小国主義 2 従属して友達はつくれない


承前
 1900年には治安警察法が成立、集会には「弁士中止!」の権限を有する警官がサーベルと目を光らせ始める。1910年には日韓併合強行、11年には朝鮮土地収用令・朝鮮教育令が出されている。日清・日露の戦争に勝った日本が、内村のことばで言う「戦争に勝って亡びる国」である事が見え始めた頃『デンマルク国の話』の講演は行われている。
 
   日清戦争に際し、愛国者を自認する内村鑑三が「日清戦争の義」など日本の立場を正当化する論を張った事は良く知られている。鑑三は、日本が世界への使命をおびている事を疑わなかった。彼は言う、
世界の日本は、その天職を認む、日本は世界の小部分なりと雖も、世界は日本なくして、その発育開明の域に達する能はず、日本は世界に対し重大な責任を負ひ、世界は将に日本に負ふ所甚だ多からんとす
 この内村鑑三の認識には現実の日本、帝国主義的欲望に理性を失った日本の姿はない。だが、戦勝に酔う日本の現実を知るうちに彼の理想は失望へと変わり、「軍人が戦勝に誇るを憤りて詠める」と題して、夫を戦争で失った寡婦の悲しみをうたった反戦詩をつくっている。 
 内村鑑三はこの時を振り返り、
明治・大正の物質的文明は日本にとり一時的現象であった。恰も人の一生に生意気時代があるが如くに、明治・大正は日本の生意気時代であった
として、日本の天職を思想に求めるようになる。
 日露戦争に際しては、社会主義者と共に孤立し、友を失ってまで非戦の立場を守ったのである。
 それゆえ、1911(明治44)年10月22日の「デンマルクの話」は、軍国主義的膨張へ向う日本へのアンチテーゼであり、小日本主義に違いない。敗戦日本に重ねあわせて高校生に話した。

 敗戦日本には復員兵だけでも500万人が狭く荒廃した国土に還流、一人当りの配給料を1500キロカロリーに制限しても1200万人の餓死を政府は覚悟していた。鉱工業生産力は戦前の12.9%にまで低下、わけても鉄鋼は1.4%に激戦している。これは、ロシア十月革命をのぞけば、史上類例がない。
 文部省の数少ない名著「あたらしい憲法のはなし」(1947年8月発行)、「戦争の放棄」の項に添えられた絵を黒板に書きながら、その説明を読んだ。
 「放棄とはすてしまうということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの国より先に行ったのです。世の中に正しいことほど強いものはありません。・・・よその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の国は、さかえてゆけるのです
 惜しむらくは文部省「あたらしい憲法のはなし」の図には、豊かな田園や自然、そして教育・福祉・医療がないことである。下に添えた版画は「A3BC: 反戦・反核・版画コレクティブ」にある。平和で穏やかな自然と暮らしが描かれている。
木版画「新しい戦争放棄」 A3BC
 経済原理の前に人権など無視し続けた企業と再軍備・軍拡を企て続けた政府の存在にもかかわらず、日本が、46年間も海外派兵をせず殺人を行わなかったのは、智き愚者としての九条があればこそであった。
 「ダルガスのごとき「智き愚者」がおりませんならば、不幸一歩を誤りて、その国はその時たちまちにして亡びてしまうのであります。・・・デンマークとダルガスとに関する事柄は大いに軽挑浮薄の経世家を警しむべきであります

 智き愚者とは憲法九条である。つくる平和をスローガンに政策に掲げる連中が、軽挑浮薄の経世家である。

 「デンマルク国の話」がキリスト者によるものとすれば、自由主義者・石橋濯山によるものが「満州放棄論」、「小日本主義なる哉」は社会主義者幸徳秋水によるものである。さらに、井上ひさしの「吉里吉里人」、老子の小国寡民の思想がある。具体的小国として研究したいのは、都市国家ハーゼルである。

 経済大国と自認する日本が、飢えと貧困に悩む国々を救う事に疑いを挟むのは難儀である。自衛隊を出さないのなら、いかなる貢献をすべきなのかと、土俵が設定される。
 胡散臭い。第一日本は経済大国ではない。投下された労働量当たりの生産性を求めると、ノルウェーの僅か2.5分の1以下でブラジルより低い。(詳しくは、blog「データーエッセイ」http://tmaita77.blogspot.com.br/2017/10/blog-post_25.html) 一人当たりでも、香港に抜かれ韓国に追われている。その焦りが、嫌韓・嫌中の言説として浮き出ている。
 内村鑑三は現実の日本を忘れ、彼の理念中の日本の役割を論じて「義戦論」という間違いをおかした。同じように今の貢献論も現実から遊離している。
 体罰教師が生徒の勉強しないのをなげき、善意と称して校内模試や課題宿題を乱発援助しても、それに従わない者への体罰を追加するに似ている。彼は援助などする必要はない、ただ体罰を止め、生徒をリラックスさせれるのが良い。

 僕の母は複数の難病を抱えた指定患者である。ある公立病院に入院したのだが、医者は新しい療法、高額の薬や注射を次から次へと試みた。中には保険適用外の一本数万円する注射も含まれていた。病状は急速に悪化、骨と皮の容貌となり、ついに余命の短さを告げられた。切端詰まって、医学部で教える友人に相談。友人は必死に調べ、ある病院のある医師を紹介してくれた。転院に際し、僕は使用薬品等を記載した書類を要求したが不当にも拒まれ、喧嘩した。幸い母は使った薬品名を記憶していた。新しい病院に移り、時間をかけて診察検査した結果判ったのは、前の病院での薬と日常の化学製品が病状を悪化させていた事である。母は薬を徹底的に減らし食品や化粧品を見直し、食欲も顔色も急速に回復して快方に向い、30年以上を生きて旅行もした。

 病気を医者や病院がつくることがあるように、政府と企業が一体となって貧困をつくる。そんな悍ましいことは辞めよう。
 今、日本が第三世界に対してやるべきは、手を引く事である。第三世界で日本に「援助を止めよ」と訴える人々が絶えない。例えば、日本による世界最大級の政府開発援助「アサハン・プロジェクト」である。アルミ缶を生産輸出するための総合開発だが、インドネシア副大統領からさえ「まったくの損害だった」と非難されている。アマゾン川流域には世界最大級のトゥクルイ・ダムを建設、発電・アルミ精錬して日本へ輸出。6千世帯の先住民が立ち退きを強いられ難民化、抗議行動が起きた。何れも、日本では成功例として賞賛されることがある。報道がなさすぎる。
 援助の名の下に伝統的生産を破壊し搾取し尽くす、具体的悪をなす日本経済である。ただ飢えや貧しさに苦しむ人がいるのではない。日本の経済侵略に生活の糧を奪われて、苦しむ人々がいて、権力とつるむ極少数が巨万の不労所得を得るのである。
 やってはならない事をまず止めねばならぬ。やってしまった事は誠実に認め自己批判し、詫び、補償しなければならない。任侠を気取って暴力団が貢献を口にすれば、人は疑い嫌うのである。
 日本の公的年金積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人は、世界の軍事企業上位百社中三十四社の株式を保有支援している。国民が支払う年金保険料のうち約1兆3374億円が、世界の大量殺人兵器製造を支えている。恥ずべき行為である。

追記 文部省が自信に満ちて言い切った「よその国となかよくして、世界中の国が、よい友だちになってくれるようにすれば、・・・さかえてゆけるのです」、この方針は、サンフランシスコ講和条約(1951年9月)によって裏切られる。戦争をしたすべての国と講和交渉して、平和条約を結び「世界中の国が、よい友だちになってくれる」全面講和の機会を自ら捨てて、属国となる選択をしたのである。北朝鮮問題は、少なくともここまで遡らねばならない。
 「世界中の国が、よい友だちに」も「貴きものは国民の精神であります」も、幾多の国際的経済的苦難に直面して自力で乗り越えた小国キューバが実現している。コスタリカもキューバに学んで、軍備を棄て教育予算に組かえたのである。これらの国と日本との違いは、「独立」である。戦前戦中我国は、アジア諸国の独立を弄び蹂躙したが、戦後は自らの独立を棄てている。

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