若者は何故投票を嫌がるのか。

  アフォーダンスと言う言葉がある。主体的意図を持つ有機体としての我々と、我々を取り巻く環境の相互作用を指す言葉。語源はafford=提供するとの意。

 暗闇の洞穴に生きる魚が目を退化させるのは、遺伝子を通しての進化。相互作用しない。

 しかし例えば、貧困・汚染・偏見・「偏差値」・トラウマは人々の行動や精神に影響する。遺伝はしないが、その便宜が社会の隙間に定着、人々に特定の意識や行動を提供(afford)する。ツッパリの生徒たちにとって眉剃りやうんこ座りや茶髪は「管理」への抵抗として定着している。ある意味で心地良い。多摩の或る高校に妙な「不良」がいた。放課後の夕暮れ時、わざわざ登校して部室で煙草を吸い酒を飲むのだった。何度捕まっても登校停止解除とともに、忍び込んでいた。教員たちは首を捻った。特定の部室が彼らに居心地の良さを提供(afford)していたのだと考えられる。彼らは卒業後も忍び込んだ。ある女子生徒たちは校内一家をなし、下校前の一時を屋上出入り口で過ごす習慣を維持していた。生指の見回りに発見される危険性を楽しんでいるように見える。

紳士俱楽部(画像は英国学士院)も橋の下も居心地のいいたまり場

   




 無論逆もある。金も地位も名誉が豊富なことも、その人間の意識と行動に作用する。言葉遣いや目つき、服装や持ち物、たまり場(例えば、マイクロフト・ホームズのディオゲネス倶楽部のような紳士クラブ)・・・ある種の家系や群れには恰も遺伝形質のように伝わる。

 こうして格差は収入に留まらず、人々にそれぞれの居場所を提供(afford)している。

 若者が選挙に興味を示さずhate言説やfake情報に魅入られるのは、それらがなくてはならぬ居場所を構成しているから他ならない。

 たった一票に甘んじるより、世間を騒がせ「上に出て勝つ」方が彼らには心地よいのだ。平等な権利は、平凡な価値観の形成抜きには実現できない。大会だらけの部活や偏差値から逃れられない競争原理の中に居場所を指定される日本の高校生が、「一票の価値」に目覚めるには時間がかかる。

 ツッパリや選挙を忌避する若者に「君たちは間違っている」と説教するのは、カルトに信者に「帰ってこい」と言うに等しい。。

 政権党の選挙スローガンが「野党の政策に抱き着く」ことを覚えて、模擬投票ゴッコは不透明になった。口先と見栄えだけならどんな詐欺も出来る。選挙の詰まらなさを事前学習することになる。

   追記 だが待て! アフォーダンスは「遺伝」ではない。いくら親や爺さんが偏差値に雁字搦めになったからと言っても、やめられる。人間は主体的に決意することが出来る。永い間社会的習慣になっていたことをやめる。それが革命である。

 バリがヒトラーのドイツに占領されたとき、ロンドンに亡命したドゴール政権を支持したのは、僅か3%。圧倒的多数がナチとの「平和」を選んだ。始めから多数派の革命は有る筈がない。しかし少数派は無数にある。多様な少数派の統一戦線のみが新しい多数派を形成しうる。

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