CUBA革命勝利翌年1960.8.19. ゲバラ演説 於・公衆衛生省研修所

ただ一人の命のほうが、
世界でもっとも富裕な人間の全財産の何百万倍も価値がある
 「・・・つい数カ月前に、ここハバナで起きたことだが、医師免許とりたての学生のグループが田舎に行きたがらず、行くなら特別手当が欲しいと要求した。これまでのものの見方から考えれば、こういうことが起きるのはごく当たり前のことだった。少なくとも私にはもっともなことと思えるし、気持ちはよく分かる。
 単純に、ほんの数年前の自分の姿や自分の考えていたことを思い出しているような気分だったのだ。・・・
 だが、・・・もしもこれが、たとえば手品で大学の講義室に突然現れた200人、300人の農民だったら、何が起きただろう?
 疑問の余地もないことだが、その農民たちはすぐさま喜び勇んで駆けだしていき、自分の兄弟姉妹たちを救いに行くだろう。彼らなら、一番責任の重い、一番大変な仕事をさせてくれと言い、学業に費やした年月が無駄ではなかったということを証明してくれるだろう。このようなことは、今後6、7年の問に、実際に起こるようになるはずだ。そのころには労働者階級や農民の子どもから成る新しい学生たちが、さまざまな種類の学位を取るようになるからだ。
・・・
 われわれは、シェラ・マエストラに陣をはり、農民や労働者とともに生活しながら彼らを尊敬することを学んだが、そのわれわれの誰一人として、労働者や農民として働いた過去をもつ者はいなかった。もちろん、働かなければならなかった者はいた。子ども時代に多少の貧乏を経験した者もいた。だが飢え、本物の飢えと呼べるものだけは、われわれの誰も知らなかった。
 そして、シェラ・マエストラで過ごした長い二年間のうちに、だんだんとそれを知るようになる。すると、多くのことが実に明白になってきたのだ。
 われわれは当初、金持ちの農民や地主の持ち物であったとしても、それに少しでも手をつける者を厳罰に処していたが、ある日一万頭の牛をシェラに運んでいって、農民たちに「食べなさい」とだけ言った。農民たちは、数年ぶりに、あるいは生まれて初めて、牛肉を口にしたのだった。
 だが、そんな一万頭の牛を持っているということが文句なしに素晴らしいことだと思っていたわれわれも、武装闘争を続けるうちにその価値観を失っていった。ただ一人の命のほうが、世界でもっとも富裕な人間の全財産の何百万倍も価値があると、完壁に理解したのだ。労働者階級の子どもでもなければ、農民の子どもでもなかったわれわれが、そこでそのことを学んだのだ。・・・誰もが学ぶことができかのだ。しかも革命は今日、学ぶことを求めている。同胞のために働いているのだという自負は、よい給料をもらうことよりもずっと大事なのだということを、人に感謝されることは、どんなに貯めこんだ金塊よりも確かで、永遠に続くものなのだということを、しっかり理解することを求めている。そして、医師ひとりひとりは、自分の仕事を通じて、人びとからの感謝という貴重な宝物を積み卜げていくことができるし、それが義務なのだ。
 こうしてわれわれは、古い考え方を消し去り、批判精神をもってますます人民に接するようにしなければならない。今までのようなやり方ではいけない。
 君たちは誰もが言うだろう。「いいや、私は人民の友だ。労働着や農民と話すのは大好きだし、日曜日ごとに、そのために、どこそこへ行ったりどれそれを見たりするのだ」と。 そんなことは誰もがやってきたことだ。だが慈善としてやってきたのであって、今日われわれが実践すべきことは、連帯なのだ。「ほら、来ましたよ。慈善を施すために来てあげましたよ。学問を教え、あなた方の間違いや教養のなさや基礎知識のなさを直してあげるために来たのですよ」などという態度で、人民に接するべきではない。
 人民といぅ、巨大な知恵の泉から学ぶために、研究心と謙虚な態度をもって、向かうべきなのだ。
 慣れ親しんできた考え方がいかに間違っていたか、気づかされることがよくある。そういう考え方はわれわれの一部になってしまっていて、自動的に、われわれの知識の中に組み込まれてしまっている。
・・・われわれがまずやらなければならないことは、知識を与えに行くことではない。人民とともに学び、新しいキューバを建設するという、偉大で素晴らしい共通体験をしたいという気持ちを示すことである。

 すでにかなりの進歩が遂げられてきている。あの1959.1.1(キューバ革命勝利の目)と今日との間には、古い尺度では測ることができない距離がある。人民の大多数は、ここでは独裁者だけでなく一つの制度自体が崩壊したのだということを、ずっと以前に理解した。こんどは、崩壊した制度の廃墟の上に、人民の完全な幸福をもたらす新しい制度を築かなければならない、ということを学ぶ段階に来ている。
 ・・・ 
 われわれの目標とは何か? 何を望むのか? 人民の幸福を望んでいるのではないか? キューバ経済の完全な解放のために戦っているのではないか? いかなる軍事ブロックにも属さず、ここキューバで採用する内的・外的な手段を決定するときに地球上のどんな大国の大使館にもお伺い空止てる必要がない、もっとも自由な国になるために戦っているのではないか? あまりにも持ちすぎている者の富を再分配し、無一物の人に与えようと考えているのではないか?。ここで創造的な仕事に取り組むことを、日々喜びを生み続ける原動力にしたいと思っているのであれば、われわれにはすでに拠って立つ目標があるということだ。・・・

   われわれは皆、隠れた危険が潜んでいることを知っていてもなお、いまだ周辺に存在している侵略を跳ね返す備えをしていてもなお、そればかりを考えることはすべきではない。なぜなら、戦争に備えることを努力の中心に据えてしまったら、われわれが望むものを建設することは不可能だし、創造的な仕事に集中することができないからである。戦争に備えるための仕事や、そのために投資される資本はすべて、無駄な仕事であり、捨て銭だ。戦争に備える者たちがいるばっかりに、ばかばかしいことにわれわれもそうせざるを得ないのだが、私の誠心誠意と、兵士としての自負を込めて言うが国立銀行の金庫から出て行くお金で一番わびしく思えるのは、破壊兵器を購入するために支払われるお金である」                                    エルネスト・チェ・ゲバラ『モーターサイクル南米旅行日記』現代企画室

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