怒りを忘れた日本の青少年は正体不明の恐怖に立ち竦んでいる。

  気になる。21世紀になったばかりの頃の日記に授業の記録。

 誰もが、ハンバーガーやフリースは幾らでも安いほうが良いと言う。だが幾ら金が要っても、娘やお爺さんを捨てようとはしない、何故か。(先生、姥捨て山はと声が飛ぶ、いいね、ヤジが飛ぶ)

 お金は使うのに料理が不味いお母さんを捨てたりクビにしたりはしない。安いのが良ければ捨てた方が良い筈なのに。ああ母さん疲れているなと思いやる。何故僕たちはそう考えるのか。

 現代を『「もの」と「人間」の関係が切断された』状態と捉えることが出来る。僕たちは買い物をする時、それをどんな人が作り彼がどんな生活をしているか知らない。ものとそれを作った人の関係が見えない。経済圏が村の中に殆ど限定できた時代は、誰が何をどんな状態で作ったかみんなが知っていた。(共同体と板書)

 もっと具体的に『「もの」と「人間」の関係が切断される』状態を考えてみよう。「もの」がお母さんのまずいご飯、「人間」がお母さんだとしょう。この場合君たちには、「もの」と「人間」の関係が細かい事情や心まで見える。

 まずいご飯だけど、君達のためなら命を捨てかねないお母さんが作ったという関係が見えるから、君達はそれを受け入れる。しかし 「もの」がマクドのハンバーガーで、「人間」がそれを作っている労働者だとしょう。 

 先ず君達は誰がそれを作ったか知らない。 『「もの」と「人間」の関係が切断され』ている。安いハンバーガーのために時給を下げられた店員が、娘を退学させる羽目になっても、君達はそれを知る事はない。遠い世界の事だからだ。

 だからもっと安くなれなどと平気で言える。ユニクロのおかげで首を吊った繊維工場の経営者を知らないから、どんなに安くなっても平気。

 だがここで 「もの」に労働者の労働力、「人間」に経営者を入れてみよう。君が経営者で労働者が幼馴染みや兄弟だとしたら、儲けのためにクビに出来るだろうか。会社が潰れるまで一緒にやるだろう。

 日産のゴーンはそうした柵がないから平気でクビを切れる。

 今度は労働者に君達を入れてみよう。中国人やインド人の方が学歴も実力もはるかに高いのに給料はやたらに安い。経営者は君達を交換可能なただの労働者としか考えないから、どんどん安く働く彼らに置き換える。だんだん仕事がきつくなって給料も減らされそうな時、「もっと安くして」という客に、「俺の生活も判ってくれ」と言いたくなる。

 君達がユニクロで自殺した人を知ろうとしなかったように、誰も君の苦しさに関心を持たない。

 もし安いから当たり前じゃんと言うのなら、君達は君達をクビにして安く働く人を雇う経営者を非難できない。論理的一貫性とはそういうことだ。

 この会社のものを買う人も ユニクロや マクドのハンバーガーを買う時の君達と同じように、安けりゃ・・・で思考を止めている。人と人の関係が切断されているからだ。これを「疎外」という。(疎外と板書する)

  でも給料が安くて生活が苦しいから、どうしても安いものしか買えない。給料の文句を言えばクビになるかも知れない。ではどうすればいいんだ。


 日本だけが、未だにこの問いから抜け出せないでいる。「クールジャパン」騒ぎも止まない。アジア近隣諸国を蔑視する言説に引き寄せられる。どうして日本の青少年は事態を正視して怒らないのだ。

 怒れないのか、考えることすら怖いのか。正体不明の恐怖に立ち竦んでいる。怒る方法、「異議申し立て」の思想から教室が隔離されたままだ。

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