賢くなった野郎ども。・・・質朴な生徒・・・それがよくなってきた。4

                                                                                             承前
  7月1日
  疲れ切って机に突っ伏している生徒が重たそうに顔を上げるから「寝てていいよ」と言うと、「起きます、大丈夫です」と顔を上げてペンを握る。授業が終る頃にはすっかり元気になって、話をしに寄って来る。
  昼休み、生徒の質問「パレスチナ問題におけるイギリスの役割」に答えていると、一人、三人と寄って来てずーっと聞いている。まるで、聞かずにいるのは損だと言わんばかりに。

  「授業が始まる前に、茶髪やピアスを注意されたら、授業は半分ぐらいしか入っていかないかい」
  「うぅん、全然、聞かないで寝ちゃう」
  「化粧がどぎつくなる時の君は、必死で自分の存在を守ろうとしているのかい」と聞くと、長く考えて少し微笑む。友達も聞いている。
 「自分の立っている場所がどんどん無くなって行く、狭くなって行く不安をどうにも出来ないように感じる」隣の生徒が、「そういうことだよ」と呟く。
 
 7月3日
 11時20分からテストの続きを行う。80人の生徒のうちおよそ60人が残った。その殆どは2枚以上の答案に仕上げた。最も多い者は今の所6枚。今までの生徒達より、構成が自由であり、色とりどりである。答案も又表現である。表現は自由な空気の中で行われなければならない。
 最後の3人は5時過ぎに帰った。放っておけば暗くなっても居たに違いない。
7月5日
  今日も20人位が残って答案を仕上げる。ぎりぎりまで粘る生徒には、対話する家庭という共通点が有りそうだ。表現のための文化的背景と自由。
  「夏休みに補講すれば参加するかい」と聞くと、嬉しそうに「やる」という。やはりここは教科指導重点校であるべき。生徒の学力の構造と、教員の授業法・授業形態・生徒観のミスマッチが9年間続いていたと考えた方がよい。
7月8日
  答案に印象に残った授業についての評論を書いてもらったのだが、同じ授業を取り上げたものが殆ど無い。
7月10日
  答案のできは予想を超えている。天才的なフレーズ、新鮮な視点、・・・・・。3-4も例外ではない。聞けばこうしたテストは12年間の学校生活で初めてだそうだ。もし自由記述式のテストがもっと早くから彼らに行われていれば、彼らの才能は正当に評価されていたに違いない。
 「先生がもっとこの学校に早く来なかったのがいけない」教科指導こそが彼らの根底的権利。

  答案の中にいくつか授業に触れたコメント。
  「先生のいつも話しをする時は、イヤでも耳が傾いてしまうくらい好きです。聞いていてすごく勉強になります。特に好きなのは、クラスの人がうるさい時の遠回しにするはなし、今、私たちにとってとても大切な話しをしていることが良いことだと思います。でも一つだけ、筆圧が高いのでこの紙どこかに穴があいてしまいます」
 「先生の言葉全部いい」
 「先生の授業を初めて受けた時〃これこそ私が探していた授業〃って思いました。教科書をほとんど使わないで、先生が出したテーマについて先生と生徒で意見を言い合う。私は教科書通りに授業をする先生達の授業にあきていたので、2日に一度の現社の授業をすごく新鮮に感じています」
 「先生のような授業は大歓迎だ。教科書を使わずに、自分の知っていることをうまくつなげて、一つのことがらを説明する。というのはなかなか出来ないし、いっけん雑談のようにすら聞こえてくる。こんな授業は、いままでに受けたことがなかった僕には、とても斬新な授業です。なぜなら、僕は自分でも認めるほど『集中力』がない。だから先生のように次々と話しが出てくる授業では、次々と興味が出てくるため、集中がとぎれることがなくとても楽しいです。」

  「~の授業で先生がちょっとだけ言った・・・に頭が一杯になって、調べてみると・・・」ほんの小さな授業のエピソードに興味を持ち、自分で調べてみる生徒が少なくないことが答案から読みとれる。
 貧困や戦争の問題では、心臓が止まりそうになったりするほど、気持ち悪くなるほど、怒りでむかむかするほど、世界と切り結んでいる様子も答案に見えてくる。ただ、「先生の言葉全部いい」は気になる。批判や乗り越えが出てくるだろうか、周りが手助けするかもしれない。

追記 「授業は平凡でなければならない」と大学生には講義してきた。平凡であることは多様で困難、ということだ。KH校の生徒達も「先生の授業は初めてのことばかりだった」そう言い残して卒業していった。答案の出来は研究会の教師たちを驚かせた。僕は生徒全員の答案を持ち込んだのだが「出来の悪い答案もみたい」との声があったので、これが全部だと答えると、驚いていた。                                       つづく

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