「「突っ張るのを止めた」生徒たち」でもう一つ思い出した。
あれは遅刻の量も質もずば抜けて多いクラスで、会議のたびに担任の僕は槍玉に挙げられた。だが、面白さも抜群だった。
下町の工業高校にやって来た元番長の猛者たちが学習意欲を高めたのは、小中学校でいじめ尽くされすっかり自信を失っていたO君と仲間になってからである。
学級担任することになって、僕のクラスにだけ元番長が三人も揃ったことが判ったとき、多くの教師がある古手グループの「陰謀」を疑った、7学級のうち特定の学級にだけ中学校の番長を務めた三人が揃う確率はあり得ない。あったら分散させる。
僕はそれらしい「陰謀」の主たちを思い浮かべてムカッとしたが、知らんぷりすることに決めた。
最初のHRで、僕は開口一番「人間は誰だって知られたくない過去がある、中学校からの内申書は見ない」と言っておいた。
すぐに、どこかそれらしさが残る生徒が準備室にやってきて
「先生、ほんとは知ってんだろ、俺のこと」
「名前以外は知らない、内申書のことだろう、見るか」と言ってロッカーの引き出しを開けてみせた。一クラス分の内申書が一通ずつ封印したまま紐で括られて入っている。
「ホントに見てないんだ。・・・先生、俺番長だったんだよ。でも安心しなよ。俺もうしない、そう決めてんだよ」
「そうか、君は有名人だったのか。でもやめるんだろ。だったら今聞いたことも忘れるよ。これから君がこの学校でやることだけが、君の価値を決めるんだ」
次の日三人の元番長が揃ってやってきて、それぞれが別々の学校で総番長をしていて互いに知り合いだったと自己紹介をした。その一人はある区の番長組織のサブリーダーだった。三人とも口を揃えて
「高校生になってから突っ張るのは、ガキ。高校デビューっていうんだ。だからもうやんないよ、安心しなよ」という。
「じゃー勉強するために、学校に来たのかい」
「そのつもり、一応将来のことも考えようと思ってんだ、よろしく、先生」よく見れば三人とも人懐っこい顔している。
さっそく始めた個人面接では、先ず皆に「君たちの名前以外何も知らないから、自己紹介してくれ」と言った。
だがO君は下を向いたまま何も言わない。
「いじめられたかい」と聞くと、大粒の涙が落ちて音を立てた。小学校でも中学校でも、男子からも女子からもいじめ尽くされた経験を語った。
「このクラスになったからには、絶対にいじめはさせない。約束するよ」そういうと
「・・・先生、僕勉強できるようになりたいんです。どうしたらいいんですか」
「二つある。一つは友達に教える。二つ目は自分が興味を持ったことを、自分で調べてノートを作ることだ。なるべく長く一つのことを」
彼が興味を持ったテーマは『教師の犯罪』。夏休みや冬休みのたびに、大学ノート一杯に新聞記事を貼り付け、本からの引用を使った感想を添えて、見て下さいと持ってきた。選んだテーマに彼が小中学校で受けたいじめの実態が見えて、胸が痛んだ。
授業が始まって暫く経つと、O君が級友に親切に教えていることが教員の間でも知られるようになった。友達から聞かれてわからないことは、自分で調べたり教員に聞いたりしていた。元番長たちは、ことあるたびにO君の厄介になることになった。お陰で、彼の成績は三年間すべて「5」、造った実習作品も素晴らしい出来で、卒業後は展示された。
だが、彼の家庭には不幸や不運が続き、アパートの電気やガスが止められたりした。昼飯を抜いて教室でぐったりすることも続いた。元番長たちはオロオロして僕に助けを求める。
「先生この頃O君何も食べないんだよ。昼休みも机に突っ伏したまま。俺たちがパンを持って行っても食べてくれないんだ。何とかしてよ」百戦錬磨の番長たちが、友達のことではオロオロするのがおかしかったが、O君を呼んで話を聞いた。父親も姉も家を出て、家賃も払えない部屋に彼一人が残されたのだった。放課後飲み屋でアルバイトしていたが、そこで晩飯が出る、それだけで耐えていたのだ。しかし彼の成績が下ることはなかった。
夏休みに元番長三人は神津島に行く計画をたて、O君を招待した。「そんなつもりで一緒に勉強したんじゃない」と固辞するO君を、説得してくれと又泣きついてきた。O君も戸惑っている。
「あいつらは、君と親友になれたんじゃないかと喜んでる。きみはどうだい」
「僕も嬉しいです、こんな友達が出来たのは初めてだからどうしていいかわからなくて」
「こうしょう。今は金がなくて苦しいから、好意に甘える。就職して楽になったら、かえす。または君があいつらを招待する」
「わかりました。そうします」と笑顔を見せた。
対等な関係が育む友情は、三人にとってもO君にとっても文字通り目くるめく体験だったのだと思う。
元番長たちはそれぞれなかなかな企業に就職。三人をまとめて僕のクラスに画策した古手教員はわざわざ当該企業に電話を入れた。その一つ、日本を代表する名門企業の人事部は「元番長だと言うことも知った上で採用しました。大きな組織では彼のような繊細なリーダーシップが欠かせません」と僕にも連絡をくれた。O君は立派な大学の推薦入学も大企業もあっさり断って、現場密着の小さな会社に就職した。
個人も組織も国家でさえ、突っ張るのを止めたいと願っている。その環境を整えることが出来るのが成熟した「社会」である。
SSHなど目立つ学校の生徒が強いられる致命的不幸は、O君や元番長たちに決して巡り会えないことだ。彼らが政治的指導者や指導的経営者に成った時、彼らはO君や元番長たちを国や職場の主権者として認識出来るだろうか。
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