「私は素人ですが、あなた方におたずねしたい。学校でやる授業というのは、わかったらおもしろくないものじゃないですか。わからないから楽しい。それが授業の本質じゃないですか。つまり教師だけが答えを知っている、そこへ向かって子どもの能力をできるだけ早く順応させるというなら、これ授業じゃないでしょう」楽しい授業、わかる授業と教師ならだれでも言いもするし、あこがれもする。はたしてそんな授業は可能なのかどうか。むのたけじは林竹二と知り合いだった。林竹二が横手で授業するのを見ている。
「林さんが小学校四、五年生を相手に、動物を題材としながら、『人間とは何ぞや』という哲学の根源の問題を問いかけていくわけです。私はそばで見ていた。相手が子どもだからといって学問の水準を一ミリも下げてはいませんよ。 言葉はわかるように工夫していますが最高の水準です。子どもたちは初めて聞く話です。はじめはとまどいがあります。ところが四〇分たって授業が終わると、子どもたちはこれまでもたなかったようなキラッキラした目の輝きを示しました。つまりそれは、わからないことと闘った、わからないということがわかった、努力すればもっとわかることができるだろうという感動です。これを、全く準備なしの初対面の四〇分の授業の中で実現できる。それは林さんが偉いからだとは私は思わない。それが普通の授業だ。100人の教師がいれば、そのだれもがやれる授業の本質だと私は思う」 『むのたけじ語るⅡ』評論社・97年8月
0 件のコメント:
コメントを投稿