ダブル・スタンダードと人権 1

渡辺崋山 寺子屋図「一掃百態」
ここにダブルスタンダードのない教室の
原型がある。
 北九州市の中学生の匿名投書が、新聞に載りました。

 「私たち中学生は、毎年十二月近くなると、人権週間にちなんで作文や詩を書かされます。また授業では、人権は守らなければならないと教えられますが、先生方の言うことは建前でしかないという気がしてなりません。差別されている人々の人権を守るように教わっても、私たち生徒の人権は尊重されていないように思われるからです」
(1989.10.10 朝日新聞「子どもテーマ相談室」)
と、学校の授業内容について根本的な疑問を提示しています。その中学生は、人権が尊重されない具体的な事例として、持ち物の検査を挙げ、
 「例えば、生徒のカバンを断りもなく開けて見るのです。雑誌、漫画、お菓子などが出て来たら即没収です。それも、生徒の留守にやるのです。物を没収されなくても、他人に自分のカバンを勝手にあきられるのは、気持ちのいいものではありません。これはもうプライバシーの侵害ではないでしょうか」と、抗議しています。 
また、「ブス」「ブタ」などと生徒に暴言をはいたり、体罰に肯定的な教師が少なくない現状について、その変革は絶望的だとさえ感じています。その結論として、
 「人間のプライバシーを侵害し、言葉の暴力で人間の尊厳を侮辱している人間が、別の場では 『人権うんぬん』などと、もっともらしいことを教えているのです。私はすべてとは言わないけれど、先生を信頼できなくなりました」
と結んでいます。

 ダブル・スタンダードという言葉があります。人間や団体は、善悪・好き嫌いなどについて、多かれ少なかれ何らかの基準をもって、判断、行動をします。まともな人間や社会は、その基準が誰にもいつでも一致しているものです。少なくとも、一致させようと努めます。

 1991年冬、アメリカ合衆国を中心とする多国籍軍は、イラクが国連決議を守らないことを理由に、イラクに軍事的制裁を加えました。この紛争で、日本は国連中心主義を掲げて、海上自衛隊の掃海艇をベルシア湾に派遣しました。だが、同じょうにイスラエルが数十年間にもわたって、パレスチナ・ヨルダン川西岸・ゴラン高原などを不法に占拠し、度重なる国連決議を無視し続けても、アメリカはイスラエルに軍事制裁を加えようとはしません。また、南アフリカ共和国が国連による再三のアパルトヘイト撤廃決議を無視したときも、アメリカは軍事制裁を加えようとはしませんでした。多くの国が南アフリカ共和国への経済制裁に踏み切ったときも、アメリカと日本は、最後まで貿易を続けようとしました。イラクに侵略されたクウェート人の人権は、イスラエルに占領されたパレスチナ人や、アパルトヘイト政策に苦しめられた黒人の人権より重いのでしょうか。アメリカ政府も日本政府も、人権尊重と国連中心主義を口にしながら、相手が変わると態度を変えてしまいます。
 基準が一致していません。まるで、別の基準を適用しているようです。これを、ダブル・スタンダードと言います。こんな国が、国際社会で信用されるわけがないのです。
 そして残念なことに、学校社会もまたダブル・スタンダードの世界です。投書した北九州の中学生の指摘するように、「人権を守れ」と言った先生が暴力を振るうのです。ナチスによるユダヤ人虐殺を、黒板の前で勇ましく糾弾し、人権の不可侵性を主張した先年が、校門の前で頭髪の検査をし、服装違反の生徒を帰宅させてしまうのです。学校から遠い世界、たとえば南アフリカ共和国の黒人の人権にはいくらでも敏感になるのに、学校内の身近な人権については、急ににぶくなるのです。自分の言葉を自分の行動が裏切っていては、生徒の信頼を得ることはできません。信頼が無くては、授業も成立するはずかありません。成立するはずのない授業を無理強いすることで現れるのが、管理と暴力、しらけといじめです。学校がもっとも大切にすべき学ぶ喜びや人格の形成といった要素が、ここにはありません。
                                          (人権は誰も奪えない)
 生徒たちは当たり前の人権か無視される学校の状態について、〝対抗する手段〟をもっていないのでしょうか。対抗し、子どもの人権を守ろうとする生徒の手肋けとなるものはないのでしょうか。
 それを一緒に考えるのか、この本(拙著『子どもの権利条約とコルチャック先生』)の目的です。               
                                                                              つづく

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