承前←クリック
7月24日の日記に高見順は次のように書いている。
「山田さんが来て、長野県へ疎開すると言う。雑談のなかで、軽井沢では卵1箇12円だという話がでた。東京では6円。そこで軽井沢の闇屋が東京まで出てきて、卵を買い集める、闇値の高い東京で買って結構儲かる、それほど軽井沢は高い。鎌倉では一箇4円。「イタリーは卵がひとつ2円50銭になったとき崩壊したとかで、その話を聞いたときは日本ではひとつ2円でしたが、これが2円50銭になると日本も危い-そんな話でしたが、12円とは・・・」と私は言った。
夜、新田と「一体どうなるのだろう」ということについて話し合った。この話は毎日誰かと必ずしないということはない。人に会えば、話はこれになる」
「イタリーは卵がひとつ2円50銭になったとき崩壊した」のに、日本は6円になっても崩壊しない。これは、強さなのだろうか。
イタリア軍は連合国軍がシシリー島に上陸した時、さっさと交戦を諦めている。これは弱さであろうか。その後、ムッソリーニは失脚、ドイツがローマ占領して状況は複雑化する。しかし北部ではパルチザンが獄から共産党員らを解放して、イタリア解放のパルチザン闘争を活発化させる。アルプスを越えて逃亡を計るムッソリーニを許さなかったのもパルチザンである。
1944年の激動するイタリア社会を描いたのが『ブーベの恋人』である←クリック。主人公ブーベは、貧農のパルチザン青年、ファシストに銃殺された仲間のお悔やみを言いに来て、仲間の妹と出会う。ブーベは昼は仕事夜は党とパルチザン活動に明け暮れる中で、ある日仲間を撃ち殺したファシスト署長の殺害に加わってしまう。国境を東に越えて身を隠すが、・・・14年の刑で収監される。原作の小説に沿って作られている。貧しいイタリア農村描写が美しい。
クラウディア・カルディナーレ演じる貧しい田舎娘は、「弱」くとも意思強く生きる国家としてのイタリアの姿勢を象徴している。
強く見えた日本と弱く見えたイタリアの違いは、70年後になって両国の米軍基地「地位協定」に端的に表れている。 同じく大戦敗戦国である独・伊と比べて、日本の違いは余にも大きい。
独・伊両国は、補足地位協定を米国と結び、米軍基地の管理権と制空権を全面的に回復している。訓練を含む米軍の全ての行動は、ドイツやイタリア政府の主権下に統制されて「許可制」である。通告さえしない我が国とは雲泥の差である。さらに補足地位協定で、米軍に、そういう基地のある地方政府との公的な協議を義務付けている。
同じ敗戦国の中で、占領時代から一字一句も変わらないのは、日米地位協定しかない。政権は憲法が変わらないことを異常としているが、変わらねばならぬのは地位協定である。憲法の平和主義精神は、世界各国の賛同を得て先行しているのに、地位協定は明確に世界標準から遅れて平和な暮らしの障害になっている。
韓国ですら地位協定を二度改定。1966年調印の韓米地位協定では、日本より裁判権において不利だったが、日本同様な事件を経て、地位協定の改定に成功している。成功の原動力は韓国の激しい国民運動である。
日本で地位協定改定や基地撤退が国民運動として成り立たないのは、沖縄に問題が集中。日本政府が沖縄を国内植民地扱いしているからに他ならない。それは大阪から辺野古に派遣された機動隊員が、沖縄県民に向かって言った「土人」に現れている。
沖縄の状況を見て、涙にくれ怒りに震えて基地建設の警備を拒否するのが独立国の治安当局として当然の態度である。
だから僕は、基地建設の警備を拒否しない日本からの沖縄の独立を支持する。原発と基地も兵力もない独立した沖縄は、「日本国憲法」に最も相応しい。
0 件のコメント:
コメントを投稿