仏教では煩悩の根元を三毒という。『貪瞋癡(とんじんち)』即ち、貪(むさぼり)瞋(いかり)癡(おろかさ)。
これが元となって煩悩は次のように展開する。貪(とん)・瞋(じん)・癡(ち)・慢(まん)・疑(ぎ)・悪(あくけん)見。1.貪=むさぼり 2.瞋=いかり 3.癡=おろかさ 4.慢=のぼせ・おもいあがり 5.疑=うたがい 6.悪見=あやまった見方
「慢」はさらに展開して
一.高慢(自分の方が上だと思う)
二.過慢(一.とほぼ同義)
三.慢過慢(相手が上であっても同等だと思う)
四.我慢(自分の考えは正しいという思いあがり)
五.増上慢(悟った、極意を得たという思い上がり)
六.卑下慢(劣等感に落ち込む)
七.邪慢(徳があると思いこむ)
「我慢」というのは自分の思いを素直に表現できず、心を偽っている状態。だからイライラや怒りを溜め膨らませる要因になる。卑下慢(劣等感に落ち込む)も、慢(まん)=(のぼせ・おもいあがり)があるからこそ生じるわけだ。「不徳のいたすところ」という言い訳も、思い上がっているからこそ出る。
駐米大使が、米国のアーミテージ国務副長官に「Show the flag」と言われ、日本政府は慌てて自衛隊をインド洋に送り大いに物議を醸した事がある。
「show the flag」 と強国に言われて、言葉を正当に理解出来ず「卑下慢」になってしまった事の裏側には、A.A.LA諸国に対する高慢があった。
「show the flag」とは立場を鮮明にする」以上の意味はない。日本にとって、この場合は「平和主義を貫く」である。それを「自衛隊の旗を掲げて戦争協力」と忖度してしまったのは、いい意味での「我慢」が出来ず「卑下慢」があったとしか言い様がない。
簡潔な名文を書く作家として深く尊敬を集めた志賀直哉は1946年に雑誌『改造』に寄せた「国語問題」で、日本語の「不完全で不便」さを指摘、ために「文化の進展が阻害されて」いると。それを根拠に、日本語に換えてフランス語を採用する事を主張した事がある。彼を崇敬する人たちも、「あれだけは受け入れられない」茶番と言われた。しかし様々な批判を受けながら、その後も志賀直哉は意見を変えていない。
僕はこの国語問題を彼の、学習院時代に於ける乃木批判、戦中の「終戦工作」、戦後雑誌『世界』編集に共産党の中野重治や宮本百合子を加える主張をしたことから天皇制廃止論に至るまでの遍歴の中で考えたい。
「以前、英タイムズ紙のリチャード・ロイド・パリー記者は、イギリスの官房長官が答えに詰まるほど厳しい質問を投げ続け、「ばかやろう」と俗語でなじられたことがあった。パリー氏は「きちんとジャーナリストの仕事をしている証拠だと誇りに思った」と語っていた。
しかし、日本は真逆。ここ3年ほどは多くの外国人ジャーナリストが、自由にものを言おうとしてもさまざまな圧力を感じると言いますが、僕も同感です。最近、NHKの籾井勝人会長が熊本地震での原発報道について「公式発表をベースに伝えることを続けてほしい」と指示していたことが発覚し、問題になりました。おそらく現場は忖度しているのでしょう。
僕は以前、NHKのラジオ番組から、外国人記者が見た日本についてコメントしてほしいと出演依頼を受け、個人的には、福島原発、皇室制度などについて触れるつもりでプロデューサーに提案したが、やんわりと拒否され、オリンピックについて話すことになりました。番組進行の台本が渡されましたが、話題がオリンピック期間中のテロ対策に移ったとき、僕の発言が台本からそれてしまった。ロンドンでテロ対策として集合住宅の屋上にミサイルを設置したが、住民を逆に危険にさらしている、という話の流れになり、僕が「まさに沖縄の現状と同じですね」と話したところ、スタジオが静まり返りました。番組終了後、プロデューサーが「沖縄はノータッチなんです」と。 ジャーナリズムの本来の姿は権力の監視役です。日本でも、フリーの記者にはそういう意識が強いが、大手メディアは、政府の発表ジャーナリズムに慣れてしまっているため、自分でニュースを掘り起こすことがあまりないと思う。
・・・意見が対立する中で自分の考えを表明するということは、それに対し責任を取るということだが、日本の記者らはこの訓練、教育が不十分のように思えます。ぶつかり合い議論するのは民主主義が成熟する重要なプロセスですが、そう教育されておらず、自分と意見の違う人間を攻撃したり、無視したりしようとする傾向が強いように見えます」エコノミスト誌デイビッド・マックニール 『週刊朝日』 2016年5月20日号
デイビッド・マックニール記者の指摘、「自分の考えを表明するということは、それに対し責任を取るということ」これは、必然的に個人の判断や決意を促す。日本では、学校や組織の決まりや「掟」が、個人の「判断と決意」を代替して「忖度」を受け入れる素地をつくってしまう。
僕は明治生まれの祖父母や大叔母たちから、「人の顔色をみてものを言ってはいかん、思った通りを言いなさい」と繰り返し諭された覚えがある。学校や地域でも「ちょっと生意気」と思われたが、咎められるようになるのは、「勤評」以降である。「勤評」は、担任に従順であることを強いたのである。生活指導運動はこの風潮に乗って広がり、教師と言い争うことも増え、68年の学園紛争で頂点に達し、一気に萎えてしまう。「個人の判断決意」という点で、日本の大学闘争は脆さを内包していたからである。
モリカケ問題で、忖度が人間唯一の能力になりつつある。忖度は命令ではない、しかし個人として判断し決意する手続きを省いている。上に立つ者が「最終的解決」と言いさえすれば、部下が「絶滅収容所」でガス室をつくったのである。戦中の日本軍では上官が、捕虜や傷病兵を「処置せよ」と命令すれば、部下は忖度して「殺害」せねばならなかった。そうして凡庸な若者たちが凶暴なファシストと化し、犠牲となったのである。
言葉が明晰性を失う事を、小説の神様は嫌った。それ故、文学が政治や思想の道具となる事を批判したのであった。
忖度のたびに言葉が過激になるのは、言葉の環境が均一化して憶測が通るからである。
多様な文化思想の人間が混じり合えば、そこでの言葉は明晰性を増さざるを得ない。だから志賀直哉は『世界』の編集に敢えて、中野重治や宮本百合子を入れる提案をした。戦争の愚劣を、言葉の明晰さが暴く事を彼は願ったと僕は思う。最も明晰な言葉が日本語でないのは確かである。
例えばフランスの教科書には、文章だけで構成された美しさがある。対して日本教科書は、字の書体を色を太さを変え、漫画を配置、カタカナ語を乱用してまるで歌舞伎町や渋谷駅前の乱雑さである。そうすることでしか、正確に事を伝えられない構造を日本語はもっている。せめて明晰性ぐらいは、フランス語並みにと僕も思う。
志賀直哉の国語問題を茶番とは言いたくない。忖度を嫌悪する言葉として、日本語を耕す必要がある。
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