「僕はボクじゃない」 他人から自己を定義されることの不快

タノイ族アトゥエイは、
生きたまま焼き殺された
 吉祥寺の某銀行駐輪場で銀行職員が、客に向かって「そこのお母さん」と若い婦人に呼びかけたところ、彼女は「私はお母さんではありません」と怒った。ところが行員は、「こんな事ぐらいで怒ることはないじゃありませんか」とへらへらして何を言っても取り合わない。たまりかねた夫らしい男性が「本人が嫌がっていることをなぜする」と激しく抗議して、漸くへらへらは納まったという。
 他人から自己を定義されることの不快である。彼女の主観が、銀行職員の無神経な見た目による客観に抗議しているのだ。客観とは、正しさではない。通りすがりの眼差しに過ぎない。

  介護施設の若い職員が、歩行困難な年寄りを迎えに来た。「大きな一歩、最初の一歩」と幼児向けの歌をうたって励ましているつもりらしいが、お年寄りは、不快そうに下を向いて少しも笑っていない。若い職員だけが、無神経な笑顔で歌い続けた。何十年も人生の苦難を潜り抜けてきた、いわば先達を幼児扱いする。こうした礼を欠いた対応、尊厳の気持ちのない軽薄さへの批判は、一時盛んに取り上げられ関係諸機関すでに周知と思っていた。優しさを、幼児扱いでしか表現できないのは、日本が幼児以外に優しくできない社会である証拠なのか。

 タノイ族が奴隷としての労働を拒否して、死ぬまで動かなかったのは、この「他人から自己を定義されることの不快」がいかに根源的であるかを物語っている。キューバ島の隣、イスパニオラ島の先住民がタノイ族だった。コロンブス達が彼らを初めて見たとき、ここはエデンかと思ったという。その勝手な思い込みが植民者たちの欲望を凶暴にして、タノイ族はわずか100年で絶滅してしまう。

 刑務所が人を番号で呼ぶのは、人としてのプライドを打ち砕くためであり、まともな道理を禁じるためである。自己を定義付けることが出来るのは、まず本人である。囚人であっても、尊厳は守られなければならない、自分自身の中の尊厳に気付くことが、他者の尊厳を知る基礎なのである。国々による戦犯者の取り扱いに、それは見事反映されている。

 子どもを、ボクと呼んだ時期がある。それを上流階層風と思い込んだらしい。デパートで見知らぬおばさんに「ボク」と呼びかけられ、子どもが「僕はボクじゃない」と憤然として反乱する光景をよく見た。ちゃんと名前があるんだぞという怒りである。人から名前を憶えてもらえた嬉しさは、自分が、ただの赤ちゃんではなくなった証でもある。先輩という呼称も「ボク」と同じなのに、呼ばれたほうもへらへらする。「おい、後輩」と言われれば不快だろう。

 集団ひとまとめに「底辺校」と指さされ、それを証明する外見を強制的に与えられる不快は、学ぶ者の実存を犯していると知るべきである。子どもにとってさえ自己確認は、表現の自由以前の問題である。それを「僕はボクじゃない」が教えていたのに、大人は笑うだけだ。一見微笑ましいが、根の深い問題である。

追記 キューバ革命の指導思想であるマルティ主義の深層には、奴隷としての労働を拒否して絶滅したタノイの誇りが流れている。
 2002年に修正されたキューバ憲法は、前文で
われわれ、 キューバ市民は―われわれの祖先:服従より絶滅を何度も選んだ先住民、主人に対し反乱を起こした奴隷;国民的自覚並びに祖国及び自由へのキューバ人の切望を覚醒させた人、1868年にスペイ ンの植民地主義に対し独立戦争を開始した愛国者、・・・」たちの抵抗の伝統を引き継ぐことを決意している。「自由か、死か」は単なる念仏ではない。
   

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