『すばらしい新世界』

この小学校校門脇の看板には、
「希望の登校 満足の下校」とある
 朗らかで従順な反人間的地獄の独裁体制が、いかにして可能か。オルダス・ハックスリーの『すばらしい新世界』(1932年)はそれを描いている。
 「新世界人」は社会的役割に応じて、予めアルファからイブシロンまでの階級に分けられ、それに相応しい体と頭脳を持つよう保育ビンの中で育てられる。
 「アルファの子供たちは、鼠色の服を着ている。彼らはひどく利口なので、猛烈に勉強する。自分はベータに生まれてとてもよかった。だってそれほど勉強せずにすむのだから、・・・ガンマは馬鹿だ。彼らは緑の服を着ている。そしてデルタの子供たちはカーキ色の服を着ている。ああ、いやだ、デルタの子供たちとなんかは遊びたくない。それにイブシロンときたらもっとひどい・・・

そう考えるように、睡眠学習が繰り返される。

 こうして、如何なる労働・境遇にも満足し、不安も疑問も持たない痴者の秩序整然たる世界が形成維持される。
 選別・支配される側が、選別・差別の論理を自らの内面に取り込んでしまう支配者の桃源郷。いかに狂暴な体制もそれをなし得ぬがゆえに破綻してきた。

 かつては高校三原則を支持し、選別の現状に怒り机を蹴飛ばしていた高校生は、選別による差別・格差を「気楽・安心・・・」「ばかだから仕方ない」と肯定しはじめた。十数年前のことだ(これを書いたのが1998年だから、つまり1980年代終わり頃)。教員までが「ここが俺には丁度いい。難しい指導はもう無理だし、・・・」などと言い出す始末。憤慨に耐えないのは、古い進学校では生徒の自主性・自由をよしとしていた教員が、〝困難校″に転ずるやスタンスを変え、「こいつらに自由は無理」と口走り、管理取締りに邁進する姿だ。アルファはアルファなりに、デルタはデルタなりに・・・というわけだ。
 「素晴らしい新世界」では、人々が状況に疑問や怒りを感じる前に、薬や娯楽によって心は常に満足感に包まれるよう仕組まれている。愚民化はソフトに親切づらして系統的に押し寄せる。
 今、静かに大胆に、新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)による総動員体制が根を張り始めている。                          1998夏
                                             
追記 ハックスリーの警句が、取り越し苦労だったと一笑に付されるのではなく、現実が物語を先回りする悪夢。政府の福祉や教育に対する目標は、いつも努力目標という怠惰で片づいてしまう。賃金や労働時間改善が期待を上回って達成され、追加されることなど想像も出来ない。Sports Sex Screenの3Sは、国民の愚民化には大いに成功したのである。ここで言うsportsはするものではなく、観るものとしてのsportsである。だから日本のsports playerは差別や不正に抗議する主体として現れることがない。常に、消費の対象だからである。                             
  99年6月、新ガイドラインを実行するため、周辺事態安全確保法等三法を強行採決。戦後はじめての本格的な海外派兵法である。専守防衛の軍隊だった自衛隊が、自衛と関係のない「周辺事態」に「後方支援」することになった。「周辺」とは地理的な概念ではないと強弁、論理的な限定はない。武力の行使はしないと言いながら、武器の使用を認めたのである。

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