答案を時間内に仕上げられない 何が問題か Ⅰ

  巧みな指先・卓越した記憶力・賢さ・美しさ・を「個性」と呼び賞賛する。その逆の不器用さ・鈍い記憶力・愚鈍さ・醜さを人は何故「個性」と言えず、恥ずかしがり隠すのか。それは前者は金になる=「儲かる」からだ。それだけを価値とする社会。しかし後者も紛れなく「個性」である。その人・その子らしさを表している。

「たわし」とあだ名されていた頃の四谷二中を思い出す。

Z君が自分の通信簿を広げ

 「たわし、お前の通信簿見せてくれよ」

 「・・・お前の成績と俺の成績は丁度反対だね」明るく言う。洟を垂らしながら。

 「たわしの成績と俺の成績を足して二で割ると真ん中の三になる。・・・なぁ、おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、たわしお前はないんだ。だから俺たち親友なんだ」と顔を覗き込むようにして言う。周りの連中も爆笑しながらのぞき込んだ。彼とはクラスを挙げての「カンニング」を組織して以来の長い親友だった。 

 A君(彼は高倉健と菅原文太を合わせた顔貌風体で喧嘩も滅法強かった。その彼に「なあたわし、数学って面白いかい、俺にも教えてくれよ」とせがまれ何時の間にか「面白いな、宿題つくってくれよ」と言うようになった。しかし彼も愚連隊の一員としてのケジメはあり、決して教師から教わろうとはしなかった)に数学を教えている時、Z君も寄ってきて「俺にも教えてくれよ」と仲間に加わり、「分かったよ、たわし有難う」と、青洟を垂らし笑うのだった。だがテストになると、零点。僕に向かって零点のついた答案を見せて、ニコニコする。忘れやすい奴だと思っていた。しかし今になって気が付くのたが、彼は点数を取ることに興味がなかったのではないか。分かる過程は楽しむが、点数を競って我を張ること(頑張る)はしない、そういう世界観を持っていたと思う。他人を蹴落とす事に強い嫌悪感を持っていたのではないか。

 卒業間際には、べそをかきそうな顔して

 「俺たちと二中のこと、忘れないでくれよな。・・・でもきっとお前、俺たちのこと忘れるだろうな・・・」と僕の同意を促した。この時彼は、偏差値と相対評価の理不尽を正確に見抜き、それを僕に伝えていたのだと思う。

 「偏差値に囚われるな」と教師は誰も教えなかった。その仕組みを繰りかえし強調しただけだ。

 軒下の高い窓を拭くのも、暖房のコークスを運ぶのも喜んでやった。骨惜しみを知らない根っからの善人だった。忘れがたい思い出の数々に彼がいる。住んでいたのは、新宿天竜寺の裏、旭町の木賃宿。着ている制服も粗末だったが、それらが彼の快活さを妨げることはなかった。そのZ君と「寒山・拾得」や内村鑑三の賞賛した「智き愚人」=ダルガスが重なる。 

 「たわし、俺たちのこと忘れないでくれよなぁ。・・・あぁ・・・お前やっぱり俺たちのこと忘れちゃうだろうな」とべそをかきそうになったのは、効率や偏差値が社会全体を覆い尽す事態に反撃出来ない悔しさであり、親友が偏差値の魔界に引き込まれる事への警告でもあった。

 A君の懸念通り偏差値に溺れたのは、僕だった。僕が四谷二中にいた頃は、偏差値はまだ偽偏差値と言うべき段階でしかなかった。危うい制度が始まろうとする時、鋭い警告を投げかけるのは「優等生」ではない。

 公教育が荒廃の気配に包まれた頃、「(民主的)管理主義」や「毅然たる指導」の言説に惑わされずにすんだのは、彼らの思い出のおかげである。二中を取り巻く歓楽街の荒廃や大学紛争時の青年の閉塞極まる状況に比べれば、バラック作りの荒れた教室も僕には「花園」だ。      

  

  「おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、たわしお前はないんだ。だから俺たち親友なんだ」 

 

   今日本ではあらゆるmediaが、明けても暮れても勝負事絶賛一色だ。sports・公営ギャンブル・囲碁将棋カードゲーム麻雀・ゴルフ・・・商業化とプロ化が華々しく煽り立てられ、子どもまでが巻き込まれる。だが賞賛されるのは、獲得賞金額・世界大会メダル数(日本の)・・ばかり。fair「play」の楽しさやgentlemanshipの公正さを投げ棄てた独占欲。


 勝ち組の賞金が膨らめば、敗者のsaftynetは消滅する。勝者の賞金は
敗者の賜物なんだ。栄光が輝かしい程、挫折の陰は暗く寒い事を知らねばならない。スーパーサイエンスハイスクール如きを賞賛すれば、その対極に荒れる「底辺校」が必ず出現する。
 これはA君の懸念した「おれの成績があるからお前の成績があるんだよ。お前がいるから俺がいるんだ。俺がいなければ、お前はないんだ。」ではないか、それが半世紀を超えて続いている。負ける者のおかげで勝てる者がある。負け続ける国があるから、常勝の国もある。
 勝ちだけに拘れば、そこには「だから俺たち親友なんだ」が欠ける。


   それ故、「定期試験の答案を時間内に仕上げられない生徒たち」の人権保障は少なくとも社会科を講じる僕の義務だ。どうやったのかは次回に、疲れたから休む。

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