軍隊で新兵いじめに遭った誰もが「ああ嫌だ、オレはあんな上官のような男にはなるまい」と決意し、新兵同士で固く誓い合う。にもかかわらず、誰もが同じ路を辿って新兵虐めにたどりつくのはなぜか。皆が虐める上官にはなりたくないのなら、虐めは消滅するはずではないか。一人で判断する暇がないからだ。
それを大岡昇平は『俘虜記』に書いた。←クリック
石川達三は次のように書いている。「戦場というところはあらゆるあらゆる戦闘員をいつの間にか同じ性格にしてしまい、同じ程度のことしか考えない、同じ要求しかもたないものにしてしまう不思議に強力な作用をもっているもののようであった。医学士の近藤一等兵がそのインテリゼンスを失ったように、(従軍僧の)片山玄澄もまたその宗教心を失ったもののようであった」『生きている兵隊』
判断を集団に委ねることの不条理を見事に描き出している。一人なら理性的な判断をする大人がインテリや宗教者までが、集団的愚行に安寧を見出すのだ。一人では決してやらないことをやって見せて自慢さえする。重量級の悪徳に走り、自分を士になぞらえてサラリーマンにとって業界は戦場であると嘯いてみせる。一人ではやれない。「サムライJapan」がヨレヨレになっても輝いて見えるのは、自らの悪徳を知覚したくないからである。野球やサッカー日本代表に「サムライJapan」が冠せられるのは、ヨレヨレになった「サムライJapan」に張りを与えるためである。
姑息なことは止めて、新兵当時の決意を一人で思い出せ。
ある初冬の寒い夜10時過ぎ、電話があって僕は妻に起こされた。二昔も前のことだ。
「風邪をひいて休みましたと言ったんだけど、とにかく電話口に出してくれとしつこいの」と申し訳なさそうに言う。 電話に出れば、以前の職場の同僚たちが入れ替わり立ち替わり「新宿に出てこい」と酔っ払って大声を張り上げる。
「もう遅い、風邪で熱もある。たとえ無理をしても11時を過ぎる。すぐ終電だ。日を改めて欲しい」と毛布を被って懇願した。
「風邪なんか一杯引っかければ直ぐ治る」と非道い無茶を言う。他人の頭痛や怪我はいくらでも我慢できると言うやつだ。
「近頃お前生意気だぞ。全然酒に付き合わないじゃないか。とにかくタクシーで飛んでこい」
「酒を飲むから付き合えと連絡してくれたか。もう何年も誘われてないぞ」
「だからこうやって誘っているんだ。出てこい。許さんぞ」と次々に絶叫する。生意気だ、付き合いが悪い、飲めば治る、を何度も繰り返す。いつもは冷静なA さんまでが
「せっかくだ、とにかく出ておいで」と無理を言う。
「君たちは酔っている。続きは明日にしてくれ、もう切るよ」を受話器を置こうとすると、声色が変わる。同じやり取りを、小一時間も繰り返していた。電話を切ると、すぐかけ直してわめき立てる。
「それが友達に対する態度か。ははあ、お前共産党員だな」と大声で僕の名前とともに連呼する。盛り場で。凄い神経である。彼は社会科の教師で、組合の活動家でもあった。
又切る。出ないでいると何時までも呼び出し音が続く。接続を遮断してしまった。
翌日、僕は風邪で休んだ。
それからというもの、彼らは何処で出会っても挨拶もしないで避けるようになった。つまり僕は、彼らに敵対する非国民として「処刑」されたわけである。こうして僕は知り合いを次々と失った。T高校のH先生(小説を書いてある文学雑誌の新人賞を取った)が「本を書くと、人間関係が崩れるよ」と言った意味がようやく分かった。
彼らはみんな教員であった。平和時でも酒が入り徒党を組めばこの始末だ。戦時の軍隊で「聖戦」「大東亜解放」のスローガンに酔い痴れていれば、強姦や徴発や虐殺をなんとも思わなかったことは容易に類推出来るのである。
一人になることを異常に恐怖し、集団を強要する教育文化が一掃されない限り、同じ惨劇は繰り返され続ける。
非正規労働者やアジア諸地域からの技能実習生に対する日本官憲の仕打ちは、既に戦中と変わりない。子細は『現代思想』2019年4月号を読まれたし。
英国の入管施設を2021年、2014年に視察した児玉晃一弁護士の見聞がある。日本の入管施設とは雲泥の差である。
「パソコンが設置され、インターネットの閲覧や電子メールの利用は自由にできるほか、携帯電話が貸与される。無償の英語教室や美術教室が開催され、ジムには多数のトレーニングマシン、音楽スタジオにはギターやドラムセットがある。清掃など有償のアルバイトをする収容者もいた。・・・収容者に尊厳を持って接しょうとする英当局の姿勢を感じた。「自由を認め意義ある活動をすれば、収容者は逃亡や自殺を考えない」との所長の言葉が印象に残った」『現代思想』2019年4月号
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