壁があるから脱走する

  民主主義にはフィードバックの過程が欠かせない。投票だけでは反映できない問題が残るからだ。デモやストライキ、
屋上も出入り自由。ここでは子どもの一日の導線が長い。
批判的言論が機能している国では、模擬投票にも僅かな意味はある。デモもストライキも他者への信頼を前提にしている。訴えを聞く個人や組織があるから、街に出てデモ
してストライキもする。
 だが日本では、生徒会にも職員会議にもフィードバック機能は内包されていない。職員会議は生徒の傍聴さえ許さない。上からの決定には従う部分のみを、民主主義とこの国では言う。
 組織内組織さえ例外ではない。従わない者の自由、抵抗する権利それが自明のこととして習慣の一部でなければならない。フィードバック出来る答案、反論するノート。逆らいたくなる授業。教員が独断多数決する「いい授業」「民主的教室に対する異議申し立て。

 壁のない、何時寝てもいい幼稚園がある。壁があるから子どもは脱走するんだというのが園長の主張である。
 高校生は自習を喜ぶ、もし高校生が本当に自習が好きならそもそも学校に来ない、入学しない。ホントの自習は辛いものである。我々は講義がなくなった状態を、自習とよんでいる。
 講義が無くなったのなら、校門を出て公園に行こうが食事をしようが勝手の時間。教室にいなければならないと思いこむ、教員も生徒も。日本では年齢が上がるにつれて、自由の領域が狭くなる。おかしなことだと思う。昼休みぐらいは、自由に外に出たい筈だ。
 大学紛争以前、早稲田正門に扉はなかった。24時間出入り自由で、買い物かごの主婦が下駄履きで通り抜けていた。 偏差値やスポーツ実績で名を売るのはよして、壁も塀もない高校や中学があるべきだと思う。近所の人が教室をのぞいて、教師や生徒と言葉を交わす。そういう自然なフィードバックの日常化が、学校を民主化する筈だ。
 
  欧州では街角や公園で、語り合い教え合う高校生を見かける。「学校に行く気分じゃないんだ、こうして勉強したほうがわかるよ」と言う。教師や級友とトラブルを抱えているいる時、こうして冷却期間を置くのは賢い知恵である。詰まらない掟のためにわざわざ登校するから、いじめに発展する。
 一度入ったら容易には抜けられない「部活」にも、自主練などという理不尽がある。縛り縛られることを常態として是認して、暴力で障害や死者が出ても、縛られることが保護だと双方が思い込んでいる。それが学校の、独断多数決的世界観を構成する。

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