのは、教育を素直に受け入れた若い世代であった。沖縄戦でも、日本軍に踊らされて集団自決にはやる人々に「生きろ」と制止したのは、教育を受けていない老人たちだった。オウム真理教もみんな若かった。しかし「神」を画策したのは、老若交えた権力と金力であった。それは「三菱財閥がかつて東条大将に一千万円を寄付した」ことに現れていた。
批判精神は、暗記や命令や念仏で身につくものではない。 だから政権は18歳選挙権とスポーツ芸能騒ぎには異常に熱心で、批判精神には弾圧的である。
「権力と金力」は「もう一度やってみせて」と再び子どもに言わせて、万能の神を演出する手筈は整いつつある。万能の神は無答責である。
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