「戦争紙芝居」は小学校の学芸会だけではない。軍の正史までが稚拙な「紙芝居」であった

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 日露戦争では、日本の陸軍も海軍も正確な戦史をつくった。正確な事実の記録なしには、公正で有効な教訓を引き出せない。それが世界の常識であった。だが実際に公表されたのは、日本が世界の強国帝政ロシアをいかに倒したか、という「戦争紙芝居」並の稚拙な「物語」「神話」だった。陸軍大学生や海軍大学生にすら、史実は教えていなかった。海軍の「正しい」戦史は全百冊。三部つくられ、二部は海軍に、一部が皇室に。海軍はその二部を敗戦時に焼却してしまった。
 天皇家に残った「正しい」日露戦史は、昭和天皇死亡直前防衛庁に移された。作家半藤一利はそれを読み、驚いたという。そこに書かれていたのは、それまで国民が信じ込まされていた「物語」や「神話」と全然違うことであったからだ。
 日本海海戦で東郷平八郎がロシアのバルチック艦隊を迎え撃つときに右手を挙げ(当時の海戦の常識を無視した、敵前回頭の指示を指す。このおかげで日本海軍は勝ったことになっていた)したとか、微動だにしなかったとか、秋山真之の作戦通りにバルチック艦隊が来たというのは作り話であることがはっきり書いてある。あやうく大失敗するところだったのだ。
 陸軍も二百三高地戦の悲劇と犠牲を隠蔽し、乃木希典と参謀長を持ち上げ白兵戦と突撃戦法で高地を落としたと偽りの記録を残した。

 実際は、もう戦えない極限状況だった。米国大統領の仲介を得て、なんとか講和にこぎつけたに過ぎない。にもかかわらず「大勝利」と大宣伝して。浮かれた国民が提灯行列で、「弱腰」内閣を罵り焼き討ち事件を起こしてしまう。(東京新聞 2018年2月20日 朝刊 による)

 お手盛りの水増し戦果に浮かれて日本は、原爆を2発も投下される結末を招き寄せている。しかも未だに米軍に占領され、屈辱的な「日米地位協定」支配から脱出する気力も知恵もなく従属を強めるばかりである。

 正しく歴史を書き残し、真実をありのままに国民に伝える事がいかに大切か。(公文書管理法第4条(2011年4月施行)は「(行政機関は)意思決定に至る過程や実績を検証できるよう、文書を作成しなければならない」としている)。歴史が権力によって偽造されれば、国民は操作されいくらでも浮かれる。浮かれているときは、何かが偽造されていると疑わなければならない。クールジャパンに浮かれて、アマチュア精神をかなぐり捨てたスポーツの勝敗に酔い痴れる姿は、最新版「戦争紙芝居」序曲である。
 モリカケ問題における公文書書き換え・破棄。自衛隊・長沼ナイキ、「宴のあと」訴訟など重要な憲法裁判記録の廃棄。これらの歴史偽造に隠され、潜んでいる事実がある。 
  政府が2018年7月1日に閣議決定した集団的自衛権の行使容認に必要な憲法9条の解釈変更について、内閣法制局が内部での検討過程を公文書として残していないことである。

 法制局によると、同6月30日に閣議決定案文の審査を依頼され、翌日「意見なし」と回答した。これは公文書管理法違反である。更に憲法前文の「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」を犯す憲法違反に他ならない。
 従来憲法9条の下での集団的自衛権の行使容認は、自民党政権の下でも「不可能」として解釈されてきた。これを変えるために、内閣法制局がどのような議論を行い解釈の変更を容認したのかという経緯は重要な意味を持つ。法制局は「安保法制懇」と「与党協議会」の資料と閣議決定の案文しか、関連文書として保存していないと居直っている。
 憲法の解釈変更が可能であるのは、国会だけである。それを行政機関に委ねていたことに問題がある。これが許されるとすれば、憲法解釈変更は役所前の掲示板に貼られる文書だけで済んでしまう。

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