戦中も戦後も、食料と安全は偏在していた。「たらふく食い」「一族の誰も戦災で死なない」者の一群がいつもある。
1946年5月19日、皇居前広場(当時、人民広場)に25万人を集め「飯米獲得人民大会(食糧メーデー)」が開かれた。
労組委員長だった松島松太郎は「詔書 国体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」と書いたプラカードを掲げ参加、そして6月14日不敬罪で逮捕され事件となった。このプラカード事件自体忘れられた。プラカードの中身自体に根拠があった事はもっと知られていない。
飯米獲得人民大会の一週間前5月12日、、世田谷の戦災者住宅で「米よこせ 世田谷区民大会」が開かれた。戦災住宅では、毎日1人多いときは3人が栄養失調で死んでいた。子供がオカユをいっぱい食べたいと、うわ言をいいながら死んだという。
大会では、18項目の要求((1)遅配・欠配米の即時配給、(2)戦災者、引揚者への物資の重点配給、(3)非常米配給権を即時区民管理に移すこと、など)を決議。天皇にあてた「人民の声」を大会宣言として採択、二手に分かれ抗議デモに。一隊は皇居に向かった。押し問答の末、デモ隊は皇居に入った、前代未聞の展開である。彼らは宮内省で「人民の声」を読み上げ、「天皇陛下はどんなものを食べているか、台所を見せてください」と要求。官僚は「天皇の台所」大膳寮ではなく、宮内省職員食堂に案内。それでも積み上げられた食料の豊富さは、被災者のど肝を抜いた。
「50坪ほどの調理場には、120人分の夕食用麦飯が三つのタライに盛られ、マグロ半身、カレイ15匹、スズキ1匹、サケ4匹のほかイモ、大根などが置かれてあった。しかし、この食品データは後日の宮内省発表で、即日のデモ隊側発表では「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ3、40尾、大ブリ5、6尾、牛肉5、6貫、平貝一山そのほか沢山」。タライ3つの中身も「麦入りはわずか、大半は銀メシ」ということだった。仮に宮内省側の発表によるとしても、“雑草食”の戦災・引揚者たちには、大変なゴチソウに見えた。オカミさんたちは目を丸くした。 ・・・
すさまじい光景となった。タライに手を突っ込んで、ゴハンをわしづかみにする。口にほおばる。口の周囲はゴハンツブだらけ。おぶった幼児にも、背中越しに「それよ、それよ」と、投げるようにゴハンを与える。あわててオムスビを握り、着物のソデにたくし込むオカミさんもいた、という。
このときたまたま、翌日に予定されていた「皇族会」の夕食メニューが黒板に書かれていた。その内容は以下のようなものだった。
お通しもの
平貝
胡瓜
ノリ
酢のもの
おでん
鮪刺身
焼物
から揚げ
御煮物
竹の子
フキ 」 大島幸夫 『人間記録 戦後民衆史』 毎日新聞社刊
皇居デモに赤ちゃんを背負い、幼児二人の手を引いて参加した戦災者住宅の痩せた主婦があった。デモの時は、青白い
顔でよたよたと歩いていた。デモのあと半年、食糧集めと育児の過労から倒れ、この世を去った。三人の子供は孤児院に送られたが、やはり、栄養失調で相次いで死んだ。一家全滅の後、この主婦が復員を待っていた夫の「戦死公報」が遅れて届いた。これも『人間記録 戦後民衆史』にある逸話である。
5月19日の飯米獲得人民大会では、世田谷区の主婦代表がおんぶ姿で悲惨極まる食糧事情を訴え、続いて国会議員らとデモ行進。ここで、松島松太郎(田中精機労組委員長)は 件のプラカードを掲げたのである。立派な証拠があっての表現であった。検事局は不敬罪で彼を起訴したが、一審は不敬罪は効力を失ったとして名誉毀損で有罪とした。1947年6月の二審で免訴となった。だが共産党員松島松太郎は、最後まで法廷で闘う決意を捨てなかった。法廷闘争に持ち込めば、食料危機の実体を白日の下に曝すことが出来るからである。
この時天皇やマッカーサーはどうしたか。
5月20日、マッカーサーは「組織的な指導の下に行われつつある大衆的暴力と物理的な脅迫手段を認めない」と声明を出し民主化運動を牽制。
天皇は、5月24日、『祖国再建の第一歩は、国民生活とりわけ食生活の安定にある。全国民においても、乏しきをわかち苦しみを共にするの覚悟をあらたにし、同胞たがいに助け合って、この窮状をきりぬけねばならない』とラジオ放送を行った。何をか言わんやである。
宮内省役人が、天皇の台所ではではなく職員食堂に案内して「冷蔵庫に目の下一尺位のヒラメ3、40尾、大ブリ5、6尾、牛肉5、6貫、平貝一山そのほか沢山 タライ3つの中身麦入りはわずか、大半は銀メシ」を「120人分の夕食用麦飯が三つのタライ、マグロ半身、カレイ15匹、スズキ1匹、サケ4匹のほかイモ、大根など」と的外れの公式発表する神経が、天皇制とは何かを良く表している。彼らは、自分を天皇を頂点とする選良であって「たらふく食っている」ことを隠す必要のないことだと考えていたのだ。彼らのために闘って飢えるのも死ぬのも、皇国民の誉れであり甘受すべきことにしか見えないのである。それは今も続いている。
0 件のコメント:
コメントを投稿